チャールズ・ユウジ・ホリオカ『経済教室』その2 日経H21.9.30
新聞を解説 チャールズ・ユウジ・ホリオカ『経済教室』その2 日経H21.9.30(図も)
<貯蓄-投資差額論(ISバランス論)を学ぶ その2>
…ある経済またはある制度部門の貯蓄投資差額(貯蓄-投資)は「ISバランス」という。なお、経済全体のISバランスはネットで貯蓄がどのくらい海外に流れているかをとらえており、資本収支の赤字を意味する。 また、国際収支は全体として均衡しなければならないため、ISバランスが正(筆者注:プラス、貯蓄超過の状態)であり、資本収支が赤字であれば、貿易収支を含む経常収支はほぼ同額の黒字にならなければならず、逆にISバランスが負であり、資本収支が黒字であれば、経常収支はほぼ同額の赤字にならなければならない。
…まず、1980年以来の日本経済全体のISバランスの水準と推移を見てみよう。日本のISバランスは80年を除けば、一貫してプラスで、86年には国内総生産(GDP)比で3・6%に達し、最近(2005年)でも同3・3%にも及んだ(図)。日本の大幅な貯蓄超過とそれがもたらした経常・貿易黒字は過去、米国やそれ以外の国との貿易・経済摩擦を引き起こした。

上図のISバランスが正(プラス)であれば、海外への資本提供=貿易黒字が発生します。
注)ISバランス=貯蓄超過=(公債)+(貿易黒字)ですから、正確には(公債)+(貿易黒字)の発生です。
<貯蓄超過=外国への資金貸し出し=貿易黒字>
浜島書店 資料集『最新図説 政経』2006 p311

80年代になると,日本からアメリカへの,集中豪雨的と言われた輸出が急増し,アメリカの貿易赤字は年々増え続けました。1987年には,アメリカの1,500億ドルの貿易赤字のうち,約560億ドルが,日本との貿易赤字だったのです。
特に自動車産業では,80年代初頭に,日本車がアメリカ国内の販売台数の20%以上を占めるとともに,生産台数も,アメリカを抜いて世界第一位となりました。一方,アメリカの自動車産業は,不振におちいり,工場閉鎖,従業員の一時解雇(レイオフ)が相次ぎました。日本による失業の輸出であるとしたアメリカは,対日非難を強め,保護主義を台頭させました。
山川出版社 教科書『詳説政治・経済』2007 p195

