<豊かになると言うこと>日経26.5.2

ポーランドや、ブルガリア、10年で「所得倍増」です。日本の高度経済成長期並みです。
うれしいでしょうね。同国の人たちは・・・。成長の果実を実感していることと思います。
誰ですか?「誰かが豊かになれば、誰かが貧しくなる」「誰かが得すれば,誰かが損する」なんていっている人・・・
世界全体のGDPは、毎年3.5%成長しています。
成長率は、①投入労働力②投入資本③生産性で、分析できます。
限界がある?
GDPの高さ(先進国と後進国)の違いは、「生産性」の違いです。「生産性」を引き上げるのに、「限界がある」?????
そんなもの、「絶対」にありません。
明大飯田先生によれば、人間、寝ていても、つまり、1年たてば、1%程度、生産性が上がっているそうです。
実感できませんか?「昨年の自分」より、少し「知識が増えた」、「PCの処理能力が向上した(ボタンの新しい使用方法を覚えた)、少し、「効率的に仕事ができるようになった」・・・
世の中、「便利になった」・・・これが生産性向上のことです。
資本主義には限界がある、資源には限界がある、必ず経済は限界に突き当たる・・・そういう人は、学問的に「生産性向上には必ず限界がある」を証明しなければなりません。
http://d.hatena.ne.jp/niemandsrose/
図書館で借りて読了。古書価格が高騰していたという逸話通り、素晴らしく分かりやすくて良い本。比較優位や貿易収支の話は、今までも経済の入門書で多少は読んでいたはずだが、初めてスッキリと明快な説明をされたと感じたくらい断然理解しやすい説明。時事的な話題との関連もしっかり入っているし、とても役立ちます。
高校生くらいの若い人だけでなく、経済学の入門書を求めている人にも最適。解説の山形さんも書いているように、もう一度ノートを取りながら読めれば一般人の持つべき経済学の知識は十分身に付きそう。私もできればやりたいけど……。
というわけで、絶賛されるのもうなずける中身でございます。強くオススメ。
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theme : 間違いだらけの経済教育
genre : 学校・教育
>学問的に「生産性向上には必ず限界がある」を証明しなければなりません
学問的に「生産性向上には必ず限界が無い」証明を管理人さんに解説願います。
>生産性向上には必ず限界が無い
何々がないという証明は、原理的にできません。
証明は、「ある」という人しかできません。
>そんなもの、「絶対」にありません
と言う以上は、「絶対」の根拠・証拠・証明の説明責任が管理人さんにも求められるのではありませんか?
>「生産性」を引き上げるのに、「限界がある」
>そんなもの、「絶対」にありません。
ですから、「限界がある」ということを証明するのは、「ある」方です。
ただし、「限界がある」ということを証明することは、できません。
そんなもの「ない」からです。
いいですか?TFP生産性は、「先進国と途上国の違い」のことですよ。 先進国は、生産性が高く、途上国は生産性が低い。
別な言葉でいえば、「1人当たりGDP」の高低のことです。
>「生産性」を引き上げるのに、「限界がある」
ということは、GDP成長(1人当たり)はできない、所得を上げることは不可能だ
を証明することになります。
ですから、「では、してください」「「無理だという根拠を示してください」という話です。
>「生産性」を引き上げるのに、「限界がある」
>そんなもの、「絶対」にありません。
これ以上でも、以下でもありません。
ただし、来年、巨大隕石が地球にぶつかる、来年、太陽が消滅する、原因不明のウイルスで、生物みな絶滅、宇宙人が攻めてきて、人類滅亡というのなら、「あり」ですけど。
くだらないことに、時間を取らせないでもらえますか?
数学者だそうですから、証明なら、朝飯前のはずですが・・
論文(数式)の体をなしていないでしょう?
