<マスコミ 円高=悪>日経H24.8.14
円高倒産が、上半期で50社、前年同期の2倍。
これを見ると、「円高=悪」となりそうです。
では、倒産は、全体ではどのように推移しているのでしょうか?
http://www.tsr-net.co.jp/news/status/half/1222251_1594.html
東京商工リサーチ
倒産件数は、前年同期比5.7%減で、年度上半期としては4年連続で前年同期を下回った。また水準としては2005年度(6,388件)を下回り、過去20年間で最少件数となり、戦後33番目の低水準。これは「中小企業金融円滑化法」や「セーフティネット保証5号」や、震災に対応した「東日本大震災復興緊急保証」など政策効果で、中小企業の資金繰りが一時的に緩和したことが大きな要因となった。
負債総額は、前年同期比8.4%減で、年度上半期としては2年連続で前年同期を下回り、過去20年間で最少金額。これは、負債10億円以上の大型倒産は186件(前年度217件)で、1990年度(105件)以来、22年ぶりに200件を下回ったことが影響した。一方、1億円未満が全体の約7割(構成比69.4%)を占め、小・零細規模中心で推移した。
まず、全体としては、倒産件数は減っています。過去20年間で最少です。
その中で、円高による「上半期で50社の倒産」というのは、6,051件の0.8%に過ぎません。
負債総額の718億円は、全体の負債総額1兆8,084億7,800万円の3.97%です。
倒産は、一定数は、必ず存在します(デフレとの相関が指摘されています)。円高になると、倒産が増えるわけではありません。
これは、明らかに、「円高=悪」という思い込み、もしくは、ポジション・トークによる、誘導記事なのです。
<補足 デリバティブ> よく、「1円の円高で、○○輸出企業は、○○○億円の損失になる」とか「○○○億円の利益が吹き飛ぶ計算になる」などと言われます。
ですが、企業がそんな、時価取引をするはずはありません。数か月後、数年後に、「1ドル=○○円」が受け取れるように、為替を先に予約しておきます。これをデリバティブ=派生(先物取引)と言います。
記事によると、1万9000社が、このような取引をしています。トヨタや、パナソニックなど、著名輸出企業は、必ずこのオプション取引を採用してします。
そうすると、「輸出企業が円高を歓迎する!」という逆転現象(というより、実物取引<資本取引の現代社会では、輸出企業とはいえ、為替に左右される資本取引の影響が大きいとも言えますが)が生じることがあります。
今、1ドル=80円だとします。1万ドルの商品を輸出し、3か月後に80万円受け取りたいと考えます。
円高が進み、3か月後に1ドル=75円になっていたら、75万円しか受け取れません。ですから、今のうちに、3か月後1ドル=80万円で予約(オプション取引)しておくのです。
逆に、円安1ドル=85円になれば、損をします。ですが、輸出企業は、そんな時価取引のリスク(為替によって、受け取る額が、ばくちのように変動する)を回避しようとします。企業としては当たり前の判断です。
日経H24.12.28
『日経平均1万322円今年の高値』
…多くの企業は1ドル=80円、1ユーロ100円で予算を組んでいる。
実際には輸出企業の多くが為替予約を進めており、今期業績には反映されない例も多い。例えばソニーは3か月先に決済を迎えるドルとユーロの輸出取引の8割分を事前に予約している。
日経H24.12.29
『ABCマート営業益最高』
…足元で円安が進んでいるが、ABCマートは11年春時点で5期先まで海外から仕入れる商品の半分相当を1ドル=70円程度の高い水準で為替予約した。このため、当面の円安による収益への影響は減殺できる見通しだ。
円高予測をした場合、円高になってもらわないと、企業にとっては損なのです。円安になれば、「輸出企業にとっては損」というのは、実際にあるのです。
また、円高を予測すれば、手持ちの外貨について、先にドル売り、円買いを、「輸出企業」だからこそ、行うのです。ますます、円高になります。
輸出企業から、「円安になって、よかったよかった」っていう声がすぐに聞こえてこないのは、このような理由が背景にあるからです。
しかも、記事にあるように、デリバティブ取引は、予想通り為替が推移すれば、企業にとって得になるものの、逆の結果がでれば、全ての負担が企業だけにのしかかる(預けた基金が毎月目減りし、最悪の際には赤字になり、企業は補填し続けなければならない、仲介金融業は全く損を被らない)システムになっています。しかも解約しようものなら、さらにとんでもない違約金を払うことになっています。
本業は儲かっているのに、デリバティブで赤字・・・記事のエスケー食品はそれで倒産してしまったのです。それって、「円高倒産?」ではなくて、「リスクヘッジ倒産」ではないでしょうか。
<輸出の41%は円で受け取る取引> そもそも、輸出企業が、全て「ドルで受け取って、円に交換する=ドル建て取引」を行っているわけではないのです。
日本の円建て輸出、最高の41% 対アジア拡大映す
2011/2/3 0:46
日本経済新聞 電子版
日本円で決済する輸出の比重がじわじわと高まっている。2010年の輸出総額に占める円建ての割合は41.0%となり、統計をさかのぼれる00年以降の最高を更新した。ドル建ての比率は48.9%で、徐々に低下しつつある。輸出の重心がドル建ての多い北米向けから、円建ての多いアジア向けにシフトしているためで、円高・ドル安への耐久力が以前より増しているとの見方も出ている。
円建て取引の場合、円高になっても、日本の企業は、為替の影響を受けません。影響を受けるのは、日本から輸入している、相手先企業です。
(ただし、相手先輸入企業も、「1年後に、1ドル=○○円」のデリバティブ契約を行っているので、為替がすぐにその企業に影響を及ぼすわけではありません)
しかも、相手国にとっても、輸出増=輸入増ですから、自国が輸出を伸ばそうとすればするほど、日本からの輸入を増やさなければなりません(韓国が、スマホの出荷量を増やせば増やすほど、日本からの部品・素材・工作機械輸入を増やせばならない=村田製作所など:のは、有名な話です)。
日本の輸出企業は、「円じゃないと受け取らないよ」という強い立場に立つ企業が、41%に増えるほど、強く、たくましくなっているのです。
最新の「貿易取引通貨別比率」によると、40.4%
…いわゆる大新聞であったり、テレビの報道になると、なぜか「円高が続くと困る」という…。
ハッキリと言いましょう。
円高が続くと困る業種はなんでしょうか。それは前述したように、輸出をメインとした企業です。
自動車や大型家電等の製造・輸出企業は、取引規模が大きくなればなるほど、円高による損失が大きくなってしまいます。
そしてそういう企業こそがメディアにとっては最大の広告主です。
もし円高が続いて企業の収益が下がってしまったら、おそらく広告費が大きく削られ、新聞やテレビへの出稿が大幅に減ります。そうなると、最終的に困るのはただでさえ広告収入が激減している大手メディアなのです。
<円高で、プラス効果>…実際に円高が続けば続くほど危機的状況に立たされる大企業がある一方で、円高で笑いが止まらない企業があるのも事実なのです。
…ただ、「円高=悪」であるという世論が強まっている中で、「ウチは円高で儲かっている」などと軽々に口にできない情勢がますます形成されていくものだから、黙っているだけの話。黙っているからますます・・・・。
(1)海外投資 円高は、海外投資に有利です。アメリカの1ドル=100円のハンバーガーは、1ドル=80円になると、安く買えます。海外の不動産、株、債券etcを購入する、あるいは買収(M&A)などの海外投資は増えます。
日経H24.2.16
…11年の対外直接投資は前年比85%増の9兆1180億円。
恐ろしい額だと思いませんか?前年比85%増って。この背景には、当然、「円高」があります
2010年1月には91円だった円が、2011年10月には76円になりました。(1時期75円台の史上最高値) 16%もの円価格上昇です。
そうすると、9兆1180億円で、1年前 よりも16%も余分に、土地や建物や、株や、債券を、より多く購入できることになります。16%も割安に、それらを購入できます。企業にとっては千載一遇のチャンスです。
(2)ガソリンがこれだけ安いのは 原油価格、世界では、恐ろしいほど、高くなっています。
世界経済のネタ帳
WTI、ブレント、ドバイが原油価格の3大指標とされる。
WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)原油は、アメリカ・テキサス州で産出される超軽質原油であり、北米の原油価格の指標となっている。1バレルは約159リットル。%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB(1980%EF%BD%9E2012%E5%B9%B4)%7C%E5%8D%98%E4%BD%8D%3A%20US%E3%83%89%E3%83%AB%2F%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%AB%20%20(c)%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AE%E3%83%8D%E3%82%BF%E5%B8%B3&chxt=x%2Cy&chxl=0%3A%7C1980%7C%7C%7C%7C%7C1985%7C%7C%7C%7C%7C1990%7C%7C%7C%7C%7C1995%7C%7C%7C%7C%7C2000%7C%7C%7C%7C%7C2005%7C%7C%7C%7C%7C2010%7C%7C&chdlp=b&chdl=%E5%8E%9F%E6%B2%B9%E4%BE%A1%E6%A0%BC(WTI)&chco=3399CC&chxr=1%2C14.42%2C99.59&chd=e%3ARnQVNtMJLPKMAcDlBKD9HlFUEnDBCEDAFyEoAADkL8ImIyMhUTfkmyrd..jgw08k8S)
このように、原油価格は、~2000年代の3倍以上に高騰しています。ガソリンも当然高くなっているはずですが、悲鳴は聞こえてきません。
http://www.stat.go.jp/data/kouri/8.htm
自動車ガソリン(銘柄符号:7301) の東京都区部の小売価格(昭和41年~最新月)
リーマン・ショック前は、史上最高値でしたが、現在は、1985年当時と同じ値段で収まっています。
その背景には、円高があります。円高は、世界的な石油価格の上昇のショックを吸収してきたのです。
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1985年当時より、円は3倍高です。だから、3倍に値上がりした石油を、当時の価格で購入できるのです。
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もし、ガソリン1リットルが、1985年当時の2倍、3倍300円、450円になっていたら・・・。悲鳴に近い声が聞こえてきそうです。
資源高は、ほかにもたくさんあります。
日経H25.1.4
これも、円高でショックを吸収できた部分があります。

実際には、資源高で、倒産もありました。
日経H24.12.28
『早すぎる円安警戒論』
…原油価格が1バレル70ドルと低かった2006年、円は110円台の円安でも企業経営に支障はなかった。逆に08年には100円前後の円高だったが、原油価格が140ドルに急騰し、輸送産業などで倒産が相次いだ。
(3)過去最高海外旅行が過去最高 13年も勢いは続くか
東洋経済オンライン 12月24日(月)7時0分配信
…もう一つの追い風は円高。12年の為替レートは最近まで1ドル=80円を割り込む高値圏で推移していた。JTBの調査によると、円高を理由に国内から海外に行き先を変更したり、旅行日数の長期化、ホテルのグレードアップをした海外旅行者が約3割に達している。
その恩恵にあずかっている旅行会社の業績は好調だ。JTBの12年9月中間期の海外旅行部門売上高は前年同期比23.3%増となった。エイチ・アイ・エス(HIS)も12年10月期決算で過去最高益を更新しており、今期はさらにそれを上回る計画を立てている。
円高の弊害は、声高に叫ばれ、円高の恩恵は、「目に見えない」のです。
これでも、「円安じゃないと、日本にとってまずい」のですか?
<追記>日経H24.3.28
「為替は長期的には購買力平価でかなり説明がつく」(川北英隆京大教授)・・・。
購買力平価は、インフレ率の高い国の通貨は長期的に下落するという考え方。例えばある年の為替相場が1ドル=200円だったとする。その後日本は物価は横ばいなのに米国は2倍に上昇すれば、円でモノが買える量は変わらないのに、ドルで買える量は半分に減る。ドルの通貨価値の下落を反映し、為替は1ドル=100円と円高・ドル安に動くという理論だ。

結局、日本や、スイスが為替介入しようと、文字通り、大河の一滴で、相場に影響を与えても、2~3日です。日本は、2年前に、1回に7兆円も使って市場介入しましたが、1週間もたたないうちに戻ってしまいました。
通貨はその国の国力を示します。通貨安で国家が崩壊した例は、ローマ帝国を初めとし、枚挙に暇がありませんが、通貨高で滅んだ国はないのです。
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菅原さんもこういう謎なこと言うのですね。本石町日記も繰り返し言っているけれど、デフレで円高を喜ぶ意味が分からない。スヴェンソン提案やスイスの為替ペッグも通貨高がデフレ圧力だと認識した上で通貨安誘導をしているわけで。スイスの例は単純な量的緩和の効果が乏しいことを示していますし。
>スイスの為替ペッグも通貨高がデフレ圧力だと認識した上で通貨安誘導をしているわけで。
スイスが為替介入したのは、自国の資本市場(要するに金融市場)で、これ以上投資されても運用先がなくなっているからです。
スイスは、貿易立国のように見えますが、何と言っても金融立国ですよ。
スイスフランはずーっと高くなっていますが、輸出入もずーっと伸び続けですよ。
輸出を伸ばすために介入など、全くしていないわけです。
日本にとっては円高が望ましい。
しかし、デフレの状態ではカネが回らず、実体経済が停滞する。
従って、円安を誘導してしまうが、デフレ脱却のためにインフレターゲット政策をとる。
このような認識でよろしいでしょうか。
あと、円安→インフレ、インフレ→円安、ということですが、デフレと円高の因果関係はどうなっているのでしょうか。
インフレと円安の関係を単純に当てはめると、円高になるとデフレになる気がしてしまいます。
でも、1ドル360円から100円台になってもデフレになったわけではないことを考えると、おかしいですよね。
>円高になるとデフレになる気がしてしまいます。
理論的には、そうなります。円高で、資本財が安く手に入ると、物価の下落圧力がかかります。
また、デフレ→円高でもあります。デフレは、物価が100円→98円と下がることです。そうすると、実質的に金利が2%付くことです。
インフレ国(物価に対して通貨下落)通貨は、1ドル=1バーガーが、1ドル0.98バーガーしか購入できなくなることです。
デフレ国通貨(通貨価値上昇)に対して、インフレ国通貨(通貨価値下落)を売る圧力が生じます。
理論的には・・・です。
取引が円建てか外貨建てかは関係ありません。
たとえ直接の取引が円建てであっても、最終的に海外で消費されるものであれば、円安によって外貨ベースの価格が下がるために価格競争力が増し、販売増→輸出増となります。
逆に、海外で消費されるのではなく日本に再輸出(=日本に輸入)される(すなわち海外に外注されている)ものであれば、取引が円建てだろうが外貨建てだろうが、海外での加工・組み立て・流通などのコストが円安によって上昇するため、ある程度まで円安が進めば海外に外注する意味がなくなり、国内で内製→国内雇用増となります。
>円安によって外貨ベースの価格が下がるために価格競争力が増し、販売増→輸出増となります。
>円安が進めば海外に外注する意味がなくなり、国内で内製→国内雇用増となります。
「円安で輸出増」とか、「円安で雇用増」とか、そんな事実はもう日本にはありません。韓国なら、そうかもしれませんが・・・
教科書的「理論」は、現実にはもうないのです。現実のデータを、見てはいかがですか?
「通貨高で滅んだ国はない」なら利上げすればいいのでは?でも過去の記事では利上げ論を批判していますよね。
内需刺激へ金利正常化を? 金利UP?の主張
http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-527.html
>「通貨高で滅んだ国はない」なら利上げすればいいのでは
何のために、わざわざ人為的に利上げをするのですか?
人為的に「円高」にするのですか?何のために?
>何のために、わざわざ人為的に利上げをするのですか?
利上げも利下げも人為的なものですよね?地震のように人間の判断と無関係に起こることではなく中央銀行の判断しだいですから。過去三回の記事でこれだけ円高メリットがあって通貨高で滅んだ国はないなら利上げすればいいのでは?過去の記事のようにデフレだから利上げを批判するなら、常に円高がいいということではないのでは?
>利上げも利下げも人為的なものですよね?地震のように人間の判断と無関係に起こることではなく中央銀行の判断しだいですから。過去三回の記事でこれだけ円高メリットがあって通貨高で滅んだ国はないなら利上げすればいいのでは?過去の記事のようにデフレだから利上げを批判するなら、常に円高がいいということではないのでは?
長期と、短期を混同しているのではありませんか?
記事勉強になります。
円高が日本人個人の利益に長期的に資するとしても、文化面でみるとどうなるのでしょうか?
ドルは円と比べてずっと下がり続けています。円が相対的に安ければ日本で作った製品をアメリカが消費する。円が高ければアメリカが作った商品を日本が消費する。通貨が安い国の文化も一緒に流入してくる。今、某半島国の学生が作ったような安っぽい映像文化がテレビを席巻しているのも円が相対的に高いからではないでしょうか?
ローマは通貨安で滅んでも、ローマ文化は世界に敷衍して、いまだに支配している。通貨高は国民の生存は豊かにしても、文化はいつのまにか縮小破滅なんてことにならないのでしょうか?
