WTO・FTA/EPA・TPP その4 金融面
<自由貿易体制の背景>
では、GATT・IMF体制が構築される経緯について、押さえておきましょう。
参考文献
新岡智他編『国際経済政策論』有斐閣 2005 第1章
桜井・小野塚編『グローバル化の政治経済学』晃洋書房 1998 第4章
井村喜代子『現代日本経済論』(新版) 有斐閣 2000 p.286~
上川・矢後編『国際金融史』有斐閣 2007 第3、4、6章
1944年夏 連合国通貨金融会議(ブレトンウッズ会議)が開かれます。そこで、第2次大戦に至る原因として、1930年代の 「近隣窮乏化」政策があったことが、要因として指摘されました。
「近隣窮乏化政策」とは、為替を切り下げ、自国通貨を安くすることによる、輸出促進、および高関税化による、輸入抑制のことです。
1930年にアメリカで成立したスムート=ホーレー法により,アメリカの平均関税率は40%前後に達しました。各国からアメリカへの輸出は急激に落ち込み,1932年,イギリス連邦が,広大な領域を他国に対して閉ざし,フランスも続きます。このように,各国は封鎖的な経済圏ブロックを作ったのです。ブロック内の経済を密にし,ブロック外の国々の商品に対しては,輸入の禁止・制限,高率の関税をかけたのです。植民地を持たない日本や、ドイツは、これで参ってしまいました。
東京書籍 『資料 新総合政・経』最新版 2005 p170

(1)
第2次大戦の原因の共通認識=1930年代「近隣窮乏化」政策
スターリング・ブロック
フラン・ブロック
ドル・ブロック(ラテンアメリカと)
ドイツ→自給自足へ→ナチスへ
:自給できないと、進出せざるを得ない→植民地再分割
↓
第2次大戦へ
(2)
第2次大戦への反省
1920年代後半のアメリカ経済の過熱化(投機ブーム)・・バブル
↓
1929年10月24日 NY株式市場の大暴落
↓
アメリカの景気後退=1/4が失業・倒産→大不況
これが、「モノ・サービス面」の実体経済と、カネの動きである、金融経済の流れを、逆流させることになりました。
①
実物経済では、例えばチリ→鉄鉱石→アメリカという流れが途絶えます。
A為替切り下げ=輸出促進
B高関税率=輸入制限
・輸出による生産増加+輸入を通じた需要流出阻止=国内経済刺激
=近隣窮乏化政策=殖民地体制の強化によるブロック経済化
スターリング・ブロック、フラン・ブロック、ドル・ブロック
ドイツ生存圏、円ブロック(大東亜共栄圏)
=世界貿易の縮小→各国の生き残りをかけた勢力圏の拡大
↓
植民地分割闘争
↓
第2次大戦
②
金融経済では、世界の流れを激変させます。(ヨーロッパからアメリカへの資本の逆流)
それまでは、下記のような流れで、カネが回っていました。

第一次大戦によって課せられた、巨額の賠償金を抱えるドイツにとっては、致命傷になります。
各国は、為替切り下げを行いますが、これがかえって、ブロック経済化に拍車をかけることになります。
金流出阻止
↓
金本位制離脱
↓
相手国との交換比率が分からなくなる
↓
為替が大きく変動する可能性
↓
輸出業者は、自国通貨での決済を要求する
↓
貿易リスク拡大
↓
貿易縮小
↓
ブロック経済化
<アメリカvsイギリスの攻防>
このような、世界経済の反省に立って、「自由貿易推進」を目指す、ブレトンウッズ会議が開かれますが、そこでは、圧倒的な経済大国になった、新興国アメリカと、もう一度ポンドを基軸通貨に戻したいイギリスの攻防が繰り広げられます。
アメリカルーズベルト政権下で、財務次官補だったホワイト案と、イギリスのケインズ案が対立します。
画像 ウイキペディア 「ハリー・ホワイト」より
左が、ホワイト、右がケインズ

当時のアメリカは、真の意味で、「世界唯一の経済大国」でした。資本主義世界の鉱工業生産の6割以上、金保有では7割、世界自動車生産の7割を占めていました。また、翌年には原子爆弾を完成させ、原子力や、電子工業、航空機産業、石油化学工業でも圧倒的に世界をリードしていました。
ですが、第2次世界大戦の特に軍需特需による過剰生産力の顕在化は不可避的状況でした。このままでは、需要不足により、恐慌の可能性があります。ですから、海外市場の開拓、つまり、自由貿易体制構築は、アメリカにとって必然でした。
一方のイギリスです。依然としてポンド・ブロック+スターリング・ブロック(イギリスを中心とした北欧・中東経済圏)は世界の1/4地域を占めています。イギリスは、パクスブリタニカの延命・存続、ブロックを基盤にした戦後復興を狙っていました。
アメリカにとって、このブロックは完全に邪魔な存在です。これを解体し、輸出市場を確保し、安定的世界市場を構築することが狙いでした。

