新聞を解説(20) 日本経済新聞『官僚は原点回帰し奮起せよ』
新聞を解説(20) 日本経済新聞 『大機小機 官僚は原点回帰し奮起せよ』 H21.7.24
自民党の官僚に対するスタンスが見えてこないが、「政権を取ったら局長以上の幹部人事を一から見直す」と声高に叫ぶ民主党の鳩山由紀大代表の発言もいただけない。専門家とての官僚の仕事は簡単に実態を見破れるほど単純ではない。
専門家は書類に記されていない、書類に記し難い本質を知っている。暗黙知と呼べる能力だ。容易に数量化できない大事な概念にも通じている。この二つを持つから専門家と呼ばれるのである。
企業経営もそうだ。経営学者がすぐ企業を経営できるわけではない。長年企業の内部で頑張った後に昇進した取締役は、企業経営で、専門家に求められるあの二つの要素を身に付けている。他方、社外取締役は、通常、会社の実態を把握していないし、その能力もない。力を発揮できるのは、戦略アドバイスぐらいだ。
行政も同じだ。もちはもち屋で専門家の官僚に任せ、政治家は専門家の能力を最大限に生かす姿勢で臨むべきだ。
行政改革の問題は、専門家である官僚が、マックス・ウェーバーの言う「精神のない専門人」に堕落してしまったことに尽きる。厚生労働省の度重なるスキャンダルに象徴されるように、国益に沿うという志と使命感を置き去りにして、内部崩壊した。それを正せるのは官僚だけである。
日本の官僚制の原点は明治時代前期の内務省などの制定にあった。以来、我が国の官僚は、国益の実現にまい進した。戦後も、政治の「55年休制」ができる前の1950年代前半、政界の嵐をよそに、官僚は日本の復興と発展のためにその意図を強力に推進した。国益のために奔走する「官僚たちの夏」があった。威張っていると言われても、ちゃんと本務を果たしていた。
その後、「省益」を守るなどという官僚の本質にそぐわない現象がはびこるようになったあたりから、内部崩壊の兆しが出ていた。そして人材の劣化と過信の複合作用から、今日の事態に至っている。
外国と比べ日本の官僚の国際競争力やいかに、といった問題提起が時々出てくるが、そのような議論は不毛である。我々は自国の状況を判断するに当たり、他国の状況の誤解を基準にして何度、国の針路を誤ってきたことか。
今は国の針路が厳しく問われているにもかかわらず呈なき乱世」だ。国益の軸をぶらすことなく、志と使命感でまい進する官僚の原点回帰と奮起を期待する。 (一礫)
日本は古来、均田制、税制などの行政システムを、中国に学びました。遣隋使・遣唐使が有名です。その中で、採用しなかった一つには、「科挙制度」つまり、試験による「官僚任用制度」があります。明治になり、中央集権体制のために、「官僚制」が採用されました。
明治当初、日清、日露戦争までは、江戸期を生きた人が、官僚でした。日清戦争の海戦における敵の総督に対する態度、日露戦争の捕虜の扱いなど、日本の対応は国際的に大きく評価されました。
やがて、時代とともに、江戸時代を知る官僚から、試験選抜を経た「官僚」に交替してゆきます。
戦前の海軍(省)陸軍(省)も、典型的な官僚制です。海軍兵学校・陸軍士官学校を卒業した年次、成績の席次で、その後のすべてが決まりました。戦争時という非常事態でも、定期人事を年功序列で行い、適材適所な人事は最後まで採用されませんでした。
そういえば、「だまし討ち、リメンバー・パールハーバー」を合言葉に、アメリカに利用されるきっかけになった、外務省による宣戦布告の遅れですが、外務官僚の当事者は、全くおとがめもなく、戦後みな出世しました。
関東軍は、出先の満州で、満州事変を起こします。シナ事変では、本国政府が「戦争不拡大方針」を通達したのに、戦線を拡大し、収拾がつかなくなりました。ノモンハンしかりです。
陸軍は海軍を、海軍は陸軍を目の敵にし、日本は、「アメリカのほかに国内の敵と戦っている」という状況でした。海軍の使う言葉は、陸軍は絶対に使おうとせず(cmとサンチ、高射砲と高角砲)ねじ一本の規格まで別でした。
戦争を始めたのも、「石油禁輸により、軍艦が動かなくなる」「ジリ貧がドカ貧になってしまう」から、一か八か今やってしまえという、軍の論理(省益)でした。国益は不在でした。
戦後、憲法から地方自治まで、日本の統治システムはがらりと変わりましたが、唯一戦前を引き継いだのが各省庁(官僚制)でした。省名は変わりましたが、中身は温存されました。
外務省は、「外交官試験」という、独自のキャリア試験をやり、「右を見ても左を見ても親戚だらけ」という省庁になりました。
農水省は、出先地方で、組合活動にいそしみました。厚生労働省は不作為を続けています。社会保険庁は、管理職と、「いかに仕事をしないか」の覚書を交わしました。旧防衛庁はトップ自ら賄賂を受け取りました。
戦前の大和、武蔵、零戦を作ったお金は、戦後は不要になるはずでした。しかし、戦時税制のはずの酒税、塩・タバコの専売は続きました。
東京都庁舎は高さ300メートルに迫り、足立区役所は30階超です。23区の区議会議員は700名を超えています。一方、都議会にも127名います。「陸軍」「海軍」予算は、「官僚軍」予算に受け継がれました。
追記 読売新聞H21.8.1
国土交通省の出先機関・北海道開発局でヤミ専従…31日、同省の調査でわかった。…組合員の4人に1人が違法行為にかかわっていた計算になる。
…総務省では昨年5月、社保庁のヤミ専従問題を受けて全省庁に調査を指示したが、最終的にどの省庁でも「ゼロ」と報告。