↓
http://blogos.com/article/59419/
経済成長と物理的制約 - 辻 元
>経済成長がなくても、たとえば共有経済 のような方法で、豊かさを維持することは考えられよう。<
いやー、ドンデモ学者ですね。ソ連崩壊も意に関せず、ということなんですね。この方は経済成長のない国に移民していただきたいです。(今、図書館で「国富論 I」を借りて読んでます)
>経済成長がなくても
いや、別に、経済成長しなくてもいいんですけどね。その代わり、誰かの所得が伸びれば、誰かの所得が減るという、「ゼロ・サムでいい」ということなんですけどね。
それより、毎年1%でも成長して、10年後に所得が10%以上伸びて、みんながそれなりに豊かになる方が、ずっといいと思うんですけどね。
まあ、「意見」だから、ひとそれぞれで構わないんだけど、「おれはゼロ成長でいいから、お前らもそうれを飲め」と押し付けられるのは、勘弁してほしいです。
俺は、伸びなくてもいいが、伸びたいと思うやつは伸ばしてくれというのが、民主主義、自由主義(ハイエク流)ですけどね。
世界が3.5%ずつ成長しているのに、日本だけゼロ成長で良しとしよう・・って、あなたがそう考えるのも自由ですが、私は嫌です。大多数の日本人も「嫌」と言うと思います(笑い)
食糧は余っているから、日本をはじめ、耕作放棄地がこんなに増えているのに、「食糧限界論」、シェールガスで、革命が起きそうなのに、「エネルギー限界論」、石炭って、200年以上の採掘量があるのに、「経済は物理的制約があり、貧しくなる」・・・
なんだか、500万年後の経済を論じるような話で、もう、勝手にどうぞレベルですね。
スミス、面白いでしょう。平易に書かれていて。ぜひ、フリードマンの「選択の自由(これも一般くけ)とか、ハイエクの「隷従への道」などもどうぞ。誰も、「自由放任」など、一言も述べていないので。
「物理的限界論」辻元さんの、予測です。
http://blogos.com/article/59419/
経済成長と物理的制約 - 辻 元
>エネルギー資源はなくなるのではなくて、高過ぎて買えなくなるというのが正しい。 一リットル1000円のガソリンは意味がない。
From: galois225 at: 2014/06/21 11:56:55
>さらに、2020年までに原油生産はピークアウトし、世界の経済成長は止まる。
From: galois225 at: 2014/06/21 11:58:14 JST
2020年で、成長が終わるそうです。
また、2013年(年度ではない)、GDPは名目で1%、実質で1.6%成長しましたが、
>金融緩和で消費が増え、景気がよくなるというのは、全く成り立っていませんね。
From: galois225 at: 2014/06/21 16:59:48
>この通り、今年3月までの個人消費増は駆け込み需要です: bizmakoto.jp/makoto/article… pic.twitter.com/DZ4JxO3uSo
From: galois225 at: 2014/06/21 17:05:13
駆け込み需要で、去年の7-9月、10-12月、GDP増ですか。
それなら、毎年消費税増すれば、毎年駆け込み需要で、成長!という、トンデモ論に・・・
今年は、駆け込みないので、消費増・好景気にならないはずなのに、
>「日本の成長率は14、15年ともに1.3%にとどまると予測する」
って、自分でデータ出して・・・1.3%って、プラス成長ではないのでしょうか?
現実をゆがめて見ることしかできない人は、この世に一定数いるようです。
>>資本主義には限界がある、資源には限界がある、必ず経済は限界に突き当たる・・・そういう人は、学問的に「生産性向上には必ず限界がある」を証明しなければなりません。
ちょっと聞いただけで違和感がある言葉です。
なので少し書かせていただきます。
ます資源に限界があるのは明白です。
一番わかりやすいのは土地資源や人的資源や漁業資源、森林資源など。
日本はであれば約38万平方kmしかありませんし、労働人口も6000万人程度。明らかに有限ですよね。
また、魚が無尽蔵にとれるのであれば、漁獲量の保護など不要のはずです。
森林についても保護など全くいらないでしょう。
また、ゴミの処理やリサイクルなども、資源が無限であればする必要はないはずです。
資源が有限であるという前提は避けてはとおれないのではないでしょうか。あなたは資源が無限にあると思っているのでしょうか?
