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13 「見えざる手とは、市場機構のことではない」

<市場原理の働かない業界 宗教>

「見えざる手とは、市場機構のことではない」


『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388

 それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。

 もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。

 だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。


 「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに見えざる手に導かれ公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。

 しかし、教科書では、以下のように、「見えざる手は市場機構」と断定しています。

教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
 このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。


清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
 イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。


山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。


 教科書の言うように、 「見えざる手=市場機構」で、「社会が発展する」のなら、「見えざる手」を経ずに「社会が発展する」=GDP増加を証明すれば、「見えざる手=市場機構」ではないことが立証されます。

 連載<アダムスミス「見えざる手」(10)>で、「ただ」とか「無償」、「独占」の場合を示しました。今回は、「宗教」です。

引用・参考文献 現役のお坊さん(住職)ショーエンk 『ぼうず丸もうけのカラクリ』ダイヤモンド社2009

 その一つが、お布施です。世間では、多くの人が、「なんでそんなに高いの?」と思いつつ、結構な額を包んでいるようです。しかも、その金額はベールに包まれています。

P26 
 市場のセリでは収穫量が増えると値段が下がりますが、お寺ではお葬式がたくさん重なっても、お布施は下がりません。お布施の額は「需要と供給」で決まるわけではないんです。


P41
 「お、おいくらほどお包みすればよろしいのでしょうか?」「・・・お気持で結構です」


p43
 「お経の長さや、木魚をポコポコとたたく労働量で決まるわけではなく、えらい坊さんにはたくさん出すのが普通であり、金持ちもたくさん出さないと格好がつかない」

P151
 「あのクソぼうずには3万円でも高すぎる!」という声もあれば、「あの和尚様なら100万円包んでも、拝んでほしいわ」なんて声も。

p29
 そのお寺が多くの檀家さんから支えられていれば、自然に多くの「お布施収入」が入ってきますよね。業界内では檀家数が1000件を超えると、「大きなお寺」という称号を手にします。


 「日本では、1年間に亡くなる人が100万人を超えました。毎年、仙台市と同じだけの人口がお墓に入る計算p71」ですから、お墓は増えることがあっても、減ることはありません
お葬式の後には、「四十九日」「一周忌」「○○回忌・・・」があります。

P182お葬式のお布施アンケート結果
お布施

需要と供給の「市場メカニズム」は、働いていないですね・・・・

 さらに、「春のお彼岸の供養」、「お盆の供養」「秋のお彼岸の供養」「付け届け」があります。
ほかにも、「位牌や仏壇、お墓を新しくした場合には『開眼供養』やありますし、塔婆を供養したときには『塔婆代の収入』p75」も入ります。「墓地を経営しているお寺は『永代使用料と管理費の収入』」も入ります。

 つぎに、参拝料です。

P30
 初もうでや縁結びなどで有名なお寺は、参拝者がたくさん訪れますし、「四国八十八か所霊場」のような「札所」になっているお寺にも、たくさんの参拝者が訪れます。


p49
 お賽銭の額は、特に決まっていません。不景気になると、小さい硬貨が多くなる一方で、「神頼み」の大口も増えるようです。


 ほかにも、地代収入や、拝観料の収入を得ることができます。

 ちょっと話をそれますが、お布施や、戒名料、お賽銭などは、我々の、 「お金への執着を捨てる修行のひとつp49」です。 「財布も心も軽くして、謙虚な気持ちになれることも『お参りのご利益』(同)」です。


 さて、これらの収入ですが、基本的に、「無税」です。

P55グラフお寺を守る「10の結界」
寺税金

 上の図の税金が、全部タダです。もちろん、消費税もありません。戒名料が「税込105万円」とはならないのです。

 仏教系だけで、77,831の宗教法人があります。神道そのほか、合計で、182,868の宗教法人数です(平成18年現在 文化庁HP参照)