円安円高どちらが良いという問題ではなく、円高も円安も悪なのでは?身も蓋もない話ですけど。
>通貨高は国民の生存は豊かにしても、
>文化はいつのまにか縮小破滅なんてことにならないのでしょうか?
文化ですか…それじゃ、漢字を捨てて、日本独自の言葉を生み出して
いかないと…
そもそも、円高が文化に対して多少の影響を与える可能性はあるにしても、文化を滅ぼすほどの力があるとはとても思えませんが。
古今東西、通貨高で文化が廃れた国の話など聞いたことがありません。
円高になっても、同じようなものがより安く手に入るというだけです。
そんなものは別にわざわざ日本で作る必要はないし、通貨安にならないと広がらない文化などに価値はありません。
もっと世界に類のないものを生み出すことに力を注ぐべきです。
むしろ、より文化的に高次な段階へ入ると見るべきでしょう。
>文化ですか…それじゃ、漢字を捨てて、日本独自の言葉を生み出して
いかないと…
漢字はあくまで中国独特の抽象概念を示す表記法として輸入したのであって、日本独自の言葉(音)は仮名の開発によって守られています。
朝鮮半島では守り切れず、独自の音も表記法もなく、ハングルを王朝主導で開発しても民間には普及しませんでした。今のハングルだって日本が発見して統治時代に日本が普及に努めた結果として存在しています。
円高が極端すぎると朝鮮の二の舞になるような気がします。
>日本独自の言葉(音)は仮名の開発によって守られています。
仮名が開発されたからといって、漢字の使用がなくなりませんでした。
「便利なら使う」 これは無視できないと思いますが?
文化が廃れたというのであれば、服に関しては、洋服が入ってきたため
和服が衰退する要因になったと思います。
文化を守るために実用性を捨てるというのは、勇気がいることだと思います。
>文化を守るために実用性を捨てるというのは、勇気がいることだと思います。
なにも海外の便利な文化を取り入れるなと主張しているわけではないのです。
円高だと海外で創造されたモノを輸入した方が、国内で高コストでモノを創造するより安くなってしまう。洋服だって日本で創れば、知らず知らずのうちに日本らしさが埋め込まれていきます。しかし海外で創られた洋服を買うことに慣れると気が付いたら・・・なんてことを恐れているのです。
日本の漢字は今や本場中国のそれとはずいぶん違ってきています。国内で日本人の手によって使われかつ作られしてきた結果です。「中華人民共和国」という国号のうち「人民共和国」の部分は日本が作り出した漢字を逆輸入したものです。
国内で生む、作る、創るということが大事だと思います。比較優位の思想には一神教が背後にあることを忘れてはいけません。
とりあえず、通貨高で滅びた文化の例を挙げなければ話にならないかと。
洋服も漢字も通貨高と関係ないですし。
arerugenさんの理屈は、輸入だけ増やして輸出をなくす、という話と同じ構造ですね。
arerugenさんは自給自足が最も望ましいことであると考えているのでしょうか。
細部を見れば、廃れるものもあるでしょう。
通貨高には関係なくとも、廃れるものは廃れていきます。
しかし、同時に栄えるものがあるものがあるということをarerugenさんは無視しているように見受けられます。
全体としてどうなるかが最も重要であって、木を見て森を見ずになってはいけません。
通貨高であろうとなかろうと、日本の文化が優れているのであれば世界に広まっていきますし、日本でしか作れないものがあれば世界はそれを求め続けますよ。
一ドル360円の時代から100円以下の円高となって、日本の文化は世界から薄れていきましたか?
<Landau様>コメント有難うございます。
>通貨高であろうとなかろうと、日本の文化が優れているのであれば世界に広まっていきますし、日本でしか作れないものがあれば世界はそれを求め続けますよ。
優れていれば自然と残るというのは思考停止だと思いますし、文化に優劣をつけると差別につながる恐れがあります。優れた文化が残るのではなくて、残った文化つまり歴史を刻んだ文化が優れていると評価されちゃっているだけでは?
日本でしか作れないものではなくて、世界中で当たり前に作れるものを日本でも当たり前に作ることが独自文化維持には大切だと思います。世界で分業もいいですけど、分業と効率化を徹底することが果たして正解でしょうか?自給自足の徹底も極端なら、自由貿易の徹底も極端です。円安が悪も極論ですし、円高が悪も極論です。
ただ通貨高は知らず知らずのうちに、当たり前にある生活文化を滅ぼすのではないかと恐れているのです。滅びたということすら歴史に刻まれることなくさりげなく・・・。杞憂であればよいですけど…。
arerugen様
文化などの社会的価値を経済的な効率のために変えることが許されるのか、経済優先でいいのか。という批判がこれまでにもありました。(独自文化維持?)
グローバル化、アメリカの文化なども批判されますが、マックなど自国の食文化の破壊ということも、誰もマックを食べることを強要されているわけではありません。
取引(交換)はそれぞれが、得をするからしているのであり、損ならしません。消費者がそれを選択しています。
社会的価値、生命、安全、健康、文化にも資源が必要です。経済効率にはトレードオフ、コストによるバランスがあります。
消費者がすべてが安いほうが正しいと思ってはいません。
消費者は選択や判断ができないと誤解していませんか。
これまでも中小企業や小売店などの消えていくことに、文化を失うと指摘されたこともありました。
しかしそうやって、エネルギーは石炭や火鉢から石油やストーブに置き換わり、下駄が靴に置き換わってきました。
それを弱者や文化保護のために、石油の輸入や靴を禁止ということを消費者は受け入れるでしょうか。
ということは、下駄など当たり前だった文化生活はすでに失われてはいませんか?
火鉢や下駄は消えても良かったのなら、残す文化とはどのように決めるのですか?
まあ、三輪氏の受け売りですが、私も同様に考えます。
>文化に優劣をつけると差別につながる恐れがあります。
「人々の心をつかむ文化なら」
これでよろしいですか?
そもそも、購買力平価に収束する長期的な円高が文化的に見ると空くと
>分業と効率化を徹底することが果たして正解でしょうか?自給自足の徹底も極端なら、自由貿易の徹底も極端です。円安が悪も極論ですし、円高が悪も極論です。
極端、で片付けるなら、それこそ思考停止です。
そもそも、このエントリは、円高円安どっちが悪かという話ではないはずですが。
善悪をもちだした時点でもはや経済学の対象ではありません。
arerugenは身の回りの製品を日本製で固めるべきであって、他国製品が増えることは生活文化の破壊であると考えているのでしょうか。
だとするならば、日本の生活文化はすでに破壊しつくされていますね。
日本に限らず、アメリカなども同様ですが。
>当たり前にある生活文化を滅ぼすのではないかと恐れているのです。滅びたということすら歴史に刻まれることなくさりげなく・・・。
具体的に通貨高で滅ぼされた文化を挙げられないがゆえの表現でしょうか。
今当たり前にある生活文化は、時々刻々と変容していきます。
これまでもそうでしたし、これからもそうなります。
それはもはや通貨高による話ではありません。
<あひる様>
独自文化「維持」と表現したのは誤りだったかもしれません。変化しないものはこの世にありませんから。問題は誰が変化の主導権を握るかです。日本主導で生みだされたものが世界に広がるには円安の方が有利です。海外で生みだされたモノを買いやすい環境よりも日本で生みだされたモノを売りやすい環境の方が強い文化的影響力を守り残せるのではないかと・・・。
<Landau様>
>善悪をもちだした時点
このブログ記事が<マスコミ 円高=悪>で始まっているので、あやかって善悪という文字を使いましたが道徳論を語ったわけではありません。
日本の文化はかなりアメリカによって破壊されている。これこそドル安の力ではないでしょうか?一方でアメリカ文化は破壊されているでしょうか?アメリカの精神は世界に敷衍しているし、アメリカが変わっていくのは彼ら自身の力であって、彼らが主導権を握っている。
変化の主導権を握れるものこそ、変化する中でその核を失わずにいられる。ドル安に耐えられるだけの国土と力を持っていることがアメリカの強さのように思います。
どんな文化が敷衍するかということと通貨価値は決して無縁ではない。無縁と考える経済学的思考が広がることこそ日本文化の危機、多神教文化の危機と考えます。
<菅原先生>
長居してしまってすみません。
日本が主導権を握るということは、日本独自のものを世界に輸出していくということではないのでしょうか。
arerugenさんは、前々回、日本でしか作れないものではなく、世界で当たり前に作られているものを日本も作ることが重要とおっしゃっていましたが、それと矛盾しているのではないでしょうか。
日本独自のものを生み出していかない限り、文化の変化の主導権など握れるわけがありません。
そして、通貨安に依存するような文化も主導権など握れません。
現在より遥かに円安ドル高だった時代も、日本にはアメリカ文化が怒涛のごとく入ってきました。
円安であっても、日本の文化はアメリカに破壊されたのではないですか?
