新聞を解説(29) 『鳩山論文 米欧に波紋』
『鳩山論文 米欧に波紋』読売新聞H21.9.3
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が掲載した民主党の鳩山代表の論文が米国など海外で波紋を広げている。
…特に①日本は米国主導のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄され続けてきた②米国の国力が衰える情勢でのアジア統合の重要性の2点が重点的に引用され、米国に対する懐疑的な評価が強調されている。
…要旨…冷戦後の日本は、米国主導のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄され続けた。今回の世界経済危機は、米国的な自由市場経済が普遍的で理想的であるという考え方によってもたらされた。冷戦後の日本社会の変化を顧みると、グローバル経済が伝統的な経済活動を傷つけ、地域社会を崩壊させたといっても過言ではない…
<市場原理主義という妖怪>
さて、この「市場原理主義」という言葉ですが、その定義は何でしょう?経済学を知らない、評論家や、エコノミストはともかく、少なくとも、経済学者で、「市場原理主義」を使う人はいません。そのような主義など、成立しないからです。
(1)小宮隆太郎『経済教室』日経 H20.8.14
…「価格機構と経済政策」…では、「一定の諸条件が満たされた状態の下では、政府が介入や割当制などを行わずに、自由で競争的な『価格』(市場)機構』に『資源配分』を委ねることによって経済の最適状態が実現される」という命題を説明した。
…価格機構による資源の最適配分は「一定の諸条件が満たされたときに」実現されるのであり、無条件には成立しない。外部経済・不経済、規模の経済など、いわゆる「市場の失敗」に対しては、独占禁止政策、労働基準法などの労働者保護、公害・環境対策など、様々な政策が必要である。
この、「一定の諸条件が満たされた場合」というのが、大切なポイントです。いつでもどこでも「市場原理」がはたらくのではありません。
たとえば、市場に独占(寡占)がなく、価格は所与(プライス・テイカー)であり、市場撤退・参加も自由という、「箱庭のような条件」が必要です。現実世界では、「市場原理」は存在しえないと言った方が正解です(農産物など、似たような現象はありますが)。
独占禁止法、電力会社・公共交通機関など、巨大な固定費用がかかる事業への許認可制、最低賃金法、出資法による金利制限etc、必ず「規制」が必要です。「公害」という外部不経済に対し、「税金」をかけることも必要です。
「規制」という「見える手」を導入しないと、市場経済は成り立たないのです。
…ところが今日まで「近代」経済学者…は「自由放任主義」(レッセ・フェール)を説いていると誤解したり、あるいは意図的に曲解して喧伝したりする人が少なくない。
…あるマルクス経済学者の分厚い近著には「新自由主義」という言葉が二十回も登場するが、意味の説明も…(参考文典の指示)も皆無である。…世界で起きる「悪いこと」は、たいていサッチャー元英首相、レーガン元米大統領と、その亜流小泉純一郎元首相の「新自由主義」のせいだという。その片棒を近代経済学者が担いでいるといったたぐいの記述も見かける。
私にとってもう一つの意味不明の、おまじないのような言葉は、「市場原理主義」である。「市場原理主義」とは、要するにレッセ・フェールのことらしいが、レッセ・フェールが望ましくないことは「近代」経済学者の圧倒的多数が百も承知のことである。
…かつてのデモ行進では…「独占」「国家独占資本主義」という「悪者」がいた。だが昨今、独占資本を悪者にすることははやらない。そこで「新自由主義」や「市場原理」という新しい悪者の「わら人形」が仕立て上げられたのではないか。
(2)根井雅弘『経済学とは何か』中央公論社2008 p86-89
…ジャーナリズムの世界では、「資本主義」vs「社会主義」の闘いに前者が圧的な勝利を収め、いま や「市場原理主義」の時代が到来したと言わんばかりの論調がしばらく席巻するようになった。…専門的な経済学者やエコノミストであれば、「市場メカニズム」の役割は十分に認めながらも、それが「万能」であると考えていたものはいないといっても言い過ぎではない。だが、ベルリンの壁の崩壊という象徴的な大事件を前に、少なからぬジャーナリストが「市場原理主義」の方向へ傾斜していったのである。
(3)伊藤元重『入門経済学 第2版』日本評論社 2005 p229
…複雑でダイナミックな市場を政府がコントロールするのは無理だから、政府は市場機能を阻害すべきではないという「市場主義」的な考え方があります。市場主義はひょっとしたら筆者の造語(『市場主義』日経ビジネス文庫)かもしれませんが、規制緩和の動きの背後にも市場主義的な考え方があることはわかると思います。
(4)同『市場主義』日経ビジネス文庫 2000 p4-5
…「市場主義は強者の論理である」、「市場化を進めていくことは、日本経済をアメリカの属国にすることにつながる(注)」といった議論は、そうした市場観から出てくるものだ。…本書の目的は、そうした誤った市場観を正すことにある。…市場メカニズムをうまく使いこなすことなくして、21世紀の日本経済の繁栄は考えられない…。…市場主義とは何でも自由化すればよいという単純な自由化論とは違う。…市場メカニズムをうまく利用するためには、強化しなければならない規制や新しく作らなくてはいけないルールもたくさんある。…アジア通貨危機や日本の金融破綻の経験からも明らかだろう。…市場の暴力から…個人をきっちりと守りながら、同時に市場の持っている力を最大限に引き出すことである。
(注)鳩山論文と同じですね。
「経済学」と、「経済現象」は、全く別物です。一国を率いようという政治家なら(本当は、高校生レベルでも)、「経済現象」ではなく、「経済学」を学ぶ必要がありそうです。
高校で必須の「政治経済」「現代社会」は、「経済現象」です。ですから、「市場原理主義」のような言葉が、全国の教室で、何の疑問もなく、広められているんでしょうね。もちろん、間違いです。
