アダム・スミス「見えざる手」(10)
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。検証してゆきましょう。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
<『国富論』における見えざる手>
<見えざる手 その2>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
(上の文から続く)
それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
<結論その2:『国富論』における見えざる手>
「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。
この、論理は、国富論のほかの部分でも、論議されています。
アダム・スミス『国富論』山岡洋一訳 日本経済新聞出版社 2007 上巻p427 数字は筆者挿入
③社会が良くなる上でとくに重要だった変化がこのようにして、社会のためという意図をまったく持たない二つの階層によってもたらされた。①大地主は、何とも子供染みた虚栄心を満たそうとしただけである。②商人と手工業者はそこまで子供染みてはいないが、自分の利害だけを考えて行動し、いかにも行商人らしく、稼げるときにわずかでも稼ごうとしただけである。①大地主は自分の愚行によって、②商人や手工業者は自分の労働によって、③大規模な変化が徐々に起こることを知っていたわけでも、予想していたわけでもない。
この部分は、以下のことを述べています。
まず、「社会が良くなる」というのは、「商工業を担う都市が発展し、豊かになったp419」
ことです。
以前、「貿易が行われておらず、高級品を作る製造業もないp420」状態では、領主は「所有地の生産物のうち、農民の生活に必要な量を超える部分と交換して手に入れるもの(筆者注:ぜいたく品)がないので、…気前よく食事などをふるまうのに使うp420」しかありませんでした。ヨーロッパ中世の荘園では、「領地で余った生産物は領地内で使うp421」しかなかったのです。
しかし、「貿易と製造業p424」が「領地で余った生産物と交換できるもの、借地人や家来に分けなくても自分だけで消費できるものを、少しずつ領主に供給p424」するようになります。
「ダイヤモンドをちりばめたバックルなど、何の役にも立たないつまらないものに目が眩んで、一千人を一年間養える食料かその対価を手放しp424」ます。「領主は何とも子供染み、卑しく、あさましい虚栄心を満足させるために自分の力と権威を徐々に売りわたしていったp424」のです。
それ以前は「大地主が地代収入を借地人や家来を養うのに使っているときには、大地主はそれぞれの借地人と家来の全員を自分一人で維持p425」していましたが、いまや「自分だけの消費を徐々に増やしていくと、家来の数を徐々に減らしていくしかなくなりp425」ます。
昔 今
地代収入 地代引き上げ
↓ ↓
借地人・家来維持 ぜいたく品購入
↓ ↓
人減らし 都市の労働者増
上図のように、「1万ポンドの収入があっても、直接には二十人も雇わないまま…従者すすら十名も抱えないまま、全収入を使うことができるp425」ようになると、その収入は、「貴重な生産物…を生産し加工するために雇われている労働者p425」にまわり、「間接的には、昔の方法で養えたのと変わらない人数、あるいはそれ以上の人数すら養っているp425」状態をつくります。「地主が得られる収入を増やし…増加分についてもやはり、地主が自分のためだけに消費する方法を、商人と製造業者がすぐに用意したp426」からです。
社会全体の生産量=社会全体の消費量、つまり、GDPの三面等価のことですね。
GDP(国内総生産)=GDI(国内総所得)=GDE(国内総支出)

①大地主の虚栄心 ②商人や手工業者の自分の利害
↓
③社会が良くなる変化「商工業を担う都市が発展し、豊かになったp419」
①②自分の利益を追求する
↓(見えざる手)
③社会の利益を増進
この論理は、まったく同じものとみなしていいようです。この部分は、「道徳感情論」で、見えざる手を解説しているのと、同じ説明内容です。
個人の利益+個人の利益+個人の利益・・・=国全体の利益(GDP)
このように、「私的利益の追求」で、「市場の自動調節機能」により、「社会的利益」を増進するとなります。
では、「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)を経ずに、「社会的利益」を増進する例はないのでしょうか?つまり「ただ」とか「無償」、「独占」の場合です。
パソコンを動かすソフト「リナックス」は、「ただ」です。その「リナックス」をベースにした無償基本ソフト「グーグル・クロームOS」が、米グーグルにより、提供され、来年後半には、搭載パソコンが、東芝やレノボなどから出る予定です。
「グーグル」は「私的利益」を追求していますが、「ただ」では、「市場経済の自動調節機能」は働きません。というより、「ただ」は、市場経済の外に存在することになります。しかし、そのOSを搭載したパソコンの登場によって、「社会的利益」(GDP)は増進します。
なぜでしょう?教科書の言う、「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)」がないのに、「社会的利益」(GDP)は増進します。
「独占」はどうでしょうか。ブランド化による「独占」(著作権や特許による場合も含む)が,あげられます。「独占」も市場メカニズムが働かない欠陥の代表例です。
ところがブランド業者も,スミスのいう,「自分の儲けだけ」を意図しています。その結果,「社会の利益を推進」していることは間違いありません。「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)」がなくても、『社会の利益』を推進する場合は、あるのです。
見えざる手=市場機構ではなく、見えざる手=自然法則(経済法則)であり、見えざる手>市場機構なのです。
