清水書院 その1 『高等学校 新政治・経済 改訂版』H21.3 三訂版
清水書院『高等学校 新政治・経済 改訂版』H21.3 三訂版
…資本主義を否定して社会主義を唱える運動や理論(科学的社会主義)がさかんになったが、その中心となったのはマルクスやエンゲルスである。一方、資本主義の基礎となる市場経済が経済的には最も効率的であるとする理論がジェヴォンズ・ワルラス・メンガー 脚注)らにより主張された。
脚注)
ジェヴォンズはイギリス、ワルラスはフランス、メンガーはオーストリアの経済学者。彼らはスミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考えにもとづき、市場経済の効率性を厳密に証明する理論を作り上げた。
高等学校用 「政治経済」「現代社会」教科書で、「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」という経済学者の名前が、出てくるのはこの教科書だけです。
<重要だが、必要か>
平成22年3月20日、経済教育ネットワークで、「経済入試問題のあり方」というシンポジウムが開かれました。
その会の代表である篠原総一同志社大教授は、『経済セミナー 2010・4/5』日本評論社で、大学入試問題について、このように批判しています。
…高校生の日ごろの学習は、大学入試を意識したものになっている。そして、どの大学でも、入学試験では、教科書に書かれた内容の中から出題されることが多い。そのため、入学試験では、「仕組みの働き」の理解を問うような問題が出されることは少なく、大半は事実と用語の名称を答えさせるという暗記の確認問題に流れてしまう。
そして、例として、「(現在のある特定の)ファイナンシャルグループの前身銀行に当たらない(昔の)銀行名を答えさせる」問題を挙げ、教科書が「合併変遷史を掲載していることと無関係ではない」と分析しています。
「経済知とは何の関係もない、枝葉末節知識を問う」問題例として批判したのです。
「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」という経済学者の名前、およびその思想を理解している教員は、経済学部出身者に限られます。はっきりいうと、公民科教員の、誰も知らない名前です。
教科書に掲載されると、大学入試問題に出題されます。篠原先生が言う、「枝葉末節」知識であってもです。それを、一社で提供しているのが、上記教科書です。
ジェヴォンズはイギリス、ワルラスはフランス、メンガーはオーストリアの経済学者。彼らはスミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考えにもとづき、市場経済の効率性を厳密に証明する理論を作り上げた。
この教科書の記述を、正確に解説できる現場の高校教員は数%いないでしょう。経済学(経済史)的には重要な経済学者ですが、教員すら説明できない内容が、一般的な高校生の知識として理解されうるものかどうか。
「市場」を示す「需要・供給」曲線は、中学校の教科書でも出てきます。ですから、これは「市場経済」を学ぶ上で、必須項目です。上記3人は、この「市場」が一品、一品、一つ一つの財・サービス市場だけではなく、すべての財・サービス市場で、同時に均衡(成り立っている)ということを、主張した3人です。だから、「経済学(経済史)的には重要な経済学者」です。しかし、それと、高校教科書で取り上げるべき人かどうかは別問題です。
一般的な教科書の場合、アダム・スミス(資本主義)→マルクス(共産主義)→ケインズ(修正資本主義)という流れで記述されます。また、80年代以降のレーガン・サッチャー路線の理論的支柱として、ミルトン・フリードマンが記述されることもあります。さらに、国際貿易の「比較優位論」として、リカードが登場します。
詳しい記述の資料集を除き、教科書で登場する「経済学者」といえば、基本は上記のとおりです。
アダム・スミス、リカード→マルクス→ケインズ→ミルトン・フリードマン
↑
「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」は、上記の流れに従えば、スミスとケインズの間、マルクス世代後期に属します。
<理論その1>
ジェヴォンズはイギリス、ワルラスはフランス、メンガーはオーストリアの経済学者。彼らは①スミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考えにもとづき、②市場経済の効率性を厳密に証明する理論を作り上げた。
①スミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考え
モノには「価格」があります。その価格=価値はどのようについているのでしょう。スミスやリカードらの古典派は、モノの価格=価値は、そこに投入された労働量の大きさで決まると考えました。
クギを作るのに10分、トンカチを作るのに20分かかるとすれば、交換比率は、釘1:トンカチ2、価格=価値は、1対2になる。これが労働価値説です。
これは、労働投入(時間をかけてモノ作り)すれば、価格=価値が決まると言う理論です。
ですが、次のような事例を説明できません。世の中には、どんなに時間と労力と手間隙(+資本=カネ)をかけても、「売れない=低価値=低価格」の商品があります。不人気商品です。
