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ヒロ
2016年10月11日 10:00
TPPが時代遅れな理由
今は流行らない「リカードの比較優位」という経済の原則があります。これはリカード教授が自由貿易の原始的発想を提供した古典であります。例えを出します。日本は自動車づくりが得意です。韓国はスマホづくりが得意です。ですが両方の国ともスマホ、自動車それぞれ作っています。この場合、比較優位に立てばお互いが得意なものだけを作ればより効率的であるという観点のもと、日本は自動車だけを、韓国はスマホだけを作ればよいとするのがこの古典的理論です。しかし、日本はスマホ生産を止めるでしょうか?韓国は自動車製造を止めるでしょうか?意地でもやめません。それは第三国の市場シェアもあるからです。
この理論が発表されたのは1817年です。今から200年も前の時代には物々交換という原始経済から進化はすれど国家間貿易ではまだインキュベーションな時代だったと思われます。20世紀後半になり、爆発的貿易が摩擦を生み、国家間で大きな障害となったことは若い方はご存じないかもしれません。繊維、鉄鋼、自動車など日本が対アメリカで経験した試練は国際貿易の進化過程そのものでありました。
国家は自国にない素材や製品を他国からの輸入に頼り内需を成長させますが、同時に自国内生産を育む国策が生まれます。これは外国から買っていたものを自国で生産する自国内製品購入運動と自分たちも輸出で稼ごうとする発展的で自然な展開です。かつてのアメリカや今の中国がその典型です。
また、今世紀に入り、情報が地球儀を一瞬にして駆け巡ることで途上国で加速度的な高性能製品の生産能力を取得することが可能になりました。例えば自動車は私の調べる限り世界51か国で作られています。
これは比較優位の論理を根本的に崩してしまったとも言えます。企業は企業の論理で世界中に進出しています。進出国で生産ノウハウを投資という形に変えて移転させてきたため、生産能力の差が薄れてきているとも言えます。そのためにTPPのように参加国同士が同じ色に染まるようなルール作りは企業にとって防衛策は十分に施されており、別になくてもよいとも言えます。
ウーン、比較優位は、世間では全然理解されていませんね。
では、比較優位について、「決定打」を放ちます。これで理解できなければ、もう、「経済」を語るのをあきらめてください。
まず、高校現場では、やっと「比較優位は機会費用のこと」という説明が、登場しました。これが実は、比較優位の神髄・決定打です。
飯田泰之 先生のための夏休み経済教室から
『経済教育に経済学はいらない?』経済教育ネットワーク ニューズレター第6巻 2号 2011
実を言いますと、この機会費用の発見というのは経済学の歴史においては画期的な発見なのです。有名なリカードの比較優位説というのは、本当は機会費用を発見したという研究なのです。
…完全特化というのはそれほど重要な話ではなくて、実は比較優位説で最も重要なのは、二国間で技術水準が違うと、一方的に得な取引を続けることで、ともに利益が得られる。このプロセスの部分が重要なのです。最後に出てくる完全特化が得であるとか、得ではないというのは、それほど重要な問題ではない…つまり比較優位説で重要なのは完全特化の方ではなくて、この機会費用…なんです。
実教出版 「2015 ズームアップ現代社会資料」p272
世界にアメリカと日本の2か国しかないとする


日本のほうがオレンジも自動車も少ない人数、つまり少ない労働量(費用)でつくることができる。
→日本はアメリカに対して絶対優位を持っている
リカード以前の考え方では、「アメリカと日本は貿易しないほうがよい」という結論に達していた。
これとは別の考え方があるということを明らかにしたのが、リカードの比較生産費説である。リカードは機会費用を考えた。
比較優位
自由貿易をすれば、両国にメリットがあるというモデルを示したのがこの比較優位説である。絶対優位を持たなくても、比較優位を持つ商品の生産に特化することで自由貿易をとおして各国の利益が大きくなるということを示した。
どうですか?「機会費用」が述べられていますね。
では、その「機会費用」に基づいて、説明された、高校の資料集をみましょう。
東学 政・経資料 2016







最後に述べられている、国の場合の、扇形の説明を加えます。
このように貿易は、絶対劣位の途上国と、絶対優位の先進国の間でも、必ず利益をもたらすのです。ヒトや企業や国は、絶対優位にはなれますが、原理的に、両方の財に比較優位になることは無理なのです。そうすると、途上国にも必ず利益が生じることになるのです。
実際には、企業や国の生産性フロンティアは、個人の例やリカード例のような直線ではなく、曲線、扇形になります。1人1人の生産性、1企業1企業の生産性は、ばらばらだからです。それら(三角形)を全部合わせる扇形になります。

その場合の、貿易の利益は下記のようになります。時給自足の場合は、その国の生産可能性フロンティア=消費可能性フロンティアであり、「生産量≧消費量」になりますが、輸出入をすることによって、「生産量<消費量」になります。図の貿易後消費点は、国内自給自足生産以上に消費をしている点です。

国の場合は、フロンティアが曲線・扇形なので、完全特化には至りません。極限にいたるほど、機会費用がどんどんかかる=生産性が低下するので、その場合は、交換しないで、自国で作った方がトクになるからです。
これが、比較生産費=比較優位論のすべてです。
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三橋さんのブログでやたらと菅原さんを推す人がいるので読ませていただきました。
比較優位の話には、所得と支出の観点がすっぽり抜けていませんか。
交易をすると自動的に消費が増えるという理屈になっていますが、消費が増えるのは所得が増えることを意味します。その所得はどこから生まれたものなのですか? なぜ人々は必ず支出を増やすことになっているのですか?