結果的には、ホワイト案を中心に、ケインズ案を一部採用する形で、合意しました。ブレトン・ウッズ協定=後の、IMF/GATT体制です。
<IMF/GATT体制>
枠組みは、次のような形です。まず、1944年7月、通貨価値の安定を担う、IMF(国際通貨基金)と、戦後復興を担うIBRD(国際復興開発銀行)の設立が合意されました。
IMFは加盟国による拠出金によって運営され、短期の緊急融資を行う(国際収支の赤字などの理由による)、銀行です。IBRD(国際復興開発銀行)は、ヨーロッパを中心に、戦後復興の資金を援助する機関です。
1945年には、アメリカによる「世界貿易および雇用の拡大に伴う提案」がなされ、1947年に国連によるITO(国際貿易機構)の設立が提案されました(ハバナ憲章)。しかし、この提案は、各国で批准されず(冷戦下の状態です)、暫定的に、ハバナ憲章の中の「貿易・関税・紛争処理」部分がGATTとして合意されました。ですので、GATTは、協定であり、機関ではありません。ここに、戦後のIMF/GATT体制が始まったのです。
(1)IMFの機能
国際通貨とは、国際決済に使用される通貨のことです。その条件として、次の4つがあります。
①自由な交換
②価値の安定(極端な、インフレ通貨は困ります)
③利便性
④受領性(アメリカドルを日本が受け取って、石油を買えば、中東が受け取ってくれる)
その中で、IMFの役割は、金による価値の裏づけを持つ、ドルを基軸とする固定相場のもと、ドルと各国通貨との交換比率の安定化=為替リスクの封じ込めにあります。つまり、「国家による制御」=ケインズ思想の結実です。

1ドルは、360円±1%とされていました。
貿易赤字なら、ドル支払いが大きくなります。民間為替銀行は、「円売りドル買い」です。円安圧力がかかります(例:370円になる)。そこで、日銀は逆に「ドル売り円買い」を行い、360円にします。外国為替口座にドルを貯めたいので、貿易黒字が望ましいことになります。
結果として、為替が安定し、貿易取引に関する各国の自国通貨と他国通貨との交換の自由化促進・決済がスムーズに行われるようになりました。
(2)トリレンマ論
国際金融制度には3要素があり、これらは、同時に成立するのが、不可能な三位一体(同時に3つは達成できない) とされています。
①資本移動の自由
②固定相場制
③金融政策の独立性

IMFは,3つの要素のうち、①資本移動の自由化を放棄しました。資本移動の自由化とは、例えば外国の株や債券を買うなどの、海外投資のことです。②固定相場制の目的は、為替リスクの封じ込めにあります。③金融政策の独立性は、完全雇用の実現にあります。この3つは同時に達成することが不可能です。
例えば、ある国が「不況」だとします。「金融政策」を発動し、金融緩和をします。そうすると、金利が下がります。金利が下がると、資本(カネ)は、高金利の国へシフトします(資本移動)。そうすると、固定相場制が成り立たなくなります。
この場合、
①資本移動の自由○
②固定相場制×
③金融政策○
となります。現在の日本やアメリカです。
一方、現在の中国の場合、
①資本移動の自由×
②固定相場制○
③金融政策○
となっています。中国が「元」通貨を国内限定(一部香港市場などありますが)にしているのは、このような背景があるからです。ちなみに、元を変動相場制にするということは、元⇔他国通貨の自由化(資本移動の自由化)が必要です。
(3)通貨制度と国際通貨
国際通貨制度には、19世紀に確立した金本位制度と、第一次大戦後に登場した管理通貨制度があります。
金本位制度の場合、 金=自国通貨量なので、中央銀行は、金に縛られることになります。
一方、管理通貨制(1㌦=360円)の場合、各国は、金融政策が可能(ケインズ政策)です。ただし、中央銀行はドルに縛られることになります。現在は、変動相場制なので、ドルに縛られることはありません。
IMF/GATT体制では、対内的に、金の呪縛から開放され、政府・中央銀行による自立的な財政・金融政策が可能になりました(実は、後述のようにそうではなかったのですが・・)。
また、対外的に、固定相場維持(金本位制と同じ効果を発揮)ですので、為替リスクはありません。これにより、対内均衡(完全雇用)と、対外均衡(貿易収支)の同時達成が可能なものとして期待されたのです。
<ブレトンウッズ体制に内在する問題点>
(1)非対称性問題(N-1問題)
ブレトン・ウッズ(スミソニアン)体制=固定為替相場制のもとでは、アメリカ一国だけが、金融政策が自由です。一方、自国通貨をドルに固定する各国は、自由な金融政策がとれません。これを非対称性問題(N-1問題)といいます。Nは通貨数、-1の1はアメリカ、1だけが自由で、N-1国は不自由なのです。
①
唯一アメリカのみが固定相場制維持の義務を持たない⇔介入するのは各国中央銀行のみ
↓
「国際収支天井」がない=マクロ経済運営に対外的制約がない
②
(N-1)国
好況期:輸出増→輸入増(原材料輸入増)
↓
ドル需要増
↓
ドル高
↓
固定相場維持のため、円買い・ドル売り
↓
マネー・サプライ減少=金融引き締め
↓
経済成長率DOWN
↓
不況
アメリカは、完全雇用達成のために金融政策を継続できます。しかし、それ以外の国では、金融緩和→輸入拡大→貿易赤字拡大→自国通貨安➯固定相場維持義務(金融引き締め)となるのです。
また、アメリカが拡張的なケインズ政策採用するとします。金融緩和です。マネーサプライ増(ドル増)です。
ドル供給が増えると、ドルが安くなります。固定相場制なので、各国中央銀行はドル買いをします。日本はドル買い・円売りです。
円のマネーサプライ(供給量)は増えます。結果、モノ・サービスの生産量<貨幣量となり、インフレになってしまうのです。
ということは、(N-1)国は、 「アメリカと同じインフレ率を維持しなければならない」ということになります。実際に、アメリカ国内のインフレは、世界的に波及したのです。
貿易黒字の持続的な拡大
↓
マルクや円はマルク高・円高に
(日本・西独には、円とマルクでの支払になるため、ドルを売って、円・マルクを求める動きが活発化)
↓
円高・マルク高に
ところが、ブレトン・ウッズ、体制下、日本と西独は、固定相場を維持しなければなりません。日本の場合、1ドル=360(308)円の上下1%以内に固定するというものです。
円が、360円の1%(356.3円)を上回って円高になったとします。これを防止するために、中央銀行(日銀)は、円売り・ドル買いを実施します(西独の場合マルク売り・ドル買い)。
その結果、両国のマネーサプライ(貨幣量)が増大します。高度成長期(完全雇用状態に近い)にマネーサプライ(貨幣量)が増加すると、モノ・サービスの生産量<貨幣量となり、インフレになってしまうのです。
参考文献 岩田規久男『国際金融入門』岩波新書2009 p208~
日本は、1973年の2月14日から、変動相場制に移行するのですが、2月1日~9日の間に、日銀は、11~12億ドルのドル買い介入をしました。これは、当時の東京市場での9割を占める額です。
ヨーロッパでも1973年3月2日には、固定相場制をやめるのですが、西独の中央銀行は3月1日午前中だけで、20億ドル、1日で25~27億ドルのドル買い介入をしました。未だかつてない、そして将来もないと言われた介入額です。
これらの為替介入の結果、両国は「自国の貨幣供給量が管理不可能なほど増大する(同書p208)」結果になってしまったのです。「狂乱物価」ですね。
ただし、アメリカのケインズ政策採用=アメリカのみならず、世界経済全体の拡張政策となりました。
(2)金による価値保障

