岩本康志 東大 「経済教室」日経H21.6.1
<流動性のわな その1>
岩本康志 東大 「経済教室」日経H21.6.1
…中央銀行は金利を操作することで経済の安定化を図っている。しかし名目金利がゼロに近づき…金利の操作という伝統的な金融政策の手段が失われたとき,つぎに打つ手は何か。
…金利が非常に低くなり、それ以上の貨幣供給が景気刺激効果を持たない状態は「流動性の罠(わな)」と呼ばれる。…世界的な経済危機によって、流動性の罠は日本だけに生じた特殊な問題ではなく、どの国でも直面するかもしれない問題であることが明らかになった。
いきなり、「流動性の罠」と言われても、チンプンカンプンだと思います。経済学ではおなじみの用語ですが、知らない人にとっては、とても難しい話です。
ケインズが示した概念です。しかもケインズがその著書「雇用・利子および貨幣の一般理論」でちょこっとだけ触れた部分です。彼の思想のおまけみたいな部分注)です。
注)分量的にはおまけですが、理論的には、核心部分と言っても過言ではありません。
J・M・ケインズ 『雇用・利子及び貨幣の一般理論』塩野谷祐一訳 東洋経済新報社1988 p204
…利子率がある水準にまで低下した後ではほとんどすべての人が極めて低い率のしか産まない債権を保有するよりも現金の方を選好するという意味において、流動性選好が事実上絶対的となる可能性がある。…しかしこの極限的な場合は将来実際に重要になるかもしれないが、私は現在までのところその例を知らない。
こんな現象が、60年後の現在、実際に起こっていると考えられているのですから、不思議なことです。
さて、説明していきますが、「流動性の罠」は、一般的には、「IS-LM分析」という「モノ・サービス市場⇔貨幣市場の同時均衡」という理論を使って説明される概念です。この「IS-LM分析」を説明するだけで、学部の経済学講義では、何時間も費やしてしまうほどの中身です。
今後、「流動性の罠」について説明しようと思いますが、(1)もっともわかりやすい説明と、(2)とっても難しい説明+筆者が解説する説明+「IS-LM分析」の説明などを組み合わせて、説明したいと思います。
(2)の説明で戸惑った場合、(1)の説明に戻って考えれば、全体像がわかり、なおかつ(2)の説明を理解する手掛かりになると思います。
(1)もっともわかりやすい説明
松尾匡 立命館教授『不況は人災です』筑摩書房 2010
P183~
「人々には、何も買いたいものがなくてもとりあえずおカネを持っておこうとする性質がある」-これです。この性質のことをケインズは「流動性選好」と呼びました。「流動性」というのは、おカネのことを指していると考えれば大体間違いありません。
人々に、おカネを欲しがる理由性質があるなんてことは、当たり前じゃないかとお思いかも知れませんね。
…ケインズ理論が登場する前…カネを持つのは何か買いたいものがあるからであって、それがなければ利子を稼ぐために誰かに貸すはずだと考えられていました。
…たしかにその一部は誰かに貸そうとするでしょう。でも別の一部は、おカネのままで持っておこうとするとケインズは言います。流動性選好説ですね。…流動性選好が一番ひどくなった「流動性のわな」…に陥ると、手に入った おカネを全部おカネのまま持ってしまって、だれにも貸さなくなります。…物価水準が下がって、その分おカネが浮いても、人々はそれを手元に残しておこうとします。
…一九九〇年代の日本…。第二次大戦後はじめて、本格的なデフレというものを経験したのです。これによってケインズの真意が再発見された。…真の原因は流動性選好説にあるというものです。
まず、図示しましょう。

流動性とは、「いつでもどこでもすぐに使える」ことです。現金は、「流動性が高い」となり、株や債券は、現金化しようと思ってもすぐにはできないので、「流動性が低い」となります。土地や不動産なら、「流動性は特に低い」となります。
「流動性(簡単にいえば:現金)でいいや」を、「流動性選好」といいます。使わなかったおカネを、どう持つか。その①が、誰かに貸すです。
社債でもいいし、株でもいいし、国債でもいいし、要するに「貸す」です。こちらは、すぐには現金化できないので、「流動性が低い」といいました。
もう一つは、 ②「現金のまま持っておこう」です。現代社会で言えば、普通預金とか、当座預金もここに入りますね。キャッシュカードで引き出せるので、銀行預金は「現金」とみなしていいようです。
余談ですが、ケインズの思想の中には、現代社会がこれだけ「銀行口座」にお世話になるとは思っていなかったと思います。「給与が銀行振込み」は想定外でしょう。想像もできなかった話だと思います。
