<文化と伝統など、後で作った話に過ぎない>
日本の伝統・・・文化・・・、相撲や武士道・・○○道など、単なる後付の話です。もちろん、日本人の精神性、大和魂といっても、「そもそもいつからの話で、だれがその伝統と文化を決めたのですか?」と言っても、「誰も知らない」・・・
そんなものです。
そもそも、「伝統」という「空想の産物」を考えたのは、戦(いくさ)もなく、暇を持て余すようになった江戸時代の話です。
石村貞吉『有職故実』講談社学術文庫 1987
「平安時代の礼法、官制、服制等を伝えている公家…既に平安時代と年代を隔てること八百余年の遠きに及び、その礼法の精神、習俗の成否等、不明の点が少なくないこととなり…武家においても同じく、鎌倉・室町両時代の、幕府の礼法、武具、甲冑等を伝えながらも、四百余年、ないしは二百余年を隔てているために、その精神・意義・実際をつまびらかにすることができなくなってしまった」
要するに、服装とか、作法の順序とか、所作は、残っているものの、その導入の経緯、なぜ導入したか・・・など、さっぱりわからないのです。日本人は、すっかり「忘れてしまっていた」のです。
それで、江戸時代になって、長老や研究者、兵法家など、ヒマな識者が「ああでもない、こうでもない」と論争し、「こうだったはず・・・」と自説を押し付け合ったのです。
「伝統」とは、受け継がれたものではなく、あとから「こうだったはず」と言い張ったものに過ぎません。
「武士道」なども、その最たるものです。
本居宣長によると、○○道とは、「よろずのことわざ(事業)」=やっていることを雑芸に至るまでも含めて、もっともらしくあるいは、かしこぶった教え」にしたもの。
「武士道」なるものが確立したのは、江戸時代。もはや「いくさ」などない世の中、武士は「公務員」となっていました。
武士道の本家本元、山鹿素行によると、「武士道」は、農民・町民が忙しく働いているのに、武士はぶらぶらしていて「自分たちは何をやっているんだろう」と言う疑問が生じたので、「忠誠の教え」が必要だとして、つくられたものです。だから、やはり「あとづけの理屈」で、そもそも、日本人全体が共有しているものでも何でもありません。武士など、人口の1%にも満たないものです。
『葉隠』
「武士道というは、死ぬことと見付けたり。一生越度(落ち度)なく、家職を仕果たすべきなり」
要するに、
「死を覚悟する覚悟をもって(そのように考えて)いれば、失敗なく定年まで奉公できます」「命を捨てる覚悟さえあれば、なんでもうまくやれるだろう」という、まさに公務員向けのマニュアルです。
これをみて、力が抜ける人はいても、力を込めて「武士道を持って私たち日本人は、しっかりしなければ」と思った人いますか?
『葉隠』など、二日酔いを(顔に紅をぬって)ごまかす方法、あくびをかみ殺す方法など、「へ?」と思うような「ビジネスマン・必携マナー術」のオンパレードです。
松代藩『武道初心集』
武士は死を覚悟すべし。そう心がければ、無病息災・寿命長久。
要するに、「健康で長生きできますよ」・・・
これが、新渡戸稲造が、「BUSIDOU」として海外に伝えた「武士道」です。
続く・・・
追伸
イブが食べたリンゴ。イブによると「蛇からそそのかされたそう」で、神はすぐに蛇の頭を潰したのです。イブの証言を裏付ける第三者は、いないのです。
つまり、「蛇がそそのかした」のかどうかは、『イブが言った』に過ぎません。さて、イブは「蛇のそそのかされた」のですか?それとも???