要するに、文化の盛衰において、通貨高の影響などは微々たるものだということです。
そもそも、「アメリカは日本の文化を破壊した」という排外主義的な考え方自体が危険です。
日本国民は、アメリカの文化を強制されて取り入れているのではなく(まあ、戦後は多少強制的な面はあったにせよ)、望んで取り入れているし、海外の安いものを自らの意思で購入しているのです。
それを海外による日本文化の破壊だとみなすのは、傲慢ではないでしょうか。
arerugenさんはどうも物質によって文化が規定されるという観念にとらわれているように見受けられます。
文化はそんな単純なものではありません。
どの国で作られたものが身の回りにあるかではなく、それをどう活用していくかが重要なのです。
アメリカの文化が世界を席巻したのは、ドル高の時代からです。
そして、今やアメリカの身の回りの製品はほとんどが中国製です。
にもかかわらず、arerugenさんのおっしゃるように、アメリカの精神は世界に敷衍していて、主導権を握っている。
ここから言えることは、文化において通貨高の影響などは大した問題ではなく、その中身こそが重要であるということです。
通貨価値によって文化が敷衍するかが決まるなどと考えるようになったら、それこそ日本文化の危機です。
<Landau様>
私のつたないコメントに応じてくだあり、感謝申し上げます。また場を提供してくださる菅原先生にも改めて感謝申し上げます。
>arerugenさんは、前々回、日本でしか作れないものではなく、世界で当たり前に作られているものを日本も作ることが重要とおっしゃっていましたが、それと矛盾しているのではないでしょうか。
例えば食器は世界で当たり前に作られていますが、どのような食器を作るかには各文化の独自性が込められています。日本で作られた食器を日本で、かつ世界で安く購入できる環境が分化の主導権を握り、文化を敷衍するには大事ではないかと申し上げたものですので矛盾はないと考えます。
>円安であっても、日本の文化はアメリカに破壊されたのではないですか?
敗戦後の占領や武力による圧力によって破懐されることと、通貨安によって破壊されることを区別するべきではないかと考えます。円安によって日本経済は回復し、物だけでなく文化もアメリカを侵食しうる土壌が整った矢先にプラザ合意を契機とした急激な円高がやってきたと考えられないでしょうか?通貨安は海外文化を望んで受け入れたという勘違いを引き起こしているのではないか?ただ安いから取り入れたに過ぎないのに。気づかぬ文化侵略という恐ろしさがあるのではないかと考えます。
>そして、今やアメリカの身の回りの製品はほとんどが中国製です。
そうです。これから中国的考え方が気付かない内に流入してくる危険があるのです。私は文化が物質によって規定すると考えているのではありません。むしろ目に見えない部分に宿っていると考えます。だからこそ流入に気付かない。物をどこで作るかというのは入口です。物作りを奪われたら、今度は事作りまで奪われる。そして事作りは奪われていることに気付かない。だから恐ろしいと考えているのです。通貨価値戦争が実は文化主導権戦争になる時代。軍事力などの目に見えて分かりやすい形でなく侵略してくる。これが現代なのではないかと。私の考えが杞憂であれば、それに越したことはないのです。
>敗戦後の占領や武力による圧力によって破懐されることと、通貨安によって破壊されることを区別するべきではないかと考えます。
はい、ですから、終戦直後は強制された面があったと区別しております。
そして日本が独立を取り戻した後も、日本国民は強制されもしないのに今からは考えられない円安状態でアメリカ文化を取り入れていきました。
ここしばらくは中国・東南アジア製のものが溢れていますが、文化的な影響はアメリカの足元にも及びません。
これが事実です。
>物作りを奪われたら、今度は事作りまで奪われる。そして事作りは奪われていることに気付かない。だから恐ろしいと考えているのです。
とりあえず、円高でも輸出は増えているという事実を確認してください。
>これから中国的考え方が気付かない内に流入してくる危険があるのです。
中国製品を買うことで、具体的にどのような中国的考え方に洗脳される危険があるのでしょうか?
ぜひ知りたいです。
>通貨安は海外文化を望んで受け入れたという勘違いを引き起こしているのではないか?ただ安いから取り入れたに過ぎないのに。気づかぬ文化侵略という恐ろしさがあるのではないかと考えます。
>通貨価値戦争が実は文化主導権戦争になる時代。軍事力などの目に見えて分かりやすい形でなく侵略してくる。
arerugenさんの意見を聞いていて非常に違和感を感じる点が2点あります。
まず、海外文化が流入してくることを、文化の侵略だと切り捨てている排外主義的な点です。
arerugenさんは、意識的でなく、無意識のうちに海外文化がすり込まれてしまうことを危惧されているのだと思います。
しかし、この論法は非常に危険です。
それは、反証しようがないからです。
「俺は洗脳などされていない」と言っても、「いいや、それは無意識化で起こっているからお前が気づいていないだけだ」となってしまうからです。
これは占い師や詐欺師がよく使う論法です。
根拠もないのに、排外主義に陥る危険性が非常に高い。
そしてこれは、消費者である国民を、安い海外製品を買っただけで海外文化に無思考で染まってしまう思考停止した人間である、と馬鹿にした発言でもあります。
それは傲慢ではないですか?
上で「日本独自の言葉(音)は仮名の開発によって守られています」とありましたが、arerugenさんの考え方だと、漢字という中国の文字を取り入れた時点で、無意識のうちに中国文化が流入していて侵略された、ということになりませんか?
日本国内で服を作ろうと、和服でなく洋服である時点で、西洋文化に気付かないうちに侵略されている、ということになりませんか?
要するに、こんなことを言い出したらきりがないのです。
日本は世界の中の一つの国です。
常に世界からの影響を意識的にしろ無意識的にしろ受け続けていて、文化もそれに伴って変容していきます。
大切なのは、海外の文化が流入してくるのを問題視するのではなく、その中で我々は何を取捨選択し、より自己の文化を高めていくかということです。
通貨高だから日本の文化は廃れたんだ、海外製品は買うべきでない、などと考えるようになったら、日本文化は滅亡の一途をたどることでしょう。
<Landau様>
コメント有難うございます。勉強になります。
>arerugenさんは、意識的でなく、無意識のうちに海外文化がすり込まれてしまうことを危惧されているのだと思います。
これは誤解です。通貨高の状況では意識下で自由に取引しても、安い海外商品を購入せざるを得ない。意識的に背に腹は換えられぬと選択しているうちに海外文化に囲まれる生活になっていしまって後戻りできなくなることを恐れているのです。
>大切なのは、海外の文化が流入してくるのを問題視するのではなく、その中で我々は何を取捨選択し、より自己の文化を高めていくかということです。
激しく同意します。しかし通貨高は自由に取捨選択できる環境といえるのでしょうか?漢字の導入も洋服の導入もそれが経済的に安価なことが決め手だったでしょうか?
>そしてこれは、消費者である国民を、安い海外製品を買っただけで海外文化に無思考で染まってしまう思考停止した人間である、と馬鹿にした発言でもあります。
無思考ではありません。私自身も含めて自由に合理的に思考した結果として安い海外製品を買わざるを得ない状況に追い込まれる通貨高を是とすることに疑問を提示しているだけです。
一ドル50円時代。本場の讃岐うどんが食べたくても、お財布と相談すると、安い中国産のうどんを買わざるを得ないという選択を繰り返しているうちに讃岐うどんが無くなる。国産ビールが飲みたいんだけど、お財布と相談すると、安い一缶50円の青島ビールで我慢という選択を繰り返しているうちに国内ビール会社がすべて倒産。発泡酒で文句を言っていた時代が懐かしい。正月飾りを買いに行ったらみんな安い海外産で、色合いもなんだか原色っぽくなっている。昔はもっと味のある色合いだったような気がするけど、まあいっか。安いし…金ないし・・・。でも正月飾りに龍の絵柄なんてあったっけ。辰年でもないのに。なんてことを恐れているのです。
>これは誤解です。
まったく誤解ではないと思いますが。
海外製品に囲まれて、そこから気づかないうちに海外文化が浸透していく、というのがarerugenさんの主張なのでは?
>しかし通貨高は自由に取捨選択できる環境といえるのでしょうか?
