アダム・スミス 「自由放任・見えざる手」 (2)
アダム=スミスは自由放任主義者か
第一学習社『高等学校 改訂版 現代社会』平成20年 p76アダム=スミス
・自由放任政策
・小さな政府
・国家からの自由
清水書院『新 政治・経済』H22度用見本 p85
…アダムスミス…は、著書『諸国民の富(国富論)』のなかで、労働が価値を生むという説にもとづき、個人が利己心を自由に発揮して活動すれば「見えざる手」によって社会の調和が確保され、全体の利益も増大すると述べた。さらに、従来の重商主義的な保護政策に反対し、自由放任の政策を唱えるとともに…
とうほう『政治・経済資料2009』2009年度審査用見本 p178 「個人の利己的な利益の追求こそが、“神の見えざる手”に導かれ、国家の富を推進する」と主張、重商主義的統制を批判し自由放任を説いた。
清水書院『新 現代社会』H20 p111
イギリスの経済学者アダム=スミスである。彼は価格機構によって経済は調整されると考え、経済活動には政府はかかわらない自由放任政策をよしとした。政府は警察や軍事のような最小限の仕事だけすればよく、その規模も小さいほどよいとされた(夜警国家論)。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p89
アダム=スミスは…政府が経済に干渉しない自由放任主義を唱えた。
<時代背景>
重商主義は,16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ絶対主義時代に,支配的であった思想です。
その前期には,「①一国の富は,貨幣としての金や銀であり,したがって富の増大とはそれらの蓄積である」という,「重金主義」がみられました。
また,後期には「②一国の富としての貨幣=金を蓄積するためには,輸出を伸ばすと同時に,国内産業の保護と輸入の制限が必要」という,「保護貿易・自国産業の保護育成」という考え方がみられました。「輸出入の差額が,富だ」という考え方ですね。また,金銀の供給量は決まっていますので,それの奪い合い,とるかとられるか(ゼロサム・ゲームといいます)が貿易だと考えられていました。
前期から,後期へと移行しましたが,いずれも絶対主義と結びついた,特権的な商業活動(国内産業の独占を許可するなど)を重視し,関税や,規制を設けました。後期を代表する思想として,トマス=マン(英)の『外国貿易によるイギリスの財宝』1664年があります。
この重商主義政策が各国に採用されると,どこの国も,保護貿易,つまり「輸入規制」を行うことになります。結局,貿易自体が縮小し,世界全体の利益は縮小します。理論的に成り立たない のですね。
この,重商主義政策を否定したのが,アダム・スミス(英)です。彼は『国富論』,1776年で,「一国にとっての富とは,国民による労働生産物であり,貨幣ではない」と,重商主義を批判します。現代風に言えば,「社会の富とはGDPのことであり,貨幣は,財やサービスを交換する手段に過ぎない」ということです。「お金は手段」ということですね。
彼は,重商主義に基づく,関税や,法律による規制など,かんじがらめの,国家の政策を批判しました。
<経済に対してはいわゆる自由放任でのぞむべき>
自由放任(レッセ=フェール)ですが,スミスの本には一言も書かれていません。
この言葉は,「重農主義」者である,フランスのケネーが,重商主義を批判し,経済活動の自由放任(レッセ=フェール)を主張した際に出てくる言葉です(スミスは、ケネーと親交を持っていました。ただ、スミスは,ケネーの重農主義について,『国富論』で「今までの理論のなかでは最も真理に近い」ものと言いつつ,「不完全」だと批判しています)。
スミスは「自由」とか「放任」については,このように述べています。
『国富論』水田洋監訳 岩波文庫2000-01年第2巻p78
…自分の状態をよりよくしようとする各個人の自然の努力(略)は,それだけで何の助力もなしに,社会を富と繁栄に導くことができるだけでなく,その作用を あまりにもしばしば妨げる愚かな人定法がもっている障害,つねに多少なりともその自由を侵したりその安全を減じたりする多数の不適切な障害を克服することもできる」
スミスが批判したのは,当時の重商主義政策です。そこでは,自国の商業的な利益を守るため,関税をかけ,国内産業の独占を許すなど,保護貿易主義をとっていました。保護貿易は,社会的な利益の増加につながらないと,彼は考えたのです。
スミスが批判した例では,「穀物法」があります。「穀物法」は穀物の価格を国が規制した法律ですが,それは決して地主達の利益に結びついていないこと,逆に,自由貿易をすれば,地主の(実質)利益は増えることを示しました。
自己改善欲求 利己心の追求
↓発展
なるべく自由に
↑妨げ
愚かな人定法