昔、ビデオで、「ベータ方式」と、「VHS方式」というのがありました。ソニーが前者を生産し、東芝が後者を生産しました。ですが、「ベータ方式」は、結局売れずに、今ビデオでは「VHS方式」のものしか、残っていません。「ベータ方式」は、ソニーが莫大な労力と時間と資本(カネ)を投入しましたが、結局「価格=価値」は生まなかったのです。
最近では、DVDで、東芝陣営「HD方式」と、パナソニック陣営「ブルーレイ方式」が覇権を競っていましたが、前者が市場から撤退しました。
「労働投入(時間をかけてモノ作り)すれば、価格=価値が決まると言う理論」では説明がつかないのです。
さらに、有名な例としては、アダム・スミスの例示した「水とダイヤモンド」があります。水は、価値が高い(絶対に必要なモノ)なのに「価格」がつかず、ダイヤモンドは価値が低い(装飾品だから、別になくても生活には影響がない)のに、「高価」です。
これに対し、 「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」は、需要と供給で価格=価値が決まると考えました。需要>供給であれば、そのモノは、希少価値があり、価格が高くなる。反対に 需要<供給であれば、モノがあふれており、価格が低くなると。
需給曲線 清水書院 新政治・経済 p93

水は需要<供給なので、「0円」です。ダイヤモンドは需要>供給なので、「高価」です。人気=価値があるならば、価格は高く、不人気=価値がないならば、価格は低くなります。
これを、彼らは「限界効用」という考え方で説明します。
夏の暑い日、のどが渇いているときに、冷えた1杯の水、コーラ、ビールをごちそうになると、効用=満足度は非常に高いです。ですが、1杯目はともかく、2杯、3杯・・・10杯となると、1杯目の効用=満足度より、9杯⇒10杯目の効用=満足度は落ちることでしょう。いくら、コーラやビールが好きでも、20杯、30杯は飲めません。
一方、ダイヤモンドを1個もらうと、効用=満足度は高いです。ダイヤの場合、20個、30個ともらっても、その効用=満足度は変わりません。もらえばもらえるだけ「ありがたい」はずです。
「限界効用」とは、「追加の1個(1杯)」をもらった時の「効用=満足度」のことです。水は「追加の1個(1杯)」につれ、「効用=満足度」が低下し、ダイヤモンドは、「追加の1個」になっても、「効用=満足度」が落ちません。ですから、ダイヤモンドは「価値=価格」が高いのだと。
しかも価値を決めるのは「主観」です。ダイヤモンドにまったく興味がない人にとって、ダイヤモンドをいくらもらっても、「無価値」です。それよりも、「1本の花」や、「おいしいチョコレート」をもらったほうが高い「価値」を感じる人がいます。「花よりダンゴ」と言う人もいます。不思議な世界です。
この考え方「限界効用」は、のちに経済学史上「限界革命」と言われるほど、経済学に影響を与えました。
その2に続く
…資本主義を否定して社会主義を唱える運動や理論(科学的社会主義)がさかんになったが、その中心となったのはマルクスやエンゲルスである。一方、資本主義の基礎となる市場経済が経済的には最も効率的であるとする理論がジェヴォンズ・ワルラス・メンガー 脚注)らにより主張された。
脚注)
ジェヴォンズはイギリス、ワルラスはフランス、メンガーはオーストリアの経済学者。彼らはスミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考えにもとづき、市場経済の効率性を厳密に証明する理論を作り上げた。
高等学校用 「政治経済」「現代社会」教科書で、「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」という経済学者の名前が、出てくるのはこの教科書だけです。
<重要だが、必要か>
平成22年3月20日、経済教育ネットワークで、「経済入試問題のあり方」というシンポジウムが開かれました。
その会の代表である篠原総一同志社大教授は、『経済セミナー 2010・4/5』日本評論社で、大学入試問題について、このように批判しています。
…高校生の日ごろの学習は、大学入試を意識したものになっている。そして、どの大学でも、入学試験では、教科書に書かれた内容の中から出題されることが多い。そのため、入学試験では、「仕組みの働き」の理解を問うような問題が出されることは少なく、大半は事実と用語の名称を答えさせるという暗記の確認問題に流れてしまう。
そして、例として、「(現在のある特定の)ファイナンシャルグループの前身銀行に当たらない(昔の)銀行名を答えさせる」問題を挙げ、教科書が「合併変遷史を掲載していることと無関係ではない」と分析しています。
「経済知とは何の関係もない、枝葉末節知識を問う」問題例として批判したのです。
「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」という経済学者の名前、およびその思想を理解している教員は、経済学部出身者に限られます。はっきりいうと、公民科教員の、誰も知らない名前です。
教科書に掲載されると、大学入試問題に出題されます。篠原先生が言う、「枝葉末節」知識であってもです。それを、一社で提供しているのが、上記教科書です。
ジェヴォンズはイギリス、ワルラスはフランス、メンガーはオーストリアの経済学者。彼らはスミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考えにもとづき、市場経済の効率性を厳密に証明する理論を作り上げた。
