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石川啄木の神話

シノドス ジャーナル( SYNODOS JOURNAL )
http://synodos.livedoor.biz/

に、『人口減少デフレ論の問題点 菅原晃』が連載中(2010.10.8~)です。

合わせてご覧ください。



<マルクスで教える経済 番外編>

久保田貢 編、『ジュニアのための貧困問題入門』平和文化社2010.10.8
本

山本政俊著 第3話『生きること、働くことと憲法』P73
 

 国語の時間の話として(この本は、授業中の生徒と教師の会話で成り立っています)、石川啄木が紹介されています。

 宮下先生のその日の授業は、短歌・石川啄木でした。
…「そう、石川啄木には『一握の砂』という詩集があって・・・・」といいながら、宮下先生は「はたらけどはたらけど猶(なお) 我(わが)生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」と黒板に書きました。

「この短歌はどういう状況を詠んでいるのかな」。女子生徒が指名されました。

働いても働いても、生活が全然楽にならないので、どうしていいかわからなくて、黙って手を見ているという意味だと思います」

 さっきの男子生徒がまた、「お手上げだあー」と叫んだので、またまた教室に笑い声が響きました。

…「…啄木のころは、鉄工組合とかもつくられていて、そうした運動や労働者の戦いの歴史があって、こんにちの日本国憲法ができているのですね…」
…「さていまの社会は、どんなに努力しても、だれかは就職できない、あるいは正社員になれない社会になっているようです…正社員になれても、クタクタになるまで働かなければならない。一度やめてしまえば、つぎはどうなるか?まるで椅子取りゲームのようだね」


<啄木? 貧困?>

ウイキペディア
啄木.jpg

 さて、この項では、 「啄木」は貧困の象徴としてえがかれています。

彼の一生を追ってみましょう。

1886(明治19)岩手県日戸村生まれ
1898(明治31)盛岡中学入学 上級生に「金田一京助」

注1)
中学時代には文学に耽溺して成績を落とし試験ではカンニング事件を引き起こして退学する羽目


1902(明治35)与謝野鉄幹・晶子をたより上京
1904 (明治36)帰郷
1905(明治38)詩集「あこがれ」発刊 堀合節子と結婚

注1)
詩集を販売して結婚費用をひねり出す目的で上京し「あこがれ」を出版するものの、十分な額を稼ぐ事はできませんでした。
…何と自身の結婚式に出席せず仙台などを放浪、結局花婿抜きで式は行われたそうです。彼がそんな挙に出た理由はよく分かりませんが、理由が何であれ自分勝手と非難されても仕方ありません。友人の中には憤激して以降絶交した者もいたそうですが、無理もない話です。


1906(明治39) 渋民尋常高等小学校代用教員

注1)
当時、貧窮の中で文学志向と生活を両立させようと文芸雑誌「小天地」を創刊しますが、この時にも予約金を使い込んで検事局に召喚されたといいます。地元の代用教員として就職しますが校長を始めとする周囲と衝突、ついには仲間を集めて校長排斥のストライキを起こし即興の革命歌を歌うに至っています。


1907(明治40)函館に行き、新聞記者に
1908(明治41)釧路新聞社勤務

注2)
 啄木は初恋の人節子と結婚したが、釧路時代からろくに働かず芸者遊びにうつつをぬかし、おまけに入れあげた芸者のことを短歌にまで書くというバカさ加減。


注5)

小奴といひし女の
やわらかき
耳朶(みみたぶ)なども忘れがたかり


と「一握の砂」でうたう、芸者・小奴と出会います。


注3)
啄木はこの釧路に来て酒と芸者遊びに明け暮れるという、およそ柄にもない生活に身を委ね、このままでは経済的にも破綻を招く日の来る事は目に見えていた
 二十三歳の若者にとって、芸者遊びなどというこれまで縁のなかった未知の世界に触れれば、啄木でなくとも興味と関心が高まっていくのもまた自然の成りゆきであろう。
 だが彼にはこうした生活に耐えるだけの経済力はないのだから、当然長続きはしないし、こうしたことに時間と金銭を浪費することの馬鹿らしさに目覚めるのは当然である。


1908(明治41)上京

注1)
しかしなかなか原稿が売れず友人の金田一京助・宮崎大四郎から経済援助をうけてやっと食いつなぐ状態が続いたようです。啄木の浪費の尻拭いが金田一家の財政状況も圧迫するに至ったため京助の妻が啄木の悪口をしばしば言うのを聞いた幼年期の金田一春彦は「石川啄木とは大泥棒・石川五右衛門の親戚か何かか」と思っていたという逸話が伝わっています。



