アダム・スミス「見えざる手」(8)
2.神の見えざる手
教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる
(2)見えざる手に例えた。
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。昨日に続いて、検証してゆきましょう。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
<『道徳感情論』における見えざる手>
『道徳感情論(下)』岩波文庫 2003.4.16 p23-24
人類のこれらの労働によって、土地はその自然の肥沃度を倍化させ、まえよりも多数の住民を維持する…。
高慢で無感覚の地主が…成育した全収穫を…消費してみても…なんの役にもたたない。…かれの胃の能力は…欲求の巨大さに対して、まったくつりあいをもたず…貧しい農民の胃よりも多くを、うけいれはしない…。
残りをかれ(筆者注:地主)は…人びとのあいだに、分配せざるを得ない。かれら(筆者注:農民や使用人や商人や労働者)…は…生活必需品のその分け前をひきだすのであって…それをかれ(筆者注:地主)の人類愛またはかれの正義に期待しても、むだだっただろう。土壌の生産物は…それが維持しうる住民の数に近いものを、維持するのである。
富裕な人びとは…その…なかから、もっとも貴重で快適なものを選ぶだけである。かれら(筆者注:富裕な人びと)が消費するのは、貧乏な人びとよりも…多くないし…生まれつきの利己性と貪欲にもかかわらず…貧乏な人びととともに分割するのであって…自分たちだけの便宜をめざそうと…かれらが使用する(筆者注:やとう)数千人の…労働の目的が…かれら自身の…諸欲求の充足であるとしてもそうなのである。
かれら(筆者注:富裕な人びと)は見えない手に導かれて、大地がそのすべての住民のあいだで平等な部分に分割されていた場合に、なされただろうのとほぼ同一の、生活必需品の分配をおこなうのであり、こうして、それを意図することなく、それを知ることなしに、社会の利益をおしすすめ、種の増殖に対する手段を提供するのである。
「富を追求する社会」でも、「平等に土地を分けた社会」でも、結果として「見えざる手」に導かれ」ほぼ同じ程度の「生活必需品の分配をおこなう」

さて、「見えざる手」とは何のことでしょう? 教科書に書いているように、「市場の自動調節機能」ですか?
上記の説明では、「完全平等社会」と同じように、「利益追求社会」でも生活必需品は「同じ程度にに分配される」、つまり、結果的な平等が「見えざる手によって」達成される としています。「市場の自動調節機能」は、「結果的な平等」を達成するのでしょうか?
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
市場に任せておいたら、生活必需品配布の「結果的な平等は」達成できないはずです。その欠陥を補うために、社会保障や、累進課税などの税制があるのです。「市場の自動調節機能」によって、結果として平等に分配されるということは、ありえません。
「残りをかれ(筆者注:地主)は…人びとのあいだに、分配せざるを得ない」とあるように、1人の必需品消費量(たとえば食糧)には、おのずと限界があるから、結局は地主ががりがり亡者だとしても、それらを独占できず、分配せざるを得ないようです。
以前は、領主は、それらを農地の労働者(荘園領主と農民の関係)たちに分配していたのですが、ぜいたく品を買えるようになってからは、地代を上げ、労働者を減らし、生産物を売って商品を手に入れる。その結果、商人・手工業者たちに生産物(生活必需品=農作物)が行き渡るというものです。「見えざる手」によってです。
この部分の間違い(うまく、平等には配分されない)を認めた上で、社会に生活必需品がいきわたる様子を図にするとこうなります。

