「見えざる手とは、市場機構のことではない」
<市場原理の働かない業界 宗教>
「見えざる手とは、市場機構のことではない」
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。
しかし、教科書では、以下のように、「見えざる手は市場機構」と断定しています。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
教科書の言うように、 「見えざる手=市場機構」で、「社会が発展する」のなら、「見えざる手」を経ずに「社会が発展する」=GDP増加を証明すれば、「見えざる手=市場機構」ではないことが立証されます。
連載<アダムスミス「見えざる手」(10)>で、「ただ」とか「無償」、「独占」の場合を示しました。今回は、「宗教」です。
引用・参考文献 現役のお坊さん(住職)ショーエンk 『ぼうず丸もうけのカラクリ』ダイヤモンド社2009
その一つが、お布施です。世間では、多くの人が、「なんでそんなに高いの?」と思いつつ、結構な額を包んでいるようです。しかも、その金額はベールに包まれています。
P26
市場のセリでは収穫量が増えると値段が下がりますが、お寺ではお葬式がたくさん重なっても、お布施は下がりません。お布施の額は「需要と供給」で決まるわけではないんです。
P41
「お、おいくらほどお包みすればよろしいのでしょうか?」「・・・お気持で結構です」
p43
「お経の長さや、木魚をポコポコとたたく労働量で決まるわけではなく、えらい坊さんにはたくさん出すのが普通であり、金持ちもたくさん出さないと格好がつかない」
P151
「あのクソぼうずには3万円でも高すぎる!」という声もあれば、「あの和尚様なら100万円包んでも、拝んでほしいわ」なんて声も。
p29
そのお寺が多くの檀家さんから支えられていれば、自然に多くの「お布施収入」が入ってきますよね。業界内では檀家数が1000件を超えると、「大きなお寺」という称号を手にします。
「日本では、1年間に亡くなる人が100万人を超えました。毎年、仙台市と同じだけの人口がお墓に入る計算p71」ですから、お墓は増えることがあっても、減ることはありません。
お葬式の後には、「四十九日」「一周忌」「○○回忌・・・」があります。
P182お葬式のお布施アンケート結果

需要と供給の「市場メカニズム」は、働いていないですね・・・・
さらに、「春のお彼岸の供養」、「お盆の供養」「秋のお彼岸の供養」「付け届け」があります。
ほかにも、「位牌や仏壇、お墓を新しくした場合には『開眼供養』やありますし、塔婆を供養したときには『塔婆代の収入』p75」も入ります。「墓地を経営しているお寺は『永代使用料と管理費の収入』」も入ります。
つぎに、参拝料です。
P30
初もうでや縁結びなどで有名なお寺は、参拝者がたくさん訪れますし、「四国八十八か所霊場」のような「札所」になっているお寺にも、たくさんの参拝者が訪れます。
p49
お賽銭の額は、特に決まっていません。不景気になると、小さい硬貨が多くなる一方で、「神頼み」の大口も増えるようです。
ほかにも、地代収入や、拝観料の収入を得ることができます。
ちょっと話をそれますが、お布施や、戒名料、お賽銭などは、我々の、 「お金への執着を捨てる修行のひとつp49」です。 「財布も心も軽くして、謙虚な気持ちになれることも『お参りのご利益』(同)」です。
さて、これらの収入ですが、基本的に、「無税」です。
P55グラフお寺を守る「10の結界」