第一学習社『高等学校 改訂版 現代社会』平成20年 p76アダム=スミス
・自由放任政策
・小さな政府
・国家からの自由
清水書院『新 政治・経済』H22度用見本 p85
…アダムスミス…は、著書『諸国民の富(国富論)』のなかで、労働が価値を生むという説にもとづき、個人が利己心を自由に発揮して活動すれば「見えざる手」によって社会の調和が確保され、全体の利益も増大すると述べた。さらに、従来の重商主義的な保護政策に反対し、自由放任の政策を唱えるとともに…
とうほう『政治・経済資料2009』2009年度審査用見本 p178 「個人の利己的な利益の追求こそが、“神の見えざる手”に導かれ、国家の富を推進する」と主張、重商主義的統制を批判し自由放任を説いた。
清水書院『新 現代社会』H20 p111
イギリスの経済学者アダム=スミスである。彼は価格機構によって経済は調整されると考え、経済活動には政府はかかわらない自由放任政策をよしとした。政府は警察や軍事のような最小限の仕事だけすればよく、その規模も小さいほどよいとされた(夜警国家論)。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p89
アダム=スミスは…政府が経済に干渉しない自由放任主義を唱えた。
<時代背景>
重商主義は,16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ絶対主義時代に,支配的であった思想です。
その前期には,「①一国の富は,貨幣としての金や銀であり,したがって富の増大とはそれらの蓄積である」という,「重金主義」がみられました。
また,後期には「②一国の富としての貨幣=金を蓄積するためには,輸出を伸ばすと同時に,国内産業の保護と輸入の制限が必要」という,「保護貿易・自国産業の保護育成」という考え方がみられました。「輸出入の差額が,富だ」という考え方ですね。また,金銀の供給量は決まっていますので,それの奪い合い,とるかとられるか(ゼロサム・ゲームといいます)が貿易だと考えられていました。
前期から,後期へと移行しましたが,いずれも絶対主義と結びついた,特権的な商業活動(国内産業の独占を許可するなど)を重視し,関税や,規制を設けました。後期を代表する思想として,トマス=マン(英)の『外国貿易によるイギリスの財宝』1664年があります。
この重商主義政策が各国に採用されると,どこの国も,保護貿易,つまり「輸入規制」を行うことになります。結局,貿易自体が縮小し,世界全体の利益は縮小します。理論的に成り立たない のですね。
この,重商主義政策を否定したのが,アダム・スミス(英)です。彼は『国富論』,1776年で,「一国にとっての富とは,国民による労働生産物であり,貨幣ではない」と,重商主義を批判します。現代風に言えば,「社会の富とはGDPのことであり,貨幣は,財やサービスを交換する手段に過ぎない」ということです。「お金は手段」ということですね。
彼は,重商主義に基づく,関税や,法律による規制など,かんじがらめの,国家の政策を批判しました。
<経済に対してはいわゆる自由放任でのぞむべき>
自由放任(レッセ=フェール)ですが,スミスの本には一言も書かれていません。
この言葉は,「重農主義」者である,フランスのケネーが,重商主義を批判し,経済活動の自由放任(レッセ=フェール)を主張した際に出てくる言葉です(スミスは、ケネーと親交を持っていました。ただ、スミスは,ケネーの重農主義について,『国富論』で「今までの理論のなかでは最も真理に近い」ものと言いつつ,「不完全」だと批判しています)。
スミスは「自由」とか「放任」については,このように述べています。
『国富論』水田洋監訳 岩波文庫2000-01年第2巻p78
…自分の状態をよりよくしようとする各個人の自然の努力(略)は,それだけで何の助力もなしに,社会を富と繁栄に導くことができるだけでなく,その作用を あまりにもしばしば妨げる愚かな人定法がもっている障害,つねに多少なりともその自由を侵したりその安全を減じたりする多数の不適切な障害を克服することもできる」
スミスが批判したのは,当時の重商主義政策です。そこでは,自国の商業的な利益を守るため,関税をかけ,国内産業の独占を許すなど,保護貿易主義をとっていました。保護貿易は,社会的な利益の増加につながらないと,彼は考えたのです。
スミスが批判した例では,「穀物法」があります。「穀物法」は穀物の価格を国が規制した法律ですが,それは決して地主達の利益に結びついていないこと,逆に,自由貿易をすれば,地主の(実質)利益は増えることを示しました。
自己改善欲求 利己心の追求
↓発展
なるべく自由に
↑妨げ
愚かな人定法
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