洋の東西を問わず、同じ
![]() | さっさと不況を終わらせろ (2012/07/20) ポール・クルーグマン 商品詳細を見る |
この本を読むと、アメリカも緊縮財政派(彼はオーストリア学派と表現)がおり、財政出動派がおり、金融緩和派がおり、金利引き上げ派がおり・・・結局、論じられていることは、日本と同じだということが分かります。民間エコノミストから、経済学者まで、まあ、様々な意見の対立があります。
彼と同じ立場に立つ、日本人の学者もいます。
クルーグマンは、ミクロ経済学(ヒトは合理的)をベースにしたマクロ経済学について、全く信用していません。
<新古典派「最先端モデル」VSニューケインジアン>
吉川洋(東大)『木を見て森を見ない経済学は有害』週刊ダイヤモンド2012/7/21
…経済学の流れを大まかに振り替えると、戦後から1960年代までは、国家などの経済全体を扱うマクロ経済学と、個人や企業などの個々の経済活動とそれらからなる市場を扱うミクロ経済学の二刀流でした。
…それが70年頃から世界の経済学は大きく変わりました。…「新古典派」的な経済学が主流になったのです。
…現在主流の新古典派経済学はそもそも方法論的に間違っているのです。典型的な主流派の主張はマクロ経済学とミクロ経済学は一つであり、基礎となるのはミクロ経済学の価格や市場のメカニズムだというものです。
…新古典派は人々や企業は合理的戦略的に行動し、その結果経済は最適化されると仮定します。“市場経済は基本的にうまくいく”という考え方が強いため、問題を問題として認識しない。例えば、不況の状態も景気循環の一課程として“最適”であり問題ではないという考え方です。
…主流派の経済学は個々の企業や消費者の行動を詳細に分析し、それを拡大して全体に当てはめるという、逆のことをやってきた。まさに木を見て森を見ずです。一般の人々が経済学に疑問を持つのは当然です。
さて、クルーグマンの書では、どのように論じられているのでしょう?はっきり言ってむちゃくちゃに批評されています。
マクロ経済学は1940年代に大恐慌への知的な対応の一部として独自の分野としての成立を見ました。当時、マクロ経済学という用語は、あの経済的な惨劇の再現を防ぐと期待された知識と技能の集積を指していたのです。
この講義の私の主張は、この当初の意味でのマクロ経済学が成功したということです。不況予防という中心的な課題は、あらゆる実務的な目的においては解決されており、実際にも過去数十年にわたり解決されていたのです。
ロバート・ルーカス、アメリカ経済学会会長演説2003年
2003年、リーマンショック前の演説です。クルーグマンは、こう言います。
いまのぼくたちの知っていることから見れば、ロバート・ルーカスによる不況など過去のものだというこの自信たっぷりの宣言は、目を覆いたくなるイタい発言のように思える。実は、ぼくたちの一部にとっては、発言当時からすでにかなりイタい発言としか思えなかった。
…1970年代と、1980年代の相当部分に渡ってマクロ経済学に君臨したとさえいえる巨人だったノーベル経済学賞受賞のルーカス…多くの主導的な経済学者たちは金融規制緩和が経済をますます危機に対して弱くしてしまっているのに、さらに規制緩和を支持し続けた。そして危機が起こってしまったら、余りに多くの高名な経済学者たちが、有効な対応策全てに対し強力かつ無知な形で反対論を展開した。悲しいかな、そうした無知で破壊的な議論を展開している1人がほかならぬロバート・ルーカスだ。
…一部の有力なマクロ経済学者…彼らは何十年もかけて、経済の仕組みについての見方を推し進めてきたが、それが最近の出来事で完全に否定されてしまい、それでも同じように自分たちの判断ミスを認めたくはないのだ。でもそれだけじゃない。自分たちの間違いを擁護する中で、彼らはまた、目下の不況に対する有効な対応策を潰すのに大きな役割を果たしてしまった。
この、経済学の流れについては、下記を参照ください(時間があれば、カテゴリー「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」について、全て見ていただけるとありがたいですが、ちょっと専門的になり、難しいです)。
参照ください
↓
マクロ経済学のミクロ的基礎づけその3/5