誰にも強制されていない以上、自由に取捨選択できる環境です。
所与の環境の下で、誰にも強制されずに自分の好きなように選択する、これが自由に選択するということです。
>通貨高の状況では意識下で自由に取引しても、安い海外商品を購入せざるを得ない。
「せざるを得ない」のではなく、安い海外商品を買うことが「可能になった」のです。
>漢字の導入も洋服の導入もそれが経済的に安価なことが決め手だったでしょうか?
漢字や洋服も「文化侵略」に当たることになってしまう、ということであって、導入理由を経済的要因が大きく占めているかなど関係ありません。
それともarerugenさんの考えでは、経済と関係が薄ければ「文化侵略」されてもいい、ということでしょうか?
>一ドル50円時代。本場の讃岐うどんが食べたくても、お財布と相談すると、安い中国産のうどんを買わざるを得ないという選択を繰り返しているうちに讃岐うどんが無くなる。
なくなりません。
讃岐うどんは食べられなかったのが、中国産のうどんなら食べられるようになった、ということです。
>正月飾りを買いに行ったらみんな安い海外産で、色合いもなんだか原色っぽくなっている。昔はもっと味のある色合いだったような気がするけど、まあいっか。安いし…金ないし・・・。
まるで、円安になると貧しい人々が華やかで文化的な生活ができ、円高になると生活水準が下がって非文化的になるかのような表現ですね。
まさか、1ドル360円時代のときの方が現在よりも生活水準が高かったとは思っていないですよね?
まさか、海外製品が高くなると、より高品質な国産品を以前の安い海外製品と同じように楽々買えるようになるとは思っていませんよね?
とりあえず、arerugenさんは「円高が望ましいのか 円安が望ましいのか1~3」をもう一度読み直されることをおすすめいたします。
<Landau様>コメント有難うございます。
>海外製品に囲まれて、そこから気づかないうちに海外文化が浸透していく、というのがarerugenさんの主張なのでは?
その通りです。しかし「気づかない」というのはLandau様がおっしゃった「無意識」とは違います。個人が制約を受けた環境の中で意識的に自由な選択をした結果として社会全体に海外文化が浸透してしまって取り返しがつかなくなることを表現したものです。占いのような反証不可能な主張ではないと考えます。
>所与の環境の下で、誰にも強制されずに自分の好きなように選択する、これが自由に選択するということです。
この「所与の環境」というのが気になります。環境を強制されていれば、それは自由ではないと考えます。これを自由と割り切ってしまうところに経済学的思考の欠点があるように思います。
漢字の導入も、洋服の導入もなんとなく導入したものではありません。漢字については、仏教とそれに伴う律令体制とセットになって導入すべきが否か喧々諤々の政治闘争がありましたし、故にこそ大和言葉を守るために和歌集を編纂するという政治判断も下せています。洋服導入も戊辰戦争という政治闘争を経た結果、促進された経緯があります。ともに社会として導入の是非を問う政治判断を経ています。通貨高という環境下で、個々の取引の積み重ねを免罪符として導入される場合とまったく違います。
生活水準や生活利益が効率的に向上するにはどのような仕組みが良いかという視点だけで通貨価値の是非を考えることに疑問をもち、文化面で考えるとどうなるかというコメントを私は稚拙ながら投げかけた。その趣旨をご理解したうえで回答いただけると幸いです。
>なくなりません。 讃岐うどんは食べられなかったのが、中国産のうどんなら食べられるようになった、ということです。
本当に無くなりませんか?商売としてどんどん中国産に押されていく中でどうやって次世代を育成していくのですか?味覚は幼児期に形成されると言います。幼児期に中国産ばかり食べて、中国産の味の方が好みな子供が増えてしまったら取り返しがつかなくなりませんか?それも自由な変化なのでしょうか?
>幼児期に中国産ばかり食べて、中国産の味の方が好みな子供が増えてしまったら
>取り返しがつかなくなりませんか?
出汁もろくにとれないようなうどん屋なんて、潰れた方が良いのでは?
>この「所与の環境」というのが気になります。環境を強制されていれば、それは自由ではないと考えます。これを自由と割り切ってしまうところに経済学的思考の欠点があるように思います。
環境を強制されず自由であるとは、一体どのような状況のことですか?
人間は、それぞれの置かれた環境の下で選択をしていかなければなりません。
国産だと手が届かなかいけど、安い海外製が発売されたおかげでようやく欲しかったものが買える(あれ?選択の自由度が広がってませんか?)。
頑張って働いて稼いだお金でその海外製品を買うことを、あなたは「お前は自由にものを買っていない」と言うのですか?
傲慢にもほどがあります。
海外製品が高くなって、国産品はおろか海外製品すら買えなくなるような状況が自由な環境とでもいいたいのでしょうか?
>ともに社会として導入の是非を問う政治判断を経ています。通貨高という環境下で、個々の取引の積み重ねを免罪符として導入される場合とまったく違います。
arerugenさんは政治判断を免罪符にするというわけですね。
文化とは政治的に決められたり、正当化されるようなものではありません。
安い海外製品がなかったらどうでしょう。
正月飾りを買いに行ったら、高い国産品しかない。
「正月飾りなんて買わなくてもいいか、金ないし…」
でも安い海外製の正月飾りがあったら、それまで買えなかった正月飾りが買えるようになります。
それはより文化的な生活ができるようになることであり、より自由にものを買えるようになったということです。
国産品しかなく、生活用品を買うだけでいっぱいいっぱいだった家庭が、こだわりのないものは安い海外製品で済ませて、今まで買いたくても買えなかった国産品やより文化的なものを購入することも可能になります。
満足に服も買えなかったところが、たくさんの種類の安い服が買えるようになり、自分の好みで独自に組合せてファッションを楽しむこともできるようになります。
生活のためにお金を稼ぐ負担も減り、より文化的な活動に従事する余裕も生まれてくるでしょう。
高い国産品しかなく、満足にものを買えない「強制された環境」から、選択の幅が大きく広がった「自由な環境」になったのです。
あれ?通貨高なのに、より文化的な生活が広まりそうですね?
arerugenさんの根本的な間違いは、安い海外製品がなくなれば国産品を同じように買うようになる、と思いこんでしまっている点です。
前提がおかしいから、その後の議論もめちゃくちゃです。
色々と理屈を捏ね繰り回すのも結構ですが、そろそろ現実を見ましょう。
arerugenさんの論点を大きくまとめると
①文化を世界に敷衍し、主導権を握りたい(輸出を増やしたい)
②日本国内は海外品を制限して国産品であふれさせたい(輸入を減らしたい)
両者を同時に実現することは不可能です。
終わり。
輸出が増えるということは輸入が増えるということであり、輸入が減るということは輸出が減るということです。
円高でも輸出は増えています。
1ドル360円の円安時代よりも、輸出は爆増しています。
arerugenさん曰く、日本文化が世界にどんどん広まっている状況です。
海外製品が少なくなったら、世界に日本文化は広まらないし、国内の低所得者はより非文化的な生活を強いられます。
これが、現実です。
<Landau様>
丁寧なコメント本当に有難うございます。
>頑張って働いて稼いだお金でその海外製品を買うことを、あなたは「お前は自由にものを買っていない」と言うのですか?
傲慢にもほどがあります。
まるで頑張って働いた金ならばどのように使おうと自由だといいそうです。自由(というより自分勝手では?)な取引による結果、国産製品が海外製品に価格競争で敗れてすたれてもよいと?文化と政治は関係ないと短絡的に判断し、海外の何を取り入れ、何を排除するか命までかけて判断してきた先人の努力を無視してもよいと?その判断こそ傲慢に思えます。文化と政治は深く関連していると思います。政治を軽く見るべきではないと考えます。
>国産品しかなく、生活用品を買うだけでいっぱいいっぱいだった家庭が、こだわりのないものは安い海外製品で済ませて、今まで買いたくても買えなかった国産品やより文化的なものを購入することも可能になります。
本当に「今まで買いたくても買えなかった国産品」はこのまま通貨高が進んだ結果として残っているのですか?具体的にどのようにして国産品を作る担い手を雇用していくのですか?どのように担い手を維持していくことができるのですか?
>1ドル360円の円安時代よりも、輸出は爆増しています。
arerugenさん曰く、日本文化が世界にどんどん広まっている状況です。
爆増もいいですけど、それにより地域差が薄まっていきませんか?多様性は維持できるのですか?本当に日本文化が広まっているのですか?表面上だけではないですか?日本で訓練を受けていない外人さんが握る鮨やフランス主導でルールが決まる柔道など。広まった結果、中身が外人主導で変化してしまって、それは日本文化といえるのでしょうか?