まあ、預金口座→銀行→企業と、間接的には預金口座のカネは、①「誰かに貸す」に回るのですが、ここでは、第一番目の意思決定者の話で進めましょう。
私たちは①「誰かに貸す(投資すること)」と、②「現金のまま持っておこう」と、どちらをどのように選ぶでしょうか。
誰かに貸すのなら、「利子」(投資するなら、株の配当とか、国債・社債の利子)が付きます。この利子が、7%とか、10%なら、「現金」より、流動性は落ちても、「株・社債・国債」などで保有することを選択するかもしれません。
一方で、「流動性」も捨てがたいです。いつでもどこでもすぐに使えるキャッシュは魅力的です。要するに、「現金(キャッシュ)」で持つか、「貸す」を選ぶかは、利子率によると考えられます。
この利子率が、二昔前の「郵便局の定期」みたいに、10%もつけば、「流動性」を捨てて、「定期預金」を選ぶ人が多くなります。
1年後 2年後 3年後 4年後 5年後
100万→ 110万 → 121万 → 133万 →146万 → 161万
どうでしょう。5年後に1.6倍になります。これなら、「子どもの進学資金に」など、十分に考えられる選択肢です。
では、逆に利子率が非常に低かったら・・・「ゼロ金利」とか、今の普通預金0.1%ほどなら、どうでしょうか。
1年後 2年後 3年後 4年後
100万→ 100.1万 → 100.2001万 → 100.3003万 →100.4006万
松尾匡 立命館教授『不況は人災です』筑摩書房 2010
P80~
家計も、銀行もみんなおカネが入っても貸し付けや債権や株などに回さずに、全部おカネのまま持ってしまう―こういう状況のことを流動性のわなと言います。…九十年代の終わり頃から日本経済は、この流動性のわなの状態にあると言われました。
そうであれば、日銀が幾らお金を増やしてもそれが貯め込まれて世の中に出回らないのも当然です。
P188~
まさにおカネをどんどん飲み込むブラックホールです。…「ゼロ金利」…。…世の中で一番低いこの利子率が、おカネをそのまま持つ時と同じゼロになった…。…もうそれよりも利子率が下がらなくなるのです。流動性のわなそのものです。
利子率が0.1%とか、0.01%なら、「現金」で持とうが、「債券」で持とうが、どうでもいいと考える人が多くなります。どっちでも同じことだからです。ですが、「現金」には、流動性があります。「現金」で持とうが、「債券」で持とうが、金利が同じならば、持つなら、「株」「社債」「国債」よりも、 「現金」のほうが、魅力的です。これが「流動性のわな」です。
金融緩和をしても、「現金」として溜め込み、「債券(投資)」に回らないということになります。
日本は、資金流動性がありすぎてありすぎてこまっている状況です。
グラフ『量的緩和でもマネー回らず』H22.1.31
…実体経済への効果は見えず、大量のマネーは短期金融市場にとどまったままだ。昨年12月の全国銀行の貸出残高は4年ぶりに減少に転じた。…「肝心の設備投資意欲が鈍い」(日銀幹部)という
せっかく金融緩和しても、そのカネが、銀行の当座預金に積み上がり、市中に出回っていかないのです。
日本は、史上最低の短期金利(長期金利)を採用していますが、実は、高金利なのです。
日経22年6月26日記事

<名目金利と、実質金利>
実質金利=名目金利-インフレ(デフレ)率
名目金利は、消費者にとっては、銀行預金金利と考えて良いでしょう。
たとえば、金利10%だとします。100万円預ければ、1年後に110万円になります。
一方、1年間に、モノの値段が10%上がれば(インフレ率10%)、110万円で買えるものは、1年前の100万円のモノです。名目で10万円(10%)増えても、実質的には0%の利率になります。
実質金利=名目金利-インフレ率
0% = 10% - 10%
お金が増えても、何のありがたみもありません。
逆に、モノの値段が下がる(デフレ)状態だとします。モノの値段が10%下がる(100万円→90万円)と、110万円で買えるのは、1.22個分です。1年前には100万円のモノを1個買えたのですが、名目金利が10%つき、デフレで10%モノの値段が下がると、1.22個買えるのです。モノの価値<カネの価値です
実質金利=名目金利-インフレ率
20% = 10% -(-10)%
デフレの時は、名目金利がたとえ0%でも、モノの下落率分、金利がつくのと同じことなのです。
デフレなら、名目金利がゼロでも、実質金利が付きます。誰も利子率の低い「債券(投資)」なんかしません。
岩本康志 東大 「経済教室」日経H21.6.1