上の図では、金から各国通貨まで、線で結ばれています。しかし、実は、色分けされた部分に違いがあるのです。
青い部分=ドルを裏付ける金(1オンス=$35)はIMF機構の外にあるのです。=アメリカ合衆国内部の「1934年金準備法(国内法)」に依拠しているだけなのです。
ですので、アメリカは、自国の判断で、全く、本当に、突然、金ドル交換停止(1971年8月15日)を発表しました。ドルショックとか、ニクソンショックと言われるものです。
アメリカ基礎収支赤字の拡大
↓
アメリカ国際収支危機
↓
ドル危機
↓
ドルと金との交換要求
↓
アメリカからの金流出とまらず
↓
金カバー率(対外公的当局のドル/アメリカ金準備)が100%を切る状態
66年105.6% 67年86.0% 68年96.2% 69年107.3%
↓
70年57.4% 71年26.2%
↓
金ドル交換停止
ここに、戦後の国際貿易・金融体制の中心、ブレトンウッズ体制は崩壊したのです。
<揺らぐドル機軸体制>
全文引用です。ドルが、基軸通貨になっていますが、それは、IMF/GATT体制における、金・ドルペッグ制と同じように、国際的な法律(協定)に基づくものではありません。ドルを「基軸通貨」とする合意はないのです。ですから、アメリカはフリーハンドで、ドルを発行できます。その矛盾を指摘している論文です。
夏斌(かひん)中国人民銀行金融政策委員
『揺らぐドル機軸体制(下) 人民元、主役交代には時間』日経 H23.7.1

