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嫌になるくらいの空理空論。真の民主主義だって????

<本当に、学者や、知識人?といわれる人の民主主義論など単なる空理空論>

はっきり言う! 彼らの言う民主主義など、空理空論

http://blogos.com/article/136121/

舛添要一
2015年09月27日 16:51
由利公正の現代的意味

私は、常に「万機公論に決すべし」と言っており、これが私の政治手法であることは周知の通りである。情報を公開し、皆で合意を形成していくことの重要性をいつも説いている。新国立競技場や五輪エンブレムの失策は、その主張の正しさを裏付けている。



http://blogos.com/article/136018/

藤井達夫
2015年09月26日 15:52

安全保障関連法が成立した夜に、日本の民主主義に起こったこと――冷たい怪物が再び蘇った日――

いずれにせよ、すでに法案が国会に上程された時点で予想されたこの事態が現実となった今だからこそ、それを冷静に直視し、その意味について考えてみることが必要だろう。そこで、ここでは、安全保障関連法の制定過程において明らかとなった、日本の民主主義の変質について検討したい。この変質とは、その日以来、日本の民主主義が民主主義という装いの下でその内実を骨抜きにされてしまったこと、ようするに、民主主義が倒錯してしまったことを表している。もちろん、それは、日本の社会の不吉な未来を予感させる。というのも、この倒錯した民主主義から、あらゆる冷たい怪物の中でもっとも冷たい怪物が頭をもたげつつあるからだ。国家というこの怪物は、グローバル化と民主主義の勝利によって息の根を止められたとさんざん吹聴さてきたはずだ。しかし、それが再び蘇りつつあるのだ。

今回の法律の制定によって、立憲主義的制約が放棄され、統治権力の自立化の道が切り開かれたとするなら、この事態によって現在の日本の民主主義は新たな状況を迎えつつあるといえるかもしれない。それは、民主主義の装いの下で、民主主義の理念が形骸化され無効化されていくような、歪で倒錯した民主主義の時代の到来である。この倒錯した民主主義が私たちの社会に根を下ろしつつあるのではないかと警戒することである。

倒錯した民主主義は、不健全であるだけでなく、危険であることは指摘するまでもない。また、見分けにくい分、性質も悪い。この変質が見過ごされ放置されるなら、倒錯した民主主義が定着し、常態となるだろう。その場合、私たちの社会の未来はきわめて暗い。この民主主義の変質に対して抗うには、何が必要なのか。




<本当に、学者や、知識人?といわれる人の民主主義論など単なる空理空論>

 この人たち、盛んに自分の考える「皆で合意形成」とか、「倒錯した民主主義」とか、言っていますが、単なる現実無視の空理空論です。

 底辺校と言われる高校には、漢字の書けない、分数の計算のできない、ADHD(注意欠陥性多動症候群)、LD:学習障害の子供たちはうようよいます。わたしも実際に経験しています。

http://altjp.net/classification/article/40
学習遅滞児(低学力児)
各種の原因によって低学力に陥っている子ども

いわゆる「低学力」が問題となっている子どもたちの中には、発達障害等を持つ子ども、不登校の子ども、外国籍の子ども、貧困等で家庭や学校外に十分な学習環境が得られない子ども、なども含まれますが、そちらは別の項で取り上げていますので、ここではそれ以外の子どもたちのことを扱うことにします。

上記の子どもたちを除けば、低学力に陥るのには以下の2つのケースが考えられるでしょうか。

1.境界知能による学習遅進
2.俗に落ちこぼれと言われる学業不振


1.の境界知能とは、精神遅滞(知的障害)の範囲と、正常知能と言われる範囲との境界領域(IQ 70~85ぐらい)の範囲の知能を指します。そうしたやや遅めの知能の発達ゆえに学習に遅れを来たす「学習遅進児」と言われる子どもは、ゆっくり学ぶタイプの子どもという意味でスローラーナーとも呼ばれています。

こうした子どもたちは、知的発達のレベルがやや低いだけで、特異な認知の偏りをあまりもっていないという点で、LD(学習障害)の子どもたちとは区別されます。「学習障害」が遺伝的な要因が主なのに対し、「学習遅進」はそれに環境的な要因が加わって生じたものなので、時間をかけて解消することが可能だとのことです。

2.の学業不振とは、簡単に言えば学校の授業についていけないでいる状態です。教育現場では皆が一緒に進んでいくという授業形態や、カリキュラムを消化するので手いっぱいだという事情などから、つまずいたところや分からない個所を個別に時間をかけてやり直すようなことが、できにくいのが現状なようです。日本の義務教育では、一定の成績を修めなければ進級・卒業できないという「修得主義」ではなく、出席日数に不足がなければ成績にかかわらず進級・卒業を認める「履修主義」をとっています。それは「留年」が子どもに与える心理的影響を考えて、なるべく避けようという配慮からなのですが、それが逆にあだとなり、学習につまずいた子どもが見過ごされ、落ちこぼれる原因の一つになってしまっています。