…中央銀行は金利を操作することで経済の安定化を図っている。しかし名目金利がゼロに近づき…金利の操作という伝統的な金融政策の手段が失われたとき,つぎに打つ手は何か。
…金利が非常に低くなり、それ以上の貨幣供給が景気刺激効果を持たない状態は「流動性の罠(わな)」と呼ばれる。…世界的な経済危機によって、流動性の罠は日本だけに生じた特殊な問題ではなく、どの国でも直面するかもしれない問題であることが明らかになった。
いきなり、「流動性の罠」と言われても、チンプンカンプンだと思います。経済学ではおなじみの用語ですが、知らない人にとっては、とても難しい話です。
ケインズが示した概念です。しかもケインズがその著書「雇用・利子および貨幣の一般理論」でちょこっとだけ触れた部分です。彼の思想のおまけみたいな部分注)です。
注)分量的にはおまけですが、理論的には、核心部分と言っても過言ではありません。
J・M・ケインズ 『雇用・利子及び貨幣の一般理論』塩野谷祐一訳 東洋経済新報社1988 p204
…利子率がある水準にまで低下した後ではほとんどすべての人が極めて低い率のしか産まない債権を保有するよりも現金の方を選好するという意味において、流動性選好が事実上絶対的となる可能性がある。…しかしこの極限的な場合は将来実際に重要になるかもしれないが、私は現在までのところその例を知らない。
こんな現象が、60年後の現在、実際に起こっていると考えられているのですから、不思議なことです。
さて、説明していきますが、「流動性の罠」は、一般的には、「IS-LM分析」という「モノ・サービス市場⇔貨幣市場の同時均衡」という理論を使って説明される概念です。この「IS-LM分析」を説明するだけで、学部の経済学講義では、何時間も費やしてしまうほどの中身です。
今後、「流動性の罠」について説明しようと思いますが、(1)もっともわかりやすい説明と、(2)とっても難しい説明+筆者が解説する説明+「IS-LM分析」の説明などを組み合わせて、説明したいと思います。
(2)の説明で戸惑った場合、(1)の説明に戻って考えれば、全体像がわかり、なおかつ(2)の説明を理解する手掛かりになると思います。
(1)もっともわかりやすい説明
松尾匡 立命館教授『不況は人災です』筑摩書房 2010
P183~
「人々には、何も買いたいものがなくてもとりあえずおカネを持っておこうとする性質がある」-これです。この性質のことをケインズは「流動性選好」と呼びました。「流動性」というのは、おカネのことを指していると考えれば大体間違いありません。
人々に、おカネを欲しがる理由性質があるなんてことは、当たり前じゃないかとお思いかも知れませんね。
…ケインズ理論が登場する前…カネを持つのは何か買いたいものがあるからであって、それがなければ利子を稼ぐために誰かに貸すはずだと考えられていました。
…たしかにその一部は誰かに貸そうとするでしょう。でも別の一部は、おカネのままで持っておこうとするとケインズは言います。流動性選好説ですね。…流動性選好が一番ひどくなった「流動性のわな」…に陥ると、手に入った おカネを全部おカネのまま持ってしまって、だれにも貸さなくなります。…物価水準が下がって、その分おカネが浮いても、人々はそれを手元に残しておこうとします。
…一九九〇年代の日本…。第二次大戦後はじめて、本格的なデフレというものを経験したのです。これによってケインズの真意が再発見された。…真の原因は流動性選好説にあるというものです。
まず、図示しましょう。

流動性とは、「いつでもどこでもすぐに使える」ことです。現金は、「流動性が高い」となり、株や債券は、現金化しようと思ってもすぐにはできないので、「流動性が低い」となります。土地や不動産なら、「流動性は特に低い」となります。
「流動性(簡単にいえば:現金)でいいや」を、「流動性選好」といいます。使わなかったおカネを、どう持つか。その①が、誰かに貸すです。
社債でもいいし、株でもいいし、国債でもいいし、要するに「貸す」です。こちらは、すぐには現金化できないので、「流動性が低い」といいました。
もう一つは、 ②「現金のまま持っておこう」です。現代社会で言えば、普通預金とか、当座預金もここに入りますね。キャッシュカードで引き出せるので、銀行預金は「現金」とみなしていいようです。
余談ですが、ケインズの思想の中には、現代社会がこれだけ「銀行口座」にお世話になるとは思っていなかったと思います。「給与が銀行振込み」は想定外でしょう。想像もできなかった話だと思います。
まあ、預金口座→銀行→企業と、間接的には預金口座のカネは、①「誰かに貸す」に回るのですが、ここでは、第一番目の意思決定者の話で進めましょう。
