マクロ経済学のミクロ的基礎づけ その3/5
<動きを取り入れたマクロ経済学>

1960年代までは、「ケインズ経済学(ケインジアン)=新古典派総合」全盛期でした。1930年代の不況の後、「政府は景気を良くするために、市場に介入し、失業者をなくすべきだ」という、ケインズの考え方が継承され、Y=C+I+G+NXのG政府支出を拡大して、景気を良くしようという「ケインジアン」という経済学者が、世界中に大きな影響力を持ちました(需要重視)。
西欧では「福祉型」の政府支出、アメリカでは「軍」の政府支出拡大が行われたのです。「大きな政府」路線です。実際に、1960年代は、世界的に成長した時代でした。
ところが、1970年代に入ると、「スタグフレーション」と呼ばれる、「不況なのに、インフレ」という状態になったのです。今の新興国を見ても分かるように、景気の良い時はインフレ、景気の悪い時は日本のようにデフレになるというのが、通常です。
ところが、日本でも、1974年には、「狂乱物価」というすさまじいインフレが起こり、なおかつ、前年の石油危機を受け、戦後初のマイナス成長を記録しました。
各国は、ケインズ政策により、景気を良くしようとしたのですが、失業者は減らず、財政負担が大きくなるばかりでした。
そこで、経済学では、ケインズ政策に対する批判が起こります。マネタリストや、合理的期待形成説に基づく、新しい古典派の人たちが台頭し、ケインズ経済学は「ミクロ的基礎がない」と、徹底的にたたかれました。
合理的期待形成説は、1970年代末,ルーカスやサージェントなどによって主張された説です。「人々が利用可能な情報を効率的・合理的に利用すると,その予想は客観的確率に等しくなる」という考えから,政府が裁量的財政・金融政策を行ったとしても,企業も個人もその結果を正しく予想し行動するところから,その政策は無効というものです。
金融政策を拡大しても、マネーサプライ増加率を人々が合理的に予想する(将来インフレになる)とすれば、それがGDPに与える効果はないといいます。
また、財政政策についても、無効であると主張します。経済学者バローによれば、国債を発行しても、「将来増税だろう」と国民が予想すれば、国民はそのために貯蓄を増やし、消費を減らすので、財政政策の効果は「相殺」されるとするものです。
だから、需要不足が生じても、市場にまかせることで解決するから、「政府は余計な介入をするな」とする「小さな政府」路線を主張します。
1980年代は、この「小さな政府」路線が各国で採用されました。アメリカのレーガン大統領時代、英国のサッチャー首相時代、日本の中曽根総理時代は、規制改革や、民営化、福祉の削減などの財政改革など、構造改革(供給側重視)が行われました。
小泉改革も、供給側重視の理論を、1980年代に、アメリカに学んで帰国した、竹中平蔵や、中谷巌世代の経済学者の政策を採用したものです。
ケインジアンは、そもそも、不況で失業が生じるのは、「価格の下方硬直」があるからだと考えました。失業者が出ても、賃金は下がらない、不況になっても財価格はすぐには下がらない、だから、政府が需要を作り出せというものでした。その結果、多少のインフレになってもかまわないと考えました。
新しい古典派は、「その政策のせいでインフレになった」と主張します。「市場に任せれば、需要=供給が均衡する点まで、価格は下がる。下がらないのは、政府の規制や、労働組合が強いからだ。それらを改革せよ。それでも失業するなら、仕事内容と、求職者のスキルのミスマッチだ、職業訓練を充実させよ。」と言います。