学習につまずく子どもの背景には、学校での友人関係や家庭環境に問題を抱え、落ち着いて勉強に取り組めないとか学習に興味を持てなくなってしまうなどの事情があることも多いので、そうした点への配慮も必要でしょう。

ただ、発達障害、不登校、外国籍、貧困、などの子どもたちの方がより大きな問題だと考えられているためか、それぞれに特化した支援活動の方が多いようです。学習遅進児はLD(学習障害)の子どもたちと一緒に支援の対象となることもよくありますが、学業不振児のみを対象に支援活動を行うところはあまりないようです。



 一方、特別養護老人ホームには、認知症の人が入ります。彼らは選挙するかしないか?します。認知症の人たちも投票します。どうやって??
字の書けない人もたくさんいますよ。どうやって彼らが投票すると思います????

特養のスタッフに取材してください。現場をきちんと調べてください。

彼らを排除した民主主義が、あなたたちのいう「真の民主主義」ですか?それとも、彼らを含めた民主主義が「真の民主主義」」ですか?????

1億人を超える有権者のただ1人さえ排除しないのがあなたたちのいう「真の民主主義」なのでは?

それとも、文字の読めない若者(生活保護の申請書類すら記入できない若者がウヨウヨ)、認知症のお年寄りは、あなたたちのいう、「民主主義」には、最初から「該当しない」「排除してもかまわない」とでもいうつもり??

であれば、

http://blogos.com/article/136018/
藤井達夫

「だから、このタイプの民主主義は、政治は政治家に任せ、静かにしていないさい、悪いようにはしないから、と人びとに語りかける。この語りかけに対して、民主的な正統性はそれだけでは不十分であると異議を唱える人たちが必要なのだ」




という、エリートによる民主主義を否定する、あなたの論は成り立たないのでは???

「真の民主主義」 などどこにあるのですか? 答えましょう。そんなものこの世にない。完璧なものなどないから、まあまあの範囲で、妥協できる範囲で行わざるを得ない。

「真の民主主義」など、「桃源郷(中国の古代の話)」と同じ。

この世には「ない」。空理空論。


3人や5人の話し合いで決まる範囲なら、民主主義は成り立つが(笑い)。

絶対? 表現の自由

<絶対に?>

 さて、フランスの風刺画について、過去記事です。その中で、次のように書きました。

クリック

風刺画の理由

ムスリムにとっては、宗教こそ、生きる価値そのものです。何のために生きるか、それは神のおぼしめしだからです。宗教=人生そのものです。

風刺画は、宗教をバカにします。「宗教なんて、価値なんかないよ」と、絶対価値を相対化します。そのために、一番強烈な表現方法を使います。
もちろん、イエスも風刺画の対象です。

価値の相対化が目標なんでしょうね。「この世の価値・生きる価値」も相対化されます。

宗教になんて価値はない、それが相対化です。宗教で食べていっている人もごまんといます。

さあ、では、風刺画に反論してみましょう。「いや、絶対的な価値はある!」



 フランスは「ライシテ」つまり「政教分離」、「公の場に宗教を持ち込まない」が原則です。ですから、政治に宗教は持ち込ませず、公教育に宗教は持ち込ませず(イスラム教徒のスカーフは学校では禁止)・・・です。

 政教分離は、フランスの国是です。18世紀末、教会が非寛容で抑圧的だった時代の産物です。ユグノー弾圧など宗教内戦もありました。

 フランス革命で、「非宗教」が国是となりました。

 12人が殺された、シャリルエブド誌襲撃で、「表現の自由を守れ」と、イギリスキャメロン首相や、ドイツメルケル首相をはじめ、フランスで「表現の自由」を守るために、大規模な集会が行われました。

 しかし、また、デンマークで、表現の自由をめぐり、事件が起きました。

日経電子2月18日

デンマークの首都コペンハーゲンで14日午後(日本時間同日深夜)、表現の自由を巡る会合を狙った銃撃事件が発生し、1人が死亡、3人の警官が負傷した。容疑者は25~30歳くらいの男性1人で、現場から逃走している。デンマーク警察当局は15日未明、別の銃撃事件で3人が負傷したと発表し、警戒を強化している。



 「宗教」を「そんなもの絶対的ではない」と表現の自由をもとに批判する、フランスの精神。これ自体が「宗教的(唯一絶対的な価値)」だと、自らを相対化することができません。

 つまり、ムスリムを相対化してけなしつつ、自らを「絶対だ」としているのです。

 では、「シャリルエブド」を風刺してみましょう。私は絵が描けないので、文字で表現します。

「表現の自由」「ライシテ」を「絶対」とする欧米人は、その宗教のような「絶対的」信念のもと、同胞を失っていることに気付かない。

これは、「シャリルエブド」には描けません。

 「固定相場制」は失敗するのです。なぜなら、ショックを吸収できる緩衝財「ショック・アブゾーバー」がないからです。ドルショック、アジア通貨ショック、アルゼンチン、最近のウクライナまで・・・