 さて、これらのお金の使われ方です。お坊さんだって、食事もすればお酒も飲み、車も運転すれば、家も新築します。立派にGDP(生産・分配・所得)の一角を占めています

 しかし、これらの世界は「需要と供給」という市場機構は、働いていません

 「見えざる手」を経ずに「社会が発展する」のです。「見えざる手=市場機構」ではないことが立証されている一例といえるでしょう。
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アダム・スミス 「自由放任・見えざる手」 (12)

<アダム・スミス 自由放任と見えざる手>

 2006年より、各教科書会社に、①「アダム・スミスの思想を自由放任ととらえる」こと、及び②「『神の見えざる手』は市場機構のこと」の誤りを指摘してきました。
 また、拙著『高校生からのマクロ・ミクロ経済学』および、このブログでも、スミス思想を、原典に忠実に解説してきました。

 「素人の解釈について、聞く耳を持たない」という教科書会社があることは事実です。もしも、「権威者(クロウト)の解説しか採用しない」姿勢であれば、「権威者(クロウト)」はスミス思想についてどう捉えているのかを、ご紹介しましょう。根井さんです。専攻は「経済思想史」ですから、まさに保守本流です。

<見えざる手について>

根井雅弘 京大院経済学研究科教授 
『経済学とは何か』中央公論社2008

p6
…スタンダードな経済学の入門書をひもといた途端に資本主義の根幹をなす「市場メカニズム」…の説明がアダム・スミスの「見えざる手」という言葉とともに出てくることである。例えば、N・グレゴリー・マンキューの有名な教科書…
p8
…レオン・ワルラスの流れをくむ現代の一般均衡理論がこのような「価格メカニズム」(=スミスの「見えざる手」)の魔力を解き明かしたのだと説明されているかもしれない。

…だが、このような説明に接すると…スミスの「見えざる手」が独り歩きしているという印象を拭う事ができない。…一般均衡理論の眼でスミスの「見えざる手」(=「価格メカニズム)を捉えてしまうと…どの文脈で使われているのかが全く見えてこない
(注:このあと、―「国富論」見えざる手の部分を引用-)
P10-11-12
…すなわち、スミスの「見えざる手」は、この文章にあるように、各個人が最大の利潤を求めて資本を自由に動かすこと(これが本来の古典派の「競争」である)との関連で出てくる言葉であり、「価格」のバロメーター機能のみに注目する一般均衡理論とは着眼点が異なっているのである。

…スミスには、「資本投下の自然的順序」こそが富裕に至る自然的進歩の理想であるという思想があった。

スミスの「見えざる手」は、このような富裕の自然的進歩の思想(筆者注:自分の資本【カネ】をより効率的に投資する事)…を正確に理解しなければ、その言葉がスミスを離れて独り歩きする…。

…それにもかかわらず、ある政治的目的をもった人たちは、スミスの「見えざる手(=「市場メカニズム」)が…完璧に機能するという「レッセ・フェール」の思想を正当化するために利用してきた


 スミスの「見えざる手」は「価格(市場)メカニズム」ではなく、「資本主義(資本をより効率的=儲かるところに投下する事)」と述べられています。「市場主義(注)」ではなく「資本主義」のことなのですね。
 
注「市場主義、市場原理主義、新自由主義…これらも、経済学上実態のない造語」です。
参考:根井『市場主義のたそがれ』中公新書2009 p92-96


 拙著『高校生からのマクロ・ミクロ経済学』および、同名ブログに述べた、スミスの「見えざる手」については、以下の通りです。

①「自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知ら  ず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。

個人の利益+個人の利益+個人の利益・・・=国全体の利益(GDP)

③見えざる手=市場機構ではなく、見えざる手=自然法則(経済法則)であり、見えざる手>市場機構なのです。

<自由放任について>

『経済学はこう考える』ちくまプリマー新書2009

P27-30
 経済思想の解説書のなかには、ケインズ以前の「古典派」(スミス・リカード・ミルなど)はいうまでもなく…ピグーなどに至るまで、すべて「自由放任主義」を奉じていたかのように書かれているものがあります。…残念ながら、ケインズの有名なパンフレット『自由放任の終焉』のイメージが誤解されて伝わった学説史上の誤解の一つです

