<地方再生など、無理>
平成の「地方創生」と昭和の「地方の時代」 住民不在に慣れ切った私たち
6/3(土) 17:30配信
政府が推し進める「地方創生」はイマイチうまく行っていないと、地方自治の現場に詳しい慶應義塾大学SFC研究所の上席所員で起業家の岩田崇さんは指摘します。実は「地方の時代」を叫ぶ声は、昭和にもありました。そして、いつしかその動きは消えてしまいました。「地方創生」と「地方の時代」には何が足りないのか。岩田氏に寄稿してもらいました。
「地方創生」のイマイチ感
「地方創生」という言葉はここ数年繰り返し周知されていますが、本当の意味で地方を活性化し、根付いているようには見えません。 1970年代後半から90年代にかけては「地方の時代」という地方創生に似た言葉が流行語となる運動がありましたが、いつの間にか過去のものとなっています。地方創生の取り組みは、担当大臣が置かれて政府が注力する取り組みであるのに、なぜうまく行かないのでしょうか?
そのヒントは、かつての「地方の時代」が消えていった理由にあります。そして、私たち、特に地方創生を推進する側が、現在の地域経営、自治体経営のOS(オペレーションソフト)にある欠陥を見ていないためとも考えられます。どうすれば良いでしょうか。
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覚えていますか?「地方の時代」
流行語にもなった「地方の時代」という造語を最初に発したのは、当時の神奈川県知事を五期に渡り担った故長洲一二(ながす・かずじ)氏です。
ある席上で「当面する巨大都市問題、環境・資源・エネルギー・食糧問題、管理社会と人間疎外の問題など、現代先進工業社会に共通する難問は、自治体を抜きにしては解決できない」と発したことがきっかけで広まり、革新派と言われた各地の首長たちが、地域経営の自律性、主導権の移譲を中央政府に求める構図が生まれました。
その中心人物であった岩國哲人(いわくに・てつんど)氏と細川護煕(ほそかわ・もりひろ)氏の共著「鄙の論理(ひなのろんり)」は1991年のベストセラーにもなっています。(同時期のベストセラーには石原慎太郎氏と江藤淳氏の共著「断固『NO』と言える日本」があり、経済面で絶好調であった当時の情勢が想像できます)
それに対して、現在2010年代の「地方創生」は、中央政府が各自治体に自立を求める立て付けになっており、「地方の時代」とは逆の構図となっているのです。
前者は、政財界ではよく使われたフレーズでしたが、実態のないまま運動は潰(つい)えていきます。後者は、現在進行形ですが、最も重要な人的基盤をつくるべき要素に対応していないため、地域の人口減少による衰退にブレーキをかける取り組みとなっていません。
知っていますか?「地方創生」の定義
「地方創生」とは何か? という定義は、あまり知られていないと思います。昨夏の内閣改造で地方創生担当相になった山本幸三大臣は、就任直後の会見で「地方創生とは地方の平均所得を上げることだというように定義をして、そういう方向をどうしたらできるかということを考え、すぐに実践に移していきたいというふうに思っております」と記者からの質問に答える形で示しており、その後の山本氏の講話資料でも「『地方創生』=『地方の平均所得を上げること』と定義し、 “稼ぐ”取組が重要」と大きく書かれています。
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平成の「地方創生」と昭和の「地方の時代」 住民不在に慣れ切った私たち
政府の「まち・ひと・しごと創生本部」がまとめた「総合戦略」(2016年度改訂版)では、2020年に向けた地方創生の目標として4つの基本目標が掲げられています。(下図参照)
(1)地方にしごとをつくり、安心して働けるようにする
(2)地方への新しいひとの流れをつくる
(3)若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる
(4)時代に合った地域をつくり、安心な暮らしを守るとともに、地域と地域を連携する
4つの基本目標に紐づく施策と目標数値も示されています。図はかなり細かいですが、こちらからPDFファイルをダウンロードできます。
前任の石破氏は、「これ(地方創生)が失敗したら、この国が終わるという危機感がある」と緊張感を持って述べています。上図の総合戦略も緻密に書き込んであるように見えますが、抜けている要素があるために、この総合戦略は現状打開の機会を自ら閉ざしているようです。
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2つの共通点と「総合戦略」に欠けているもの
約40年の時を超え、昭和の「地方の時代」と平成の「地方創生」両者に共通するのは、住民不在という点です。
自治体経営の基本は、住民が主体的に地域経営を考え参加することですが、数万人を巻き込むコミュニケーションの方法は、旧来からないがしろにされてきました。行政には広報・公聴という領域がありますが、そのリーチ力は決して高くありません。