「思想」の「固定」も同じです。

ケインズ
この世で難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、精神のすみずみまで根を張った古い考えを捨てることだ。



ドミニク・モイジ 仏を代表する国際政治学者

日経2015.2.16 

 フランスはライシテを掲げているが、これ自体が宗教だと言える。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教に次ぐ、第4の宗教というわけだ。他の宗教と同じく非寛容になり得る。



フランスの知性は、すごいです。ちゃんと相対化(学問の本質)しています。かないません。

それに比べて…

<君が言うか!>

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小笠原誠司 いずれにしても、この社説を書いた人は、どれほど経済学の素養がおありなのでしょうか?


この小笠原誠司に、「経済学素養」がないことは、過去記事で明らかです。

カテゴリ「小笠原誠司」参照

 まるで、相撲出身解説者の小笠原誠治が、サッカー解説者(読売社説)によるゴルフ(経済)解説に対し、「どれほどゴルフの素養がおありなのでしょうか」と言っているのと同じです。

結論 ひどすぎる(笑い)

高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学
教科書を書いている人もきっと良くわからないまま書いているのだということがわかってしまう、実はとっても怖い本でした。
nagahirogolf

<風刺画の理由>

<風刺画の理由>

風刺画
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 この世は言葉で出来ています。「神はロゴスであった(ヨハネ)」。

政治も、法律も、宗教も、契約も、文学も、歴史も・・・・そして、我々は、それらを絶対視して生きています(疑問を挟まないでと言った方が適切かもしれません)。

法律家は、法律の世界を、学者は教科書を、理系は式を・・・。

さらに、実際にはそれで食べていっていますから。高校歴史の教師は、歴史を教え、数学の教師は数学を教え(それぞれがどの程度自分の教えている世界を大事だと思っているかは別にして・・)。字と言葉が大事で、この場合、学校建物には価値はない。

赤塚不二夫は「シェー」という言葉で、言葉というものに価値を置くこと自体がナンセンスなんだよと、表現しました(タモリ談)。

それで、我々は、所詮この世界はフィクション(虚構)だと自身を相対化します。

ムスリムにとっては、宗教こそ、生きる価値そのものです。何のために生きるか、それは神のおぼしめしだからです。宗教=人生そのものです。

風刺画は、宗教をバカにします。「宗教なんて、価値なんかないよ」と、絶対価値を相対化します。そのために、一番強烈な表現方法を使います。
もちろん、イエスも風刺画の対象です。

価値の相対化が目標なんでしょうね。「この世の価値・生きる価値」も相対化されます。

リフレがどうの、反リフレがどうの、アベノミクスがどうの、アホノミクスだの、みな、それぞれ自分の信条を絶対視しています。そして、都合のいいように、事実を組み立てます。ウソ・虚偽まであります。

経済学・宗教になんて価値はない、それが相対化です。でも、経済学・宗教で食べていっている人もごまんといます。

さあ、では、風刺画に反論してみましょう。「いや、絶対的な価値はある!」

女性に生まれたら

<女性に生まれたら>

 自分が、女性だとして、大学を出て、キャリアを積み上げたい・・としたら。

一方、女性にしかできないのは、出産。出産には、妊孕力という、生物学的事実があり、10代後半・20代がピーク、上限は40歳くらい・・・
 
人生は1回限り、トレード・オフ、どうしましょう・・・。


情報いただきました

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比較優位の地域サバイバル戦略 ~持続可能な地域経済構造を目指して~

東京の学歴別人口移動状況をみると地域経済の課題が浮き彫りになる。1990年には東京の大学・大学院を卒業した女性が地方へ流出していたが、2000年には逆に東京へ流入している。男性の場合は、2000年のほうが人数は減っているものの両年とも流出が上回っている。

年齢別にみた男女別人口移動(東京圏、2011年度)都市への人口移動

学歴別にみた女性(20~39歳)の人口移動状況(東京都)
女 流出入

学歴別にみた男性(20~39歳)の人口移動状況(東京都)
男 流出入


ここから女性の中でも大学・大学院を出た女性の職場を地方は提供できていないことがわかる。高学歴女性の就職先としては付加価値の高いサービス業が中心となるが、その分東京のもつ優位性が男性より強く働くこととなる。地域にとっては、こうした女性の職場を確保することが大きな課題となる。



 女性が集まるところに、男も集まります(出生率の話ではありません)。学校がある(これもサービス業)のも都市部、学歴のある女性を生かす職業も、都市部にしかないのです。
 都市は、人間が、人工的(人為的)に、理想として作り上げた、環境です。

中村うさぎ 『性的価値のパワー』 週刊文春 さすらいの女王 731

人間の価値は美醜でもなければ性的価値でもない。たとえば知性や才能や精神的な豊かさなども大切な人間的価値であろうし、むしろ美醜や性的価値なんかに比べると、そっちのほうが、格段に高次元の価値ではないか、と、このように世間では考えられているようだ。

 だが、諸君、はたして本当にそうなのだろうか?美醜や性的価値が低次元の価値基準だとみんなが本気で思っているのなら、何故、女たちは美醜にあれほどまでにこだわり、己の性的価値を高めようとするのか? それは女が浅はかだからか? それとも、なんだかんだ言いながらも女を美醜や性的価値で選ぶバカな男が多いからなのか?

