自由・平等を求め続けてきた日本、今後は?

自由・平等を求め続けてきた日本、今後は?

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<開国>

帝国書院 『社会科 中学生の歴史』H23

P142

 さらにアメリカは、幕府に対して通商条約を結んで本格的に貿易を始めることを強く要求しました。その結果、幕府は1858年に日米修好通商条約を結び、函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫を貿易港として開き自由貿易をはじめました。

 しかし、この条約には、日本側に輸入品の関税率を自主的に決める権利(関税自主権)がありませんでした。また、外国人の犯罪を日本側では裁判できず、外国人が日本の法律に従う必要はない(治外法権)など日本にとって不平等な条約でした。ほぼ同じ内容をもった条約がオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも結ばれました。

p173

 その後、政府は、ロシアの南下を警戒するイギリスと交渉をはじめ、陸奥宗光のもとで治外法権の廃止に成功しました。そして日露戦争の勝利は、日本を外国に認めさせる結果となり、平等条約実現の好機となりました。1911年小村寿太郎のもとで関税自主権を完全に回復し、欧米諸国とのすべての条約改正が達成されました。


陸奥宗光 ウイキペディア
陸奥

小村寿太郎 ウイキペディア
小村

 小学校、中学校で習った出来事です。

 ご存知のように、日本は、開国に際し、不自由・不平等から、スタートしました。日本には、「近代法」がなかったからです。

 欧米の国にとって、刑法 民法の整備されていない未開の国では、法にのっとった人権は保障されないも同然でした。

 法律未整備国の、わけの分からない法で、自国民が裁かれるのは、許されなかったのです。

 また、民法は権利・義務、財産、契約について規定した法です。これがなければ、法律の保護の下で商売・取引することが出来ません。

 法律未整備の国に対して、欧米法を適用しようとした「欧米」は、当時としては当たり前の判断でした。

 日本が、ある「法治ではなく、人治国家」と、国交を開くことを考えてみてください。恣意的な法の運用をされるかもしれず、恐ろしくて、契約も人の行き来もできない状態になることでしょう。
 
 近代日本は、憲法、刑法、民法・・・これらを整備するために、欧米に留学し、講師を呼び、教えてもらったのです。
 そして、ようやく、日露戦争を経て、「法治国家」として認められたのです。もちろん、有色人種の国としては初の出来事です。

 自由と平等、日本人の悲願だったものが手に入ることになったのです。

<戦後>

 敗戦国日本としてスタートしました。連合国は、日本を占領し(アメリカのGHQ)、その占領は1945年~1952年まで、続きました。

 この間、GHQは徹底した情報統制を敷き、アメリカ軍による犯罪は、新聞では報道されず(例えば大男が日本人を強姦したと記載)、ラジオの「真相はかふだ」では、徹底して「日本軍がいかに悪いことをしたか」ばかりをねつ造を含めて報道しました。

 工業も、解体されました。工場内で使える機械は、アメリカが持って行ってしまいました。日本は、当時世界最高水準であった「飛行機産業」も解体させられました。飛行機は作れないことになったのです(これがなければ、日本は、今日、世界最高水準の旅客機を製造していたことでしょう。カナダのボンバルディアプロペラ機のような故障頻発機は、使用していなかったはずです)。

 日本帰省軍人は、語りたくても語れないことがやまほどあった時代です(南方戦線では、その9割以上が、戦死ではなく、餓死、病死だったのですが、当時の軍隊は村ごと・町ごとの編成部隊だったので、顔見知りの遺族には話せませんでした)。出るときには、故郷の英雄が、帰った後は、非人間のように見られていた(プロパガンダにより)時代でした。
 
 ですが、戦後すぐに米ソ対立による「冷戦構造」が始まり、GHQの方針も「日本を二度とはむかうことが出来ないように徹底解体する」から、「資本主義陣営に取り込み、アジアの対共産主義防波堤にする」に変わります。憲法草案作成も、スタッフが変わります。
 
 そのような、時代背景下、日本の悲願は、「主権回復」でした。「自由と平等」を求める戦いが始まったのです。

<国連加盟>

 56年(S31)年に、加盟できました。でも、最初は加盟を認められませんでした。51年にUNESCO(ユネスコ 国連教育科学文化機関)に加盟するところから、スタートしました。ユネスコ加盟には、どの国も「拒否権」を持たなかったからです。

 国際連合とは言いますが、正式名は、「United Nations」連合国です。つまり、第二次大戦で日本(日独伊:枢軸国)が戦った「連合国:米英ソ仏中」、敵国連合のことです。

 日本が常任理事国を務めていた戦前の国際連盟は、「League of Nations」ですから、そのものずばりの訳です。

 それを「国際連合」と訳した(国際と入れることによって、ポツダム宣言を起草した敵国=連合国のニュアンスを打ち消すことができる)ですから、外務省?は、優秀ですね。ちなみに中国では、「聯合國」という訳です。

 ですから、日本は、連合国にとって、未だに敵です。

敵国条項です。ウイキペディア

 国際連合憲章第53条(決議の例外)と第107条(連合国の敵国に対する加盟国の武力制裁)では、第二次世界大戦中に「連合国の敵国」だった国が憲章に違反する行動を起こした場合、国際連合加盟国は国連決議に関係なく、単独でも無条件に、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止出来ないとしている。