マクロ経済学のミクロ的基礎づけその4/5
マクロ経済学のミクロ的基礎づけその5/5
従来ケインズモデルは、将来予測(財政出動しても、どうせ将来増税されるだろうと、財布のひもを引きしめるなどの、行動)を加味しておらず、1970年代後半に、ルーカスが批判しました。
近年標準になっているのは、動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルです。「市場の不完全性は一切存在しない」と「仮定」したモデルです。
「へ?」というのが、クルーグマンの立場です。
クルーグマンの書では、このあたりの解説が下記のようになっています。
…1960年代のマクロ経済学者たちは、不景気とはどういうものかについて共通の見解を持っており…哲学的な違いじゃなかった。でもそれ以来マクロ経済学者者たちは二つの大きな派閥に分かれてしまった。「塩水派」経済学者(おもにアメリカ海岸部の大学にいる)は景気というものについて、おおむねケインズ派的な見方をしている。そして「淡水派」経済学者(おもに内陸部の大学にいる)はこの見方がナンセンスだと考える。
淡水の経済学者は基本的には純粋自由放任主義者だ。あらゆるまともな経済分析は、人々が合理的で市場が機能するという前提から始まるというのが彼らの前提だ。彼らの見方では、正当な経済学においては総需要不足等というものは起こりえない-それは現実にも起こらない。
…1970年代には、主導的な淡水派マクロ経済学者ノーベル賞受賞者のロバート・ルーカスは不景気は一時的な混乱から生じるのだと論じた。…そしてルーカスは景気循環に抵抗しようという試みは全て逆効果だと警告した。能動的な政策は、混乱を深めるだけだという。
有名な話だが、ロバート・ルーカスは1980年に、セミナーの参加者たちは誰かがケインズ的な考え方を発表すると「ひそひそ話とくすくす笑い」を始める…ケインズやケインズを持ち出す人はすべて、多くの教室や専門紙からは、出入り禁止となった。
だが反ケインズ勝利宣言をしている間にも、その当人たちのプロジェクトは破綻しつつあった。新しいモデルは、結局は景気の基本的な事実を説明できなかった。…今さら戻ってきてケインズ経済学が実はかなり有力らしいという単純な事実を認めるわけにはいかなかった。
そこで彼らは…ますます不景気やその仕組みについての現実的なアプローチから離れていった。マクロ経済学の理論面のほとんど、現在は、「リアルビジネスサイクル」理論なるものに支配され…この理論はかっこいい 数学モデルが使えるのでリアルビジネスサイクルの論文は昇進と終身教授職への近道となった。そしてリアルビジネスサイクル理論家たちはやがて十分な勢力を持つようになり、今なおこれとは違う見方をする若い経済学者は、多くの主要大学にはなかなか就職できない。
さて淡水経済学者たちも…一部の経済学者たちはルーカスプロジェクトの明らかな失敗を見て、現在はケインズ派のアイデアをもう一度見直して、化粧直しをした。「新ケインズ派」理論が、 MIT 、ハーバード、プリンストンなどの学校-そう、塩水近くや、政策立案を行う FRB や国際通貨基金(IMF)等の機関におさまった。
…結果としてクリスティ・ローマーや、それをいうなら、ベン・バーナンキといった新ケインズ派は危機に対して有益な対応を提案できた。特に FRB による大規模な融資増と、連邦政府による一時的な支出増大がそれに当たる。残念ながら淡水派についてはそういうことは言えない。
2009年初頭に、シカゴ大学の有力な経済学者2人、ユージン・ファーマとジョン・コクランは、なぜ財政刺激策がまったく効果がないかについてまるっきり同じ議論を展開した。…ハーバード大学のロバート・バローは、多くの刺激策は民間消費と投資の落ち込みで相殺されてしまうだろうと主張し…ロバート・ルーカスは刺激策など役に立たないと論じた…。
…例えばコクランは、刺激策など「1960年代以降に大学院生が教わった内容には一切含まれていない。それら(ケインズ派の発想)はおとぎ話であり、まちがっていることが証明された。…」