 違うね。じつは、人間のあらゆる価値の中で、美醜や性的価値はもう理屈抜きに群を抜いて強いのである。それは、ひとつの絶大な権力なのだ。知性だの精神性だのといった「人間本来の価値」とされているものが一瞬で吹っ飛ぶほどの、有無を言わせぬパワーなのだ。だからこそ、人間はその力を恐れ、美醜や性的価値を不当に低いものとして扱いたがるのである。

 私は以前、「美人コンテストでスピーチやら一芸やらを要求されるのは何故なのか」と諸君に問うたことがある。たとえばオリンピックはスポーツの技量を競うものであるから、そこで一番の成績を残した者が金メダルを手にすることになっている。その選手がじつは足し算もできないほどのバカだろうと、人間として最低な鬼畜であろうと、それを理由に金メダルが与えられない、ということはない。

 しかるに、美人コンテストは要するに美人のオリンピックなのであるから、頭が悪かろうと中身が空っぽだろうと、一番の美人を選べばいいじゃないか。何故、美人コンテストに限って、美人以外の要素が審査基準に入ってくるのか?
 
それはですね、人を美醜だけで判断してはいけない、というブレーキがかかるからだ。
しかし、それを言うならオリンピックだって、人を身体的能力だけで判断していいのか、ということになるだろうに、そこにブレーキがかからないのは、「美醜が性的価値に深く関わってくるから」であり、この性的価値ってやつがじつは人間を支配する絶大なる権力となり得るがゆえに、我々はあえてそれをタブー視することで社会を維持しようとしているのではないか?

そう、性的価値は、社会が作り上げてきた平等とか自由とかいった概念を一瞬にして転覆させられるくらい絶大な力を秘めているのである。セックス産業において「売り手が買い手より強い立場にいる」という通常の商取引とは真逆の現象が起きるのは、その露骨な証と言えないだろうか。こと性愛の現場になると、人間がどんな理屈をも超えていかに簡単に性的価値の前に屈服するか、それが露わになってしまうのだ。
 
専業主婦を「男が女を囲い込むシステム」と言う人たちがいるけれど、私はこのシステム、じつは女が作ったと思ってる。労働させられている男のほうが、本当は奴隷の立場なのだ。そして女たちがその権力を振るえるのは、ひとえに性的価値という最強のカードを持っているからなのである。



美醜が圧倒的価値・・・
ショック受けないでくださいね

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老いるということ ハリウッド・海外女優編―美女時代と老婆になってから

黄色人種は、肌の衰えが、白色人種ほどではないというものの、日活黄金時代の女優さんの今・・・食べていくっていうことは、大変なことだとわかりつつも・・なんだかなあとも思います。え?あの人ではなくて、あの人のことです(笑)。

 原節子さんが、すっぱりと引退したのは・・・

 男も、ジョニー・デップや、ブラッド・ピットが、若い子にキャアキャア言われても、せいぜい40代、いって50代で、終わり。アル・パチーノ、最近作は、さすがに「老い」「老醜」ばかり・・・(それはそれでアリですが、二枚目ではなくて)

 昔、「人生いろいろ」という曲がありましたが、その時島倉千代子50歳。「おばさん」「別世界の人」というイメージでしたが、今、松田聖子、薬師丸ひろ子、小泉京子、吉田美和、バービーボーイズの杏子がその世代。え?アラフィフって、あの「おばさん」世代なの?二の腕出して・・恋愛の歌??

