なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 2

さて、近代教育は、この精神活動をそれぞれ、細分化し、啓蒙・啓発します。
知には、○○科という、社会科学・自然科学(国語科・数学科と言うでしょう)が相当し、感情には、芸術科が対応し、意志は道徳(高校では、これを倫理で代替することになっている)が対応します。
学校は、極めて合理的に、システム化されたカリキュラムで運営されているのです。
で、この「知」を担当する教科についてです。

で、この「知」の分野には、哲学・諸科学(国語科・数学科・社会科・理科)があり、
最新では、「情報化(コンピュータ社会に対応)時代への対応」も、カリキュラムに入っています。
「家庭科」も男女共学、食育も、必要とされています。保健体育も、座学教科の一部です。
この○○科で必要とされるのは、今後もどんどん増えていくことでしょう。
余談ですが、食育の必要性が叫ばれ、給食を通じて、食の大切さを教える・・・ことになっていますが、今の60歳以下は、皆、給食がありました。
でも、家庭の食生活は、「食の貧困化」「手抜き化」がいつも問題になっているでしょう。(これらを扱った、家庭の食卓の写真だけを取り扱った本もあります。栄養バランスも何もないのですが、写真を撮っている本人は、そのような意識はないそうです)
「家庭の食生活が貧困だから、それを是正するためにも、給食を通じた、食育を!」
食育に効果はないのです。要するに、給食が楽だから支持を受け、その理屈付けに「食育」なるものが、提唱されたにすぎないのです。既得権益を守るためです。
閑話休題
さて、知には、2つの領域があります。①哲学と②諸科学です。
①は、べき論(価値論)です。②は、である論(事実論)です。存在(である)と当為(べき)です。ドイツ語で、ザインとゾルレンです。
安斎育郎『科学的な見方磨こう』 日経H26.7.5
◆思い込みと欲得が目を曇らせる
…超常現象や不合理な考え方を批判し、神や霊などの科学的な考察をしてきましたが、信じて生きている人を蔑むことはしなかった。科学には普遍性があって、どんな価値観のもとでも正しいものは正しいけど、人が何を大切に思うかという価値観は科学的な知見とは関係ないからね。信じることによって心の安らぎを得ているならそれでいい。存在しないものを信じることができるのはある意味、人間の特権と言えるでしょう。
人間は少ない情報をもとに推し量る能力があるから、だます側がいくつかのことばを提示すると勝手に想像を膨らませて思い込んでくれたりする。人間の優れた能力が逆に作用するんです。
科学は、事実論ですから、事実は一つで、正誤判定可能です。
しかし、哲学は、べき論ですから、意見・感想・価値判断で、千差万別、答えがないのです。
何が好きか嫌いか、何を美しいと見るか、醜いと見るか、何を正しいと見るか、間違いと見るか・・・
これは、千差万別で、解答がありません。どんなに考えても、唯一の正解はないのです。
だから、このブログでは、そんなことを論じても、時間の無駄なので、扱わないのです。意見はいらないのです。
そして、もう一つの理由が、べき論、価値観こそ、人格そのもので、尊重しなければならないからです。
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
目的は、人格の完成です。人格とは、渾然一体で、本来分けることができないのですが、便宜上分けました。
しかし、人格は、本来、わけられないものです。その人の真善美が、渾然一体となっている・・これが人格です。
その人格の完成を目指すのが教育活動ですから、一人一人の、違う考え方、ものの見方、真善美を尊重するのが、大前提とされています。
カント
汝および、他人の人格を常に同時に目的として取り扱い、決して単に手段として持ちうることなかれ
カントの人格擁護律です。
人格は、目的であり、手段ではないのです。自分のも、他人のもです。
もちろん、実際には、人を手段として扱います。部下を使うのも、そうです。しかし、本来は、ヒトは、目的であり、手段ではないとするのが、近代教育を支える哲学です。
モノは、あくまでも「手段」にしかなりません。人間の何かの目的を満たすための手段です。ここが、モノと、ヒトとを分ける部分です。
人格は、ものすごく大切な、目的そのものと考えているのが、教育活動です。だから、自分の人格を大事にしている人は、他人の人格も大事にします。そして、人生は、この人格の発露です。何が正しく、何が善いことで、何が美しいか・・・これが、その人そのもの(哲学)、生き方そのものなのです。
このような、いざというとき、その人の、全人格が問われます。とっさのときに、全人格が発露するのです。
ものすごく難しく、ものすごく崇高で、人類の永遠の主題(文学でも芸術でも、この葛藤をモチーフにする)です。