それから、私が一番疑問に思っていることですが、経済学は、なぜ現実社会の数字で証明しようとしないでしょうか。
「こうなっているはずだ」という理論はあれど、現実社会の数字で証明された理論を見たことがありません。
もし存在するのであれば、ぜひご紹介いただきたい。
所得と支出ですか?
物々交換で結構ですが。
比較優位は、「個人」でも同じです。あれもこれもやらずに、何か一つに特化して仕事をしていませんか?
最大の所得を得るように実践していませんか?あなたのやっていることが、「比較優位」そのものですが、理解できませんか?
数学であれば、長沼伸一郎「経済数学の直感的方法」を参照下さい。
グラフは、数式です。
例えば、比較生産費に出てくるフロンティア・機会費用の三角形は、Y=○○Xという数式です。扇形も同様です。
グラフは、それを「目で見える形」にあらわしたものです。
数式は、経済学を貫いています。もっとも、数理数学の「一部」のみを使っているので、自然科学者からは、「興味がない」話です。
自然科学者は、「全体を貫く統一理論の式」を追求しますが、経済学は、その一部を切り取って使用し、説明するだけだからです。
ご返答ありがとうございました。
>物々交換で結構ですが。
経済とは「お金とモノやサービスを交換すること」で成り立っています。物々交換の事例はどこに見られるのでしょうか。
>比較優位は、「個人」でも同じです。あれもこれもやらずに、何か一つに特化して仕事をしていませんか?
生産ラインのようにやるべき仕事が明確な場合は限られた仕事に特化できますが、そうではない仕事も多々あります。
>最大の所得を得るように実践していませんか?あなたのやっていることが、「比較優位」そのものですが、理解できませんか?
実際の経営の現場では、比較優位の理論よりも経営リソースをどうフル活用するかが重要です。例えば、閑散期に生産力が余っているようであれば、外部の方が効率が良い仕事でも内製化することはあります。固定費のかかる労働力や設備を遊ばせておくよりはましだからです。
経営、もしくはそれに近い社会経験はおありですか?
私が問いたかったのは、自由貿易が始まると同時に消費(=所得=支出)が伸びるのはなぜなのかということです。
比較優位に基づく自由貿易は供給側の理論ですが、スティグリッツは「供給はそれ自体の需要を生み出さない」と指摘しています。現実社会での経験があれば、ごく当たり前のことだと理解できます。
需要を生まない理論を実践して消費が伸びるのはなぜなのでしょうか。
>経済とは「お金とモノやサービスを交換すること」で成り立っています。物々交換の事例はどこに見られるのでしょうか。
上記事例で、コメと野菜を交換ですが・・・と説明しました。
それに、日本は、「通貨のない時代」を何百年も経験していますよ。日本史で、「通貨」が使われていない時代を学んでいないのですか?和同開珎など、すたれた時代があるのですよ。
>>比較優位は、「個人」でも同じです。あれもこれもやらずに、何か一つに特化して仕事をしていませんか?
>生産ラインのようにやるべき仕事が明確な場合は限られた仕事に特化できますが、そうではない仕事も多々あります。
あの、2社や3社に努めている人など、いませんよね・・・・。2つも3つも、別な仕事(畑違い)をする人など、いませんね。
>>最大の所得を得るように実践していませんか?あなたのやっていることが、「比較優位」そのものですが、理解できませんか?