閑話休題

 男、本当に、若い子が好き、というか、若い子でなければ、受け付けません。

 で、DNAは、自分の子供に、まったくリセットした、真っ新のDNAを残せるそうです。これは、生物学上の奇跡だそうです。

 老体に鞭打って「代離婚活」現場報告 週刊新潮14.7.31

・・・「代理お見合い」とは文字通り、親が子どもに代わって結婚相手を探すというものだ。

・・・平均初婚年齢・・・男30.8歳(2012年)、女29.2歳・・・。昨年秋、内閣府が行った意識調査・・・未婚化・晩婚化の理由・・・女性は「独身の自由さや気楽さを失いたくない」(55.3%)が最多だ。

 「・・男性はいくつになっても若くてかわいい人を求めます。それと赤ちゃんを産める人。世間一般に卵子の劣化が言われるようになり、男性側から『女性は36歳まで』と条件がつくようになりました・・・」

(ある女性の親)
 ・・・なぜ、36歳と言う若さなのに、代離婚活を行うのだろう。理由は明確だった。「女は35過ぎたら、婚活をやらなきゃだめ。あっという間に声がかからなくなるから」

(ある男性の親)
 ・・・「息子が38歳の時から、代離婚活を始めてるからね。やっぱり、孫は絶対に欲しいから、子どもを産める女性じゃないとダメ。だから相手には妥協しないの。年齢の上限は36歳。ここまでやらないと、親の責任は果たせない」

(ある女性の親)
・・・娘は42歳・・・コンピューター技術者・・一流企業に勤務。・・・「39歳になったとたん、誰も声をかけてくれなくなった」・・・たった一人だけ娘が「この方なら」と思った相手もいた。だが、今度は「年齢が40歳だから」という理由で相手から断られた。

・・・今回取材した会では、今年4回の開催で、40組ほどが成婚している。



 もう、「子どもが産める」→妊孕力があるのは若い子→若い子は性的アピールが一番ある時期・・というのは、生物学的事実なので、どうしようもないです。

 若い女性だって、若い男性を恋愛の対象とするのに・・・男だけは相変わらず・・・若い子!

これも、DNAを残したいという、生物学的事実に基づき、どうしようもない事実です。

 娘を持つ、親御さんの気持ちも、分かります。焦る気持ちも分かります。

 専業主婦、日本では、奥さんとか、かかあ殿下とか、川柳コンテストとか、「女性が強い」ことを示す事例に事欠きません。

 女性が強いことを象徴しているのが、「財布を握っている」ことです。日本男性は、そこから、「小遣い」をもらいます(圧倒的割合です)。

 80年代に、ロス疑惑という事件がありました。新婚に近い日本人カップルが、ロスで、金銭を目的とした暴漢に襲われ、撃たれた事件です。写真撮影で、女性が被写体、男性が、離れてカメラをセッティングしている時でした。女性は意識不明の重体後、死亡。男性は、足を撃たれました。金銭は、幸い奪われず、犯人も見つかりませんでした。
 
 外国事情に詳しい人は、初めから、「おかしい」と感じたそうです。欧米では、カップルの場合、女性は財布を持たないからです。財布(家計)を握るのは、男性です。金銭目的で、女性を狙うというのが、あり得ないのです。

 日本を「男尊女卑、女性の地位が低い、社会進出が遅れている!と非難するのは勝手ですが、本質は、中村さんが言うように、男性が「鵜飼の鵜」かもしれません。

専業主婦が、一番幸福度が高い
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世界一、男より女が幸せな日本

 いくら、「女は奴隷だ」と、ドヤ顔で、女性大学教授が叫んでも、ジェンダー・フリーを訴えても、当の女性たちが、「だって幸せ」と言っているのだから、共感は得られません。

 実態を無視して、頭(理論)でっかちになっても、誰も、ついてこないのです。

 若い女性が、その性的アピールを、最大限に象徴するメイクや、髪や、ファッションをするのは、当然と言うより、必然なのかもしれません。

 しかし、世の中には、自分が一番いけているときのスタイルを、未だに引きずる中・高年女性が・・・。はっきり言って、今のことばでは「痛い」です。

 男は、半そでシャツにスラックスは、20代~70代でも平気(年齢に関係なく着る)ですが、女性のミニや、短パン・・・年齢が限定してしまいます。

 女性は、色々、大変のようです。でもいったん女性であることを放棄すると、すごく楽のようです(笑)。

 ただ、服装(ファッション)は、とても大切であることも事実です。自分を表現する(主観)とともに、社会に合わせています(社会を意識しています:客観)ということを表現することでもあるからです。

 難しいものです。


高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学

k-takahashi’s 雑記

評判の良かった教科書。確かに分かりやすい。

特に本書では、GDPの三面等価、企業の収支と国の収支のちがい、国の財政問題といった簿記/会計的な見方が必要なテーマを重視する。これは類書の多くでは必ずしもきちんと説明されないことが多い。きちんとやろうとすると面倒になるからだ。だから経済学を勉強したつもりの人でも、うろ覚えの場合が多い。

でもまさにこの部分は、マクロ経済学をときに直感に反したものにしてしまい、多くの人たちがうっかり間違える落とし穴だ。複式簿記では、借方と貸方がいつも一致しなくてはならない。同じものを、常に複数の面から見なくてはならない。バランスシート(貸借対照表)とP/L(損益計算書)とキャッシュフローは連動しなくてはならない。ところが、往々にして人々は別の面から同じ数字を見ることを忘れて、何か片方だけに関する思い込みでものを言ってしまう。

