アダム・スミス「見えざる手」(9)
アダム=スミスについて、このブログで取り上げた、教科書・資料集出版会社に、問い合わせしています。10日経ちました。今のところ、何らかの形で、お返事をいただいたのは、下記の6社です。
清水書院
とうほう
帝国書院
浜島書店
第一学習社
東京書籍
次の会社からは、返事をいただいておりません。教科書会社によって、対応が違います。
山川出版社
実教出版
教育出版
2.神の見えざる手
教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる
(2)見えざる手に例えた。
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。昨日に続いて、検証してゆきましょう。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
<『国富論』における見えざる手>
<利益を追求する>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p386
各個人は、自分の自由に出来る資本があれば、その多少を問わず、最も有利に使おうといつも努力しようとしている。かれの眼中にあるのは、もちろん自分自身の利益であって、社会の利益ではない。けれども、かれ自身の利益を追求してゆくと、自然に、というよりもむしろ必然的に、その社会にとっていちばん有利なような資本の使い方を選ぶ結果になるものなのである。
<総生産=総所得>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
…すべてどの社会も、年々の収入は、その社会の勤労活動の年々の全生産物の交換価値とつねに正確に等しい、いやむしろ、この交換価値とまさに同一物なのである。(下の文に続く)
現代風に言えば、GDP(国内総生産)=GNI(国内総所得)ということです。
<見えざる手 その2>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
(上の文から続く)
それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
<結論その2:『国富論』における見えざる手>
「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。
『国富論』における見えざる手
「自分の利益を追求すること」で、「見えざる手に導かれて」「社会の利益を増進する」
清水書院
とうほう
帝国書院
浜島書店
第一学習社
東京書籍
次の会社からは、返事をいただいておりません。教科書会社によって、対応が違います。
山川出版社
実教出版
教育出版
2.神の見えざる手
教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる
(2)見えざる手に例えた。
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。昨日に続いて、検証してゆきましょう。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
<『国富論』における見えざる手>
<利益を追求する>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p386
各個人は、自分の自由に出来る資本があれば、その多少を問わず、最も有利に使おうといつも努力しようとしている。かれの眼中にあるのは、もちろん自分自身の利益であって、社会の利益ではない。けれども、かれ自身の利益を追求してゆくと、自然に、というよりもむしろ必然的に、その社会にとっていちばん有利なような資本の使い方を選ぶ結果になるものなのである。
<総生産=総所得>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
…すべてどの社会も、年々の収入は、その社会の勤労活動の年々の全生産物の交換価値とつねに正確に等しい、いやむしろ、この交換価値とまさに同一物なのである。(下の文に続く)
現代風に言えば、GDP(国内総生産)=GNI(国内総所得)ということです。
<見えざる手 その2>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
(上の文から続く)
それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
<結論その2:『国富論』における見えざる手>
「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。
『国富論』における見えざる手
「自分の利益を追求すること」で、「見えざる手に導かれて」「社会の利益を増進する」
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