>実際の経営の現場では、比較優位の理論よりも経営リソースをどうフル活用するかが重要です。例えば、閑散期に生産力が余っているようであれば、外部の方が効率が良い仕事でも内製化することはあります。固定費のかかる労働力や設備を遊ばせておくよりはましだからです。
ですから、「機会費用」の話です。機会費用最小化=比較優位です。
>経営、もしくはそれに近い社会経験はおありですか?
理論とは関係ありません。まず、上記の説明(本文)で、納得できないところがありますか?
三角形は、「数式」ですよ。
>私が問いたかったのは、自由貿易が始まると同時に消費(=所得=支出)が伸びるのはなぜなのかということです。
生産性の高い財を生産するからです。生産性=所得と直結しています。拙著「図解使えるミクロ経済学」をお読みください。
生産性の差=途上国・先進国の差、大企業・中小企業の差、生産性=所得水準のことです。生産性=給与水準のことです。
拙著で詳しく解説しています。
>>比較優位に基づく自由貿易は供給側の理論ですが、スティグリッツは「供給はそれ自体の需要を生み出さない」と指摘しています。現実社会での経験があれば、ごく当たり前のことだと理解できます。
その説明は、セイ法則を、ケインズが解釈したものです。わざと矮小化したもので、あなたは、その孫引きを使っているだけです。あなたのは、「単なる間違い」の話です。
セイの方程式が真の説明です。拙著 「使えるマクロ経済学」をお読みください。
>需要を生まない理論を実践して消費が伸びるのはなぜなのでしょうか。
需要を生まない????生産量<消費量になるのが、比較優位です。
あなたの給与で、いろいろなものが買えるのが、比較優位です。あなた、なぜ、自給自足しないのですか?自給自足より、特化し交換すると生産量<消費量になるのが比較優位で、あなたの生活が、比較優位を証明しています。
とにかく、拙著も読まない、本文を理解しようとしない人に、これ以上説明するのは、無理です。まず、拙著を読んでから、質問してください。本文すら理解しようとしない、シロウト論に、付き合いきれません。シロウト質問に答えるのが、時間の無駄ですので。
まず、勉強してから、「質問」してください。コスト(金や時間)をかけずに、簡単に知識を得ようとしても無理です。
以上です。
自由貿易をするとなぜ自動的に消費が増えるのかという疑問ですが、
ただ単に貿易するという行為が消費そのものだからという回答で十分なのではないでしょうか。
海外の価値を消費する意思がなければそもそも貿易しませんから。自由貿易が成立した時点で消費が増えるのは確定済みと表現するといいのかな。貿易は取引であり契約なんだから互いの意思が合致しないと始まりませんので。
うーん、誤解が広まっていますね。
生産量を増やす=生産性向上=GDP増(潜在成長力増)です。GDPを増やすために、各国は色々努力をしています。
生産量を増やす=給与水準が上がることです。だから、個人でも、「生産性の高い=給与水準の高い」を目指します。
生産量=供給、消費=需要です。
供給力と、需要力は分けて考えてくださいね。
生産されたものが、すべて消費されなくとも構いません。それでも確実に生産量<消費量になります。
仕事を一本化(1社に務める)し、その給与で消費をする・・・これが、生産量<消費量です。
それが理解できないのなら、「自給自足」をしたらよいと思います。
生産量=消費量の世界と、生産量<消費量の世界と、どちらが「良い」かは、一目瞭然です。
l交換(給与で消費する)は、必ず、「トク」だから、行われるのです。
比較優位は、交換する両者ともに「トク」する理論です。
仕事の一本化というのは、現実社会では限定された仕事に特化することを言います。1社に勤めたからといって、限定された仕事だけが与えられるとは限りません。
仕事の量(需要)や業務内容に応じて、経営リソースである人の配置や仕事の分担は変わるのです。
経営や社会経験のことをたずねたのは、こういうことが理解できるかどうかに関わるからです。
私は、納得したいのではなく、事実を知りたいだけです。理論が正しいとするなら、必ずそれに基づく事実があるはずです。
1.現代において物々交換(通貨を使わない取引)の事実を挙げてください
2.給与で生産量以上に消費されている事実を挙げてください
3.生産されたものがすべて消費されなくとも確実に生産量<消費量になっている事実を挙げてください