逆に有限であるからこそ、高い価格がついたりするのです。
石油などのエネルギー資源についても、すぐには枯渇しないにせよ、地球温暖化の問題や、原子力エネルギーの危険の可能性を考えれば、疑わしきは罰するの姿勢で臨むのが賢明ではないでしょうか。
CO2などによる地球温暖化など起きていないという説を唱える方もいますが、CO2という物質そのものには温室効果が確実にあるのですから、それが温暖化につながると考えるのは自然な考えだと思います。
少なくとも、明白絶対にありえないということはないのですから、温暖化が生じそうな要因を減らすように行動すべきであると思います。
さて、資源に限界がある以上、資本主義も、また資源の利用を免れない以上、資源からの制約すなわち限界があるのも明白です。
また、「経済も必ず限界に突き当たる」の意味が今一つはっきりしませんが、「経済成長に限界がある。」ということだと解釈すれば、例えば少子高齢化の日本や、先進国の例を見れば、人口や需要の開拓可能性などの限界があるのは明らかです。
いくら頑張っても、年間一万パーセントの成長などできません。
必ず資源による制約を経済は受けてしまうのです。
資源が無尽蔵であれば、いくらでも成長できるでしょうが。
ついでですが、生産性向上というのは、より効率よく物・サービスをつくることができるようになるということにすぎません。
これは資源をより効率的に使えるようになるということにすぎず、資源そのものの制約とは別の話です。
「資源に限界があること」を証明するのに、「より効率的に資源を利用することに限界があること」を証明するというのは的外れです。
まあ、資源の効率的な利用にも限界があるのは明らかでしょう。
科学がどんなに発達しても、物理法則の限界を超えることはできません。
こういうと申し訳ないが、あなたは論理性が不足しているような気がしてなりません。
数学者は極めて論理的な方たちで、数学の限界も逆に心得ています。
実はあまり論理的でない方々ほど、数字のまやかしに頼ってしまうという皮肉な現実もあります。
辻元さんへ
論点がずれていますよ。
資源の制約は、それはいつかはあるでしょう。ただし、何百年とか、何万年とか、そのような単位でしょう。
我々ができるのは、せいぜい20年30年の範囲です。
今、我々が、「100年後の未来を考えて行動する」などというのは、
第1次大戦1914年当時の人に、「100年後を考えて、経済活動を考えなければいけない」と言うようなものです。
100年先、どのようになっているかを考えることは、人間の理性の限界を超えています。
さらに、「生産性の向上」によって、資源投入が同じでも、GDPは伸びます。誰も、1万%の成長など、話していませんよ。
たとえば、省エネです。今の電気冷蔵庫は、10年前のモノより、エネルギー効率はなんと40%も向上しています。
自動車の燃費、軽自動車で、カタログ数値リッター30キロを超えることなど、ほんの10年前には、想像もできなかったことです。
10年後さえ、わからないのに、100年単位で考えることは不可能です。
LCCの登場、ユーチューブの登場で、CDは、全く売れなくなりました。これも、10年前位には考えられませんでした。
スマホ、外出先で、いくらでも情報を得られ、宿泊先も、旅行先で、ぱっと検索できます。これも生産性向上です。10年前には、考えられませんでした。
資源投入量が同じでも、生産性向上によって、GDPは、増えるのです。
ですから現に、日本は人口減(労働投入減)ですが、それを補って、経済成長をもたらしているのは、TFP(生産性向上)です。
http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-category-187.html
AKモデル
資源投入は減、しかし、生産性アップで、成長しているのが事実です。
そんな、資源には限界があるって、何百年後の話をしなくても、話をしているのは、せいぜいこの20年30年程度の話です。
資源限界論を言う人は、いつの話をしているのですか?そりゃ、いつかは枯渇するでしょう。太陽だって有限ではないですから。
で、それはいつの話をしているのですか?