だから、全人格の発露である、次のような事例を前にすると、「人格」とは何か、「人間とは何か」「どこに真善美があるのか」について、深く、深く、考えるのです。そして、簡単ではない(とても難しい)ということに、気づくのです。重たいのです。簡単に扱われては、たまらないのです。
曽野綾子 「今も続く人間の極限」 新潮45 2014.6月号
べルリンの陥落に関しては、・・その中でもアントニー・ビーヴァーの『ベルリン陥落 1945』という本にたった四行で記録されているディーテル・サールという少年の挿話は忘れられない。
べルリンに入って来たソ連兵にとって、ドイツの女性たちは、格好な性の標的であった。「慰安婦」どころの問題ではない。ベルリンはまさに、性の捌け口の坩堝であった
ように見える。このようなことは、占領後の日本にはなかった現象である。私たちは改めてアメリカ人の占領政策を評価すべきだろう。
首都陥落時、ベルリンに住む人たちは、終戦当時の日本人と同様、或いはさらに深刻に食料難に苦しめられていた。同じ性的な行為でも、子供に食べさせる食料を手に入れるための交換条件としてソ連兵に近づいた女性もいれば、反対にあどけなさを残してドイツ人の少女とのロマンチックな出会いを求めた純心なソ連兵もいたという。集団でレイプされるのを恐れて、進んで特定のソ連軍高級将校の囲い者になった女性はかなりいたように見受けられる。それらの話はしかし、まだ当事者が生存している現代では、表立って語ることはタブーである。
当時ディーテル・サールはまだ十三歳であった。末期的な敗戦の状況にあったドイツは、老人やハイティーンまで動員していたから、彼の家庭も父も祖父もいない母子家庭であった。彼の眼の前でソ連兵が母を犯した時、彼は抵抗を試みたが、それは全く何の役にも立たなかった。彼がその場でできた唯一のことは、屈辱の報復として、自分を撃って死ぬことだけだった。
ここには十三歳の少年ながら、相手のソ連兵を撃てなかったか撃たなかった、弱く卑怯な自分への、採るべきせめてもの答えを、数分のうちに出した気迫を感じる。残された母のその後については何も書かれていないが、母の苦しみも一生涯ついて廻ったことだろう。
百日間に八十万人とも百万人とも言われる人加虐殺されたいわゆる「ルワンダの虐殺」の正確な数字は誰にもわからないだろう。その背景を語れば、それだけで一冊の本ができる。今ここでは概要だけを語るほかはない。
殺された側はツチと呼ばれる部族で、人口の約一割とも言われていた。殺しだのは人口の約九割を占めたフツ族である。もともとの出自としては、フツが農民で、ツチが牧畜民だったが、現在ではそれほどはっきりした分業ではないらしい。つまり町に美容院があったら、その経営者はツチ族である場合もフツ族である場合もある、ということだ。
私はアフリカの田舎を歩くようになってから、農民と放牧民との、積年の対立の感情を実感できるようになった。日本では農地の隣に牧場があっても、それははっきりと境界線で仕切られているから、何の問題も起こさないのである。しかしアフリカにはこの境界を仕切る材料も人手も金もないから、両者は常に利害の対立関係にある。
農民がトウジンビエやトウモロコシを栽培していると、そこに、突然牛の群れがやって来て、畑を食い荒らす。放牧民の所有している牛である。
日本のように家畜を牧舎や鶏舎に入れて飼うこと自体が、先進国の証だということさえ、私は自覚していなかった。人間の自然の営みの中では、基本はすべて放牧なのである。
・・・放牧は、農民側からみればたまらない暴挙であろう。牛は雑草も植えたキビも判別できないから、どんな土地へも踏み込んで作物を食べてしまう。作物を食われた農民の側が、怒り心頭に発するのも当然だ。
しかも、社会的地位や収入に関しては、常にツチ族の方が上だとなっていたというから、フツ族のツチ族に対する恨みは積年のものとなっていたと思われる。
・・・フツ族は、不安の中で教会に集まっていたツチ族をあらゆる形で虐殺した。何の武器も持たず逃げ道もふさがれた人々を、小銃や機関銃で掃討した。あるいは手榴弾を投げ、石油を撒いて中にいる人々を生きながら焼き殺した。
破壊されて廃墟となった教会跡は一種の虐殺記念館になっていたが、中には今でも、当時そこへ逃げ込んで殺された人たちが持ち込んだ布団やポリタンクや子供の玩具などが、祭壇の上の圈牒と共にそのままになっていた。
その旅の間中、「私も、いつでもこうなれるのだな」と私は考え続けていたのである。その想念の中の私は、殺される側と殺す側と、そのどちら側にも立っていた。しかしこれほどの実感をもって、その二つの立場をあくことかく想定したことはそれまでになかった。
・・・ほとんどはカトリック教国だったから、私は信仰と現世での行為との間で、二者択一の選択を迫られる場合があることをますます濃密に見せつけられたのである。