4.自由貿易によってその国の人々の所得が向上した事実を挙げてください(格差が拡大しなかった事例)
学者や先生は理論に納得するだけで済みますが、私達は現実社会にどっぷりはまって生きていますので事実かどうかが重要なのです。
>仕事の一本化というのは、現実社会では限定された仕事に特化することを言います。1社に勤めたからといって、限定された仕事だけが与えられるとは限りません。仕事の量(需要)や業務内容に応じて、経営リソースである人の配置や仕事の分担は変わるのです。経営や社会経験のことをたずねたのは、こういうことが理解できるかどうかに関わるからです。
給与は、1つの会社からもらいますね。これを「特化」と言います。
仕事の内容は、教員でさえ、多岐にわたります。「仕事の内容が違う」のは、当たり前です。
給与がもらえる=自分の生産性に応じた給与をもらう=特化と言います。
>私は、納得したいのではなく、事実を知りたいだけです。理論が正しいとするなら、必ずそれに基づく事実があるはずです。
1.現代において物々交換(通貨を使わない取引)の事実を挙げてください
2.給与で生産量以上に消費されている事実を挙げてください
3.生産されたものがすべて消費されなくとも確実に生産量<消費量になっている事実を挙げてください
4.自由貿易によってその国の人々の所得が向上した事実を挙げてください(格差が拡大しなかった事例)
学者や先生は理論に納得するだけで済みますが、私達は現実社会にどっぷりはまって生きていますので事実かどうかが重要なのです。
ご自分でお調べください。
言いましたよね、コストをかけないとだめですよと。「ただで答えてもらおう」など、図々しいと言います。常識をわきまえましょうね(笑)。
答えられないのではなく、私は、あなたに答える義務などない。ということですので、誤解なきよう(笑)。
答えられないことを証明していただいたので十分です。
あなたの知識にお金を払う価値があるかどうかは、需要側である私が判断します。
もちろん、払いません(笑) 事実に基づかない知識に価値は感じませんので。
ところで、あなたは公立高校の教員ではなかったですかね。
勤務時間中に私設のブログに書き込むのは職務規定に違反しないのですか?
>答えられないことを証明していただいたので十分です。
⇕
全て答えられます(今すぐにです)が、あなたのような、勉強をしないシロウトには答えません。
「自分で勉強したのですが、これでいいですか?」とか、「勉強しましたが、分からないので教えてください」という方には、回答しています。
それに、「コメントをする方は、最初に質問欄を通じてコンタクトしてください」というルールを,,あなたは逸脱しています。
どこの馬の骨ともわからない方と、やり取りはできませんので、悪しからず。
ルールを守り、名前とメールアドレスを添え、どのような仕事をしているのか(引退者か学生か)などをきちんと添えるルールを守れば、いくらでも回答しますよ。
社会人としてのマナーをお守りください。
メールアドレスを提示した方には、個人的にやり取りをしています。トータル何十枚も質問・回答をやりとりした方もおりますよ(笑)。
匿名で、「質問するから答えなさい」など、社会のルールを逸脱しています。
最初から、名前などをこちらに示したうえで、「教えて頂きたいのですが」というのが、社会人としてのルールです。あなた、社会人の経験はないのですか(笑)?
>あなたの知識にお金を払う価値があるかどうかは、需要側である私が判断します。
もちろん、払いません(笑) 事実に基づかない知識に価値は感じませんので。
⇕
では、最初から、くだらない質問はしないでくださいね(笑)。そもそも、回答を聞いても意味のない人には、最初から質問しないはずですが(笑)。
あなたが需要したいと言っても、供給はこちらなので、判断するのは、こちらですよ(笑)。
経済学は、理論と実践(事実)で成り立ちます。アメリカの先生の教科書は、みなそうです。私の著書も当然ですが、理論と実践で成り立っています。事実を理論で説明するのが、経済学ですから。理論を敷衍する自然科学との違いです。
自分で考えられない人には、回答しても意味がありません(笑)。
>ところで、あなたは公立高校の教員ではなかったですかね。 勤務時間中に私設のブログに書き込むのは職務規定に違反しないのですか?
⇕
昼休みの休憩時間は、勤務時間ではありませんよ。昼寝をしてもかまいません(笑)。あなたは、働いた経験がないんですか(笑)?