…政府の最低限の義務を三つ(「国防」「司法行政」「公共事業」)挙げましたが…これ以外の介入をまったくおこなわないことを「自由放任主義」と呼ぶのならば、当のスミスでさえ、自由放任主義者ではないことになります。『国富論』の全体を精読するならば

…たしかに、『国富論』のなかには、有名な「見えざる手」という言葉が登場しますが…自由放任主義によって「自然的自由の制度」と彼が呼んだ一つの理想状態におのずと導かれるかのように誤解されたのは、思想史上の「悲劇」と言ってよいかもしれません。



 拙著『高校生からのマクロ・ミクロ経済学』および、同名ブログに述べた、スミスの「自由放任(レッセ・フェール)」については、以下の通りです。

スミスが批判したのは,当時の重商主義政策です。そこでは,自国の商業的な利益を守るため,関税をかけ,国内産業の独占を許すなど,保護貿易主義をとっていました。保護貿易は,社会的な利益の増加につながらないと,彼は考えたのです。

②つまり,「自由にする」ということは,障害を取り除くことであり、重商主義貿易の,「独占」に反対したのです。それが,結果的に「労働力をムダ」に使い,「収入を増やさない」ことを「自由貿易」との対比で述べたのです。

③しかも,愚かな人定法であるはずの「航海条例」については,「国防は,豊かになることよりも重要」だから,自由貿易を制限してもかまわないとさえ言っているのです。
 「航海条例」は,イギリスと植民地との交易を,イギリスまたはイギリス植民地の船に限定する法律です。この独占の結果,輸出財の価格の高騰を招き,売買が減り,そのもうけを分配される労働者は低賃金しかもらえないと言います。にもかかわらず,このような条例は国家にとって有用と考えているのです。

<教科書、資料集の記述>

第一学習社『高等学校 改訂版 現代社会』平成20年 p76
アダム=スミス
自由放任政策
・小さな政府
・国家からの自由

 清水書院『現代政治・経済』H21年 p94 
 イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。個人が自由に自らの利益の拡大を追求することにより、社会全体の利益が増すので、国家は個人の経済活動に介入すべきではない。その際、国家の役割は国防・治安維持など必要最小限の活動にとどめ、「経済に対してはいわゆる自由放任でのぞむべき」である、と考えられた。

清水書院『新 政治・経済』H22度用見本 p85 
…アダムスミス…は、著書『諸国民の富(国富論)』のなかで、労働が価値を生むという説にもとづき、個人が利己心を自由に発揮して活動すれば「見えざる手」によって社会の調和が確保され、全体の利益も増大すると述べた。さらに、従来の重商主義的な保護政策に反対し、自由放任の政策を唱えるとともに…

とうほう『政治・経済資料2009』2009年度審査用見本 p178
 「個人の利己的な利益の追求こそが、“神の見えざる手”に導かれ、国家の富を推進する」と主張、重商主義的統制を批判し自由放任を説いた。

清水書院『新 現代社会』H20 p111 
 イギリスの経済学者アダム=スミスである。彼は価格機構によって経済は調整されると考え、経済活動には政府はかかわらない自由放任政策をよしとした。政府は警察や軍事のような最小限の仕事だけすればよく、その規模も小さいほどよいとされた(夜警国家論)。

浜島書店『最新図説現社』07.10.10 p250
 人々の自由な経済活動に任せておけば神の『見えざる手(市場の働きのことをこう読んだ)』の導きによって、市場はおのずと均衡が保たれてゆくとし、自由放任(レッセ・フェール)政策を主張した。
p137 
…価格の動きによって需要量と供給量が調整された。これを価格の自動調整機能といい、アダム=スミスはこの機構(市場機構、価格機構、プライス=メカニズム)を著書『諸国民の富(国富論)』の中で神の「見えざる手」とよんだ。

