嫌になるくらいの空理空論。真の民主主義だって????
はっきり言う! 彼らの言う民主主義など、空理空論
http://blogos.com/article/136121/
舛添要一
2015年09月27日 16:51
由利公正の現代的意味
私は、常に「万機公論に決すべし」と言っており、これが私の政治手法であることは周知の通りである。情報を公開し、皆で合意を形成していくことの重要性をいつも説いている。新国立競技場や五輪エンブレムの失策は、その主張の正しさを裏付けている。
http://blogos.com/article/136018/
藤井達夫
2015年09月26日 15:52
安全保障関連法が成立した夜に、日本の民主主義に起こったこと――冷たい怪物が再び蘇った日――
いずれにせよ、すでに法案が国会に上程された時点で予想されたこの事態が現実となった今だからこそ、それを冷静に直視し、その意味について考えてみることが必要だろう。そこで、ここでは、安全保障関連法の制定過程において明らかとなった、日本の民主主義の変質について検討したい。この変質とは、その日以来、日本の民主主義が民主主義という装いの下でその内実を骨抜きにされてしまったこと、ようするに、民主主義が倒錯してしまったことを表している。もちろん、それは、日本の社会の不吉な未来を予感させる。というのも、この倒錯した民主主義から、あらゆる冷たい怪物の中でもっとも冷たい怪物が頭をもたげつつあるからだ。国家というこの怪物は、グローバル化と民主主義の勝利によって息の根を止められたとさんざん吹聴さてきたはずだ。しかし、それが再び蘇りつつあるのだ。
今回の法律の制定によって、立憲主義的制約が放棄され、統治権力の自立化の道が切り開かれたとするなら、この事態によって現在の日本の民主主義は新たな状況を迎えつつあるといえるかもしれない。それは、民主主義の装いの下で、民主主義の理念が形骸化され無効化されていくような、歪で倒錯した民主主義の時代の到来である。この倒錯した民主主義が私たちの社会に根を下ろしつつあるのではないかと警戒することである。
倒錯した民主主義は、不健全であるだけでなく、危険であることは指摘するまでもない。また、見分けにくい分、性質も悪い。この変質が見過ごされ放置されるなら、倒錯した民主主義が定着し、常態となるだろう。その場合、私たちの社会の未来はきわめて暗い。この民主主義の変質に対して抗うには、何が必要なのか。
<本当に、学者や、知識人?といわれる人の民主主義論など単なる空理空論>
この人たち、盛んに自分の考える「皆で合意形成」とか、「倒錯した民主主義」とか、言っていますが、単なる現実無視の空理空論です。
底辺校と言われる高校には、漢字の書けない、分数の計算のできない、ADHD(注意欠陥性多動症候群)、LD:学習障害の子供たちはうようよいます。わたしも実際に経験しています。
http://altjp.net/classification/article/40
学習遅滞児(低学力児)
各種の原因によって低学力に陥っている子ども
いわゆる「低学力」が問題となっている子どもたちの中には、発達障害等を持つ子ども、不登校の子ども、外国籍の子ども、貧困等で家庭や学校外に十分な学習環境が得られない子ども、なども含まれますが、そちらは別の項で取り上げていますので、ここではそれ以外の子どもたちのことを扱うことにします。
上記の子どもたちを除けば、低学力に陥るのには以下の2つのケースが考えられるでしょうか。
1.境界知能による学習遅進
2.俗に落ちこぼれと言われる学業不振
1.の境界知能とは、精神遅滞(知的障害)の範囲と、正常知能と言われる範囲との境界領域(IQ 70~85ぐらい)の範囲の知能を指します。そうしたやや遅めの知能の発達ゆえに学習に遅れを来たす「学習遅進児」と言われる子どもは、ゆっくり学ぶタイプの子どもという意味でスローラーナーとも呼ばれています。
こうした子どもたちは、知的発達のレベルがやや低いだけで、特異な認知の偏りをあまりもっていないという点で、LD(学習障害)の子どもたちとは区別されます。「学習障害」が遺伝的な要因が主なのに対し、「学習遅進」はそれに環境的な要因が加わって生じたものなので、時間をかけて解消することが可能だとのことです。
2.の学業不振とは、簡単に言えば学校の授業についていけないでいる状態です。教育現場では皆が一緒に進んでいくという授業形態や、カリキュラムを消化するので手いっぱいだという事情などから、つまずいたところや分からない個所を個別に時間をかけてやり直すようなことが、できにくいのが現状なようです。日本の義務教育では、一定の成績を修めなければ進級・卒業できないという「修得主義」ではなく、出席日数に不足がなければ成績にかかわらず進級・卒業を認める「履修主義」をとっています。それは「留年」が子どもに与える心理的影響を考えて、なるべく避けようという配慮からなのですが、それが逆にあだとなり、学習につまずいた子どもが見過ごされ、落ちこぼれる原因の一つになってしまっています。
学習につまずく子どもの背景には、学校での友人関係や家庭環境に問題を抱え、落ち着いて勉強に取り組めないとか学習に興味を持てなくなってしまうなどの事情があることも多いので、そうした点への配慮も必要でしょう。
ただ、発達障害、不登校、外国籍、貧困、などの子どもたちの方がより大きな問題だと考えられているためか、それぞれに特化した支援活動の方が多いようです。学習遅進児はLD(学習障害)の子どもたちと一緒に支援の対象となることもよくありますが、学業不振児のみを対象に支援活動を行うところはあまりないようです。
一方、特別養護老人ホームには、認知症の人が入ります。彼らは選挙するかしないか?します。認知症の人たちも投票します。どうやって??
字の書けない人もたくさんいますよ。どうやって彼らが投票すると思います????
特養のスタッフに取材してください。現場をきちんと調べてください。
彼らを排除した民主主義が、あなたたちのいう「真の民主主義」ですか?それとも、彼らを含めた民主主義が「真の民主主義」」ですか?????
1億人を超える有権者のただ1人さえ排除しないのがあなたたちのいう「真の民主主義」なのでは?
それとも、文字の読めない若者(生活保護の申請書類すら記入できない若者がウヨウヨ)、認知症のお年寄りは、あなたたちのいう、「民主主義」には、最初から「該当しない」「排除してもかまわない」とでもいうつもり??
であれば、
http://blogos.com/article/136018/
藤井達夫
「だから、このタイプの民主主義は、政治は政治家に任せ、静かにしていないさい、悪いようにはしないから、と人びとに語りかける。この語りかけに対して、民主的な正統性はそれだけでは不十分であると異議を唱える人たちが必要なのだ」
という、エリートによる民主主義を否定する、あなたの論は成り立たないのでは???
「真の民主主義」 などどこにあるのですか? 答えましょう。そんなものこの世にない。完璧なものなどないから、まあまあの範囲で、妥協できる範囲で行わざるを得ない。
「真の民主主義」など、「桃源郷(中国の古代の話)」と同じ。
この世には「ない」。空理空論。
3人や5人の話し合いで決まる範囲なら、民主主義は成り立つが(笑い)。