上の図の税金が、全部タダです。もちろん、消費税もありません。戒名料が「税込105万円」とはならないのです。
仏教系だけで、77,831の宗教法人があります。神道そのほか、合計で、182,868の宗教法人数です(平成18年現在 文化庁HP参照)
さて、これらのお金の使われ方です。お坊さんだって、食事もすればお酒も飲み、車も運転すれば、家も新築します。立派にGDP(生産・分配・所得)の一角を占めています。
しかし、これらの世界は「需要と供給」という市場機構は、働いていません。
「見えざる手」を経ずに「社会が発展する」のです。「見えざる手=市場機構」ではないことが立証されている一例といえるでしょう。
「見えざる手とは、市場機構のことではない」
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。
しかし、教科書では、以下のように、「見えざる手は市場機構」と断定しています。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
教科書の言うように、 「見えざる手=市場機構」で、「社会が発展する」のなら、「見えざる手」を経ずに「社会が発展する」=GDP増加を証明すれば、「見えざる手=市場機構」ではないことが立証されます。
連載<アダムスミス「見えざる手」(10)>で、「ただ」とか「無償」、「独占」の場合を示しました。今回は、「宗教」です。
引用・参考文献 現役のお坊さん(住職)ショーエンk 『ぼうず丸もうけのカラクリ』ダイヤモンド社2009
その一つが、お布施です。世間では、多くの人が、「なんでそんなに高いの?」と思いつつ、結構な額を包んでいるようです。しかも、その金額はベールに包まれています。
P26
市場のセリでは収穫量が増えると値段が下がりますが、お寺ではお葬式がたくさん重なっても、お布施は下がりません。お布施の額は「需要と供給」で決まるわけではないんです。
P41
「お、おいくらほどお包みすればよろしいのでしょうか?」「・・・お気持で結構です」
p43
「お経の長さや、木魚をポコポコとたたく労働量で決まるわけではなく、えらい坊さんにはたくさん出すのが普通であり、金持ちもたくさん出さないと格好がつかない」
P151
「あのクソぼうずには3万円でも高すぎる!」という声もあれば、「あの和尚様なら100万円包んでも、拝んでほしいわ」なんて声も。
p29
そのお寺が多くの檀家さんから支えられていれば、自然に多くの「お布施収入」が入ってきますよね。業界内では檀家数が1000件を超えると、「大きなお寺」という称号を手にします。
「日本では、1年間に亡くなる人が100万人を超えました。毎年、仙台市と同じだけの人口がお墓に入る計算p71」ですから、お墓は増えることがあっても、減ることはありません。
お葬式の後には、「四十九日」「一周忌」「○○回忌・・・」があります。
P182お葬式のお布施アンケート結果

需要と供給の「市場メカニズム」は、働いていないですね・・・・
さらに、「春のお彼岸の供養」、「お盆の供養」「秋のお彼岸の供養」「付け届け」があります。
ほかにも、「位牌や仏壇、お墓を新しくした場合には『開眼供養』やありますし、塔婆を供養したときには『塔婆代の収入』p75」も入ります。「墓地を経営しているお寺は『永代使用料と管理費の収入』」も入ります。
つぎに、参拝料です。
P30
初もうでや縁結びなどで有名なお寺は、参拝者がたくさん訪れますし、「四国八十八か所霊場」のような「札所」になっているお寺にも、たくさんの参拝者が訪れます。
p49
お賽銭の額は、特に決まっていません。不景気になると、小さい硬貨が多くなる一方で、「神頼み」の大口も増えるようです。
ほかにも、地代収入や、拝観料の収入を得ることができます。
ちょっと話をそれますが、お布施や、戒名料、お賽銭などは、我々の、 「お金への執着を捨てる修行のひとつp49」です。 「財布も心も軽くして、謙虚な気持ちになれることも『お参りのご利益』(同)」です。
さて、これらの収入ですが、基本的に、「無税」です。
P55グラフお寺を守る「10の結界」

上の図の税金が、全部タダです。もちろん、消費税もありません。戒名料が「税込105万円」とはならないのです。
仏教系だけで、77,831の宗教法人があります。神道そのほか、合計で、182,868の宗教法人数です(平成18年現在 文化庁HP参照)
さて、これらのお金の使われ方です。お坊さんだって、食事もすればお酒も飲み、車も運転すれば、家も新築します。立派にGDP(生産・分配・所得)の一角を占めています。
しかし、これらの世界は「需要と供給」という市場機構は、働いていません。
「見えざる手」を経ずに「社会が発展する」のです。「見えざる手=市場機構」ではないことが立証されている一例といえるでしょう。
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