山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p89
 アダム=スミスは…政府が経済に干渉しない自由放任主義を唱えた
p99
 市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。

東京書籍『最新ダイナミックワイド現代社会』2008.2.1 p109 このような価格メカニズムを『価格の自動調節機能』(プライスメカニズム)とよび、これをアダム・スミスはその著書である『諸国民の富(国富論)』で神の『見えざる手』と名づけた


山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p64
 また、価格は、供給量と需要量を調整し、資源の最適配分をおこなうように作用する。この働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。


実教出版「高校政治・経済」H21.1.25 p105 
…需要と供給の不均衡を解消する価格(市場)の自動調節機能がある。アダム=スミスはこの機能を神の「見えざる手」と呼んだ。

教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
 このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。

帝国書院「高校生の新現代社会」H20.1.20 p65 
 このように消費者の需要量と生産者の供給量が、価格の働きをなかだちにして自動的に調整されることを価格の自動調整機能②といいます。注②アダム=スミスは…このはたらきを「見えざる手」に導かれた調整とよびました。

 教科書記述では、アダム・スミスは、「価格の自動調整機能」を『見えざる手』といい、『自由放任政策』を主張したことが定番となっています。

アダム・スミス(11) 教科書は、なぜ間違うのか

<教科書は、なぜ間違うのか>

 教科書は、学問的に正しい事を載せてはいません。
アダム・スミスの「自由放任」「見えざる手」について、問い合わせたときの、各社の回答です。


(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った

 上記のように表現している出版社に質問したところ、次のような回答をいただきました。
 
 経済学者・大河内一男氏は『世界の名著31 アダム・スミス』(中央公論社、1968年刊)のなかで「見えざる手」について次のように解説しています。
 
 「だが、スミス経済学が現代の経済学に再考をうながしているのは、なんといってもその『見えざる手』の思想ではないだろうか。『公益』は、もちろん社会の大いなる善にほかならないが、この善が個人の自由と完全に両立する機構の存在することを、スミスは洞察していたということができる。その機構というのは経済的には市場機構または価格機構のことである。(前掲書p51)
 
 ご指摘の小社・○○○では、現代経済学における一つの有力な解釈と思われる考え方にもとづき(たとえば前掲の大河内氏の解釈)記述しており、「○○○○た」という該当箇所は「表現した」という表現におきかえることもできると考えております。

 
 大河内一男(1905-1984)は、東大総長を勤めた人物で、「国富論」を訳したこともある人です。同社の説明は、簡単に言えば、 「だって、先生がいったんだもん」という、小学生と同じです。
 
 このように、教科書・資料集出版社には、「真理を追究」する姿勢はありません。「原典」を読まず、「孫引き」しておしまいです。これを、端的に示した社があります。

(2)アダム・スミスは「自由放任政策」を説いた。

 質問は、下記のとおりです。

 アダム=スミスについて、「自由放任政策」と書かれていますが、どのような根拠によるものなのか、教えてください。
「研究者の本に書いてある」ではなく、『道徳感情論』『国富論』にもとづいて、解説してください。 

 回答は、次の通りです。

 小社では,これまでの長年に渡る研究成果を尊重し,それによって明らかになった「通説」をベースに編集しております。
 アダム=スミスの政策が自由放任主義であるとの結論は研究者によって一般的に広く承認されております。
 たとえ,スミスが自由放任主義という言葉を使っていなくても,スミスの政策を一言でわかりやすく生徒さんに説明できる言葉を用いることについては何の問題もないと考えております。

 教科書p○○で掲載している○○は,政府の役割の変遷を整理したもので,
 スミスについて生徒さんに押さえておいていただきたいポイントをまとめさせていただいたものでございます。
 『道徳感情論』『国富論』にもとづいて解説してくださいとのことでしたが,
小社としては,学問的真理に関するところまでお答えする立場にはありません
 この件につきましては,これ以上の回答を申し上げることができません。ご理解賜れば幸いに存じます。