1971年に米国がドルと金の交換を停止し、戦後の国際通貨制度を規定したブレトンウッズ体制が崩壊した。それ以来、米国の相対的な国力が低下し、ドルの国際通貨体制における地位は大きく変化した。21世紀に入り世界経済の融合が一段と進み、新興市場国の国際経済に占める地位は徐々に上かっている。こうした状況下でドルを基軸通貨とする体制は、現実に合わない面が大きくなっている。
2008年に米国で金融危機がぼっ発し、ドル基軸体制が抱える致命的な欠陥はこれまで以上に明らかになった。すなわち米国が自国の都合でドルを発行し、国際的にドルの発行量を調節するメカニズムがないという欠陥だ。
IT(情報技術)バブルが崩壊した01年以降、米国は長期にわたって誤った低金利政策を推進し、信用の拡大を通じて資産価格の上昇を促した。それによって一時的な繁栄を享受した。
新興国の側にも問題がなかったわけではない。安価な労働力でつくった商品や、資源などを輸出してきた新興国はグローバル化の恩恵にあずかり、利益をひたすら追求した。「輸出から内需主導への転換」という自身の構造調整を怠り、無意識のうちに米国の誤った政策を助けてしまった。米国に輸出して得た資金を米国に投資してバブルを膨らませた。世界的な経済の不均衡が拡大し、最後に金融危機が起きた。
米国政府がこのような誤った政策を長期にわたって推進できたのは、ドルが国際通貨システムを主導し、世界が準備通貨の発行量を制限できないという深刻な制度上の問題に起因する。
米国は何の制約も受けず、米景気を回復させたいという自らの利益に基づいてドルを大量に発行してきた。昨年秋に打ち出した量的緩和策の第2弾(QE2)はその典型だ。ドルの無秩序な発行は必然的に世界的な商品価格の上昇やインフレを引き起こした。余ったお金は高い利回りを求めて米国の外にあふれ出し、中国など新興国に投機資金が流れ込んだ。20力国・地域(G20)の場で大多数の国が国際通貨システムの改革を訴えているのは当然だ。
しかし、ドルが主導する国際通貨システムの改革は極めて困難で、とても長い過程であることにも目を向けなければならない。危機が最も深刻だった時期に、世界の市場参加者はリスクを避けるための通貨としてドルを選択するしかなかった。それは現時点でドルに代わる通貨がないことを意味する。
国際通貨システムは人為的に変えようとして変えられるものではない。長い時間をかけ、最後は国家間の経済力の比較で決まる。米国は19世紀末に国内総生産(GDP)で英国を上回っていた。しかし、ドルがポンドに代わって基軸通貨の地位を確立したのは1944年だ。ポンドの地位を奪うまで数十年の時聞かかかったことになる。
世界の経済成長の原動力はすでに新興国、アジア諸国に移っているが、それは現在の世界経済の構造を根本的に変えるものではない。米国は今なお世界一の経済大国の地位を保っている。ドルは今後も相当長い時間にわたり最も重要な準備通貨であり続ける。
仮に直ちに、多くの国が自国通貨の国際化を進め、地域内の金融・通貨協力を強化してドルの代替を目指す仕組みをつくったとしても、それはドルヘの過度の依存を減らし、準備通貨を多元化させる動きにすぎない。歴史的にみてドルが下り坂にあるのは確かだが、世界は当面、1944年にドルがポンドに取って代わったような現象を見るに至らないだろう。
ブレトンウッズ体制の産物である国際通貨基金(IMF)は生まれつき力不足なだけでなく、世界経済の変化を反映していない。まず主要な先進国を監視し、その行動を拘束する力がない。資本のグローバル化と不均衡に警告を発して対応しようにも実力が伴っていない。しかも世界経済の新たなけん引役である新興国は、IMFの中で必要な発言権を与えられていない。
理事会の投票権の見直しやストロスカーン専務理事の退任を機に、IMFの改革を巡る議論が非常に活発だ。ただ、肝に銘じておかなければならないのは米国が15%以上の投票権を握り事実上の拒否権を持っている限り、これらの問題はいずれも「周辺のニュース」にすぎないということだ。
あまり執着する必要はないし、ましてや巨大な代価を支払うべきではない。IMFは変革が必要だが、米国が積極的な態度を取らない限り、改革は大きく前に進まない。
ドル、ユーロ、ポンド、円で構成しているSDR(IMFの特別引き出し権)の調整も同じだ。(人民元を構成通貨に加えるなどの)SDR改革はIMFが世界を代表する地位を高めるために必要であり、我々はSDRをより合理的に設計し、さらに大きな効果を発揮するように希望する。しかし、それには長く困難な道が待ち受けている。長期にわたってドルの中心的な地位が続くとすれば、現実的に取り得る改革の選択肢は国際通貨システムの多元化しかない。貿易決済や外貨準備に占めるドルの割合を徐々に減らし、ユーロ、ポンド、円の比率を増やすことだ。人民元の国際化も、現在の国際通貨システムの欠陥を穴埋めするうえで役に立つ。
発展途上国は経済と金融のグローバル化の過程で、基軸通貨国の通貨や金融サービスに過度に頼らなければならず、このことが往々にして発展の不確実性とリスクを高めている。だからこそ、人民元の国際化は中国の金融開放の核心的な利益である。たとえ10年努力して世界の準備通貨に占める人民元の割合が3~5%にとどまったとしても、人民元の国際化は国内の構造改革を加速し、経済成長の効率を高める意義はある。
もちろんもし人民元が主要通貨の一つになり、ユーロなど他の準備通貨とともにドルと競争できる存在になれば、世界経済の不均衡をもたらす原因を取り除く助けになる。人民元の国際化の過程で中国がもしアジア各国と有効な金融・通貨協力を実現し、域内の為替安定メカニズムと共通通貨の創設を追求すれば、それもアジアと世界経済の発展にとって良いことである。
人民元の国際化は中国の為替制度がまだ完全な変動相場制でなく、資本取引に制限がある中で進んでいる。このことは人民元の国際化の過程が、世界の主要な準備通貨が歩んだ道のりとは異なり、歴史上、かつてなかった現象であることを意味する。
我々は中国の為替制度が将来的には、現在の国際社会が主導する変動相場制に組み込まれていくと判断している。しかし2020年までの問は中国経済が直面する多くの改革と、金融危機後の世界経済が経験する大規模な構造調整の動向を見ながら為替制度を決めなければならない。
すなわち通貨バスケットを参考にした管理変動相場制の継続(もちろん変動幅や変動の頻度、バスケットを構成する通貨などの調整はあり得る)が現実的な選択だ。それは完全な変動相場制ではないが、中国経済の特徴に合致している。徐々に変動相場制に移行すれば、資本項目の開放も必然的に進む。
人民元をアジア地域で使える通貨にするカギは3つある。第一に人民元を様々な手段で国外に出すこと。第二に人民元を国外で、預金や貸し出し、決済や資産管理、投資、為替リスクヘッジなどあらゆる業務で徐々に使えるようにすること。それによって市場取引を一定規模にする。
第三に国外の企業や金融機関、個人の参加で国外の人民元市場と取引活動を拡大する。その際には国外の企業や個人が中国政府の許可する人民元交換の手段を通じ、中国経済の高成長の利益を得られるようにする。そうでなければ国外の企業や個人は人民元を積極的に持とうとしない。
同時に国際機関や世界各国の力を十分に利用し、国際通貨システムを改善する必要がある。それは主要な準備通貨の発行国の通貨乱発に適切な制限を加えることだ。アジアにおける金融協力推進の過程で大同団結を求め、人民元がアジア域内で「重要な通貨」であるというイメージを積極的につくり出すことも大切だ。
では、GATT・IMF体制が構築される経緯について、押さえておきましょう。
参考文献
新岡智他編『国際経済政策論』有斐閣 2005 第1章
桜井・小野塚編『グローバル化の政治経済学』晃洋書房 1998 第4章
井村喜代子『現代日本経済論』(新版) 有斐閣 2000 p.286~
上川・矢後編『国際金融史』有斐閣 2007 第3、4、6章
1944年夏 連合国通貨金融会議(ブレトンウッズ会議)が開かれます。そこで、第2次大戦に至る原因として、1930年代の 「近隣窮乏化」政策があったことが、要因として指摘されました。
「近隣窮乏化政策」とは、為替を切り下げ、自国通貨を安くすることによる、輸出促進、および高関税化による、輸入抑制のことです。
1930年にアメリカで成立したスムート=ホーレー法により,アメリカの平均関税率は40%前後に達しました。各国からアメリカへの輸出は急激に落ち込み,1932年,イギリス連邦が,広大な領域を他国に対して閉ざし,フランスも続きます。このように,各国は封鎖的な経済圏ブロックを作ったのです。ブロック内の経済を密にし,ブロック外の国々の商品に対しては,輸入の禁止・制限,高率の関税をかけたのです。植民地を持たない日本や、ドイツは、これで参ってしまいました。
東京書籍 『資料 新総合政・経』最新版 2005 p170