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が掲載した民主党の鳩山代表の論文が米国など海外で波紋を広げている。
…特に①日本は米国主導のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄され続けてきた②米国の国力が衰える情勢でのアジア統合の重要性の2点が重点的に引用され、米国に対する懐疑的な評価が強調されている。
…要旨…冷戦後の日本は、米国主導のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄され続けた。今回の世界経済危機は、米国的な自由市場経済が普遍的で理想的であるという考え方によってもたらされた。冷戦後の日本社会の変化を顧みると、グローバル経済が伝統的な経済活動を傷つけ、地域社会を崩壊させたといっても過言ではない…
<市場原理主義という妖怪>
さて、この「市場原理主義」という言葉ですが、その定義は何でしょう?経済学を知らない、評論家や、エコノミストはともかく、少なくとも、経済学者で、「市場原理主義」を使う人はいません。そのような主義など、成立しないからです。
(1)小宮隆太郎『経済教室』日経 H20.8.14
…「価格機構と経済政策」…では、「一定の諸条件が満たされた状態の下では、政府が介入や割当制などを行わずに、自由で競争的な『価格』(市場)機構』に『資源配分』を委ねることによって経済の最適状態が実現される」という命題を説明した。
…価格機構による資源の最適配分は「一定の諸条件が満たされたときに」実現されるのであり、無条件には成立しない。外部経済・不経済、規模の経済など、いわゆる「市場の失敗」に対しては、独占禁止政策、労働基準法などの労働者保護、公害・環境対策など、様々な政策が必要である。
この、「一定の諸条件が満たされた場合」というのが、大切なポイントです。いつでもどこでも「市場原理」がはたらくのではありません。
たとえば、市場に独占(寡占)がなく、価格は所与(プライス・テイカー)であり、市場撤退・参加も自由という、「箱庭のような条件」が必要です。現実世界では、「市場原理」は存在しえないと言った方が正解です(農産物など、似たような現象はありますが)。
独占禁止法、電力会社・公共交通機関など、巨大な固定費用がかかる事業への許認可制、最低賃金法、出資法による金利制限etc、必ず「規制」が必要です。「公害」という外部不経済に対し、「税金」をかけることも必要です。
「規制」という「見える手」を導入しないと、市場経済は成り立たないのです。
…ところが今日まで「近代」経済学者…は「自由放任主義」(レッセ・フェール)を説いていると誤解したり、あるいは意図的に曲解して喧伝したりする人が少なくない。
…あるマルクス経済学者の分厚い近著には「新自由主義」という言葉が二十回も登場するが、意味の説明も…(参考文典の指示)も皆無である。…世界で起きる「悪いこと」は、たいていサッチャー元英首相、レーガン元米大統領と、その亜流小泉純一郎元首相の「新自由主義」のせいだという。その片棒を近代経済学者が担いでいるといったたぐいの記述も見かける。
私にとってもう一つの意味不明の、おまじないのような言葉は、「市場原理主義」である。「市場原理主義」とは、要するにレッセ・フェールのことらしいが、レッセ・フェールが望ましくないことは「近代」経済学者の圧倒的多数が百も承知のことである。
…かつてのデモ行進では…「独占」「国家独占資本主義」という「悪者」がいた。だが昨今、独占資本を悪者にすることははやらない。そこで「新自由主義」や「市場原理」という新しい悪者の「わら人形」が仕立て上げられたのではないか。
(2)根井雅弘『経済学とは何か』中央公論社2008 p86-89
…ジャーナリズムの世界では、「資本主義」vs「社会主義」の闘いに前者が圧的な勝利を収め、いま や「市場原理主義」の時代が到来したと言わんばかりの論調がしばらく席巻するようになった。…専門的な経済学者やエコノミストであれば、「市場メカニズム」の役割は十分に認めながらも、それが「万能」であると考えていたものはいないといっても言い過ぎではない。だが、ベルリンの壁の崩壊という象徴的な大事件を前に、少なからぬジャーナリストが「市場原理主義」の方向へ傾斜していったのである。
(3)伊藤元重『入門経済学 第2版』日本評論社 2005 p229
…複雑でダイナミックな市場を政府がコントロールするのは無理だから、政府は市場機能を阻害すべきではないという「市場主義」的な考え方があります。市場主義はひょっとしたら筆者の造語(『市場主義』日経ビジネス文庫)かもしれませんが、規制緩和の動きの背後にも市場主義的な考え方があることはわかると思います。
(4)同『市場主義』日経ビジネス文庫 2000 p4-5
…「市場主義は強者の論理である」、「市場化を進めていくことは、日本経済をアメリカの属国にすることにつながる(注)」といった議論は、そうした市場観から出てくるものだ。…本書の目的は、そうした誤った市場観を正すことにある。…市場メカニズムをうまく使いこなすことなくして、21世紀の日本経済の繁栄は考えられない…。…市場主義とは何でも自由化すればよいという単純な自由化論とは違う。…市場メカニズムをうまく利用するためには、強化しなければならない規制や新しく作らなくてはいけないルールもたくさんある。…アジア通貨危機や日本の金融破綻の経験からも明らかだろう。…市場の暴力から…個人をきっちりと守りながら、同時に市場の持っている力を最大限に引き出すことである。
(注)鳩山論文と同じですね。
「経済学」と、「経済現象」は、全く別物です。一国を率いようという政治家なら(本当は、高校生レベルでも)、「経済現象」ではなく、「経済学」を学ぶ必要がありそうです。
高校で必須の「政治経済」「現代社会」は、「経済現象」です。ですから、「市場原理主義」のような言葉が、全国の教室で、何の疑問もなく、広められているんでしょうね。もちろん、間違いです。
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