自民党の官僚に対するスタンスが見えてこないが、「政権を取ったら局長以上の幹部人事を一から見直す」と声高に叫ぶ民主党の鳩山由紀大代表の発言もいただけない。専門家とての官僚の仕事は簡単に実態を見破れるほど単純ではない。
専門家は書類に記されていない、書類に記し難い本質を知っている。暗黙知と呼べる能力だ。容易に数量化できない大事な概念にも通じている。この二つを持つから専門家と呼ばれるのである。
企業経営もそうだ。経営学者がすぐ企業を経営できるわけではない。長年企業の内部で頑張った後に昇進した取締役は、企業経営で、専門家に求められるあの二つの要素を身に付けている。他方、社外取締役は、通常、会社の実態を把握していないし、その能力もない。力を発揮できるのは、戦略アドバイスぐらいだ。
行政も同じだ。もちはもち屋で専門家の官僚に任せ、政治家は専門家の能力を最大限に生かす姿勢で臨むべきだ。
行政改革の問題は、専門家である官僚が、マックス・ウェーバーの言う「精神のない専門人」に堕落してしまったことに尽きる。厚生労働省の度重なるスキャンダルに象徴されるように、国益に沿うという志と使命感を置き去りにして、内部崩壊した。それを正せるのは官僚だけである。
日本の官僚制の原点は明治時代前期の内務省などの制定にあった。以来、我が国の官僚は、国益の実現にまい進した。戦後も、政治の「55年休制」ができる前の1950年代前半、政界の嵐をよそに、官僚は日本の復興と発展のためにその意図を強力に推進した。国益のために奔走する「官僚たちの夏」があった。威張っていると言われても、ちゃんと本務を果たしていた。
その後、「省益」を守るなどという官僚の本質にそぐわない現象がはびこるようになったあたりから、内部崩壊の兆しが出ていた。そして人材の劣化と過信の複合作用から、今日の事態に至っている。
外国と比べ日本の官僚の国際競争力やいかに、といった問題提起が時々出てくるが、そのような議論は不毛である。我々は自国の状況を判断するに当たり、他国の状況の誤解を基準にして何度、国の針路を誤ってきたことか。
今は国の針路が厳しく問われているにもかかわらず呈なき乱世」だ。国益の軸をぶらすことなく、志と使命感でまい進する官僚の原点回帰と奮起を期待する。 (一礫)
日本は古来、均田制、税制などの行政システムを、中国に学びました。遣隋使・遣唐使が有名です。その中で、採用しなかった一つには、「科挙制度」つまり、試験による「官僚任用制度」があります。明治になり、中央集権体制のために、「官僚制」が採用されました。
明治当初、日清、日露戦争までは、江戸期を生きた人が、官僚でした。日清戦争の海戦における敵の総督に対する態度、日露戦争の捕虜の扱いなど、日本の対応は国際的に大きく評価されました。
やがて、時代とともに、江戸時代を知る官僚から、試験選抜を経た「官僚」に交替してゆきます。
戦前の海軍(省)陸軍(省)も、典型的な官僚制です。海軍兵学校・陸軍士官学校を卒業した年次、成績の席次で、その後のすべてが決まりました。戦争時という非常事態でも、定期人事を年功序列で行い、適材適所な人事は最後まで採用されませんでした。
そういえば、「だまし討ち、リメンバー・パールハーバー」を合言葉に、アメリカに利用されるきっかけになった、外務省による宣戦布告の遅れですが、外務官僚の当事者は、全くおとがめもなく、戦後みな出世しました。
関東軍は、出先の満州で、満州事変を起こします。シナ事変では、本国政府が「戦争不拡大方針」を通達したのに、戦線を拡大し、収拾がつかなくなりました。ノモンハンしかりです。
陸軍は海軍を、海軍は陸軍を目の敵にし、日本は、「アメリカのほかに国内の敵と戦っている」という状況でした。海軍の使う言葉は、陸軍は絶対に使おうとせず(cmとサンチ、高射砲と高角砲)ねじ一本の規格まで別でした。
戦争を始めたのも、「石油禁輸により、軍艦が動かなくなる」「ジリ貧がドカ貧になってしまう」から、一か八か今やってしまえという、軍の論理(省益)でした。国益は不在でした。
戦後、憲法から地方自治まで、日本の統治システムはがらりと変わりましたが、唯一戦前を引き継いだのが各省庁(官僚制)でした。省名は変わりましたが、中身は温存されました。
外務省は、「外交官試験」という、独自のキャリア試験をやり、「右を見ても左を見ても親戚だらけ」という省庁になりました。
農水省は、出先地方で、組合活動にいそしみました。厚生労働省は不作為を続けています。社会保険庁は、管理職と、「いかに仕事をしないか」の覚書を交わしました。旧防衛庁はトップ自ら賄賂を受け取りました。
戦前の大和、武蔵、零戦を作ったお金は、戦後は不要になるはずでした。しかし、戦時税制のはずの酒税、塩・タバコの専売は続きました。
東京都庁舎は高さ300メートルに迫り、足立区役所は30階超です。23区の区議会議員は700名を超えています。一方、都議会にも127名います。「陸軍」「海軍」予算は、「官僚軍」予算に受け継がれました。
追記 読売新聞H21.8.1
国土交通省の出先機関・北海道開発局でヤミ専従…31日、同省の調査でわかった。…組合員の4人に1人が違法行為にかかわっていた計算になる。
…総務省では昨年5月、社保庁のヤミ専従問題を受けて全省庁に調査を指示したが、最終的にどの省庁でも「ゼロ」と報告。
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