直近の話にしますか?
>「経済成長に限界がある。」ということだと解釈すれば、例えば少子高齢化の日本や、先進国の例を見れば、人口や需要の開拓可能性などの限界があるのは明らかです。
ですから、人口減(労働投入力減)など、日本はとっくに突入しています。それでも、GDP増です。
だから、
資源投入×生産性
において、
資源投入が減るから成長できない
というなら、それが「いつ」なのか、明確にしてくださいということ、
資源投入が同じでも、生産性も伸びない
なら、成長ゼロですが、そうであれば、生産性が伸びない
ということを証明してくださいという、簡単な話です。
1資源は有限だから成長できないなら、いつですか?
2生産性が伸びないから成長できないなら、それを証明してください
辻さんは、最初から、「ゼロサム思考」なので、それを、反経済学思考と言います。
http://blogos.com/article/59419/
>つまり、簡単に言えば、金融緩和、規制緩和、財政出動、全て物理的には何もやっていないので、パイの大きさの拡大には全く寄与しないのだ。 強いて言えば、ひょっとすれば他の国を少し貧しくして、日本が少し豊かになれるかどうか、という話だ。
>こういった当たり前の事実を忘れて、インフレにすれば、消費が増えて、景気がよくなる、といったことを言う人は、頭のおかしな人か詐欺師だと思う。
誰かの得はだれかの損、誰かが伸びれば、誰かが損する・・・
世界経済のパイが毎年3.5%成長しているのに、ゼロサムゲームは、基本的にあり得ません。
「アベノミクスはGDP伸び(パイ拡大)につながらない。できたとしても、他の国を貧しくして、その分日本が豊かになるだけだ・・・」
あなたの思考方法(べき論)は、最初から、ずれているのです。
妄想は結構ですから、「事実」のみ、きちんと見てください。
予測も結構ですが、100年後の予測を持ち出されても、正誤判定できません。何とでも言えます。
まず、理論などどうでもいいので、「事実」がどうなっているかだけ、教えてください。
その事実で、「GDPには限界があった」があれば、教えてください。
資源が枯渇するから限界だというなら、いつの話なのか教えてください。もっともあなたは、2020年には、エネルギー生産が限界になるので、2020年限界説ですけど(笑い)
じゃあ、東京五輪までは、成長の果実を楽しみましょう。その後は「悲惨」になるのだから(笑い
経済学は、「交換」の利益を証明しています。交換が人を豊かにします。
>>資本主義には限界がある、資源には限界がある、必ず経済は限界に突き当たる・・・そういう人は、学問的に「生産性向上には必ず限界がある」を証明しなければなりません。
>あなたの言葉はいまひとつ意味がわかりにくいですが、論理的に解釈して整理して言えば、「資源に限界があることを証明するには、生産性向上に限界があることを証明する必要がある。」ということだと思います。
これは全くおかしなことを言っています。
資源の限界があることを証明するには、一つでもいいから資源の限界の例をあげればいいだけです。
その例として土地資源の限界、人的資源の限界、漁業資源の限界、森林資源の限界などをあげました。
これで資源の限界の証明は終了です。
生産性向上云々の話は関係ないのです。この時点であなたの論理性に大いに疑問符がつきます。
まあそれはよいとして、
これらはエネルギー資源などと異なり、現在すでに経済に制約を与えています。
100年後云々の話ではないのです。
もっとも、100年後のことなど考えて経済行動を取る必要はないと考えるあなたのスタンスには人間性の低さを感じざるを得ません。
100年後に地球が温暖化によってめちゃくちゃになってしまう可能性がある程度の根拠をもって予測される場合、やはり子孫のためにも地球環境の永続性を保つことができるような仕組みを考えるのが、道徳心というものではないでしょうか。
資本主義では、資源をどんどん食いつぶすほうが、リサイクルするよりも、資本効率性としては高くなってしまう場合が多く、より長期の全体合理性に欠ける結果になりがちです。
資源の限界を遠い将来のことだからといって、無視するのではなく、資源の限界をも計算にいれて、論理的に資源の限界による破たんが生じにくい方策を考えるべきだと私は思います。資源の循環と無駄を減らす行動がとられにくいのが、現在の資本主義の問題点や限界といえるのです。