(1)
第2次大戦の原因の共通認識=1930年代「近隣窮乏化」政策
スターリング・ブロック
フラン・ブロック
ドル・ブロック(ラテンアメリカと)
ドイツ→自給自足へ→ナチスへ
:自給できないと、進出せざるを得ない→植民地再分割
↓
第2次大戦へ
(2)
第2次大戦への反省
1920年代後半のアメリカ経済の過熱化(投機ブーム)・・バブル
↓
1929年10月24日 NY株式市場の大暴落
↓
アメリカの景気後退=1/4が失業・倒産→大不況
これが、「モノ・サービス面」の実体経済と、カネの動きである、金融経済の流れを、逆流させることになりました。
①
実物経済では、例えばチリ→鉄鉱石→アメリカという流れが途絶えます。
A為替切り下げ=輸出促進
B高関税率=輸入制限
・輸出による生産増加+輸入を通じた需要流出阻止=国内経済刺激
=近隣窮乏化政策=殖民地体制の強化によるブロック経済化
スターリング・ブロック、フラン・ブロック、ドル・ブロック
ドイツ生存圏、円ブロック(大東亜共栄圏)
=世界貿易の縮小→各国の生き残りをかけた勢力圏の拡大
↓
植民地分割闘争
↓
第2次大戦
②
金融経済では、世界の流れを激変させます。(ヨーロッパからアメリカへの資本の逆流)
それまでは、下記のような流れで、カネが回っていました。

第一次大戦によって課せられた、巨額の賠償金を抱えるドイツにとっては、致命傷になります。
各国は、為替切り下げを行いますが、これがかえって、ブロック経済化に拍車をかけることになります。
金流出阻止
↓
金本位制離脱
↓
相手国との交換比率が分からなくなる
↓
為替が大きく変動する可能性
↓
輸出業者は、自国通貨での決済を要求する
↓
貿易リスク拡大
↓
貿易縮小
↓
ブロック経済化
<アメリカvsイギリスの攻防>
このような、世界経済の反省に立って、「自由貿易推進」を目指す、ブレトンウッズ会議が開かれますが、そこでは、圧倒的な経済大国になった、新興国アメリカと、もう一度ポンドを基軸通貨に戻したいイギリスの攻防が繰り広げられます。
アメリカルーズベルト政権下で、財務次官補だったホワイト案と、イギリスのケインズ案が対立します。
画像 ウイキペディア 「ハリー・ホワイト」より
左が、ホワイト、右がケインズ

当時のアメリカは、真の意味で、「世界唯一の経済大国」でした。資本主義世界の鉱工業生産の6割以上、金保有では7割、世界自動車生産の7割を占めていました。また、翌年には原子爆弾を完成させ、原子力や、電子工業、航空機産業、石油化学工業でも圧倒的に世界をリードしていました。
ですが、第2次世界大戦の特に軍需特需による過剰生産力の顕在化は不可避的状況でした。このままでは、需要不足により、恐慌の可能性があります。ですから、海外市場の開拓、つまり、自由貿易体制構築は、アメリカにとって必然でした。
一方のイギリスです。依然としてポンド・ブロック+スターリング・ブロック(イギリスを中心とした北欧・中東経済圏)は世界の1/4地域を占めています。イギリスは、パクスブリタニカの延命・存続、ブロックを基盤にした戦後復興を狙っていました。
アメリカにとって、このブロックは完全に邪魔な存在です。これを解体し、輸出市場を確保し、安定的世界市場を構築することが狙いでした。