「政府が需要拡大しても、その結果『インフレになる』と人々が予想(合理的期待形成)すれば、何の効果もない!」「インフレは需要拡大政策のせいだ!」です。
これは、当時としては、結構説得力がありました。
ルーカスの、新進気鋭時のエピソードがあります。
エール大学の(ジェームズ・トービン教授ケインジアン)セミナーに参加した時の話です。
「非自発的失業」について、ルーカスが教員から質問され、
“エールでは未だに非自発的失業などと訳のわからぬ言葉を使う人が、教授の中にすらいるのか。シカゴではそんな馬鹿な言葉を使う者は学部の学生の中にもいない”吉川洋『構造改革と日本経済』岩波書店2003 p191
「非自発的失業」とは、ケインズ経済学で頻繁に使われる言葉です。働く意思はあるのに、労働賃金が高止まりしていて(価格の硬直性)、職を得られない人々のことです。余談ですが、今の最新の経済学ではもう使われていません。いずれ消えていく言葉とされています。
シカゴは、ミルトン・フリードマンらの「マネタリスト」の牙城です。アメリカの場合、学校ごと、地域ごとに全然思想が違うんですね。シカゴ学派は、五大湖沿岸なので、「真水の経済学」と言われました。これが、「市場主義」として、アメリカ国内から(結果的には世界的にも?)、共産主義を駆逐する大きな原動力になりました。
このエピソードには続きがあります。ジェームズ・トービンは、ルーカスに対し、「お若いの、世界恐慌を見たことがあるのかね。私は見た」と言って答えたそうです。世界恐慌時の失業を目の当たりにした、トービンならではの回答ですね。
トービンも、ルーカスも、ノーベル経済学賞受賞者です。
<新しい古典派の理論>
彼らは、次の3つの手法を導入します。
1 価格や賃金は市場の需給で動く:「伸縮性」
2 人々が将来を織り込んで、行動することを想定に取り入れる」
:合理的期待形成
3 マクロ経済学のミクロ的基礎づけ
将来を予想したうえで、個々人や企業は、自分にとって最適な消費・生産・投資を決めるとし、それを前提に、消費関数や、投資関数の式を導出しました。
ケインジアンは、GDPや消費額のデータから、いきなり、消費関数や、投資関数の式を導出していました。そこから、政策の効果や、景気を予想しました。
ですが、人々の将来の予想が変われば、これらの式も変わります。それらを抜きに,全体論を始めたり、「価格は変わらない」を前提にしたりしても、矛盾が生じます。
このような点を突かれ、ケインジアンはコテンパンにやられてしまったのです。そしてその論争が、学会から次第に世間に流布していったのです。「需要を増やす(政府による)のではない、構造改革が必要だ!」と。
でも、「構造改革」が世間に流布した時には、「ケインジアンvs新しい古典派」論争は学会ではすでに「過去のもの」になっていました。そうです、さらに新しい時代へと移っていたのです。
ここで、新しい時代に入る前に、「マネタリスト」はどこへ行ったのか?と疑問を持つ方もいると思います。そうですよね、ケインジアンをたたいた大御所には、ミルトン・フリードマンがいますよね。彼は、徹底的に「市場原理」を信奉し、政府による総需要管理政策(ケインジアン)など、長期的には全く意味のないことを、主張しました。
マネタリストと、新しい古典派は、同じ立場(理論)で主張したのでしょうか。