 つまり、枢軸国日本に対しては、無条件に「軍事的制裁」が許されています。中国が日本に軍事的制裁をしても、合法です。この条項は未だに削除されていません。中国が、日本の常任理事国入りを絶対に阻止しようとするのは、当たり前のことです。
 
 カネ(分担金)は、アメリカに次いで2番目に多く出しています。米22%、日12.5%、独8%、英7%、仏6%、伊5%、中3%・・・

 GDP世界第2位になった中国は、拒否権を持つ常任理事国なのだから、日本以上にカネを出してもよさそうですが。でもそういう場合は、「中国は発展途上国だ」と言うのでしょう。

<IMF加盟>

 52年に加盟が認められました。しかし、当然差別されていました。為替制限を撤廃した8条国ではなく、14条国でした。

8条国

(1)経常為替取引の制限の撤廃
(2)複数為替レートや2国間の支払協定などによる差別的通貨措置の撤廃
(3)経常的な為替取引で非居住者の取得した通貨の交換性の保証
 

 この、「普通の国」の条項、これが認められていませんでした。

14条国

国際収支を理由とした為替・輸入制限国


 つまり、日本円は、外で使えなかったのです。

 具体的にはこういうことです。

為替取引制限がない(8条国)だと、こうなります。


西ドイツへの輸出入

マルク⇔日本円



これで終わりです。

為替取引制限がある(14条国)と、こうなります。


西ドイツへの輸出

マルク→米国政府の交換手数料→ドル→米国政府の交換手数料→日本円
 


 数%の手数料とはいえ、「ブリキのおもちゃ」を輸出して外貨を得ていた日本にとっては、大変大きな出費です。

 敗戦国だった日本は、14条国から、8条国への移行のため、大変な努力を重ねました。

日経H24.2.17
元 円 直接交換 2.16.jpg


 IBRD(世界銀行)から借りた資金も、日本は、堅実に返済しました。新幹線や、名神高速道路は、これらの融資で建設されたものです。融資の返済が終わったのは1990年のことです。

実教出版『2012ニュースタンダード 資料現代社会』
新幹線 世界銀行 借金

 日本は、64年に、実に12年間かけて、8条国に移行できました。「自由と平等」を手に入れたのです。


<GATT>

 関税と貿易に関する一般協定です。

 これも、55年に加盟はしたものの、対等な貿易はさせてもらえませんでした。

GATT35条国

 ある国と結んだ関税(例えば3%)は、ほかの加盟国も適用させなければいけません。それがGATTの最恵国待遇と言われる原則です。

 ですが、その関税は、日本には適用されませんでした。35条が適用されたのです。差別待遇です。
 

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1985/s60-1030100.htm
日本の国際社会への復帰も,当初は必ずしも円滑に行われた訳ではなかった。これは,我が国のGATT加入実現後も,英,仏,ベルギー,豪等多くの国が,GATT35条の認める特別の規定を援用して我が国とGATT関係に入ること(最恵国待遇の供与等)を拒否し,対日差別待遇を維持したためである。


 日本は、やはり粘り強く交渉し、64年にIMF8条国に移行するまでに、この差別的措置を撤回させることに成功しました。

 このように、日本は、「自由と平等」を求めて、大変な苦労をしてきたわけです。その後、高度経済成長を迎え、東京オリンピック、IMF・世界銀行総会が日本で開催されるまでになりました(64年)

 ホスト国だった日本は、池田勇人首相が、102か国の代表の前で、高らかに演説しました。

読売H24.1.21『昭和時代 第1部 30年代』
「IMFの皆さん、この日本の爆発的エネルギーを見てください。…あなたがたから借りた資金は、われわれ国民の頭脳と勤勉によって立派に生きて働いております」
 

 今年2012年10月、実に48年ぶりに、このIMF・世界銀行総会が、日本で開催されることになりました。

<TPP、日中韓+アセアンFTA>

 これらは文字通り「自由貿易協定」です。加盟国間の「自由と平等」を推進する枠組みです。

 何度も言いますが、一番望ましいのは、WTOによる条約締結です。ですが、加盟国があまりに多く、利害対立が大きく、2001年以降全く進展していません。

 日経H24.2.3『TPP参加と成長戦略』
 …内閣官房の資料でFTA比率(FTA発行国および署名済み国との貿易額の、その国の貿易総額に占める比率)を見ると、昨年8月時点で欧州連合(EU)76%、米国37%、韓国36%、中国22%。…日本は17%…。
 

 「自由と平等」は、いつの時代も日本の悲願でした。それは、おそらく、これからも同じなのでしょう。

補足

輸出増=輸入増です。

世界の輸出額=反対から見れば世界の輸入額だからです。

「輸出を伸ばし輸入を抑える」国がもしもあるとしたなら、反対に「輸入を伸ばし輸出を抑える」国がないと、「輸出額=輸入額」はなりたちません。

 トンデモ論を言う人は、ミクロとマクロの区別ができないようです。トンデモ論を見抜くキーの一つは、「マクロ的視点(閉じた世界:限界のある世界)」があるかないかです。



補足2

TPPを巡っては、法政大学小峰隆夫先生が、日経ビジネスオンラインで述べています。

基本的に、経済学で考えると、ほとんど同じ見解になります。

参考になりますので、どうぞご覧ください。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20111024/223385/?P=2

『自由貿易とFTAについて考える
TPPは亡国の政策か救国の政策か(上)』


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