>海外製品が少なくなったら、世界に日本文化は広まらないし、国内の低所得者はより非文化的な生活を強いられます。
これが、現実です。
現実は、円高で国内で雇用がなくなり、失業者があふれて、非文化的生活が強いられるのではないですか?円高では具体的にどのような産業が雇用を吸収できるとお考えですか?
>arerugenさんの根本的な間違いは、安い海外製品がなくなれば国産品を同じように買うようになる、と思いこんでしまっている点です。
前提がおかしいから、その後の議論もめちゃくちゃです。
もちろん、同じように買えると思いこんでいるわけではありません。ただ、だからといって、円高の方がよいという主張には納得ができないのです。ゆえに、Landau様が①②として整理してくださったような極端な視点をカウンターにおいて疑問を提示しているのです。カウンターに耐えることができればできるほど信頼できる理論といえますから。しかし、円高を是とする理論「も」現実を見ていないように思えてなりません。
<名捨て様>
讃岐うどん好きなのでつい・・・。具体例が適切でないのは認めます。ごめんなさい。
>海外の何を取り入れ、何を排除するか命までかけて判断してきた先人の努力を無視してもよいと?
先人たちが、輸入反対してきたものの代表格がお米ですが、
その先人たちの努力が何の役になっているんですか?
>まるで頑張って働いた金ならばどのように使おうと自由だといいそうです。
あの、話を逸らさないでもらえますか。
個人のお金の使い道は自由かどうかなど話していません。
arerugenさんは、通貨高という環境は、消費者に海外製品を買わざるを得ない状況に追い込むものであり、その環境を強制されている消費者は自由に物を買っていない、とおっしゃりました。
それが間違っていると言っているんです。
海外製品が高くなって購入商品の選択幅が狭まる通貨安という環境は、強制ではないんですか?
選択肢の狭まる環境が自由なんですか?
>何を排除するか命までかけて判断してきた先人の努力を無視してもよいと?その判断こそ傲慢に思えます。文化と政治は深く関連していると思います。政治を軽く見るべきではないと考えます。
arerugenさんは、漢字や洋服は政治的に決められたから問題ないかのような言い方をされました。
なら、arerugenさんの言い方では、政治を免罪符にしてますね、というだけのことです。
まるで政府が決めた文化は正しくて、そうでない文化は正しくない、劣ると言わんばかりですね。
何度でもいいます。政治的に決められたものが正しい文化ではありません。
>本当に「今まで買いたくても買えなかった国産品」はこのまま通貨高が進んだ結果として残っているのですか?
残るものも消えていくものもあるでしょう。
そして新たな国産品も生まれていきます。
今までもそうですし、これからもそうなります。
>爆増もいいですけど、それにより地域差が薄まっていきませんか?多様性は維持できるのですか?本当に日本文化が広まっているのですか?
あの、海外製品が日本に入ってくることは海外文化が日本に流入することであり、日本製品が世界に広がることは世界に日本文化を広げることであると言ったのはarerugenさん自身ですが。
国産品を世界に広げることは、文化の敷衍のために重要なんでしょう?
arerugenさんは円高だと日本製品が世界に広まらないと勘違いしているようなので、そうではないと言ったのです。
>日本で訓練を受けていない外人さんが握る鮨やフランス主導でルールが決まる柔道など。広まった結果、中身が外人主導で変化してしまって、それは日本文化といえるのでしょうか?
もはや通貨高と全く関係ない話ですね。
でも、arerugenさんは重要なことを言っています。
そうです、日本文化は各地で独自の発展を遂げていくのです。
英語と一口で言っても、それぞれの国独特の英語に変化していっているのもそうです。
通貨高で海外製品が入ってきて、海外文化が流入してきたとしても、それはその国に合せて淘汰され、変容していきます。
それは海外の侵略ではないのです。
お分かりいただけたでしょうか。
個人的に柔道については苦々しく思いますが、それはまた別の話。
>現実は、円高で国内で雇用がなくなり、失業者があふれて、非文化的生活が強いられるのではないですか?
長期的な円高と雇用に相関関係はありません。
デフレで雇用がなくなっているのです。
円高で倒産件数が増えるわけでないことも、この一連のエントリで書かれています。
きちんと読んでください。
低所得者は円安の時代よりもはるかに豊かでより文化的でより自由な生活ができるようになりました。
この現実をきちんと直視してください。
>ただ、だからといって、円高の方がよいという主張には納得ができないのです。
それはもはや感情論です。
間違った前提のもとに感情的に議論しても意味はありません。
>Landau様が①②として整理してくださったような極端な視点をカウンターにおいて疑問を提示しているのです。
①、②は別に極端な視点ではなく、世間一般によくある初歩的誤りって感じですが。
このブログで散々説明されているので、よく勉強してください。
>しかし、円高を是とする理論「も」現実を見ていないように思えてなりません。
いいえ、現実を見れば見るほど、長期的に円高になることは日本に利益をもたらしています。
<Landau様>
コメント有難うございます。勉強になります。もう少しだけ質問させてください。
>海外製品が高くなって購入商品の選択幅が狭まる通貨安という環境は、強制ではないんですか? 選択肢の狭まる環境が自由なんですか?
自由ではないです。円高による取引も円安による取引も自由でない。取引における選択の自由をもって「自由がなされた」と叫んでいるだけです。「自由」は競争的概念ですから、何が真の「自由」か論争しても生産的ではないでしょう。しかし、だからこそ個々人の勝手な取引をもって「自由」を称して免罪符にしてはいけないと考えます。何を取り入れ、何を取り入れるべきでないかというせめてもの政治的討論を手続きとして経てない以上、その流入に危機感を持つべきです。
>国産品を世界に広げることは、文化の敷衍のために重要なんでしょう? arerugenさんは円高だと日本製品が世界に広まらないと勘違いしているようなので、そうではないと言ったのです。
>通貨高で海外製品が入ってきて、海外文化が流入してきたとしても、それはその国に合せて淘汰され、変容していきます。
日本製品が海外に広まる絶対量が増えることと、相対的比率が増えることを分けて考えるべきではないでしょうか?円高で日本製品が海外に普及したとしても、それは貿易の絶対量が増えたからであって、海外製品の流入が相対的に多ければ、日本そのものが海外主導で変質してしまうのでは?日本製品が海外を変容させる程度と海外製品が日本を変容させる程度に差が出てしまいませんか?貿易量が爆増している今だからこそ、これまでとは違う危機感をもって独自文化のアイデンティティーや文化の多様性について真剣に考えなければいけないのではないですか。これまでとは全く違う次元に入ろうとしているのですから、経済学的思考も自由な取引で豊かさが拡大しているからOK!消えていくものもあれば残るものもある!でもそれは自由な市場が決めること!という考えでは取り返しがつかなくなりませんか?
>長期的な円高と雇用に相関関係はありません。デフレで雇用がなくなっているのです。
「長期的」というのはどのくらいで訪れるのですか?そもそも訪れるのですか?俗に言う「長期的には我々は死んでいる」と揶揄されるほど長いのではないですか?デフレ脱却によってきちんと価格が変動して、そのほかの外部性も排除されて、やっと安定した「長期」が訪れる。それは絶対やってくるといいきれるのですか?あくまで理論上ではないですか?訪れる前に海外の食文化の流入によって今以上に日本人の味覚が変わってしまったら取り返しがつかなくなりませんか?「長期」が訪れるまでの雇用は?いつ訪れるか分からない「長期」を夢想して声高に円高肯定論を主張することが現実を見ていることになるのですか?
>取引における選択の自由をもって「自由がなされた」と叫んでいるだけです。「自由」は競争的概念ですから、何が真の「自由」か論争しても生産的ではないでしょう。しかし、だからこそ個々人の勝手な取引をもって「自由」を称して免罪符にしてはいけないと考えます。
誰もそんなことを叫んでいません。
都合の悪い話をどんどんすり替えていくのはやめた方がいいですよ。
何度も言いますが、円高の状況では消費者は海外製品を買わざるを得ない状況に追い込まれていて自由な選択ができないという内容をおっしゃったのは、arerugenさんです。
「取引における選択の自由がない」とおっしゃったのは、arerugenさんです。
では、取引における選択の自由はあるんですね?