これが、ちがうんですね。マネタリストは、新しい古典派とも、もちろんケインジアンとも、また違う立場(理論)なんです。

このような図式になります。(続く)
<続 日経はやっぱり変われない>
H23.6.1 『生産回復、円高圧力へ』
…日本の貿易収支は4月に赤字に転じたが、「…貿易収支の改善によって円高圧力が高まる」(三菱東京UFJ銀行の内田稔シニアアナリスト)との観測が広がっている。
『マーケットウオッチャー』
…米低金利政策の長期化観測によるドル安の流れに日本の貿易収支の改善が加われば「年後半には80円を超える円高水準が定着する」(JPモルガン・チェース銀行の佐々木金融債権為替調査部長)との声もある。
アナリストも日経もやっぱり変です。経済教育(高校:現代社会or政治経済必修なのに・・・)の手抜きです。
↓
http://www.bk.mufg.jp/report/bfrw2011/Weekly110516.pdf#search='三菱東京UFJ 内田稔'
北海道紋別郡滝上町 芝桜公園 5月27日


1960年代までは、「ケインズ経済学(ケインジアン)=新古典派総合」全盛期でした。1930年代の不況の後、「政府は景気を良くするために、市場に介入し、失業者をなくすべきだ」という、ケインズの考え方が継承され、Y=C+I+G+NXのG政府支出を拡大して、景気を良くしようという「ケインジアン」という経済学者が、世界中に大きな影響力を持ちました(需要重視)。
西欧では「福祉型」の政府支出、アメリカでは「軍」の政府支出拡大が行われたのです。「大きな政府」路線です。実際に、1960年代は、世界的に成長した時代でした。
ところが、1970年代に入ると、「スタグフレーション」と呼ばれる、「不況なのに、インフレ」という状態になったのです。今の新興国を見ても分かるように、景気の良い時はインフレ、景気の悪い時は日本のようにデフレになるというのが、通常です。
ところが、日本でも、1974年には、「狂乱物価」というすさまじいインフレが起こり、なおかつ、前年の石油危機を受け、戦後初のマイナス成長を記録しました。
各国は、ケインズ政策により、景気を良くしようとしたのですが、失業者は減らず、財政負担が大きくなるばかりでした。
そこで、経済学では、ケインズ政策に対する批判が起こります。マネタリストや、合理的期待形成説に基づく、新しい古典派の人たちが台頭し、ケインズ経済学は「ミクロ的基礎がない」と、徹底的にたたかれました。
合理的期待形成説は、1970年代末,ルーカスやサージェントなどによって主張された説です。「人々が利用可能な情報を効率的・合理的に利用すると,その予想は客観的確率に等しくなる」という考えから,政府が裁量的財政・金融政策を行ったとしても,企業も個人もその結果を正しく予想し行動するところから,その政策は無効というものです。
金融政策を拡大しても、マネーサプライ増加率を人々が合理的に予想する(将来インフレになる)とすれば、それがGDPに与える効果はないといいます。
また、財政政策についても、無効であると主張します。経済学者バローによれば、国債を発行しても、「将来増税だろう」と国民が予想すれば、国民はそのために貯蓄を増やし、消費を減らすので、財政政策の効果は「相殺」されるとするものです。
だから、需要不足が生じても、市場にまかせることで解決するから、「政府は余計な介入をするな」とする「小さな政府」路線を主張します。
1980年代は、この「小さな政府」路線が各国で採用されました。アメリカのレーガン大統領時代、英国のサッチャー首相時代、日本の中曽根総理時代は、規制改革や、民営化、福祉の削減などの財政改革など、構造改革(供給側重視)が行われました。
小泉改革も、供給側重視の理論を、1980年代に、アメリカに学んで帰国した、竹中平蔵や、中谷巌世代の経済学者の政策を採用したものです。
ケインジアンは、そもそも、不況で失業が生じるのは、「価格の下方硬直」があるからだと考えました。失業者が出ても、賃金は下がらない、不況になっても財価格はすぐには下がらない、だから、政府が需要を作り出せというものでした。その結果、多少のインフレになってもかまわないと考えました。
新しい古典派は、「その政策のせいでインフレになった」と主張します。「市場に任せれば、需要=供給が均衡する点まで、価格は下がる。下がらないのは、政府の規制や、労働組合が強いからだ。それらを改革せよ。それでも失業するなら、仕事内容と、求職者のスキルのミスマッチだ、職業訓練を充実させよ。」と言います。