(No.122)

問題は、この「思い込みでものを言う」が、一般の人だけではなく、記者や学者の肩書きを持ったひとまでやらかしてしまうこと。本書は、そういった間違いを犯さないための基本を学ぶための本である。

私の感想だと、以下の3つが本書のポイントだと思う。

企業の赤字と貿易収支の赤字は意味が違う

英語でも、企業の黒字赤字は "the black / the red"だが、貿易収支は "a trade surplus / a trade deficit"となる。直訳すれば、「貿易の余り/不足」となる。著者は「輸出超過/輸入超過」というべきだ(No.996)と指摘している。

この説明に使っているのが、

(S-I) = (G-T) + (Ex-Im)

の式。これを丁寧に説明し、「赤字=悪」という「落とし穴」にはまらないようにと繰り返し訴えている。確かに、意図してか無能からかは分からないがそういう言説は非常によく見かける。

比較優位ほど誤解されている理論はない。

この理論は、経済学上最大の発見で、誰一人反証できない、古典理論なのです。(No.1446)

これほど、重要なのに、これほど誤解されている理論もありません。

ですが、これを理解しないと「貿易は勝ち負け」「輸出を伸ばし、輸入を抑えれば利益が出る」というトンデモ貿易論に一直線です。(No.1467)

比較優位とは、相手国との競争力比較のことではなく、国内産業における「生産性」競争のことなのです。(No.1608)

つまり、同じ産業における日本と外国との競争力を比べて勝った負けたというのは比較優位の話ではない。国内の産業Aと産業Bとの生産性はどちらが高いかという競争であり、高い方が勝つ。それを全ての国が行えば、皆豊かになる、という理論なのである。

貿易自由化が常に国内の利害調整問題になるのは、この辺が理由というわけだ。

アベノミクスの理論的背景

アベノミクスは、実は色々な経済学のてんこ盛りです。まず、インフレ期待は、ルーカスなどの主張する「合理的期待形成」という経済理論によるものです。1本目の矢「金融緩和」は、フリードマンらマネタリストの、「インフレとはいついかなるときでも貨幣的現象だ」という、貨幣供給量が物価水準に影響を与えるとする理論に基づいています。2本目の矢「財政政策」は、言わずと知れた、需要面重視のケインズ政策。そして3本目の矢「成長戦略」は、あえていうなら、規制緩和などをすすめ、需要面より供給力を重視するサプライサイド経済学でしょうか。

(おわりに、より)

これらは完全な理論ではないし、組み合わせて良いかどうかも分からないし、そもそも部分的には相互に矛盾する部分もある。

ただ、個々の理論がどういうことなのかは本書を読めば概要を掴むことができるし、また一部の人が騒いでいるトンデモ理論(例えば、「国際価格が暴落し、長期金利が上がり、ハイパーインフレになることは間違いない」など)をトンデモと見破ることができるようになる。

価値観 3

<なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 3>

シベリア抑留

読売H26.7.26

シベリア山奥の収容所。強制労働。感覚を失う手。発熱と下痢に襲われ、意識朦朧、病院送り。ソ連側の婦長の言葉。

ソ連婦長「自分も戦火に追われて体一つで逃げてきた。親も兄弟もない。あなたは帰る家があり、必ず帰れるのだから」と言われた。戦争の犠牲は、戦勝国も変わらないことを知った瞬間だった。



みなさんは、写真記事にある事例の場合、この高亀さんの立場だったら、どう行動しますか?解決策はなんですか?答は、どこにありますか?

読売H26.7.26
 
芥川喜好 「『公』崩壊している」

 日本近代の油彩画家・・野口弥太郎・・。・・彼の言葉をあえて読み替えてみます。問題にきちんと向き合うことをせず、お上と他人の意向ばかり気にして、長いものに巻かれ、「公」 の意識に乏しく、自己利益しか頭にない、大人の振る舞いのできない・・・。

 目を現代に転じてみればどうか。今年も、公人の言葉や振る舞いをめぐる大騒動が続きました。環境大臣の失言、都議会議員の暴言、県議会議員の号泣、と数えながら、激しい無力感に襲われます。公人問題は去年も相次ぎました。その前の年も、その前も-だからです。

 再発防止に努めよう、というような当事者たちの申し合わせはいわば弥縫(びほう)策であり、いずれ忘れられて何も変わらないだろうことを多くの人が知っているからです。問題はもっと根源的なところにあることに気づいているからです。
 
 たとえば都議会におけるあの性差別的なやじは、重大な人権問題であると同時に、「公」というものが崩壊してしまっている風景でもありました。

 やじに悪乗りした者、知らぬふりを決めこんだ者、幕引きを急がせた者、いずれも公人意識のかけらすら感じられません。その昔、当方も地方議会の取材をさんざんやりましたが、この都議会の方が程度が悪い。
 