1986年には,日米半導体摩擦から,日米半導体協定が成立します。その中には,「日本は外国製半導体の日本国内のシェアを20%以上にするよう努力する」という,覚え書きが含まれていました。自由な貿易ではなく,数字の目標を掲げるという,管理貿易です。
1989年には,日米構造協議が開かれます。日米間の貿易不均衡(日本の貿易黒字,アメリカの貿易赤字)の是正を目指した協議で,1990年に最終報告がまとまります。アメリカ企業が日本に進出できるよう,①大型店・スーパーの出店を規制した大規模小売店舗法の見直し,②商品の日本と外国との価格差を是正することなどを約束しました。アメリカ側は,①財政赤字の削減,②輸出競争力の強化,③企業の投資活動の強化などを目標とします。
1993年からは,日米包括経済協議が開かれます。日米構造協議を引き継いだ,アメリカ側が,自動車・半導体・保険などの分野で,アメリカ企業の日本市場への参入・数値目標を求める協議です。
このころの,貿易不均衡を背景とした「日本の経済的脅威」をあおるアメリカの論調は,およそ次のようなものでした(参考文献 野口旭『経済対立は誰が起こすのか』ちくま新書p34~)。
①冷戦が崩壊し,軍事競争から経済競争の時代へと移った。最大の敵は,最も対米貿易黒字を抱える日本である。
②冷戦時のアメリカは,西側諸国の経済発展のために,自国の市場を開放し続け,自国産業の利益を損なってきた。結果,アメリカの経済力は弱体化し,貿易赤字を抱えた。
③アメリカのそのような政策につけ込み,日本は経済成長した。日本は,自国への外国企業の参入を規制し,自国産業を保護し,成長した輸出産業は,製品を,アメリカへ集中豪雨的に輸出した。
④日本は経済大国になっても,欧米とは異なる経営様式や取引慣行を持ち,欧米企業が日本市場へ参入することを拒んでいる。
⑤日本の不公正さは,一方的な貿易黒字にあらわれている。日本は市場を閉ざしている。
⑥日本のやり方による,最大の被害国は,対日貿易赤字を抱えるアメリカである。
⑦アメリカは自国産業の競争力を強化し,日本に市場開放させなければいけない。それは,具体的数値(シェア・輸入数量)によって明らかになる。
⑧具体的数値が伸びない場合,アメリカは日本に制裁を加えるといった,おどしが必要だ。
このような考え方は,アメリカのマスコミを通じて広がります。その結果, 「閉鎖的でアンフェアな日本」という考え方は,一般の国民にも浸透しました。
1995年春に,日本の自動車・部品市場における米国側の要求=「数値目標」を掲げた日米交渉は,何とか妥結しました。アメリカが,ちらつかせていた,日本制高級乗用車に対する100%制裁関税(例:100万円の日本製の車を,米国が輸入する際に,100万円の税金をかける)は,使われずにすみました。
しかし,当時の世論調査では,アメリカ国民の72%はこの制裁関税を支持し,反対は19%に過ぎなかったのです(参考文献 野口旭『経済対立は誰が起こすのか』ちくま新書p45)。アメリカの世論も,国際競争主義的な考え方に染まっていたのです。
一方,これらの国際競争主義的な考え方に対し,批判をしたのは,同じアメリカの経済学者達でした。彼らは,1993年『公開書簡』(邦訳「週間エコノミスト1993年11月2日号」)を発表します。
ジャクディシュ・バグワティ,ポール・クルーグマン,アン・クルーガーという,国際経済学者の他,ローレンス・クライン,ポール・サミュエルソン,ロバート・ソロー,ジェームズ・トービンといったノーベル経済学賞受賞者を含む,100人以上の経済学者が署名しました。
さらに日本を代表する経済学者,伊藤隆敏,伊藤元重,浜田宏一も含まれています。つまり,この書簡は,世界における,最も信頼される経済学者が,合意している基本的な考え方といえるのです。その内容は,次のようなものでした(参考文献 野口旭『経済対立は誰が起こすのか』ちくま新書p49~)。
①アメリカは,日本に管理貿易を要求しているが,それは間違いである。
②輸入拡大目標の設定だけが,日本の輸入増をもたらすというアメリカの考え方は,単純な見方に立 っており,間違いである。何のメリットもない。
③日本の貿易黒字が不正で世界を害するものであるという誤った考えを助長する。日本の黒字は,日本の貯蓄が国内投資を上回った結果であり,資本を必要としている多くの国々に,資金を供給していることである。アメリカが自国の資金需要を満たせない時に,日本の黒字が有害であるという印象をつくるのは,近視眼的(目の前のことしか見ていない)である。
<結論>
お金の貸し借り(資本の外国への投資)が貿易黒字になる
カテゴリー 『ISバランス/貯蓄投資差額』 チャールズ・ユウジ・ホリオカ『経済教室』その1 日経H21.9.30 参照
<貯蓄-投資差額論(ISバランス論)を学ぶ その2>
…ある経済またはある制度部門の貯蓄投資差額(貯蓄-投資)は「ISバランス」という。なお、経済全体のISバランスはネットで貯蓄がどのくらい海外に流れているかをとらえており、資本収支の赤字を意味する。 また、国際収支は全体として均衡しなければならないため、ISバランスが正(筆者注:プラス、貯蓄超過の状態)であり、資本収支が赤字であれば、貿易収支を含む経常収支はほぼ同額の黒字にならなければならず、逆にISバランスが負であり、資本収支が黒字であれば、経常収支はほぼ同額の赤字にならなければならない。
…まず、1980年以来の日本経済全体のISバランスの水準と推移を見てみよう。日本のISバランスは80年を除けば、一貫してプラスで、86年には国内総生産(GDP)比で3・6%に達し、最近(2005年)でも同3・3%にも及んだ(図)。日本の大幅な貯蓄超過とそれがもたらした経常・貿易黒字は過去、米国やそれ以外の国との貿易・経済摩擦を引き起こした。

上図のISバランスが正(プラス)であれば、海外への資本提供=貿易黒字が発生します。
注)ISバランス=貯蓄超過=(公債)+(貿易黒字)ですから、正確には(公債)+(貿易黒字)の発生です。
<貯蓄超過=外国への資金貸し出し=貿易黒字>
浜島書店 資料集『最新図説 政経』2006 p311

80年代になると,日本からアメリカへの,集中豪雨的と言われた輸出が急増し,アメリカの貿易赤字は年々増え続けました。1987年には,アメリカの1,500億ドルの貿易赤字のうち,約560億ドルが,日本との貿易赤字だったのです。
特に自動車産業では,80年代初頭に,日本車がアメリカ国内の販売台数の20%以上を占めるとともに,生産台数も,アメリカを抜いて世界第一位となりました。一方,アメリカの自動車産業は,不振におちいり,工場閉鎖,従業員の一時解雇(レイオフ)が相次ぎました。日本による失業の輸出であるとしたアメリカは,対日非難を強め,保護主義を台頭させました。
山川出版社 教科書『詳説政治・経済』2007 p195