成長に限界があるかどうかというのは、あまり本質的ではありません。
あと蛇足ですが、生産性向上にも限度があります。
生産性向上の要素として、人間の熟練や科学技術の向上などがあります。
人間の熟練には明らかな限度があります。いくら人間ががんばっても100mを3秒で走れないように、ある限界値に無限に近似することはできても、あくまでも有限世界において無限に近似するにすぎないのです。
科学技術の向上にも、物理法則という絶対に超えられない壁があるので、これが限度になります。
生産性向上についてわかりやすくたとえると、発電の効率がよいでしょうか。
いくら効率のよい発電方法をとったとしても、絶対に100%以上の効率を得ることは不可能です。
100%に近づく可能性は無限かもしれませんが、はじめから限界がきまっているのです。
投入される燃料のエネルギーを超えて、発電はできないのです。すなわちこれが資源の限界です。
生産性の向上すなわちエネルギー効率の向上では絶対に補えない部分がはじめから存在しているのです。
おわかりいただけたでしょうか。
↓
回答します。
>あなたの言葉はいまひとつ意味がわかりにくいですが、論理的に解釈して整理して言えば、「資源に限界があることを証明するには、生産性向上に限界があることを証明する必要がある。」ということだと思います。
全く違います。
経済成長は、①労働×②資本×③生産性
ですから、①②資源×③生産性
(×は便宜的表現)
ですから、経済成長しない(限界がある)
というのであれば、
①②には限界がある(減る)ので成長しない
もしくは、①②は同じだだが、③が伸びないので成長しない
もしくは、①②③ともに限界があるので、成長しない
を説明してくださいという話です。
そのうえで、
>資源の限界があることを証明するには、一つでもいいから資源の限界の例をあげればいいだけです。
その例として土地資源の限界、人的資源の限界、漁業資源の限界、森林資源の限界などをあげました。
これで資源の限界の証明は終了です。
全然、証明になっていません。
①②全体で、減を証明しないと、その一部が減だから証明・・・数式になっていません。
また、現実を全然理解していません。
カテゴリ農業自給率アップは無理を参照ください。
農業も、漁業も「余っている」から、問題なのです。耕作放棄地は拡大の一途、漁業も、取った魚の6割を廃棄・・・これで、限界と言っても、現実を知らない妄想です。さらに、人口は、経済予測と違って、大変精度が高いですが、人類は、90億人で、ピークアウトです。農業も、漁業も、その分の「限界」はありません。
>これらはエネルギー資源などと異なり、現在すでに経済に制約を与えています。
>100年後云々の話ではないのです。
>もっとも、100年後のことなど考えて経済行動を取る必要はないと考えるあなたのスタンスには人間性の低さを感じざるを得ません。
>100年後に地球が温暖化によってめちゃくちゃになってしまう可能性がある程度の根拠をもって予測される場合、やはり子孫のためにも地球環境の永続性を保つことができるような仕組みを考えるのが、道徳心というものではないでしょうか。
>資本主義では、資源をどんどん食いつぶすほうが、リサイクルするよりも、資本効率性としては高くなってしまう場合が多く、より長期の全体合理性に欠ける結果になりがちです。
>資本主義では、資源をどんどん食いつぶすほうが、リサイクルするよりも、資本効率性としては高くなってしまう場合が多く、より長期の全体合理性に欠ける結果になりがちです。
>資源の限界を遠い将来のことだからといって、無視するのではなく、資源の限界をも計算にいれて、論理的に資源の限界による破たんが生じにくい方策を考えるべきだと私は思います。資源の循環と無駄を減らす行動がとられにくいのが、現在の資本主義の問題点や限界といえるのです。
100年後を考える人が「人間性が高い」・・・「べき」・・・勘弁してください。どれは、ハイエクがもっとも否定した、「道徳を押し付ける」行為です。あなたは、あなたの考え方で生きるのは結構ですが、それを「べき論」として、残りの69億人に、押し付けないでくださいね。
あなたが好きに生きる権利を保障しているのですから、他人が好きに生きる権利もまた、保証してあげてくださいね(笑い)
意見や、価値観は、人それぞれなので、それらは、このブログでは、扱っていませんので、もう結構です。
100年後を考えて、今の行動を…具体的には何のことですか?