○○編集部 ○○


 教科書・資料集は、科学(~である)ではなく、哲学・価値論(~だと思う、~べき論)を述べているのですね。

アダム・スミス「見えざる手」(10)

(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。検証してゆきましょう。

教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
 このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した

清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
 イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである

山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた

<『国富論』における見えざる手>

<見えざる手 その2>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
(上の文から続く)
 それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
 もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
 だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。

<結論その2:『国富論』における見えざる手>

自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。

 この、論理は、国富論のほかの部分でも、論議されています。

アダム・スミス『国富論』山岡洋一訳 日本経済新聞出版社 2007 上巻p427 数字は筆者挿入
 
③社会が良くなる上でとくに重要だった変化がこのようにして、社会のためという意図をまったく持たない二つの階層によってもたらされた。①大地主は、何とも子供染みた虚栄心を満たそうとしただけである。②商人と手工業者はそこまで子供染みてはいないが、自分の利害だけを考えて行動し、いかにも行商人らしく、稼げるときにわずかでも稼ごうとしただけである。①大地主は自分の愚行によって、②商人や手工業者は自分の労働によって、③大規模な変化が徐々に起こることを知っていたわけでも、予想していたわけでもない

 この部分は、以下のことを述べています。
まず、「社会が良くなる」というのは、「商工業を担う都市が発展し、豊かになったp419
ことです。

 以前、「貿易が行われておらず、高級品を作る製造業もないp420」状態では、領主は「所有地の生産物のうち、農民の生活に必要な量を超える部分と交換して手に入れるもの(筆者注:ぜいたく品)がないので、…気前よく食事などをふるまうのに使うp420」しかありませんでした。ヨーロッパ中世の荘園では、「領地で余った生産物は領地内で使うp421」しかなかったのです。
 
 しかし、「貿易と製造業p424」が「領地で余った生産物と交換できるもの、借地人や家来に分けなくても自分だけで消費できるものを、少しずつ領主に供給p424」するようになります。
 
 「ダイヤモンドをちりばめたバックルなど、何の役にも立たないつまらないものに目が眩んで、一千人を一年間養える食料かその対価を手放しp424」ます。「領主は何とも子供染み、卑しく、あさましい虚栄心を満足させるために自分の力と権威を徐々に売りわたしていったp424」のです。

 それ以前は「大地主が地代収入を借地人や家来を養うのに使っているときには、大地主はそれぞれの借地人と家来の全員を自分一人で維持p425」していましたが、いまや「自分だけの消費を徐々に増やしていくと、家来の数を徐々に減らしていくしかなくなりp425」ます。

       昔             今
    地代収入         地代引き上げ 
      ↓             ↓
 借地人・家来維持       ぜいたく品購入
      ↓             ↓
    人減らし          都市の労働者増


 上図のように、「1万ポンドの収入があっても、直接には二十人も雇わないまま…従者すすら十名も抱えないまま、全収入を使うことができるp425」ようになると、その収入は、「貴重な生産物…を生産し加工するために雇われている労働者p425」にまわり、「間接的には、昔の方法で養えたのと変わらない人数、あるいはそれ以上の人数すら養っているp425」状態をつくります。「地主が得られる収入を増やし…増加分についてもやはり、地主が自分のためだけに消費する方法を、商人と製造業者がすぐに用意したp426」からです。

 社会全体の生産量=社会全体の消費量、つまり、GDPの三面等価のことですね。
GDP(国内総生産)=GDI(国内総所得)=GDE(国内総支出)

2.jpg
①大地主の虚栄心 ②商人や手工業者の自分の利害
         ↓
③社会が良くなる変化「商工業を担う都市が発展し、豊かになったp419」

①②自分の利益を追求する
         ↓(見えざる手)
③社会の利益を増進

 この論理は、まったく同じものとみなしていいようです。この部分は、「道徳感情論」で、見えざる手を解説しているのと、同じ説明内容です。

個人の利益+個人の利益+個人の利益・・・=国全体の利益(GDP)