町おこしや地域経営の成功事例を見ると人口3000人前後、それ以下の規模の自治体での事例がほとんど。1万人を超えるとお互いの顔が見えなくなり、決めるべきことを決めることが大変になってきます。
そして、前述の「総合戦略」で抜けているポイントは、「教育」と「コミュニケーション」です。各地で高校廃校の可能性に危機を覚え、自治体、地域と学校が連携する事例も増えつつあるように、「教育」は地方と都市の容易に埋められない格差となっています。各地にとって深刻なことは、高齢化以上に次世代を担う若年層の流出です。
地方創生を政府が本気で行うならば、「地域課題を小中学校から学ぶ機会を増やし、地域の若者が起業できる環境整備」を自治体主導で行えるようにするべきです。各自治体への「総合教育会議」の整備などによって、首長の関与は強化されていますが、依然として教育行政は上意下達の慣習が残っており、閉鎖的と言われています。
また、住民とのコミュニケーションについては、従来の広報・公聴の枠を超えた住民参加を前提とした地域経営手法の導入を、各自治体に後押しすべきです。
この2つの要素がすっぽり抜けていることが、地方創生の取り組みに未来への期待を感じられない最大の理由なのです。
自治体経営のOSはなぜ性能を発揮できないのか
政府も私たちも「住民不在の自治」という矛盾状態に慣れてしまっています。マスメディアが注目することによる劇場型政治をうっかり評価してしまうことさえあります。結果として、住民不在で、住民に負担をもたらす意思決定が合理的かつ合法的に行われます。図にするとこんな感じです。
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平成の「地方創生」と昭和の「地方の時代」 住民不在に慣れ切った私たち
自治体経営というオペレーションシステム(OS)が、地方自治法と、さらに住民自治の権限を定めた憲法8章(特に94、95条)によって構成されながら、本来の性能を発揮できていないのは、住民を日常的に地域経営に参加させることを避けてきたからです。これが、このOSの欠陥です。そこで何が起こるかというと、社会の富の浪費であり、地域の衰退の加速です。
「コミュニケーションの動脈硬化」解消を
日本全国で上図にあるような、住民、議会、首長、行政の間の「コミュニケーションの動脈硬化」を解消しなければ、“稼ぐ”ことに成功しても時間稼ぎにとどまります。いまはその時間稼ぎも大変重い意味を持ちますが、本来の向かうべき未来を考えずに所得の向上をゴールにしてしまうことは、地方創生という有意義な取り組みの矮小化に繋がります。
「地方創生」が「地方の時代」のようにならないために「住民不在にならないコミュニケーション」を自治体が実装する必要があります。
それは、地域の課題を住民らで議論し解決を目指す「コミュニティデザイン」とか「ワールドカフェ」のような手法ではないのか? という指摘もあるかもしれませんが、双方ともに数万規模の人々の参加は現実的に難しく、参加者の継続的なコミットメントは担保されていません、さらに、議員の参加を促す仕組みも備えていないため、上図の動脈硬化を解消できません。
また、みんなで考えていいものでもありません。整理された情報の共有もなく、議論する対象の階層が錯綜しないための交通整理を行わずに、単純にみんなで考えた結果は大抵、混乱に陥ってしまいます。理想論で現実が動くというような生易しいものではないのです。ですから、これまでの歴史の中で、住民を日常的に地域経営に参加させることは避けられてきました。
それでも、21世紀を生きる私たちは未来をつくらねばなりません。未来の日常が自分たちの手から離れたものにならないために、私たちには理性的に情報を咀嚼(そしゃく)し、自分の頭で考え、意思表示するという面倒なことを積極的に行うことが求められています。「地方創生」の本質は、一人ひとりが地域のことを客観的に理解し考え行動することにあります。
そして、それをどう実現していくかは21世紀のメディアの形、民主主義を考えることを意味するのです。
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■岩田崇(いわた・たかし) 1973年1月生まれ。「オープンな合意形成によってこれからの社会に求められるイノベーションが実現する」との考えのもとに特許、メディア開発などを行う研究者、起業家。栃木県塩谷町では『塩谷町民全員会議』を開発、運営し、2016年マニフェスト大賞コミュニケーション最優秀賞を受賞
<理由>
いくら、くだらない教授が空理空論を述べても、無理です。
今の産業構造は、第3次型(サービス業)だから。

サービス業の本質は、その場で生産=その場で消費(電気などのインフラを除く)。つまり、ヒト対ヒト。
塾も商業も、病院も、教育も、介護も、弁当屋も、郵便局も、宅配も、葬式も、何から何まで、「ヒト相手」。ヒトがいないところでは、商売は成り立たない。
地方にはヒトがいない。ヒトなど、少子化対策をいくらやろうが増えない。衰退するのはあたりまえ。カネをつぎ込んでも、結局はムダ金。そういうこと。