なら、arerugenさんの選択自由性についての円高批判は棄却されて、話はそれでおしまいです。
>何を取り入れ、何を取り入れるべきでないかというせめてもの政治的討論を手続きとして経てない以上、その流入に危機感を持つべきです。
何度でも言います。
文化とは、政治によって免罪符を与えられるものではありません。
政治が文化を正当化するという考え方は極めて危険です。
政府のお墨付きを得た文化が正しい文化、などと考えるようになったら、日本文化は確実に衰退していきます。
海外製品の増加どころの騒ぎではありません。
>日本製品が海外に広まる絶対量が増えることと、相対的比率が増えることを分けて考えるべきではないでしょうか?円高で日本製品が海外に普及したとしても、それは貿易の絶対量が増えたからであって、海外製品の流入が相対的に多ければ、日本そのものが海外主導で変質してしまうのでは?
もはや円高円安の話ではないことにお気づきですか?
円高だろうと円安だろうと、輸入が増えれば輸出も増えます。
逆も真なり。
>貿易量が爆増している今だからこそ、これまでとは違う危機感をもって独自文化のアイデンティティーや文化の多様性について真剣に考えなければいけないのではないですか。
その通りです。
円高円安なんてものにに拘泥するのではなく、貿易量が増加している中で我々がどういう文化を作っていきたいのかを真剣に考えていかなければならないのです。
今ある環境の中で我々はどうしたいのかと考えることに意味があるのであって、「円高が悪いんだ!」と大した根拠もなく叫ぶことは文化的に思考停止であり、ただの現実逃避です。
それは文化の衰退を招きます。
>「長期的」というのはどのくらいで訪れるのですか?そもそも訪れるのですか?
円高を否定したいあまり、ご自身でも何を言っているか分からなくなっていませんか?
もう少し落ち着いて考えてみてください。
arerugen様
>個々人の勝手な取引をもって「自由」を称して免罪符にしてはいけないと考えます。何を取り入れ、何を取り入れるべきでないかというせめてもの政治的討論を手続きとして経てない以上、その流入に危機感を持つべきです。
結果的には消費者に望まないものとコストを押し付けることになります。
消費者に任せられない、だから政治的な判断が必要なのだというのなら、消費者は自ら選択もできない存在と誤解していませんか。
しかしながら、arerugenさんのような消費者もいるわけです。
たとえ高価でも選択するarerugenさんのような消費者がいる限り、着物などのように価値を認められて存在し続けるでしょう。
中国の冷凍食品の問題で、製造国を明記するようになったメーカーもあります。ネットスーパーでも冷凍食品が国内製造品と区別できるようになっています。
100円ショップのプラスチック製品も、国産品が増えてきたことはご存知でしょうか。
これも消費者の自由な選択の結果ではありませんか。
>海外製品の流入が相対的に多ければ、日本そのものが海外主導で変質してしまうのでは?
日本における輸出入のGDPに占める割合をご存知ないのでしょうか。
http://www.jetro.go.jp/jfile/search/country?country=jp&stats=gdp_growth&stats=gdp&stats=export&stats=import&year=2011¤cy=both
輸入はせいぜいGDP比15パーセントです。
ユニクロなどは、細かな日本の消費者に合わせて高品質な割りに安価なことで、服飾マニアのような方も品質ならセレクトショップなどのショップオリジナル品より高品質だという意見まであります。
またユニクロでそのような服を買うことは紛れも無く日本のサービスを消費しているということです。
製造国だけをみて、輸入品があふれている、日本の輸入が多いと誤解していませんか。
>「長期的」というのはどのくらいで訪れるのですか?そもそも訪れるのですか?俗に言う「長期的には我々は死んでいる」と揶揄されるほど長いのではないですか?
これは論点がズレています。
ここでいう長期とは、これまで観察された事実の期間を指しています。
arerugenさんは事実を確認してはいかがでしょう。
今の状況はarerugenさんにとって勉強にはなっていません。
ただ負けない、負けたくない議論になってることに気がついてください。
ただの感情論ではなく、ブログやコメントを読んで事実を確認してください。
そしてそれを受け入れたとき、それはLandauさんでも、名捨てさんでも、私でもなく、誰よりもarerugenさんが得することになります。
<Landau様>
コメント有難うございます
>誰もそんなことを叫んでいません。
都合の悪い話をどんどんすり替えていくのはやめた方がいいですよ。
以前のコメントでLandau様は、海外の文化流入を問題視するのでなく、その中で我々は何を取捨選択するかということが大切だと述べられた。そして、私が、通貨高においてその取捨選択は自由といえるのかと尋ねたところ、誰にも強制されていない以上、自由な取捨選択であると断言された。
その断言は早計だと申し上げているのです。「自由」は競争的概念であるから、早計にその存在を断言するべきではない。取引における「自由」は通貨高であろうとなかろうと「自由」と言い切れない。だからこそ政治討論という手続きを経ることを無視してはいけない。政治による正当化は危険の一点張りで、政治を「自由」な文化形成手続きから排除する姿勢は短絡的だと申し上げているのです。いったいどこで話を逸らしているというのですか?
政治的討論という手続きを経るということと政府のお墨付きを得るということを短絡的に同一視しないでください。文化の内容の正しさと文化形成過程の正しさをごっちゃにしているのではないですか?
>円高だろうと円安だろうと、輸入が増えれば輸出も増えます。
円高であろうと円安であろうと輸出入が増える(激増)のであれば、円安であっても豊かになれるのではないですか?
>今ある環境の中で我々はどうしたいのかと考えることに意味があるのであって、「円高が悪いんだ!」と大した根拠もなく叫ぶことは文化的に思考停止であり、ただの現実逃避です。
生産現場がどんどん無くなっているというのに?若者が職に就くことができないでいるのに?物作り事作りの場がどんどん無くなっているのに?伝統文化継承の担い手を雇用することもままならないのに?産業構造が金融立国化しているのに?その金融立国化すら危うくなっているのに?もちろん円高がすべての原因とは言えないですが「円高はまずいんじゃないか?」と疑問を呈することに大した根拠がないとおっしゃるのですか?どこが思考停止なのですか?
>円高を否定したいあまり、ご自身でも何を言っているか分からなくなっていませんか?
質問の意味が分かりませんか?質問を変えましょう。「長期」という概念をどのような意味でお使いですか?物理的時間の長い短いでなく、経済学的用語としての「長期」つまり「需給バランスが解消された状態」のことを指すのであれば、「長期的な円高と雇用は関係ない」と主張することは同義反復になってしまいませんか?
理論と違って現実は円高になれば失業者は増加するし、そもそも円高でデフレなんて克服できないんじゃないですか?円高肯定論は本当に現実を見ているのですか?確かに理論モデルとしては豊かな知見を与えてくれますが、現実を見た理論とは決して言えないと思います。
<あひる様>
コメント有難うございます。
>消費者に任せられない、だから政治的な判断が必要なのだというのなら、消費者は自ら選択もできない存在と誤解していませんか。
そのような主張はしていません。もう一度、私のコメントをよくお読みいただけると幸いです。
>輸入はせいぜいGDP比15パーセントです。
現状よりも一ドル50円といった超円高になった時のことをより心配しているのです。
>ユニクロなどは、細かな日本の消費者に合わせて高品質な割りに安価なことで、服飾マニアのような方も品質ならセレクトショップなどのショップオリジナル品より高品質だという意見まであります。
私にとってすばらしい指摘です。確かに、作り手も消費者のことを考えて製品を作るのですから、製造国が必ずしも文化変動の主体になれるとは限りませんね。価格が労働で決まるのか、効用で決まるのか喧々諤々やっても栓ないことという議論に似ているかもしれません。このような指摘にめぐり合えるので、しつこく尋ねる意味があると思っています。中途半端な慣れ合いコメントでは何も学べません。特に私はバカなので(笑)。
>ここでいう長期とは、これまで観察された事実の期間を指しています。
その意味なのか、経済学的意味なのか確認したいという趣旨の質問です。
>いったいどこで話を逸らしているというのですか?