 的を射た語釈で知られる新明解国語辞典によれば、公人とは「公職に在るという立場で、その行動が問題とされる人」のことです。常に人目にさらされ、「問題とされる」のです。強い精神力と使命感が求められる。覚悟が要るということです。
    
 もう一つ。「公」の場では言っていいことと悪いことの別がある。偏見や差別につながるものが許されないのは、当たり前の話です。そういう、必要な建前を貫くのが公人の、むしろすべての大人の責務でしょう。
 
 頻発する公人あるいは社会的地位の高い人々の問題に共通するのは。事件を起こした当事者たちの幼さということです。「誰が言ったんだ」「早く名乗り出ろよ」「ぼく知らないよ」というやりとりは、まさに子供の間のもめごとです。

 八年前に哲学者鷲田清一さんが本紙に寄稿した「現代おとな考」は、冒頭「わたしたちの生きているこの社会は成熟した社会なのか、それともただの幼稚な社会なのか」と提起して少なからぬ衝撃を与えました。

 責任ある人の幼稚なふるまいが通る社会は、皮肉にも成熟した社会なのかもしれない-と鷲田さんは続けています。洞察の深さに身ぶるいします。

 現代の価値観に従って、多くの人は自分の権利と利益の追求だけで育ってきました。問題に率直に向きあい、あるいは他を思いやり、人にゆずり、時に自分の利を棚上げにするような潔さ、つまり大人の流儀を学んでこなかった。

 公人問題というのは、一人一人の大人にとって、ひとごとではないのです。



伊集院静 悩むが花 週刊文春 H26.7.31

Q 
塗装業で見習いとして働いています。仕事もあまりできる方ではないのですが、それ以前に根本的な部分で気が利かず、理解力がないなど毎日怒られています。
僕は塗装の仕事が好きで、一生の仕事にしたいのですが、自信が無くなつてきました。気を利かせたり、理解力を身につけるには普段からどう気を付けて生活すればいいでしょうか?(25歳・男・塗装業見習い)

A
ここに持ちこまれる相談事は、ほとんどがソウダンと言うより、ジョウダン半分ってのが多いのだが、君は真剣に悩んでいるようなので、少し真面目に考えてあげよう。

 塗装業の見習いをしているのか。イイナアー。
 塗装業ってのは、私も仕事振りを見ていて、やり甲斐のある仕事だろうナ、と子供の頃から憧れていた職業だ。
 何がいいかって?
 塗装の仕事が満足に、綺麗に仕上がった時の達成感というか、充実したものは他の仕事にはなかなかないんじゃないかナ。       
 私の仙台の家も、この間から、あの地震以来初めての工事が入って、外装をしている職人さんたちの仕事を見ていて気持ちが良かったな。
 あんなふうに綺麗に仕上がるのだから、実際の作業は、根気と丁寧さが必要で大変だとは思うけどな。

 さて君の悩みだが、まずは、仕事もあまりできる方じゃないと書いてるが、そりゃ当たり前だ。学校を出てすぐにその仕事についたばかりで、いきなり上手くできるものなら、それはたいした仕事じゃないってことだ。十年、二十年、三十年でやっとできる仕事だから、いいのさ。

 見習いにしちゃ、上手いもんだ、なんて言われてたら、将来まず伸びないし、若いうちの失敗がなきゃ、ゆくゆく独自の仕事は完成しないものだ。

  次に君は根本的に気が利かない、理解力がないと言うが、職人の仕事で気ばっかり利いてたら、そりゃ二流で終る。すぐに理解できるんじゃ、たいした仕事はできない。

  これまで私が立派な職人さんたちと話してみると、名人(別に名人じゃなくていいが)までなった人は、皆共通して、若い時は不器用そのもので、と語る人が多いもの。一生の仕事にしたいなら、今のままでいいから、親方、先輩の言うことをよく聞いて、ともかく誠実に、丁寧にひとつひとつの仕事をこなしていくことだ。まず今から三年、休日も自分で習ったことをやり続けなさい。不器用なら人の十倍やることだ。実はそれが本物の仕事を見つける唯一の方法なんだ。

Q
先日、父の葬儀があったのですが、婚約者が、突然棺の前で周囲も驚愕する程の号泣と鳴咽を漏らし、直後に涙でぐしやぐしやになった顔で私をじっと見つめてきました。その瞬間に私の気持ちはスッと冷めてしまったんです。その後、婚約も解消しました。周囲からは「あなたの判断は間違ってる」と言われますが、そうでしょうか?得体の知れない不気味な感じを受けてしまい、もうこれ以上つきあうことはできないと思ってしまったんで
す。(25歳・女・派遣社員)