あなたからのコメントは、もうしないでくださいね。やり取りが時間の無駄です。なにせ、比較優位なので、忙しいですから(笑)。
竜蔵
120-51-186-204.hiroshima.fdn.vectant.ne.jp
>>全て答えられます(今すぐにです)が、
>答えられなかった「事実」は残りますけどね。
いいえ、あなたには回答しないだけです。
答え(実証)など、ごろごろありますね(笑)。
どの答えを選べばいいかわからないほど、事実はたくさんありますよ(笑)。
知りたければ、質問欄からどうぞ。マナーを守りましょう。
質問を頂きました。
また蒸し返して頑張っているようですね。(笑)
質問があれば、正々堂々と、こちらに尋ねればいいと思うのですが(閑話休題)
間違い点を指摘しましょう
>比較優位で生産量は自動的に増えるのか
この設問自体が、比較優位を何も理解していないことを示します
アダムスミス
①分業で生産量が増える。ピン工場で全部1人でつくるより、分業した方がピンを240倍作れる
②誰もが交換している。交換が利益を得るのは自明だ。靴屋、農家、仕立て屋の例
リカード比較優位
③ ②の例だけではなく、絶対劣位者(国イギリス)と絶対優位者(国ポルトガル)の間でも、交換の利益は必ず生じる
です。つまり、リカード比較優位を否定するには、③を否定して初めて成り立つのです。
竜蔵さんは①が成立するかどうか?と言っていますよね。それは自給自足か分業かという話で、リカードの比較優位の話ではありません。また、スミスは①がなぜ成立するかも、自明だとしています。これは自明なので、誰も否定できません。
また、比較優位は、貿易をやめて、自給自足すると・・・という例を示したものです。
アダムスミスの時代も、リカードの時代も、「自給自足」はすでに行われていないのです。つまり、自給自足は、空気抵抗をゼロにして等価速度運動を考えると・・・・という理論上の話です。現実にはないのです。
ピサの斜塔から風船玉と、鉄球を同時に落とせば、鉄球が先に落ちるのです(空気の影響)ですが理論上は、同じです。当時の実験でも、ボールと鉄球の場合は、同時に地面につきました。
現実社会がすでに、分業と交換で成り立っているのです。現実が「分業と交換」なのです。
>比較優位で生産量は自動的に増えるのか
ではなく、分業と交換で生産量はこの状態になっている、これを自給自足にしたらどうなるか・・・(確実に減るのですけど)・・・と考えなければなりません。
経済学は現実が先、理論は後です。自給自足という現実は、スミスの時代にはすでになかったのです。
というより、エジプト史を見てもわかるように、有史以来みな分業と交換をしているのが人類史です。自給自足など、ないのです。分業と交換が経済活動です。
自給自足をしているように見える部族でも、男性女性の分業は存在しています。自給自足は現実には「ない」のです。
>比較優位で生産量は自動的に増えるのか
設問自体が、ナンセンス、的外れです。
①分業で必ず増えています。(アダムスミスの①)
②自給自足という現実がありません。
③、①しか人類は行っていません、スミスの時代からです
で、国と国の貿易について、アダムスミスは絶対優位国同士の貿易ならともかく、弱小国と強国の貿易では、弱小国が圧倒的に不利としました。常識的にはそうです。
しかしリカードは、絶対優位は関係なく、比較優位があれば、弱小国でも利益があることを比較優位論で証明したのです。
ですから、比較優位について是非を問うなら、絶対優位・絶対劣位間では利益が生じないということを立証しなければならないということです。
また、それを立証するのに、現実は「貿易が行われている」、これを制限するのは良くない(スミスも主張していましたね)、なぜなら、貿易を制限し、イギリスが自給自足すると生産量も消費量も減る
これが比較優位です。
出発点は、分業と交換、そして貿易があるという現実です。
それを穀物法の様に制限すれば、イギリス(当時の絶対劣位国)にとっても良くないですよ・・・
これが比較優位です。
つまり、「現実世界が善、鎖国はナンセンスです」という話です。
>比較優位で生産量は自動的に増えるのか
ではなく、比較優位をやめるとどうなるか?が正しい解釈です。
経済学は現実を説明する理論です。
現実が先、理論は後なのです。
比較優位を否定する人は現実を否定して、つまり自分自身、自分自身の生活を否定する・・・単なる空想上のお遊びをしているに過ぎません。
比較優位否定論者と話すこと自体、あなたの貴重な資源の浪費です。
>③ ②の例だけではなく、絶対劣位者(国イギリス)と絶対優位者(国ポルトガル)の間でも、交換の利益は必ず生じる
です。つまり、リカード比較優位を否定するには、③を否定して初めて成り立つのです。
この話なら、理論の話なので、傾聴に値します。しかし、この200年間、だれ1人この理論をひっくり返した人はいません。
答えはすでに出ているのです。
経済学部では実証重視(計量経済学を徹底して学ぶ)です。現実を離れて理論はありません。
経済学部は、経済学的な物の見方、考え方を訓練するところです。だから、世の中の常識・通説をひっくり返しているのです。
関税はOKを否定するのが経済学です。
>比較優位で生産量は自動的に増えるのか
は、経済学を知らない人の典型的な考え方として、傾聴しました。
まだまだ、啓もうが必要ですね。高校生はしっかりした知識を学んでいますが、それ以外の方は、中野剛志をはじめ、デタラメですからね。