思いっきり話を逸らしています。
arerugenさんは、円高状況が消費者の自由を奪っているかのような表現をされました。
私はそれに対し、円高だろうが円安だろうが、自分の意思で購入した以上、それを強制されたとは言えない、と主張しています。
それでもなおこの視点から円高を批判するのであれば、「円高の環境では自由でなく、円安の環境では自由である」ということを論証しなければなりません。
にもかかわらず、arerugenさんは
>取引における「自由」は通貨高であろうとなかろうと「自由」と言い切れない。
と、「自由とは何か?」という問題に話をすり替えようとされている。
自由であるかが通貨高と関係ないと言われた時点で、arerugenさんは先の円高批判をご自身で否定されたんですよ。
この話はそこで終わりです。
>「自由」は競争的概念であるから、早計にその存在を断言するべきではない。
自由の存在を否定されるのは結構です。
その代わり、「~は自由ではない」というarerugenさんの主張も意味を失います。
それとも、「ある状況では自由だけど、そうでない状況では不自由」とお考えになるのであれば、それを具体的に述べ、「円高の状況は円安の状況よりも消費者の自由度が低い」ということを論証してください。
それすらせず、ご自身の「自由」の定義も述べられず、競争的概念だのわけのわからない抽象論でただひたすら否定するだけ。
あひるさんのおっしゃる、「ただ負けない、負けたくない議論」になっています。
>政治による正当化は危険の一点張りで、政治を「自由」な文化形成手続きから排除する姿勢は短絡的だと申し上げているのです。
政治を排除した覚えなどありません。
政治による正当化が文化の必要条件であるかのような態度が危険であると申し上げているだけです。
>政治的討論という手続きを経るということと政府のお墨付きを得るということを短絡的に同一視しないでください。文化の内容の正しさと文化形成過程の正しさをごっちゃにしているのではないですか?
政治手続きを取った文化形成こそが「正しい」文化形成過程なのですね。
まさに政治が文化形成過程にお墨付きを与えているという主張です。
arerugenさんの大好きな讃岐うどんは、政治によってその存在が形成されていったのですか?
日本のラーメン文化は政治的討論によって形成されていったのですか?
そうでないなら、ラーメン文化は中国文化の侵略ですか?
違うでしょう。
>もちろん円高がすべての原因とは言えないですが「円高はまずいんじゃないか?」と疑問を呈することに大した根拠がないとおっしゃるのですか?どこが思考停止なのですか?
少なくとも今までのarerugenさんの発言の中で、雇用問題、金融問題、文化継承問題などなどについて、説得力のある根拠が述べられてはいません。
>質問の意味が分かりませんか?
意味が分からないというより、「自由」にしろ「長期的」にしろ、言葉尻のみを一々捕えて、そこから勝手に関係ない方向に話を進めようとするarerugenさんのやり方についていけなくなってきています。
ご自身の最初のコメントで「円高が日本人個人の利益に長期的に資するとしても」をおっしゃっていたのを忘れましたか?
arerugenさんは自分の使っていた言葉を相手が使うと、難癖をつけられるのですね。
菅原先生も上で「長期」と言われていますね。
短期的で人為的な円高ではなく、ある一定期間以上を経て購買力平価を反映した円高のことです。
ここまで言わないと分かりませんか?
さすがに疲れます。
>理論と違って現実は円高になれば失業者は増加するし、そもそも円高でデフレなんて克服できないんじゃないですか?円高肯定論は本当に現実を見ているのですか?確かに理論モデルとしては豊かな知見を与えてくれますが、現実を見た理論とは決して言えないと思います。
円高になると失業者が増加する?
arerugenさんはこのブログの記事をちゃんと読んだのですか?
円高による失業者の増加など、実証的に否定されているし、相関関係など認められません。
もし違うとおっしゃられるのであれば、現実のデータで論証してください。
そしてデフレ脱却はまた別の話です(短期と長期を混同されています)。
arerugenさんは、このように事実に基づかない妄想を前提にして、その上、感情論で話を展開されるので、その後の議論がめちゃくちゃです。
大変だとは思いますが、頑張って現実を直視してください。
そうすれば、あひるさんのおっしゃるようにarerugenさんの利益となることでしょう。
<Landau様>
コメント有難うございます。
>それすらせず、ご自身の「自由」の定義も述べられず、競争的概念だのわけのわからない抽象論でただひたすら否定するだけ。
そもそも通貨高と文化という問題の前提として「通貨価値」と「文化」の関係性そのものを否定されたのはLandau様の方です。そこで私は通貨価値のズレは消費において自由な取捨選択の妨げになっているから、通貨価値と文化形成過程には関連性があるのではないかと主張したのです。だからこそ、市場における消費に「自由はない」ということを論証する責任が私に発生した。ゆえに「自由とは何か」という抽象論に入っていくことになったのですよ。その自由の不存在を論証することを分けのわからない否定論といわれても…。
>それでもなおこの視点から円高を批判するのであれば、「円高の環境では自由でなく、円安の環境では自由である」ということを論証しなければなりません。
なぜ?
>日本のラーメン文化は政治的討論によって形成されていったのですか?
そうでないなら、ラーメン文化は中国文化の侵略ですか?
違うでしょう。
違います。しかし、以前申し上げたように、グローバル化で貿易量が急速に「激増」している今は、以前とは次元の違う世界になってきている。だから、以前なら気にしなくてもよかったうどんやラーメンのような事柄も、かつての漢字や仏教のように流入の是非を考える機会を設ける必要があるのではないかと主張したのです。ただ個々の消費行動に任せてよいものかと。個々で個別に判断するのでなくて、みんなで考える契機を求めるべきではないかと。
>ご自身の最初のコメントで「円高が日本人個人の利益に長期的に資するとしても」をおっしゃっていたのを忘れましたか?
確かに「長期」云々の質問はもはや「通貨高と文化」問題ではないです。考える中で「円高が日本人個人の利益に長期的に資する」ということに再度疑問符がわいてきたので、つい断りなく質問してしまいました。これは私が軽率でした。混乱させてごめんなさい。
ただやはり気になるので尋ねてしまいますが、「長期」とは購買力平価が反映された状態のことをいうのですよね。でも現実は購買力平価が反映されるまでの間にたくさん噴出します。デフレと円高は相関する。デフレと失業も相関する。ならば現実では円高と失業も相関するのでは?円高による失業者の増加という関係は相関関係がないでなくて因果関係の存在が立証できていないだけでは?因果関係の不存在を立証できてはじめて、短期と長期を混同するなといえるのでは?不存在は「立証」できないのであれば、混同した「論証」を排除する正当性もないのでは?短期と長期を混同するなというご批判を菅原先生もなさっていますけど、現実を見るということは分けて考えられないということではないですか?
もちろん無理に回答を求めるものではありません。しつこくてすみません。疲れない程度で、もし気が向けばで結構です。
<Landau様>
分かりました!分かりました!私の主張の誤りというか無意味性に!要は相関関係の認定をいい加減にしていたのです!
経済学は自然科学と違って、高い確度で因果関係を立証することはできません。実験室のような外部因子を可能な限り排除した環境で理論の成否を確かめることができませんから。本当の意味での因果関係を立証することはできない。だから、結局、相関関係の実証を積み重ねて、より因果性の高そうな理論モデルの構築に努めるしかない。だからこそ、おそらく自然科学なんかよりずっと相関関係の認定には慎重でないといけない。実証データを積み重ねた相関関係をもってはじめて経済理論モデルを批判する資格が生まれる。あいまいな相関関係をもって経済理論モデルを批判してもそれこそキリがない。
以前、Landau様は私の主張を反証可能性がないと批判なされた。占いと同じだと。占いは事実観察できなく検証可能性すらない。一方、私の主張は観察や検証が可能だから、私の主張に反証可能性がないというのは誤りだと思っていました。でも違った。私の主張も反証可能性がないのです。なぜなら相関関係を何ら立証していないから。立証していないものを反証することは不可能です。
自然科学ならあいまいな相関関係でもって理論の因果関係を批判しても、その相関性を排除した実験室で実験して反論できる。でも経済学はそれができない。だからこそ、理論を主張する側の因果関係だけでなく、批判する側がぶつけてくる因果を崩すための相関関係も厳しく見ていかないといけない。そのことに気づかず、「円高になって安い海外製品がたくさん流入してくれば、日本市場では安い海外製品を購入せざるを得ない環境に追い込まれる」ことと「生産現場が縮小して日本で物事を生み出す力が相対的に弱まる」こととのゆるーい相関関係でもって批判できていると考えた。でも、これは経済学としては批判に値する相関関係を示しているとは言えず、学問として全く無意味な主張だったのです。なぜなら実証しているとはいえないから。ゆえに反論しようがないから。
因果関係の立証の難しさばかりに目が行って、相関関係の立証の大切さを甘く見ていた私の誤りです。今日、何気なくテレビをザッピングしていたら放送大学で、相関関係を示しているグラフと相関関係を示していないグラフというのを並べていた画面に出くわして、あれ?相関関係の有無もその境は曖昧なんだなと思ったのが契機になって、上記のような理解になりました。これもLandau様が私のつたないコメントに疲労困憊しながらも応じてくださったおかげです。その土壌があったおかけで気づけました!有難うございます!!