 このように、「私的利益の追求」で、「市場の自動調節機能」により、「社会的利益」を増進するとなります。

 では、「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)を経ずに、「社会的利益」を増進する例はないのでしょうか?つまり「ただ」とか「無償」、「独占」の場合です。
 パソコンを動かすソフト「リナックス」は、「ただ」です。その「リナックス」をベースにした無償基本ソフト「グーグル・クロームOS」が、米グーグルにより、提供され、来年後半には、搭載パソコンが、東芝やレノボなどから出る予定です。
 「グーグル」は「私的利益」を追求していますが、「ただ」では、「市場経済の自動調節機能」は働きません。というより、「ただ」は、市場経済の外に存在することになります。しかし、そのOSを搭載したパソコンの登場によって、「社会的利益」(GDP)は増進します。 
 なぜでしょう?教科書の言う、「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)」がないのに、「社会的利益」(GDP)は増進します
 
「独占」はどうでしょうか。ブランド化による「独占」(著作権や特許による場合も含む)が,あげられます。「独占」も市場メカニズムが働かない欠陥の代表例です。
 ところがブランド業者も,スミスのいう,「自分の儲けだけ」を意図しています。その結果,「社会の利益を推進」していることは間違いありません。「市場の自動調節機能」(神の見えざる手)」がなくても、『社会の利益』を推進する場合は、あるのです

 見えざる手=市場機構ではなく、見えざる手=自然法則(経済法則)であり、見えざる手>市場機構なのです。

アダム・スミス「見えざる手」(9)

アダム=スミスについて、このブログで取り上げた、教科書・資料集出版会社に、問い合わせしています。10日経ちました。今のところ、何らかの形で、お返事をいただいたのは、下記の6社です。

  清水書院
  とうほう
  帝国書院
  浜島書店
  第一学習社
  東京書籍

 次の会社からは、返事をいただいておりません。教科書会社によって、対応が違います。

  山川出版社
  実教出版
  教育出版


2.神の見えざる手

教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる

(2)見えざる手に例えた。

(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる立場についてはどうでしょうか。昨日に続いて、検証してゆきましょう。


教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
 このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム①)とよぶ。注①アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した

清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
 イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである

山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた

<『国富論』における見えざる手>

<利益を追求する>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p386
 各個人は、自分の自由に出来る資本があれば、その多少を問わず、最も有利に使おうといつも努力しようとしている。かれの眼中にあるのは、もちろん自分自身の利益であって、社会の利益ではない。けれども、かれ自身の利益を追求してゆくと自然に、というよりもむしろ必然的にその社会にとっていちばん有利なような資本の使い方を選ぶ結果になるものなのである。

<総生産=総所得>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
…すべてどの社会も、年々の収入は、その社会の勤労活動の年々の全生産物の交換価値とつねに正確に等しい、いやむしろ、この交換価値とまさに同一物なのである。(下の文に続く)

 現代風に言えば、GDP(国内総生産)=GNI(国内総所得)ということです。

<見えざる手 その2>
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
(上の文から続く)
 それゆえ、各個人は、彼の資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値を持つような方向にもってゆこうと、できるだけ努力するから、だれもが必然的に、社会の年々の収入をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけである。
 もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
 だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求すること によって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。

<結論その2:『国富論』における見えざる手>

自分の儲けを追求すれば(スミスは,この部分で,労働者に対する投資=給与を説明しています),知らず知らずのうちに(見えざる手に導かれ)公共の利益が促進される」というのが本来の趣旨です。「利己心を追求すると,社会が発展する」ということですね。

『国富論』における見えざる手
「自分の利益を追求すること」で、「見えざる手に導かれて」「社会の利益を増進する」
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