私たちは①「誰かに貸す(投資すること)」と、②「現金のまま持っておこう」と、どちらをどのように選ぶでしょうか。
誰かに貸すのなら、「利子」(投資するなら、株の配当とか、国債・社債の利子)が付きます。この利子が、7%とか、10%なら、「現金」より、流動性は落ちても、「株・社債・国債」などで保有することを選択するかもしれません。
一方で、「流動性」も捨てがたいです。いつでもどこでもすぐに使えるキャッシュは魅力的です。要するに、「現金(キャッシュ)」で持つか、「貸す」を選ぶかは、利子率によると考えられます。
この利子率が、二昔前の「郵便局の定期」みたいに、10%もつけば、「流動性」を捨てて、「定期預金」を選ぶ人が多くなります。
1年後 2年後 3年後 4年後 5年後
100万→ 110万 → 121万 → 133万 →146万 → 161万
どうでしょう。5年後に1.6倍になります。これなら、「子どもの進学資金に」など、十分に考えられる選択肢です。
では、逆に利子率が非常に低かったら・・・「ゼロ金利」とか、今の普通預金0.1%ほどなら、どうでしょうか。
1年後 2年後 3年後 4年後
100万→ 100.1万 → 100.2001万 → 100.3003万 →100.4006万
松尾匡 立命館教授『不況は人災です』筑摩書房 2010
P80~
家計も、銀行もみんなおカネが入っても貸し付けや債権や株などに回さずに、全部おカネのまま持ってしまう―こういう状況のことを流動性のわなと言います。…九十年代の終わり頃から日本経済は、この流動性のわなの状態にあると言われました。
そうであれば、日銀が幾らお金を増やしてもそれが貯め込まれて世の中に出回らないのも当然です。
P188~
まさにおカネをどんどん飲み込むブラックホールです。…「ゼロ金利」…。…世の中で一番低いこの利子率が、おカネをそのまま持つ時と同じゼロになった…。…もうそれよりも利子率が下がらなくなるのです。流動性のわなそのものです。
利子率が0.1%とか、0.01%なら、「現金」で持とうが、「債券」で持とうが、どうでもいいと考える人が多くなります。どっちでも同じことだからです。ですが、「現金」には、流動性があります。「現金」で持とうが、「債券」で持とうが、金利が同じならば、持つなら、「株」「社債」「国債」よりも、 「現金」のほうが、魅力的です。これが「流動性のわな」です。
金融緩和をしても、「現金」として溜め込み、「債券(投資)」に回らないということになります。
日本は、資金流動性がありすぎてありすぎてこまっている状況です。
グラフ『量的緩和でもマネー回らず』H22.1.31

…実体経済への効果は見えず、大量のマネーは短期金融市場にとどまったままだ。昨年12月の全国銀行の貸出残高は4年ぶりに減少に転じた。…「肝心の設備投資意欲が鈍い」(日銀幹部)という
せっかく金融緩和しても、そのカネが、銀行の当座預金に積み上がり、市中に出回っていかないのです。
日本は、史上最低の短期金利(長期金利)を採用していますが、実は、高金利なのです。
日経22年6月26日記事

<名目金利と、実質金利>
実質金利=名目金利-インフレ(デフレ)率
名目金利は、消費者にとっては、銀行預金金利と考えて良いでしょう。
たとえば、金利10%だとします。100万円預ければ、1年後に110万円になります。
一方、1年間に、モノの値段が10%上がれば(インフレ率10%)、110万円で買えるものは、1年前の100万円のモノです。名目で10万円(10%)増えても、実質的には0%の利率になります。
実質金利=名目金利-インフレ率
0% = 10% - 10%
お金が増えても、何のありがたみもありません。
逆に、モノの値段が下がる(デフレ)状態だとします。モノの値段が10%下がる(100万円→90万円)と、110万円で買えるのは、1.22個分です。1年前には100万円のモノを1個買えたのですが、名目金利が10%つき、デフレで10%モノの値段が下がると、1.22個買えるのです。モノの価値<カネの価値です
実質金利=名目金利-インフレ率
20% = 10% -(-10)%
デフレの時は、名目金利がたとえ0%でも、モノの下落率分、金利がつくのと同じことなのです。
デフレなら、名目金利がゼロでも、実質金利が付きます。誰も利子率の低い「債券(投資)」なんかしません。
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theme : マクロ経済学 ミクロ経済学
genre : 政治・経済