たとえば、一人の修道院長は、自分の修道院にいるツチ族のシスターだけでなくその親戚の人たちまでを当然のように匿っていたのだが、そこへ民兵がやって来て、ツチ族のシスターとその縁故者を今すぐ出さなかったら、この修道院全体に火をつけるか皆殺しにする、と脅すこともあった。或いは、修道院が保有しているガソリンを今すぐ供出しろと強制した。そのガソリンは教会などに集まっている人たちを焼き殺すために使われるのだということは、誰もがわかっていたのである。
いやその前に、もっと簡単で時間の差し迫った選択を迫られるケースはいくらでもあった。象徴的に言えば修道院長は、追われている難民が修道院をめがけて走ってくる姿が見える前で、修道院の大戸を開けて彼らを迎え入れるか、それとも民兵の銃口の照準の中にいる彼らの前で大戸を閉めて、彼らの受け入れを拒否することで「体制」に従順であることを示すか、問われたのである。すべての修道院がそうなのではないが、昔から外敵を防ぐために、修道院というものにさえ一種の城砦化した構造の意識があることは、日本人以外の多くの人たちにとっては常識なのである。
もし私が修道院長だったら、どう応対するだろうか、と私は考え続けた。個人としての立場と、責任者としての立場が違う場合を恐れ続けて、私は社会的地位というものに昔から惹かれたことはなかった。むしろはっきりと忌避すべきものだ、と感じて来た。国民の一人なら、よくも悪くも自分一人の命で片がつく。卑怯者になる方法も簡単だ。
しかし他人の運命を担う者は、道徳的・政治的全責任を一手に引き受けねばならない。
フツ族の祖母の娘が、ツチ族の男を好きになって結婚していた。だから孫はフツとツチと双方の血を引いている。しかし祖母にとっては、そんなことはどうでもいいことだ。ただ「大切な孫」なのである。
しかし民兵たちは、そういう曖昧さを許さなかった。祖母に、ツチ族の血の入った孫をお前の手で殺せば、お前の一族が親ツチだというレッテルを貼らないでおいてやろう、と言ったのである。
かつて内乱の収まった後の二〇〇二年にシエラレオーネに入った時、私は手足を切られた子供たちをたくさん見た。内乱の時、反政府勢力が子供たちを狩りだし、男の子は幼い民兵として訓練し、女の子には売春をさせた。さらに無意味に子供たちの手足を切り落とした。「アンピュテーション(手足の切断)」という、外科医ででもなければ必要のない英語を、私が初めて覚えたのも、この土地だった。
内乱が収まった後再び現地に復帰していたシスター・根岸美智子(故人)は、「曽野さん、手を切られるのと、脚を切られるのと、どっちがいいと思います?」と私に質問した。私は「もちろん脚でしょう」と即答したが、それは私が二度も足を骨折した経験があったからである。私は手に力があったので、その腕力を使って入院中も何とか人の世話にならずに生活した覚えがあったのである。脚がなくても、いつの日か義足をもらえれば、その人はほとんど人並に行動できる。しかし手がないと、その人は生涯、自分で大便の始末ができない。
私が今でもアフリカの内乱のニュースを他人ごととは思えないで読むのは、そこで私たちが人間を失うまいとすれば、どれだけの犠牲を払うことを覚悟すべきかを突きつけられるからである。私は未だに自分が果たして正しい答えを出せるかどうか疑問のままだ。たとえ出せたとしても、自分がそれに耐えられるかどうかも自信がないままだ。しかし私たちの知らないところで、他者の命を救って殺された無名の英雄がいたことは間違いない。人のために敢然と殺される決意ができているかどうか、答えを出せる人は少ないだろう。
こんな難しいことは、日本にはない?冗談を。人間の全人格を問われる機会はそこらへんにごろごろあります。
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福島の原発事故。吉田所長は、決死隊を組織することを決断します。あなたが、その場所にいたら、どうしますか?指揮官だったら、あるいは、それをするかどうかの判断を問われる立場だったら・・・
建屋に残った人(女性も含めて)がどう行動したか、詳細に描かれています。吉田所長が、大勢の前で、なぜズボンを下げ、下着を直したか・・・
読売26.5.11
山崎正和「現代の正義 確かめ合う」
…日本では妊娠中絶は事実上、産む女性の自由として認められているが…これは生まれてくる胎児の人権と矛盾している。現実に外国にはこの理由から中絶反対の運動があり、理論的にはこれを保守的として切り捨てるのは難しいのである。
東日本大震災…孤立した病院で動けない患者を守った看護師たちは、同じく被災した家族と職場のはざまで引き裂かれることになった。家族を捨てて病院に残った看護師と、わが子のために職場を離れた看護師は、いずれも長く後ろめたさに苛(さいな)まれた…。
あなたが、その当事者だったら、どうしますか?どうしたと思いますか?