結果的には、ホワイト案を中心に、ケインズ案を一部採用する形で、合意しました。ブレトン・ウッズ協定=後の、IMF/GATT体制です。
<IMF/GATT体制>
枠組みは、次のような形です。まず、1944年7月、通貨価値の安定を担う、IMF(国際通貨基金)と、戦後復興を担うIBRD(国際復興開発銀行)の設立が合意されました。
IMFは加盟国による拠出金によって運営され、短期の緊急融資を行う(国際収支の赤字などの理由による)、銀行です。IBRD(国際復興開発銀行)は、ヨーロッパを中心に、戦後復興の資金を援助する機関です。
1945年には、アメリカによる「世界貿易および雇用の拡大に伴う提案」がなされ、1947年に国連によるITO(国際貿易機構)の設立が提案されました(ハバナ憲章)。しかし、この提案は、各国で批准されず(冷戦下の状態です)、暫定的に、ハバナ憲章の中の「貿易・関税・紛争処理」部分がGATTとして合意されました。ですので、GATTは、協定であり、機関ではありません。ここに、戦後のIMF/GATT体制が始まったのです。
(1)IMFの機能
国際通貨とは、国際決済に使用される通貨のことです。その条件として、次の4つがあります。
①自由な交換
②価値の安定(極端な、インフレ通貨は困ります)
③利便性
④受領性(アメリカドルを日本が受け取って、石油を買えば、中東が受け取ってくれる)
その中で、IMFの役割は、金による価値の裏づけを持つ、ドルを基軸とする固定相場のもと、ドルと各国通貨との交換比率の安定化=為替リスクの封じ込めにあります。つまり、「国家による制御」=ケインズ思想の結実です。

1ドルは、360円±1%とされていました。
貿易赤字なら、ドル支払いが大きくなります。民間為替銀行は、「円売りドル買い」です。円安圧力がかかります(例:370円になる)。そこで、日銀は逆に「ドル売り円買い」を行い、360円にします。外国為替口座にドルを貯めたいので、貿易黒字が望ましいことになります。
結果として、為替が安定し、貿易取引に関する各国の自国通貨と他国通貨との交換の自由化促進・決済がスムーズに行われるようになりました。
(2)トリレンマ論
国際金融制度には3要素があり、これらは、同時に成立するのが、不可能な三位一体(同時に3つは達成できない) とされています。
①資本移動の自由
②固定相場制
③金融政策の独立性

IMFは,3つの要素のうち、①資本移動の自由化を放棄しました。資本移動の自由化とは、例えば外国の株や債券を買うなどの、海外投資のことです。②固定相場制の目的は、為替リスクの封じ込めにあります。③金融政策の独立性は、完全雇用の実現にあります。この3つは同時に達成することが不可能です。
例えば、ある国が「不況」だとします。「金融政策」を発動し、金融緩和をします。そうすると、金利が下がります。金利が下がると、資本(カネ)は、高金利の国へシフトします(資本移動)。そうすると、固定相場制が成り立たなくなります。
この場合、
①資本移動の自由○
②固定相場制×
③金融政策○
となります。現在の日本やアメリカです。
一方、現在の中国の場合、
①資本移動の自由×
②固定相場制○
③金融政策○
となっています。中国が「元」通貨を国内限定(一部香港市場などありますが)にしているのは、このような背景があるからです。ちなみに、元を変動相場制にするということは、元⇔他国通貨の自由化(資本移動の自由化)が必要です。
(3)通貨制度と国際通貨
国際通貨制度には、19世紀に確立した金本位制度と、第一次大戦後に登場した管理通貨制度があります。
金本位制度の場合、 金=自国通貨量なので、中央銀行は、金に縛られることになります。
一方、管理通貨制(1㌦=360円)の場合、各国は、金融政策が可能(ケインズ政策)です。ただし、中央銀行はドルに縛られることになります。現在は、変動相場制なので、ドルに縛られることはありません。
IMF/GATT体制では、対内的に、金の呪縛から開放され、政府・中央銀行による自立的な財政・金融政策が可能になりました(実は、後述のようにそうではなかったのですが・・)。
また、対外的に、固定相場維持(金本位制と同じ効果を発揮)ですので、為替リスクはありません。これにより、対内均衡(完全雇用)と、対外均衡(貿易収支)の同時達成が可能なものとして期待されたのです。
<ブレトンウッズ体制に内在する問題点>
(1)非対称性問題(N-1問題)
ブレトン・ウッズ(スミソニアン)体制=固定為替相場制のもとでは、アメリカ一国だけが、金融政策が自由です。一方、自国通貨をドルに固定する各国は、自由な金融政策がとれません。これを非対称性問題(N-1問題)といいます。Nは通貨数、-1の1はアメリカ、1だけが自由で、N-1国は不自由なのです。
①
唯一アメリカのみが固定相場制維持の義務を持たない⇔介入するのは各国中央銀行のみ
↓
「国際収支天井」がない=マクロ経済運営に対外的制約がない
②
(N-1)国
好況期:輸出増→輸入増(原材料輸入増)
↓
ドル需要増
↓
ドル高
↓
固定相場維持のため、円買い・ドル売り
↓
マネー・サプライ減少=金融引き締め
↓
経済成長率DOWN
↓
不況
アメリカは、完全雇用達成のために金融政策を継続できます。しかし、それ以外の国では、金融緩和→輸入拡大→貿易赤字拡大→自国通貨安➯固定相場維持義務(金融引き締め)となるのです。
また、アメリカが拡張的なケインズ政策採用するとします。金融緩和です。マネーサプライ増(ドル増)です。
ドル供給が増えると、ドルが安くなります。固定相場制なので、各国中央銀行はドル買いをします。日本はドル買い・円売りです。
円のマネーサプライ(供給量)は増えます。結果、モノ・サービスの生産量<貨幣量となり、インフレになってしまうのです。
ということは、(N-1)国は、 「アメリカと同じインフレ率を維持しなければならない」ということになります。実際に、アメリカ国内のインフレは、世界的に波及したのです。
貿易黒字の持続的な拡大
↓
マルクや円はマルク高・円高に
(日本・西独には、円とマルクでの支払になるため、ドルを売って、円・マルクを求める動きが活発化)
↓
円高・マルク高に
ところが、ブレトン・ウッズ、体制下、日本と西独は、固定相場を維持しなければなりません。日本の場合、1ドル=360(308)円の上下1%以内に固定するというものです。
円が、360円の1%(356.3円)を上回って円高になったとします。これを防止するために、中央銀行(日銀)は、円売り・ドル買いを実施します(西独の場合マルク売り・ドル買い)。
その結果、両国のマネーサプライ(貨幣量)が増大します。高度成長期(完全雇用状態に近い)にマネーサプライ(貨幣量)が増加すると、モノ・サービスの生産量<貨幣量となり、インフレになってしまうのです。
参考文献 岩田規久男『国際金融入門』岩波新書2009 p208~
日本は、1973年の2月14日から、変動相場制に移行するのですが、2月1日~9日の間に、日銀は、11~12億ドルのドル買い介入をしました。これは、当時の東京市場での9割を占める額です。
ヨーロッパでも1973年3月2日には、固定相場制をやめるのですが、西独の中央銀行は3月1日午前中だけで、20億ドル、1日で25~27億ドルのドル買い介入をしました。未だかつてない、そして将来もないと言われた介入額です。
これらの為替介入の結果、両国は「自国の貨幣供給量が管理不可能なほど増大する(同書p208)」結果になってしまったのです。「狂乱物価」ですね。
ただし、アメリカのケインズ政策採用=アメリカのみならず、世界経済全体の拡張政策となりました。
(2)金による価値保障