環境を考えたら、ブログ読んで、書き込んで、無駄な電気代を使ってはいけません。
あなたもできていないのに、できるとする・・・理解不能です。
人間の理性には、限界がある・・これもハイエクの思想です。事実そうです。100年後を考えるのは、できる人はいる?かもしれませんが、できない人ばかりですので・・・
>あと蛇足ですが、生産性向上にも限度があります。
>生産性向上の要素として、人間の熟練や科学技術の向上などがあります。
>人間の熟練には明らかな限度があります。いくら人間ががんばっても100mを3秒で走れないように、ある限界値に無限に近似することはできても、あくまでも有限世界において無限に近似するにすぎないのです。
>科学技術の向上にも、物理法則という絶対に超えられない壁があるので、これが限度になります。
>生産性向上についてわかりやすくたとえると、発電の効率がよいでしょうか。
>いくら効率のよい発電方法をとったとしても、絶対に100%以上の効率を得ることは不可能です。
>100%に近づく可能性は無限かもしれませんが、はじめから限界がきまっているのです。
>投入される燃料のエネルギーを超えて、発電はできないのです。すなわちこれが資源の限界です。
>生産性の向上すなわちエネルギー効率の向上では絶対に補えない部分がはじめから存在しているのです。
ですから、その、生産性の向上?の限界は、いつ来るのですか?という話です。
100年後と言われても、困りますし・・・
それに限界?までは、まだまだ余裕がありますよ。
スーパーのレジの完全無人化(置いただけで自動清算)、ファストフードの無人化、完全自動運転自動車・・・どこの病院へ行っても、ID1枚で、履歴も、データも分かる、どこへ行っても、「現金」を使わず、カード1枚で、もしくは、カードさえ使わずに買い物や、銀行預金ができる・・・
太陽エネルギーを宇宙空間でもらい、それを地球に送る・・・ 核分裂エネルギーを使用する・・・
イノベーションというのは、「既存の考え」を破壊するところから起こります。「エネルギー効率には限界」・・・これは、まさに、既存の枠組み(あなたの考える、理性には限界がある)の話です。
あなたの話だと、人間は、100年後を考える理性があるそうですから、それなら、既存の枠を超えた発明など、いくらでも可能では?