A
君は大変いい感覚の持ち主で勘が大変よろしい。別れたのは大正解。私も、そういう奴を何人か見て来たが、禄な奴はいなかった。

 今回の兵庫県議の、あのバカモンと同じで、大人の男、いや十五歳過ぎた若者(男です)が、社会の中で生きて行く上で、してはならないことがいくつかあって、他人の前で感情をあらわにしてはならない。他人が呆れる行動をしてはならない。女、子供が見ていて何が起こったのかと驚くことはしてはならない。ましてや泣きわめくことは、男である限り、一生他人の前ではしてはならんのだよ。

 甘え以前に、生きることを砥めとるんだよ、平気で泣き叫ぶ輩は。お嬢さん、あんたはエライ。



 価値観は、人それぞれで、何が正しいと言うものではありません。

 本物が何かは、何を本物と考えるかという、人の価値観によります。

「本物が生き残ると古典になる」という人もいますが、それはよく分かりません。

 ただし、「本物」として、時代を超えて、生き残って欲しいなあと願います。本物を本物と見分ける人たちが、社会の一定数はいて欲しい、そう願います。

 5分で学んだことは、5分で忘れます。その人の背骨のようになるモノは、苦労して苦労して身につけないと、本物になりません。こつこつ、努力するしか、方法はないのです。

 練習して、上手くなるかどうかは分かりません。でも「練習は裏切らない」のです。

 王選手が、尊敬されるのはなぜか。それは、ON時代、人一倍練習したのが、王選手だったからです(長島選手のことは、現役時代を知らない世代なので、よくわかりません)。

 昭和49年だったか、前年三冠王を取ったのに、大変なスランプに陥りました。その時、王選手は、一本足打法をともに生み出した、荒川コーチのもとをたずねます。そして、2人で、練習します。

 やったことは、単なる「素振り」です。でも、毎日毎日、試合後(わざわざ、誰かの元を尋ねて、時間をかける・・・これがいかに大変なことか)、すさまじい量の素振りを行います。そして、勘を取り戻します。

 6月以降、めきめき成績を上げ、2年連続三冠王を勝ち取りました。

基礎がいかに大切か、そして、それを人一倍やることがどんなに大変か。でも王選手はそれを人一倍やったのです。

プロ野球選手がやる、キャンプ練習は、「基礎」ばかりです。楽天の佐藤コーチは、「高校野球で、もっと基礎を教えろよ」と言います。ダルビッシュなんかは、球がどっちの方向に飛んだら、どうカバー(動くか)するか、全然分からなかったそうです。そういうことこそ、「高校でしっかりやれよ」ということです。

いうなれば、柔道、剣道の「形(かた)」です。問答無用に、体に叩き込む動きのことです。

巨人→メジャー、国民栄誉賞を受賞した、松井選手も、とにかく、巨人時代の毎日、長島監督と、試合後、素振りをしました。何が選手生活で、一番の思い出かと言われ、「監督との素振りです」と答えました。

長島監督ですから、「ビュッ」とか「バッ」とか、素振りの音を聞いてしかアドバイスしてくれません。でも、何百回と素振りをし、いい素振りには、「今のだ」と、的確に見抜いてくれます。
松井選手は、それを、ただひたすら、体に叩き込ませたのです。

イチロー選手、子ども時代、毎日毎日、バッティング練習をしました。あるとき、自分がそれをさぼり、遅れていくと、それでもその間、父親が待っていました。その日以降、彼は一度もサボったことがありません。

一流の選手は、とにかく練習をします。逆に言えば、子供時代から、一つのことにこつこつと取り組める(これが一般の人には難しい)ことができるから、一流選手になるのかもしれません。

でも、練習は人を裏切らないのです。

基礎が何よりも大切です。家の基礎、柱が、とにかく大事で、これらが狂っていたら、後から直しようがありません。見えないところが大事なのです。

大学受験のセンター試験、各種資格試験も同じです。応用問題ではなく、基礎問題を落とさない、確実に点数を取ることが、秘訣です。

応用は、誰にとっても、難しく、たまに自分が知っている、やったことがあるのに出会うと、点数が取れるというような、運にも左右されるようなレベルのもので、全員が取れる問題ではありません。

しかし、基礎は、応用(問題)がどこを向いていようが、その下の土台に、必ず備わっているものです。基礎を外した応用はありません。

基礎がしっかりしていたら、ぶれないのです。家も、人もです。でも、これが難しい。身につけるのには、人一倍の練習が要求されるからです。

本物は、できれば、「古典」になって欲しいと願います。人生の指針、基礎として。

日経「春秋H26.7.27」

 映画版明日のジョーに出演し、ボクシングファンを通り越して、『拳闘症患者』を自認する香川照之さんが書いている。「今日という日を綺麗事ではない、周りからは狂っていると思われるような過ごし方をした者だけに『明日』はやってくる」。



中田ヤスタカ baby cruising Love

何だって いつも近道を探してきた 結局大切な宝物までなくした



5分で覚えたものは、5分で忘れます。

 本物を見抜く目、本物を見抜く言葉は、残って欲しいです。
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