この教科書の記述を、正確に解説できる現場の高校教員は数%いないでしょう。経済学(経済史)的には重要な経済学者ですが、教員すら説明できない内容が、一般的な高校生の知識として理解されうるものかどうか。
「市場」を示す「需要・供給」曲線は、中学校の教科書でも出てきます。ですから、これは「市場経済」を学ぶ上で、必須項目です。上記3人は、この「市場」が一品、一品、一つ一つの財・サービス市場だけではなく、すべての財・サービス市場で、同時に均衡(成り立っている)ということを、主張した3人です。だから、「経済学(経済史)的には重要な経済学者」です。しかし、それと、高校教科書で取り上げるべき人かどうかは別問題です。
一般的な教科書の場合、アダム・スミス(資本主義)→マルクス(共産主義)→ケインズ(修正資本主義)という流れで記述されます。また、80年代以降のレーガン・サッチャー路線の理論的支柱として、ミルトン・フリードマンが記述されることもあります。さらに、国際貿易の「比較優位論」として、リカードが登場します。
詳しい記述の資料集を除き、教科書で登場する「経済学者」といえば、基本は上記のとおりです。
アダム・スミス、リカード→マルクス→ケインズ→ミルトン・フリードマン
↑
「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」は、上記の流れに従えば、スミスとケインズの間、マルクス世代後期に属します。
<理論その1>
ジェヴォンズはイギリス、ワルラスはフランス、メンガーはオーストリアの経済学者。彼らは①スミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考えにもとづき、②市場経済の効率性を厳密に証明する理論を作り上げた。
①スミスの労働価値説とは異なり、主観的な効用が価値を決定するという考え
モノには「価格」があります。その価格=価値はどのようについているのでしょう。スミスやリカードらの古典派は、モノの価格=価値は、そこに投入された労働量の大きさで決まると考えました。
クギを作るのに10分、トンカチを作るのに20分かかるとすれば、交換比率は、釘1:トンカチ2、価格=価値は、1対2になる。これが労働価値説です。
これは、労働投入(時間をかけてモノ作り)すれば、価格=価値が決まると言う理論です。
ですが、次のような事例を説明できません。世の中には、どんなに時間と労力と手間隙(+資本=カネ)をかけても、「売れない=低価値=低価格」の商品があります。不人気商品です。
昔、ビデオで、「ベータ方式」と、「VHS方式」というのがありました。ソニーが前者を生産し、東芝が後者を生産しました。ですが、「ベータ方式」は、結局売れずに、今ビデオでは「VHS方式」のものしか、残っていません。「ベータ方式」は、ソニーが莫大な労力と時間と資本(カネ)を投入しましたが、結局「価格=価値」は生まなかったのです。
最近では、DVDで、東芝陣営「HD方式」と、パナソニック陣営「ブルーレイ方式」が覇権を競っていましたが、前者が市場から撤退しました。
「労働投入(時間をかけてモノ作り)すれば、価格=価値が決まると言う理論」では説明がつかないのです。
さらに、有名な例としては、アダム・スミスの例示した「水とダイヤモンド」があります。水は、価値が高い(絶対に必要なモノ)なのに「価格」がつかず、ダイヤモンドは価値が低い(装飾品だから、別になくても生活には影響がない)のに、「高価」です。
これに対し、 「ジェヴォンズ・ワルラス・メンガー」は、需要と供給で価格=価値が決まると考えました。需要>供給であれば、そのモノは、希少価値があり、価格が高くなる。反対に 需要<供給であれば、モノがあふれており、価格が低くなると。
需給曲線 清水書院 新政治・経済 p93

水は需要<供給なので、「0円」です。ダイヤモンドは需要>供給なので、「高価」です。人気=価値があるならば、価格は高く、不人気=価値がないならば、価格は低くなります。
これを、彼らは「限界効用」という考え方で説明します。
夏の暑い日、のどが渇いているときに、冷えた1杯の水、コーラ、ビールをごちそうになると、効用=満足度は非常に高いです。ですが、1杯目はともかく、2杯、3杯・・・10杯となると、1杯目の効用=満足度より、9杯⇒10杯目の効用=満足度は落ちることでしょう。いくら、コーラやビールが好きでも、20杯、30杯は飲めません。
一方、ダイヤモンドを1個もらうと、効用=満足度は高いです。ダイヤの場合、20個、30個ともらっても、その効用=満足度は変わりません。もらえばもらえるだけ「ありがたい」はずです。
「限界効用」とは、「追加の1個(1杯)」をもらった時の「効用=満足度」のことです。水は「追加の1個(1杯)」につれ、「効用=満足度」が低下し、ダイヤモンドは、「追加の1個」になっても、「効用=満足度」が落ちません。ですから、ダイヤモンドは「価値=価格」が高いのだと。
しかも価値を決めるのは「主観」です。ダイヤモンドにまったく興味がない人にとって、ダイヤモンドをいくらもらっても、「無価値」です。それよりも、「1本の花」や、「おいしいチョコレート」をもらったほうが高い「価値」を感じる人がいます。「花よりダンゴ」と言う人もいます。不思議な世界です。
この考え方「限界効用」は、のちに経済学史上「限界革命」と言われるほど、経済学に影響を与えました。
その2に続く
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genre : 学校・教育