上の図では、金から各国通貨まで、線で結ばれています。しかし、実は、色分けされた部分に違いがあるのです。
青い部分=ドルを裏付ける金(1オンス=$35)はIMF機構の外にあるのです。=アメリカ合衆国内部の「1934年金準備法(国内法)」に依拠しているだけなのです。
ですので、アメリカは、自国の判断で、全く、本当に、突然、金ドル交換停止(1971年8月15日)を発表しました。ドルショックとか、ニクソンショックと言われるものです。
アメリカ基礎収支赤字の拡大
↓
アメリカ国際収支危機
↓
ドル危機
↓
ドルと金との交換要求
↓
アメリカからの金流出とまらず
↓
金カバー率(対外公的当局のドル/アメリカ金準備)が100%を切る状態
66年105.6% 67年86.0% 68年96.2% 69年107.3%
↓
70年57.4% 71年26.2%
↓
金ドル交換停止
ここに、戦後の国際貿易・金融体制の中心、ブレトンウッズ体制は崩壊したのです。
<揺らぐドル機軸体制>
全文引用です。ドルが、基軸通貨になっていますが、それは、IMF/GATT体制における、金・ドルペッグ制と同じように、国際的な法律(協定)に基づくものではありません。ドルを「基軸通貨」とする合意はないのです。ですから、アメリカはフリーハンドで、ドルを発行できます。その矛盾を指摘している論文です。
夏斌(かひん)中国人民銀行金融政策委員
『揺らぐドル機軸体制(下) 人民元、主役交代には時間』日経 H23.7.1