…ルーカスはオバマの主任経済顧問で、大恐慌研究家として傑出しているクリスティ・ローマーの分析を「クズ経済学」だと一蹴…迎合屋といってローマーを非難した。…いま挙げた経済学者はみんな、政治的には保守派だ。こうした経済学者は実質的に共和党の提灯持ちをしていたわけだ。でも、もし経済学業界全体が、過去30年にわたりこれほどひどい迷子になっていなければ、彼らはそんなことを言いだそうとはしなかったはずだし、あれほど無知をさらけだしたりもしなかっただろう。
…危機開始から4年たった今、財政政策に関するすぐれた研究(そのほとんどが若い経済学者によるものだ)がますます増えつつある-そうした研究は概ね、財政刺激は有効だと裏付けるもので、暗黙にもっと大規模な財政刺激をすべきだと示唆している。
リーマン・ショック後の、財政政策と、金融政策は、下記をご覧ください。
参照ください
↓
マクロ経済学のミクロ的基礎づけその5/5
FRB(ベン・バーナンキ議長、元プリンストン大学教授)の金融政策については、下記をご覧ください。
参照ください
↓
日銀理論
じゃあ、「新古典派『最先端モデル』VS ニューケインジアン」は、どっちが正しいの?となりますが、どっちも成り立ちます。前提となる「仮定」次第だからです。・・・だから、経済学は信用されないのか、はたまた、「この場合においては」と、正直なのか・・・
ケインズは、モデルについてこのように述べています。
根井雅弘「20世紀をつくった経済学」ちくまプリマ―新書 2011
経済学は、現代世界に適したモデルの選択技術と結びついたモデルによって志向する学問です。それがそうならざるをえないのは、典型的な自然科学とは違って、経済学が適用される素材が多くの点で時間を通じて同質的ではないからです。
つまり、現実世界は多様であり、時間的にも、空間的にも、同じものなど存在しないということですね。
モデルの目的は、半永久的ないし相対的に不変の要因を一時的ないし変動的な要因から分離することによって、後者について思考し、またそれが特定の場合において惹起(じゃっき)する時間的継起についての論理的な方法を開発することなのです。
現実世界で、必要でないものや、一時的な要因などを捨象することによって、本質をあぶり出し、その本質について考え、相次いで起こる現実(例えば、リーマン・ショックや、EU危機)について論理的に考えようというものです。だから、道具なのです。
同じ表現が、ハロッドへの書簡として述べられています。
吉川洋『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』ダイヤモンド社2009
経済学は、理論モデルを通して考える科学と、現実の世界を理解するうえで適切なモデルを選ぶ技術がむすびついた学問だ。経済学はこうしたものにならざるをえない。なぜなら自然科学と違って分析対象が多くの点で時間とともにその性質を変えてしまうからだ。
理論モデルの目的は、ほぼ一定の要素を、一時的あるいは変動する要素から分離することにより後者について論理的に考え、またそうした要因がそれぞれ個別のケースでどのように現れてくるのかを理解する道順をつけるところにある。優れたエコノミストがほとんどいないのは、注意深い観察を通して適切な理論モデルを選ぶ能力を持つ人が、特に専門的な技術を必要とするわけではないにもかかわらずほとんどいないからだ。
江口允崇(慶大)
日経「やさしい経済学」
経済学というのは、前提によって結果が全く変わる。伝統的モデルにしろ、DSGEモデルにしろ、完璧なモデルなど存在しない。有用な点と間違っている点があるので、使いようが肝心なのである。
軽貨物車と、高級セダンのちがいです。街中の配達には、小回りが利く軽自動車が有利ですし、高速道路を使ったドライブには、高級セダンが楽です。どっちも「必要」ですよね。
洋の東西を問わず、同じなんですね。
渡辺努『デフレ是正へ新たな手段』日経H22.9.27
…金利ゼロの世界での金融政策は中央銀行にとって未踏の領域であり、試行錯誤で進まざるを得ない。未踏の領域で当惑しているのは研究者も同じであり、金利ゼロの経済でいかにして物価を制御するかについてコンセンサスはいまだ得られていない。
…ポール・クルーグマン米プリンストン大学教授はゼロ金利の世界を、常識と非常識が交錯する「アリスの『鏡の国』にたとえた…。
theme : マクロ経済学 ミクロ経済学
genre : 政治・経済