1986年には,日米半導体摩擦から,日米半導体協定が成立します。その中には,「日本は外国製半導体の日本国内のシェアを20%以上にするよう努力する」という,覚え書きが含まれていました。自由な貿易ではなく,数字の目標を掲げるという,管理貿易です。
1989年には,日米構造協議が開かれます。日米間の貿易不均衡(日本の貿易黒字,アメリカの貿易赤字)の是正を目指した協議で,1990年に最終報告がまとまります。アメリカ企業が日本に進出できるよう,①大型店・スーパーの出店を規制した大規模小売店舗法の見直し,②商品の日本と外国との価格差を是正することなどを約束しました。アメリカ側は,①財政赤字の削減,②輸出競争力の強化,③企業の投資活動の強化などを目標とします。
1993年からは,日米包括経済協議が開かれます。日米構造協議を引き継いだ,アメリカ側が,自動車・半導体・保険などの分野で,アメリカ企業の日本市場への参入・数値目標を求める協議です。
このころの,貿易不均衡を背景とした「日本の経済的脅威」をあおるアメリカの論調は,およそ次のようなものでした(参考文献 野口旭『経済対立は誰が起こすのか』ちくま新書p34~)。
①冷戦が崩壊し,軍事競争から経済競争の時代へと移った。最大の敵は,最も対米貿易黒字を抱える日本である。
②冷戦時のアメリカは,西側諸国の経済発展のために,自国の市場を開放し続け,自国産業の利益を損なってきた。結果,アメリカの経済力は弱体化し,貿易赤字を抱えた。
③アメリカのそのような政策につけ込み,日本は経済成長した。日本は,自国への外国企業の参入を規制し,自国産業を保護し,成長した輸出産業は,製品を,アメリカへ集中豪雨的に輸出した。
④日本は経済大国になっても,欧米とは異なる経営様式や取引慣行を持ち,欧米企業が日本市場へ参入することを拒んでいる。
⑤日本の不公正さは,一方的な貿易黒字にあらわれている。日本は市場を閉ざしている。
⑥日本のやり方による,最大の被害国は,対日貿易赤字を抱えるアメリカである。
⑦アメリカは自国産業の競争力を強化し,日本に市場開放させなければいけない。それは,具体的数値(シェア・輸入数量)によって明らかになる。
⑧具体的数値が伸びない場合,アメリカは日本に制裁を加えるといった,おどしが必要だ。
このような考え方は,アメリカのマスコミを通じて広がります。その結果, 「閉鎖的でアンフェアな日本」という考え方は,一般の国民にも浸透しました。
1995年春に,日本の自動車・部品市場における米国側の要求=「数値目標」を掲げた日米交渉は,何とか妥結しました。アメリカが,ちらつかせていた,日本制高級乗用車に対する100%制裁関税(例:100万円の日本製の車を,米国が輸入する際に,100万円の税金をかける)は,使われずにすみました。
しかし,当時の世論調査では,アメリカ国民の72%はこの制裁関税を支持し,反対は19%に過ぎなかったのです(参考文献 野口旭『経済対立は誰が起こすのか』ちくま新書p45)。アメリカの世論も,国際競争主義的な考え方に染まっていたのです。
一方,これらの国際競争主義的な考え方に対し,批判をしたのは,同じアメリカの経済学者達でした。彼らは,1993年『公開書簡』(邦訳「週間エコノミスト1993年11月2日号」)を発表します。
ジャクディシュ・バグワティ,ポール・クルーグマン,アン・クルーガーという,国際経済学者の他,ローレンス・クライン,ポール・サミュエルソン,ロバート・ソロー,ジェームズ・トービンといったノーベル経済学賞受賞者を含む,100人以上の経済学者が署名しました。
さらに日本を代表する経済学者,伊藤隆敏,伊藤元重,浜田宏一も含まれています。つまり,この書簡は,世界における,最も信頼される経済学者が,合意している基本的な考え方といえるのです。その内容は,次のようなものでした(参考文献 野口旭『経済対立は誰が起こすのか』ちくま新書p49~)。
①アメリカは,日本に管理貿易を要求しているが,それは間違いである。
②輸入拡大目標の設定だけが,日本の輸入増をもたらすというアメリカの考え方は,単純な見方に立 っており,間違いである。何のメリットもない。
③日本の貿易黒字が不正で世界を害するものであるという誤った考えを助長する。日本の黒字は,日本の貯蓄が国内投資を上回った結果であり,資本を必要としている多くの国々に,資金を供給していることである。アメリカが自国の資金需要を満たせない時に,日本の黒字が有害であるという印象をつくるのは,近視眼的(目の前のことしか見ていない)である。
<結論>
お金の貸し借り(資本の外国への投資)が貿易黒字になる
カテゴリー 『ISバランス/貯蓄投資差額』 チャールズ・ユウジ・ホリオカ『経済教室』その1 日経H21.9.30 参照
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