あるときには、限界、あるときには、100年後を考える理性・・・都合よく、使い分けているだけですよ。
とにかく、資源全体100が、いつ、99、98に減るのか、生産性向上は、いつ限界を迎えるのか、明らかにしてください・・・
できませんけど・・・
明らかにしてもらえれば、それまでは、とりあえず我々は、成長の果実を享受できるので、安心です。 100年後のことなど、知ったこっちゃない・・というか、現在生きていない世代のことを、経済学では、考えられないのです。既存経済学も、ゲーム理論も、「現在生きているプレーヤー」しか参加できません。100年後のプレーヤーを想定していません。
そうなると、現在世代プレーヤーが、最も合理的と考える行動を取ります。
あなたは、「べき論で、それではだめだ」と言うかもしれませんが、あなたの考えで、残りの69億人を拘束するのは、不可能です。
ちなみに、原油の可採年数は、53年、これも、技術革新(生産性向上)で、ずっと、増えっぱなしなのが、現実です。
2024年までには、インドのGDPが日本以上になるそうです。
それまでは、「大丈夫」でいいですか?(笑い)
結論は、「限界がいつ来るかなど、理性では分からない」というものです。
でも、確実には言えますよ。太陽が消滅(消滅する前には、膨張して地球も飲み込まれる大きさに・・)するときには、終わりでしょう(笑い)
とにかく、ゼロサムは、マクロの世界ではありませんので・・・そこを脱することが、まず「経済学的思考」の第一歩ですよ。辻元さん。
>>資本主義には限界がある、資源には限界がある、必ず経済は限界に突き当たる・・・そういう人は、学問的に「生産性向上には必ず限界がある」を証明しなければなりません。
この言葉、ちっとも学問的ではありません。
そもそも経済の限界イコールGDPが増えないことではありません。あなたが勝手に経済の限界という表現を狭くとらえているだけなのです。
GDPが増えても、ゴミが大量にでて、ゴミの最終処分場に困るとか、大気汚染、海洋汚染が生じるとか、森林がどんどん失われているとか、経済活動によって生じる人類が被る制約もまた、経済の限界と呼ぶべきものです。
ゴミの埋め立て地に難儀するというのは、土地資源や環境維持からくる制約です。
そもそも経済とは、経世在民という言葉がもとになっており、この意味は「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意です。
GDPが成長したとしても、国民が苦しむような現象が生じたら、それは本末転倒なのです。
GDPはけして経済にとっての本質ではなく、経済活動の様子を大雑把におしはかる一指標にすぎません。
あなたはそれを経済のすべてであると勘違いしている。
貴方の能力の問題は論理性の不足にもありますが、問題の本質をとらえる哲学的視点の欠如にもあるとおもっています。
あなたが学者の本流から外れているのは、あなたがユニークだからではなく、単に能力の不足であるからだと思っています。
今回の話は、GDP成長と、その要因の話です。
限界は、当然ですが、数値の話です。
経済は、Economicsの訳語に、経世財民を充てたもので、本来の意味は、ギリシャ語のオイコノミアです。限りある資源を最大限有効に使うと言う意味です。
何度も説明していますが、哲学(価値観・意見)は、それぞれで、正誤判定できませんので、このブログでは、扱っておりません。
経済をどうとらえるかは、その時々、その人々で、千差万別なので、好き勝手に定義でき、どうとでも言えます。そのようなご意見は、他でやってください。
GDPとは、その成長の分析は、①労働②資本③生産性TFPという話しか、最初から扱っておりません。
それ以外は、扱いきれませんので。
>貴方の能力の問題は論理性の不足にもありますが、問題の本質をとらえる哲学的視点の欠如にもあるとおもっています。
>あなたが学者の本流から外れているのは、あなたがユニークだからではなく、単に能力の不足であるからだと思っています。
↑
ですから、価値観や意見は、いりませんので。
また、私は学者ではなく、単なるTeacherです。解説が仕事です。
辻元さん(上智大学 数学教授)の、議論
>現在の世界は、運輸をほぼ全面的に石油に依存しているが、石油は間もなく生産ピークを迎え、以後、生産は減少してゆく。 ところが、その備えは全くなされていない。 電気自動車への転換は困難な上に、トラック、バスといった大型車両は電化が難しく、転換には20年以上掛かる。経済成長は続かない。
From: galois225 at: 2014/06/23 12:26:48