「政府が需要拡大しても、その結果『インフレになる』と人々が予想(合理的期待形成)すれば、何の効果もない!」「インフレは需要拡大政策のせいだ!」です。
これは、当時としては、結構説得力がありました。
ルーカスの、新進気鋭時のエピソードがあります。
エール大学の(ジェームズ・トービン教授ケインジアン)セミナーに参加した時の話です。
「非自発的失業」について、ルーカスが教員から質問され、
“エールでは未だに非自発的失業などと訳のわからぬ言葉を使う人が、教授の中にすらいるのか。シカゴではそんな馬鹿な言葉を使う者は学部の学生の中にもいない”吉川洋『構造改革と日本経済』岩波書店2003 p191
「非自発的失業」とは、ケインズ経済学で頻繁に使われる言葉です。働く意思はあるのに、労働賃金が高止まりしていて(価格の硬直性)、職を得られない人々のことです。余談ですが、今の最新の経済学ではもう使われていません。いずれ消えていく言葉とされています。
シカゴは、ミルトン・フリードマンらの「マネタリスト」の牙城です。アメリカの場合、学校ごと、地域ごとに全然思想が違うんですね。シカゴ学派は、五大湖沿岸なので、「真水の経済学」と言われました。これが、「市場主義」として、アメリカ国内から(結果的には世界的にも?)、共産主義を駆逐する大きな原動力になりました。
このエピソードには続きがあります。ジェームズ・トービンは、ルーカスに対し、「お若いの、世界恐慌を見たことがあるのかね。私は見た」と言って答えたそうです。世界恐慌時の失業を目の当たりにした、トービンならではの回答ですね。
トービンも、ルーカスも、ノーベル経済学賞受賞者です。
<新しい古典派の理論>
彼らは、次の3つの手法を導入します。
1 価格や賃金は市場の需給で動く:「伸縮性」
2 人々が将来を織り込んで、行動することを想定に取り入れる」
:合理的期待形成
3 マクロ経済学のミクロ的基礎づけ
将来を予想したうえで、個々人や企業は、自分にとって最適な消費・生産・投資を決めるとし、それを前提に、消費関数や、投資関数の式を導出しました。
ケインジアンは、GDPや消費額のデータから、いきなり、消費関数や、投資関数の式を導出していました。そこから、政策の効果や、景気を予想しました。
ですが、人々の将来の予想が変われば、これらの式も変わります。それらを抜きに,全体論を始めたり、「価格は変わらない」を前提にしたりしても、矛盾が生じます。
このような点を突かれ、ケインジアンはコテンパンにやられてしまったのです。そしてその論争が、学会から次第に世間に流布していったのです。「需要を増やす(政府による)のではない、構造改革が必要だ!」と。
でも、「構造改革」が世間に流布した時には、「ケインジアンvs新しい古典派」論争は学会ではすでに「過去のもの」になっていました。そうです、さらに新しい時代へと移っていたのです。
ここで、新しい時代に入る前に、「マネタリスト」はどこへ行ったのか?と疑問を持つ方もいると思います。そうですよね、ケインジアンをたたいた大御所には、ミルトン・フリードマンがいますよね。彼は、徹底的に「市場原理」を信奉し、政府による総需要管理政策(ケインジアン)など、長期的には全く意味のないことを、主張しました。
マネタリストと、新しい古典派は、同じ立場(理論)で主張したのでしょうか。

これが、ちがうんですね。マネタリストは、新しい古典派とも、もちろんケインジアンとも、また違う立場(理論)なんです。

このような図式になります。(続く)
<続 日経はやっぱり変われない>
H23.6.1 『生産回復、円高圧力へ』
…日本の貿易収支は4月に赤字に転じたが、「…貿易収支の改善によって円高圧力が高まる」(三菱東京UFJ銀行の内田稔シニアアナリスト)との観測が広がっている。
『マーケットウオッチャー』
…米低金利政策の長期化観測によるドル安の流れに日本の貿易収支の改善が加われば「年後半には80円を超える円高水準が定着する」(JPモルガン・チェース銀行の佐々木金融債権為替調査部長)との声もある。
アナリストも日経もやっぱり変です。経済教育(高校:現代社会or政治経済必修なのに・・・)の手抜きです。
↓
http://www.bk.mufg.jp/report/bfrw2011/Weekly110516.pdf#search='三菱東京UFJ 内田稔'
北海道紋別郡滝上町 芝桜公園 5月27日

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genre : 政治・経済