注2)
啄木は借りらるだけの金を、借りられるだけの友から借りていた。啄木は嘘つきで見栄坊で、金田一京助に下宿代まで払ってもらいながら、たまたま5円舞い込むと、それで一円五十銭の勘定をして、つりはいらないと女中に与えるようなことをした。金田一はそれを見ながらそれを許した。

金田一は啄木から見れば神みたいな友であったが、金田一の家族にとっては啄木は疫病神みたいな存在で、金田一の妻は啄木がまた来るたびにまた奪われるかと怖気をふるった。金田一の家では啄木が没後、次第にもてはやされるのが不服でならなかった。
それはそうだろう、金田一の妻が夫から言いつかって啄木家に金を届けるのと、何と啄木は芸者を上げて騒いでいたことすらあったそうだ。

注2)
全く、偶然に古本(巻頭随筆Ⅱ「文藝春秋」)を買ったら、その中に渡辺紳一郎氏の随筆('64.4)に啄木のことが出ていた。

金田一京助が語る啄木である。

先生
「本郷の下宿に私と啄木が一緒にいたんですが、啄木は、しょっちゅう私に金を借りる、-本を出す時には、『我をして餓えざらしめし金田一京助君に捧ぐ』とするから金を貸せ- と、いうんです。その言葉を忘れなかったらしく、『一握の砂』を私に捧げたんでしょう」

生徒
「でも、我をして餓えざらしめし、とは、なくて、その代わり、第一に宮崎大四郎さんに捧げ、先生は二の次になってるのは、どういう訳です?」

先生
「あの本が出る時には、私は、ちょっと啄木と疎遠になっていたもんで、そうなったんでしょう。宮崎さんは金持で相当啄木に借りられたんでしょう。私の家では、私の留守に来て借りようとするもんで、家内が嫌いましてね……」


 ほかにも、「忘れられないビール」の逸話が、「キリンビール」のHPに載っています。

1909(明治42)東京朝日新聞校正係

注1)
朝日新聞社に就職した後も、家族を養うと言う束縛や作品が売れない煩悶を紛らわすため遊興・浪費に走る有様。…多額の借金を残し、家庭ではその浪費生活から妻とも不和だったこともあり、ついには長年の親友・宮崎大四郎からも絶交されるに至っています。


注2)
東京に出てきた啄木は朝日新聞社に勤めて30数円という当時の若者としてはむしろ恵まれた月収がありながら、さらに上回る浪費生活を送る。それがやはり娼館がよいが原因であった。


注4)
それやこれやで自暴自棄になった啄木の足は、自ずと浅草十二階下の私娼窟へ向かうのだった。
その頃(明治四十二年四月七日~6月十六日)のことは、肝を潰すほど赤裸々に、日記に書き残されている。
さすがに手内職をして家庭を支えている妻を憚って、ローマ字にしてあったので、これは後に『ローマ字日記』と呼ばれるようになる。一八歳の売春婦マサと一夜を過ごした四月十日の日記は最も長く、余りに凄まじい露骨な性描写に戦慄を覚えるほどだ。
あの世に名高い薄幸の詩人石川啄木のイメージからは、およそ想像もつかない衝撃の告白なのだ。
少し抜粋してみよう。


以下続く・・・・

1910(明治43)「一握の砂」

 宮下先生のその日の授業は、短歌・石川啄木でした。
…「そう、石川啄木には『一握の砂』という詩集があって・・・・」といいながら、宮下先生は「はたらけどはたらけど猶(なお) 我(わが)生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」と黒板に書きました。

「この短歌はどういう状況を詠んでいるのかな」。女子生徒が指名されました。

働いても働いても、生活が全然楽にならないので、どうしていいかわからなくて、黙って手を見ているという意味だと思います」

 さっきの男子生徒がまた、「お手上げだあー」と叫んだので、またまた教室に笑い声が響きました。


 男子生徒のほうが的確ですね。単なる浪費家です。

同書には、こんな唱もあります。

「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」

注1)引きこもりニート列伝その24 石川啄木(1886~1912)
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet24.html


注2)悪魔のダーウイン賞
http://park23.wakwak.com/~fujix/darwin36.htm


注3)Webタイムス漂泊の人-石川啄木と北海道
http://www.l-co.co.jp/times/log/98/980213/13.html


注4)どん底亭主の女狂い  石川啄木
http://nemochin.at.infoseek.co.jp/takuboku.html


注5)石川啄木函館から上京
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinobunngakusannpo/isikawatakuboku/41sinnsisya/41nennsisinnsisya.htm



<結論・・私見ですが>


はたらけどはたらけど猶(なお) 我(わが)生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る

はたらけどはたらけど猶(なお) 我(わが)生活(くらし)楽にならざり 我(わが)浪費癖(へき)


の方が、適切では?
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