>原油も天然ガスも、現在の需要で、約50年分程しかない。 これは、現在のペースで採掘できることを意味せず、生産は間もなくピークアウトして、現在でも高い価格は高騰する。 化石燃料からのエネルギー転換は急務。
From: galois225 at: 2014/06/23 00:18:06
で、結論は・・・
>我々が目指すべきなのは経済成長ではなく、人口を少しづつ減らし、環境負荷を低減することではないか。 限られた資源を、節約して使わないと、破滅的な状況に陥ることは明らかだ。 世界人口を今世紀中に10分の1に減らすべく、世界で行動計画は立てられないだろうか。
From: galois225 at: 2014/06/23 08:58:34
あなたの主張は、GDPが増えるのであれば、資源や環境の影響を考える必要はないというものです。
しかしながら、GDPは政策決定のための一参考要素にすぎません。
資源の限界や制約はGDPに数字としてただちに表れるものだけではありません。
ゴミの処分場の不足など、GDPにただちに現れない資源の限界や制約は、遠い未来のみならず、現在においても明らかに発生しています。
経済活動によって生じる問題はGDPのみでは、十分でないどころか、ほとんどとらえることができません。
にもかかわらず、あなたはGDPの成長が生産性向上によって保たれるであれば、資源や環境のことを考える必要はないなどと主張をしているのです。
GDPの成長率が保たれる→経済政策としてすべてクリア ではありません。
経済政策の一参考要素として、GDPがあり、GDP以外にも考慮しなければならない問題が山ほどあります。
エネルギー資源の枯渇がGDPに大きな影響を与える事態はまだ先の話かもしれませんが、循環型社会に変えていかないと、持続性のない社会として、子孫は大変な迷惑をこうむります。
あなたがもしあなたの意見を正しく書くとすれば、
「GDPのエネルギー資源の枯渇の影響による低下は、生産性の向上なども期待できるので、当面はないと考えられる。」
という感じに事実を明確にピンポイントに述べなければなりません。これはこれ以上でも以下でもありません。
この事実ないし予想があったとしても、資源や環境の影響を政策として考える必要はないということには全くなりません。
資本主義は、GDPが伸びなくなるのが限界ではなく、むしろ伸び続けて環境や資源を食いつぶすまで持続不可能な経済活動を行ってしまうことが問題なのです。
資本主義で資源や環境の限界によってGDPが低下するような事態になれば、おそらく人類にとって極めて深刻な事態が生じているはずです。
経済イコールGDPでは到底ありません。GDPさえ伸びていれば、経済は限界に達していないと考えるのは本末転倒なのです。
>あなたの主張は、GDPが増えるのであれば、資源や環境の影響を考える必要はないというものです。
>にもかかわらず、あなたはGDPの成長が生産性向上によって保たれるであれば、資源や環境のことを考える必要はないなどと主張をしているのです。
>あなたがもしあなたの意見を正しく書くとすれば、
「GDPのエネルギー資源の枯渇の影響による低下は、生産性の向上なども期待できるので、当面はないと考えられる。」
↑
すみません、このような意見や考えは、全く述べていないのですが・・・
横からですが
>人口減(労働投入力減)など、日本はとっくに突入しています。
という事は国という単位だと日本は今より縮小する可能性があるが
1人当たりだとまだ伸びる可能性があるって事でしょうか?
ただ老人を支える為の費用や
前の北海道の記事で人口減=GNP減という事があったので
それが気になります
経済成長の要因は、(1)労働投入量の増大(2)資本蓄積(投入量増大)(3)TFP(生産性向上)の3つによって分析されます。
IMFは0.8%(11-20年)、OECDは0.8%(12-17年)、その後は1.1%(18-60年)と予測しています。女性・高齢者の労働参加率上昇を織り込んでいる機関もありますが、各機関とも、労働力人口の減少により、労働力投入はマイナスになると見込んでいます。
「1人当たり所得がマイナス成長になることは、GDPがマイナス成長になる以上に起こりにくい(齋藤誠ほか『マクロ経済学』)」とされていますので、大丈夫でしょう。
>IMFは0.8%(11-20年)、OECDは0.8%(12-17年)、その後は1.1%(18-60年)と予測
1人当たりでも高成長は無理だろうけど現状維持はできそうとの
事なので良かったです
しかしアジア諸国何かと比較しちゃうとびっくりするぐらい低成長が続くんですね うーん
年金なんかをどうするのかっていうのも気がかりですし
日本の場合、GDPが500兆円もあるので、1%成長でも、5兆円の成長になります。
10年で、50兆以上です。これを逃してはいけません。