これは、GDPの三面等価のことですね。
GDP(国内総生産)=GDI(国内総所得)=GDE(国内総支出)
誰かが生産したものは、誰かに分配され、誰かの所得・支出額になります。これを、経済学では、「閉じた経済」と言います。
美味しいものを食べたい、ぜいたく品を手に入れたいという個々人の利益(付加価値)の追求が、社会全体の利益(GDPとは、付加価値の合計です)を増大させてきたのです。
個人の利益+個人の利益+個人の利益・・・=国全体の利益(GDP)
これらは、「市場経済」がなくても達成できます。独裁の場合です。世界史に登場する独裁者によって、下に示す状態が、達成された事例には限りがありません。(欺瞞=金儲けのことです)
『道徳感情論(下)』岩波文庫 2003.4.16 p22-23
…人類の勤労をかきたて、継続的に運動させておくのは、この欺瞞である。…土地を耕作させ、家屋を建築させ、都市と公共社会を建設させ、人間生活を高貴で美しいものとするすべての科学と技術を発明改良させたのはこれなのであって、地球の全表面をまったく変化させ、自然のままの荒れた森を快適で肥沃な平原に転化させ、人跡未踏で不毛の大洋を、生活資料の新しい資源とし、地上のさまざまな国民への交通の大きな公道としたのは、これなのである。
「市場経済」がなくとも、「見えざる手(自然法則=経済の場合は、経済法則)」によって、社会は豊か(GDP拡大)になります。
教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる
(2)見えざる手に例えた。
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。昨日に続いて、検証してゆきましょう。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
<『道徳感情論』における見えざる手>
『道徳感情論(下)』岩波文庫 2003.4.16 p23-24
人類のこれらの労働によって、土地はその自然の肥沃度を倍化させ、まえよりも多数の住民を維持する…。
高慢で無感覚の地主が…成育した全収穫を…消費してみても…なんの役にもたたない。…かれの胃の能力は…欲求の巨大さに対して、まったくつりあいをもたず…貧しい農民の胃よりも多くを、うけいれはしない…。
残りをかれ(筆者注:地主)は…人びとのあいだに、分配せざるを得ない。かれら(筆者注:農民や使用人や商人や労働者)…は…生活必需品のその分け前をひきだすのであって…それをかれ(筆者注:地主)の人類愛またはかれの正義に期待しても、むだだっただろう。土壌の生産物は…それが維持しうる住民の数に近いものを、維持するのである。
富裕な人びとは…その…なかから、もっとも貴重で快適なものを選ぶだけである。かれら(筆者注:富裕な人びと)が消費するのは、貧乏な人びとよりも…多くないし…生まれつきの利己性と貪欲にもかかわらず…貧乏な人びととともに分割するのであって…自分たちだけの便宜をめざそうと…かれらが使用する(筆者注:やとう)数千人の…労働の目的が…かれら自身の…諸欲求の充足であるとしてもそうなのである。
かれら(筆者注:富裕な人びと)は見えない手に導かれて、大地がそのすべての住民のあいだで平等な部分に分割されていた場合に、なされただろうのとほぼ同一の、生活必需品の分配をおこなうのであり、こうして、それを意図することなく、それを知ることなしに、社会の利益をおしすすめ、種の増殖に対する手段を提供するのである。
「富を追求する社会」でも、「平等に土地を分けた社会」でも、結果として「見えざる手」に導かれ」ほぼ同じ程度の「生活必需品の分配をおこなう」

さて、「見えざる手」とは何のことでしょう? 教科書に書いているように、「市場の自動調節機能」ですか?
上記の説明では、「完全平等社会」と同じように、「利益追求社会」でも生活必需品は「同じ程度にに分配される」、つまり、結果的な平等が「見えざる手によって」達成される としています。「市場の自動調節機能」は、「結果的な平等」を達成するのでしょうか?
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
市場に任せておいたら、生活必需品配布の「結果的な平等は」達成できないはずです。その欠陥を補うために、社会保障や、累進課税などの税制があるのです。「市場の自動調節機能」によって、結果として平等に分配されるということは、ありえません。
「残りをかれ(筆者注:地主)は…人びとのあいだに、分配せざるを得ない」とあるように、1人の必需品消費量(たとえば食糧)には、おのずと限界があるから、結局は地主ががりがり亡者だとしても、それらを独占できず、分配せざるを得ないようです。
以前は、領主は、それらを農地の労働者(荘園領主と農民の関係)たちに分配していたのですが、ぜいたく品を買えるようになってからは、地代を上げ、労働者を減らし、生産物を売って商品を手に入れる。その結果、商人・手工業者たちに生産物(生活必需品=農作物)が行き渡るというものです。「見えざる手」によってです。
この部分の間違い(うまく、平等には配分されない)を認めた上で、社会に生活必需品がいきわたる様子を図にするとこうなります。

これは、GDPの三面等価のことですね。
GDP(国内総生産)=GDI(国内総所得)=GDE(国内総支出)
誰かが生産したものは、誰かに分配され、誰かの所得・支出額になります。これを、経済学では、「閉じた経済」と言います。
美味しいものを食べたい、ぜいたく品を手に入れたいという個々人の利益(付加価値)の追求が、社会全体の利益(GDPとは、付加価値の合計です)を増大させてきたのです。
個人の利益+個人の利益+個人の利益・・・=国全体の利益(GDP)
これらは、「市場経済」がなくても達成できます。独裁の場合です。世界史に登場する独裁者によって、下に示す状態が、達成された事例には限りがありません。(欺瞞=金儲けのことです)
『道徳感情論(下)』岩波文庫 2003.4.16 p22-23
…人類の勤労をかきたて、継続的に運動させておくのは、この欺瞞である。…土地を耕作させ、家屋を建築させ、都市と公共社会を建設させ、人間生活を高貴で美しいものとするすべての科学と技術を発明改良させたのはこれなのであって、地球の全表面をまったく変化させ、自然のままの荒れた森を快適で肥沃な平原に転化させ、人跡未踏で不毛の大洋を、生活資料の新しい資源とし、地上のさまざまな国民への交通の大きな公道としたのは、これなのである。
「市場経済」がなくとも、「見えざる手(自然法則=経済の場合は、経済法則)」によって、社会は豊か(GDP拡大)になります。
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