人格とは、それを突きつける、とても重たい課題であり、そんなに簡単に答えが出せる話ではないし、一生かかっても、解決しないかもしれない問題に、自分の答えを出すとういう、厳しい厳しい課題です。
「ええ?自分があなたに聞いている、消費税をどうするか、説明しろなんて言う意見や、ウイキペディアをあなたが補正したらいいのでは?、民主党が白川総裁を選ぶ権限を持っていたのかどうか?という意見や質問なんて、そんな重たいものではないでしょう。考えすぎ。」
そう、あなたの意見は、「軽い(思いつきで書いたもの)」「くだらない話」なのです。くだらない話だから、このブログに、そんな意見書き込むなと言うことです。あなたの、くだらない話(意見)に、時間を使わせないでください。もっと大切な、考えなければならない、でも答えが見つからないことの方が、重要なので。24時間という、人生という、限られた時間は、そちらに使いたいので、あしからず。
人格とは何か、常に考えれば、人の人生、生き方を軽々しく扱うことは、できなくなります。その人の発言、立ち振る舞い、それが、その人の全人格を示すのです。
ハイエク『隷属への道』春秋社 1992
p74
人間の想像力には限界があり、自身の価値尺度に収めうるのは社会の多様なニーズ全体の一部分に過ぎないということである。・・・価値尺度は各個人の心の中にしか存在しないから、常に部分的なものであり、それぞれの尺度は、決して同じではありえず、しばしば衝突しあうものとなるということである。
だからこそ個人主義者は、ある範囲内で、他者のではなく自分自身の価値観や好みに従うべきことが許されるべきであり、その範囲内では、自身の目的体系が至高であって、いかなる他者の指図も対象とされるべきでない、と結論するのである。
個人主義者の立場の本質を形成しているものは、このように各個人こそが自分の目的に対する究極的審判者であるとする認識であり、各個人はできるかぎり自身の考えによって自身の行動を左右していくべきだという信念である。
自分自身は、目的そのものであり、自分自身が、自分自身のマスターです。この1人1人がその価値判断に従って、形成するのが「市場」であり、その対極が「全体主義」「共産主義」です。
自由・民主主義・市場は、同根、「個人の尊重」原理から、導かれるのです。
その人の発言、言葉が何を示すか。
日経H26.8.30
『言葉を先人から学び直す』古典を読む 竹西寛子さんに聞く
広島に生まれ16歳で被爆した。
「死体が見つからないので死んだことにするという。あることとないことの違いは何なのか。目に見えていたものが一瞬でなくなった。でも私の記憶の中にはあるんです。現実に手で触れられるもの、目に見えるもの、耳に聞こえるものだけがあるのか。違う。もがきました」
「ペンを持ったら一行も書けない。いくら探しても的を射る言葉が見つからない。日本人だから日本語は使えるだろうという思い上がりが打ち砕かれました。私がダメなのか、言葉とはそういうものなのか。先輩の女性たちはどんな文章を書いてきたのか一から学び直そうと思ったんです。」
「高校の先生に『どうしたら今の生徒に古典を教えられるか』と聞かれ『ご自身がいいと思われたものを、なぜいいと思われたのか素直に描写してください』と答えます。一首、一句でもいいから、自分がほんとうにいいと思ったら離さない。他人が評価する作品のよしあしとは別です」
「人の生き方は言葉遣いに表れる。人間はその時々に使う言葉以上にも以下にも生きていない。言い訳のできない心そのものの表れとしての言葉。自分が言葉をいかにあいまいにしか考えてこなかったか反省しました」
「人に不愉快な思いを強いないために自分の思いをできるだけ分かりやすく伝え、相手の言うことを曲がって聞かないことが大切です。文章は読むのも書くのも全身運動。自分の体を通った言葉でなければ相手に届きません。大事なのは主語と述語、余計な形容詞や修飾語は不要。いい加減な言葉は務めて使うまいと努力しています」
「いい加減でない言葉を使おうと思ったら、ものを見るときまずいい加減でない見方を求められます」
すみませんが、「くだらない意見」を読むひまは、私にはありません。
その3に続く・・
高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学
ふぇんりる
全体的に実データとの対比が豊富で、「経済学の視点からみると今の経済はどうなのか」がよく分かったので、読んでいて面白かった。やはり実例が多いのは、学習したことと現実との関連性がわかりやすいので、いいことだと思う。ただ、貿易黒字の章は、いくら色んな面から説明しているとはいえ、少ししつこすぎた。国債と金との関連性などは全然知らなかったので勉強になった。なので、ここに引用されている経済学の本にも、少し手を出して、もっと詳しく知っておきたいと思うようになった。