1971年に米国がドルと金の交換を停止し、戦後の国際通貨制度を規定したブレトンウッズ体制が崩壊した。それ以来、米国の相対的な国力が低下し、ドルの国際通貨体制における地位は大きく変化した。21世紀に入り世界経済の融合が一段と進み、新興市場国の国際経済に占める地位は徐々に上かっている。こうした状況下でドルを基軸通貨とする体制は、現実に合わない面が大きくなっている。
2008年に米国で金融危機がぼっ発し、ドル基軸体制が抱える致命的な欠陥はこれまで以上に明らかになった。すなわち米国が自国の都合でドルを発行し、国際的にドルの発行量を調節するメカニズムがないという欠陥だ。
IT(情報技術)バブルが崩壊した01年以降、米国は長期にわたって誤った低金利政策を推進し、信用の拡大を通じて資産価格の上昇を促した。それによって一時的な繁栄を享受した。
新興国の側にも問題がなかったわけではない。安価な労働力でつくった商品や、資源などを輸出してきた新興国はグローバル化の恩恵にあずかり、利益をひたすら追求した。「輸出から内需主導への転換」という自身の構造調整を怠り、無意識のうちに米国の誤った政策を助けてしまった。米国に輸出して得た資金を米国に投資してバブルを膨らませた。世界的な経済の不均衡が拡大し、最後に金融危機が起きた。
米国政府がこのような誤った政策を長期にわたって推進できたのは、ドルが国際通貨システムを主導し、世界が準備通貨の発行量を制限できないという深刻な制度上の問題に起因する。
米国は何の制約も受けず、米景気を回復させたいという自らの利益に基づいてドルを大量に発行してきた。昨年秋に打ち出した量的緩和策の第2弾(QE2)はその典型だ。ドルの無秩序な発行は必然的に世界的な商品価格の上昇やインフレを引き起こした。余ったお金は高い利回りを求めて米国の外にあふれ出し、中国など新興国に投機資金が流れ込んだ。20力国・地域(G20)の場で大多数の国が国際通貨システムの改革を訴えているのは当然だ。
しかし、ドルが主導する国際通貨システムの改革は極めて困難で、とても長い過程であることにも目を向けなければならない。危機が最も深刻だった時期に、世界の市場参加者はリスクを避けるための通貨としてドルを選択するしかなかった。それは現時点でドルに代わる通貨がないことを意味する。
国際通貨システムは人為的に変えようとして変えられるものではない。長い時間をかけ、最後は国家間の経済力の比較で決まる。米国は19世紀末に国内総生産(GDP)で英国を上回っていた。しかし、ドルがポンドに代わって基軸通貨の地位を確立したのは1944年だ。ポンドの地位を奪うまで数十年の時聞かかかったことになる。
世界の経済成長の原動力はすでに新興国、アジア諸国に移っているが、それは現在の世界経済の構造を根本的に変えるものではない。米国は今なお世界一の経済大国の地位を保っている。ドルは今後も相当長い時間にわたり最も重要な準備通貨であり続ける。
仮に直ちに、多くの国が自国通貨の国際化を進め、地域内の金融・通貨協力を強化してドルの代替を目指す仕組みをつくったとしても、それはドルヘの過度の依存を減らし、準備通貨を多元化させる動きにすぎない。歴史的にみてドルが下り坂にあるのは確かだが、世界は当面、1944年にドルがポンドに取って代わったような現象を見るに至らないだろう。
ブレトンウッズ体制の産物である国際通貨基金(IMF)は生まれつき力不足なだけでなく、世界経済の変化を反映していない。まず主要な先進国を監視し、その行動を拘束する力がない。資本のグローバル化と不均衡に警告を発して対応しようにも実力が伴っていない。しかも世界経済の新たなけん引役である新興国は、IMFの中で必要な発言権を与えられていない。
理事会の投票権の見直しやストロスカーン専務理事の退任を機に、IMFの改革を巡る議論が非常に活発だ。ただ、肝に銘じておかなければならないのは米国が15%以上の投票権を握り事実上の拒否権を持っている限り、これらの問題はいずれも「周辺のニュース」にすぎないということだ。
あまり執着する必要はないし、ましてや巨大な代価を支払うべきではない。IMFは変革が必要だが、米国が積極的な態度を取らない限り、改革は大きく前に進まない。
ドル、ユーロ、ポンド、円で構成しているSDR(IMFの特別引き出し権)の調整も同じだ。(人民元を構成通貨に加えるなどの)SDR改革はIMFが世界を代表する地位を高めるために必要であり、我々はSDRをより合理的に設計し、さらに大きな効果を発揮するように希望する。しかし、それには長く困難な道が待ち受けている。長期にわたってドルの中心的な地位が続くとすれば、現実的に取り得る改革の選択肢は国際通貨システムの多元化しかない。貿易決済や外貨準備に占めるドルの割合を徐々に減らし、ユーロ、ポンド、円の比率を増やすことだ。人民元の国際化も、現在の国際通貨システムの欠陥を穴埋めするうえで役に立つ。
発展途上国は経済と金融のグローバル化の過程で、基軸通貨国の通貨や金融サービスに過度に頼らなければならず、このことが往々にして発展の不確実性とリスクを高めている。だからこそ、人民元の国際化は中国の金融開放の核心的な利益である。たとえ10年努力して世界の準備通貨に占める人民元の割合が3~5%にとどまったとしても、人民元の国際化は国内の構造改革を加速し、経済成長の効率を高める意義はある。
もちろんもし人民元が主要通貨の一つになり、ユーロなど他の準備通貨とともにドルと競争できる存在になれば、世界経済の不均衡をもたらす原因を取り除く助けになる。人民元の国際化の過程で中国がもしアジア各国と有効な金融・通貨協力を実現し、域内の為替安定メカニズムと共通通貨の創設を追求すれば、それもアジアと世界経済の発展にとって良いことである。
人民元の国際化は中国の為替制度がまだ完全な変動相場制でなく、資本取引に制限がある中で進んでいる。このことは人民元の国際化の過程が、世界の主要な準備通貨が歩んだ道のりとは異なり、歴史上、かつてなかった現象であることを意味する。
我々は中国の為替制度が将来的には、現在の国際社会が主導する変動相場制に組み込まれていくと判断している。しかし2020年までの問は中国経済が直面する多くの改革と、金融危機後の世界経済が経験する大規模な構造調整の動向を見ながら為替制度を決めなければならない。
すなわち通貨バスケットを参考にした管理変動相場制の継続(もちろん変動幅や変動の頻度、バスケットを構成する通貨などの調整はあり得る)が現実的な選択だ。それは完全な変動相場制ではないが、中国経済の特徴に合致している。徐々に変動相場制に移行すれば、資本項目の開放も必然的に進む。
人民元をアジア地域で使える通貨にするカギは3つある。第一に人民元を様々な手段で国外に出すこと。第二に人民元を国外で、預金や貸し出し、決済や資産管理、投資、為替リスクヘッジなどあらゆる業務で徐々に使えるようにすること。それによって市場取引を一定規模にする。
第三に国外の企業や金融機関、個人の参加で国外の人民元市場と取引活動を拡大する。その際には国外の企業や個人が中国政府の許可する人民元交換の手段を通じ、中国経済の高成長の利益を得られるようにする。そうでなければ国外の企業や個人は人民元を積極的に持とうとしない。
同時に国際機関や世界各国の力を十分に利用し、国際通貨システムを改善する必要がある。それは主要な準備通貨の発行国の通貨乱発に適切な制限を加えることだ。アジアにおける金融協力推進の過程で大同団結を求め、人民元がアジア域内で「重要な通貨」であるというイメージを積極的につくり出すことも大切だ。
スポンサーサイト
theme : マクロ経済学 ミクロ経済学
genre : 政治・経済