教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。
清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。
<『国富論』における見えざる手>
<見えざる手 その2>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
(上の文から続く)
それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
<結論その2:『国富論』における見えざる手>
「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。
この、論理は、国富論のほかの部分でも、論議されています。
アダム・スミス『国富論』山岡洋一訳 日本経済新聞出版社 2007 上巻p427 数字は筆者挿入
③社会が良くなる上でとくに重要だった変化がこのようにして、社会のためという意図をまったく持たない二つの階層によってもたらされた。①大地主は、何とも子供染みた虚栄心を満たそうとしただけである。②商人と手工業者はそこまで子供染みてはいないが、自分の利害だけを考えて行動し、いかにも行商人らしく、稼げるときにわずかでも稼ごうとしただけである。①大地主は自分の愚行によって、②商人や手工業者は自分の労働によって、③大規模な変化が徐々に起こることを知っていたわけでも、予想していたわけでもない。
この部分は、以下のことを述べています。
まず、「社会が良くなる」というのは、「商工業を担う都市が発展し、豊かになったp419」
ことです。
以前、「貿易が行われておらず、高級品を作る製造業もないp420」状態では、領主は「所有地の生産物のうち、農民の生活に必要な量を超える部分と交換して手に入れるもの(筆者注:ぜいたく品)がないので、…気前よく食事などをふるまうのに使うp420」しかありませんでした。ヨーロッパ中世の荘園では、「領地で余った生産物は領地内で使うp421」しかなかったのです。
しかし、「貿易と製造業p424」が「領地で余った生産物と交換できるもの、借地人や家来に分けなくても自分だけで消費できるものを、少しずつ領主に供給p424」するようになります。
「ダイヤモンドをちりばめたバックルなど、何の役にも立たないつまらないものに目が眩んで、一千人を一年間養える食料かその対価を手放しp424」ます。「領主は何とも子供染み、卑しく、あさましい虚栄心を満足させるために自分の力と権威を徐々に売りわたしていったp424」のです。
それ以前は「大地主が地代収入を借地人や家来を養うのに使っているときには、大地主はそれぞれの借地人と家来の全員を自分一人で維持p425」していましたが、いまや「自分だけの消費を徐々に増やしていくと、家来の数を徐々に減らしていくしかなくなりp425」ます。
昔 今
地代収入 地代引き上げ
↓ ↓
借地人・家来維持 ぜいたく品購入
↓ ↓
人減らし 都市の労働者増
上図のように、「1万ポンドの収入があっても、直接には二十人も雇わないまま…従者すすら十名も抱えないまま、全収入を使うことができるp425」ようになると、その収入は、「貴重な生産物…を生産し加工するために雇われている労働者p425」にまわり、「間接的には、昔の方法で養えたのと変わらない人数、あるいはそれ以上の人数すら養っているp425」状態をつくります。「地主が得られる収入を増やし…増加分についてもやはり、地主が自分のためだけに消費する方法を、商人と製造業者がすぐに用意したp426」からです。
社会全体の生産量=社会全体の消費量、つまり、GDPの三面等価のことですね。
GDP(国内総生産)=GDI(国内総所得)=GDE(国内総支出)

①大地主の虚栄心 ②商人や手工業者の自分の利害
↓
③社会が良くなる変化「商工業を担う都市が発展し、豊かになったp419」
①②自分の利益を追求する
↓(見えざる手)
③社会の利益を増進
この論理は、まったく同じものとみなしていいようです。この部分は、「道徳感情論」で、見えざる手を解説しているのと、同じ説明内容です。
個人の利益+個人の利益+個人の利益・・・=国全体の利益(GDP)
このように、「私的利益の追求」で、「市場の自動調節機能」により、「社会的利益」を増進するとなります。
では、「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)を経ずに、「社会的利益」を増進する例はないのでしょうか?つまり「ただ」とか「無償」、「独占」の場合です。
パソコンを動かすソフト「リナックス」は、「ただ」です。その「リナックス」をベースにした無償基本ソフト「グーグル・クロームOS」が、米グーグルにより、提供され、来年後半には、搭載パソコンが、東芝やレノボなどから出る予定です。
「グーグル」は「私的利益」を追求していますが、「ただ」では、「市場経済の自動調節機能」は働きません。というより、「ただ」は、市場経済の外に存在することになります。しかし、そのOSを搭載したパソコンの登場によって、「社会的利益」(GDP)は増進します。
なぜでしょう?教科書の言う、「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)」がないのに、「社会的利益」(GDP)は増進します。
「独占」はどうでしょうか。ブランド化による「独占」(著作権や特許による場合も含む)が,あげられます。「独占」も市場メカニズムが働かない欠陥の代表例です。
ところがブランド業者も,スミスのいう,「自分の儲けだけ」を意図しています。その結果,「社会の利益を推進」していることは間違いありません。「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)」がなくても、『社会の利益』を推進する場合は、あるのです。
見えざる手=市場機構ではなく、見えざる手=自然法則(経済法則)であり、見えざる手>市場機構なのです。
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