アダム・スミス 「見えざる手」 (5)
アダム=スミスについて、このブログで取り上げた、教科書・資料集出版会社に、問い合わせしています。1週間経ちました。今のところ、何らかの形で、お返事をいただいたのは、下記の4社です。
清水書院
とうほう
帝国書院
浜島書店
次の会社からは、返事をいただいておりません。教科書会社によって、対応が違います。
山川出版社
第一学習社
東京書籍
実教出版
教育出版
アダム・スミス 「見えざる手」
2.神の見えざる手
教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる
それぞれについて、検証していきましょう。
(1)価格の自動調節機能を、「見えざる手」と言った
浜島書店『最新図説現社』07.10.10 p137
…価格の動きによって需要量と供給量が調整された。これを価格の自動調整機能といい、アダム=スミスはこの機構(市場機構、価格機構、プライス=メカニズム)を著書『諸国民の富(国富論)』の中で神の「見えざる手」とよんだ。
東京書籍『最新ダイナミックワイド現代社会』2008.2.1 p109
このような価格メカニズムを『価格の自動調節機能』(プライスメカニズム)とよび、これをアダム・スミスはその著書である『諸国民の富(国富論)』で神の『見えざる手』と名づけた。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p64
また、価格は、供給量と需要量を調整し、資源の最適配分をおこなうように作用する。この働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。
実教出版「高校政治・経済」H21.1.25 p105
…需要と供給の不均衡を解消する価格(市場)の自動調節機能がある。アダム=スミスはこの機能を神の「見えざる手」と呼んだ。
帝国書院「高校生の新現代社会」H20.1.20 p65
このように消費者の需要量と生産者の供給量が、価格の働きをなかだちにして自動的に調整されることを価格の自動調整機能②といいます。注②アダム=スミスは…このはたらきを「見えざる手」に導かれた調整とよびました。
<「神の」見えざる手とは、言っていない>
まず,大変有名な「神の見えざる手」ですが,実はスミスは,「神の」とは一言も書いていません。
「an invisible hand(見えざる手)」と,『道徳感情論』『国富論』のそれぞれたった一カ所で述べただけです。それが,後の,19世紀以降の人々の解釈により,「神の」が加えられたのです。
もちろん彼は敬虔なクリスチャンでしたが,「奇跡的な」ことを表現するのに,「神」を持ち出すと,よりインパクトがあると考えられたのでしょうか?
(ただし、初期の別の論文の中で、「天文学における不規則な出来事」を『ジュピターの見えない手』と形容したそうですD.D.ラファエル 『アダム・スミスの哲学思考』久保芳和訳 雄松堂出版 1990 p82)
『道徳感情論(下)』岩波文庫 2003.4.16 p23-24
かれらは見えない手に導かれて、大地がそのすべての住民のあいだで平等な部分に分割されていた場合に、なされただろうのとほぼ同一の、生活必需品の分配をおこなうのであり、こうして、それを意図することなく、それを知ることなしに、社会の利益をおしすすめ、種の増殖に対する手段を提供するのである。
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
<価格の自動調節機能について>
スミスは、自然価格に市場価格は一致する という内容を、述べています。
『国富論』山岡洋一訳 日本経 済新聞出版社 2007 p58-67
『国富論』第1編第7章「商品の自然価格と市場価格」「」は、引用
「自然価格」とは、適正な価格のことです。「賃金・利益・地代」を加味した上で、「自然な率に従った」価格のことです。スミスは「中心価格」とも言っています。
一方、 「市場価格」とは、 「有効需要」と「供給」によって変動する価格です。「買い手の間の競争が起こり、市場価格が自然価格を多かれ少なかれ上回ること」もあり、「自然価格を幾分下回る状態」もあります。いずれにしても、「すべての商品の価格が絶えず自然価格に引き寄せられている」と言います。
ここで、「自然価格」があるのかどうかはともかく、 「市場価格」とは、「有効需要」と「供給」によって変動する価格と定義しています。
「賃金・利益・地代」の「利率」の変動により、「市場価格」が動くことを述べているのです。
たとえば、市場価格が自然価格以上に上昇すると、利益が増えるので、資本家は生産を拡大しようとします。労働者の雇用も増え、賃金も上昇するかもしれません。生産が増加し、供給が増加すると、その商品の価格は上昇から下降に転じます。価格の自動調節作用です。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p64
①また、価格は、供給量と需要量を調整し、資源の最適配分をおこなうように作用する。この働きを価格の自動調節機能といい、②アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。
ですから、上記①部分は適正です。しかし② 「アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。」事実はありません。
前述したように、『道徳感情論』『国富論』で「見えざる手」が出てくるのは、価格の項ではありません。 「価格の自動調節機能を、『見えざる手』と言った」ことはないのです。
清水書院
とうほう
帝国書院
浜島書店
次の会社からは、返事をいただいておりません。教科書会社によって、対応が違います。
山川出版社
第一学習社
東京書籍
実教出版
教育出版
アダム・スミス 「見えざる手」
2.神の見えざる手
教科書・資料集には2つのタイプがあります。
(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
(2)価格の自動調節機能を『見えざる手』と解釈することができる
それぞれについて、検証していきましょう。
(1)価格の自動調節機能を、「見えざる手」と言った
浜島書店『最新図説現社』07.10.10 p137
…価格の動きによって需要量と供給量が調整された。これを価格の自動調整機能といい、アダム=スミスはこの機構(市場機構、価格機構、プライス=メカニズム)を著書『諸国民の富(国富論)』の中で神の「見えざる手」とよんだ。
東京書籍『最新ダイナミックワイド現代社会』2008.2.1 p109
このような価格メカニズムを『価格の自動調節機能』(プライスメカニズム)とよび、これをアダム・スミスはその著書である『諸国民の富(国富論)』で神の『見えざる手』と名づけた。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p64
また、価格は、供給量と需要量を調整し、資源の最適配分をおこなうように作用する。この働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。
実教出版「高校政治・経済」H21.1.25 p105
…需要と供給の不均衡を解消する価格(市場)の自動調節機能がある。アダム=スミスはこの機能を神の「見えざる手」と呼んだ。
帝国書院「高校生の新現代社会」H20.1.20 p65
このように消費者の需要量と生産者の供給量が、価格の働きをなかだちにして自動的に調整されることを価格の自動調整機能②といいます。注②アダム=スミスは…このはたらきを「見えざる手」に導かれた調整とよびました。
<「神の」見えざる手とは、言っていない>
まず,大変有名な「神の見えざる手」ですが,実はスミスは,「神の」とは一言も書いていません。
「an invisible hand(見えざる手)」と,『道徳感情論』『国富論』のそれぞれたった一カ所で述べただけです。それが,後の,19世紀以降の人々の解釈により,「神の」が加えられたのです。
もちろん彼は敬虔なクリスチャンでしたが,「奇跡的な」ことを表現するのに,「神」を持ち出すと,よりインパクトがあると考えられたのでしょうか?
(ただし、初期の別の論文の中で、「天文学における不規則な出来事」を『ジュピターの見えない手』と形容したそうですD.D.ラファエル 『アダム・スミスの哲学思考』久保芳和訳 雄松堂出版 1990 p82)
『道徳感情論(下)』岩波文庫 2003.4.16 p23-24
かれらは見えない手に導かれて、大地がそのすべての住民のあいだで平等な部分に分割されていた場合に、なされただろうのとほぼ同一の、生活必需品の分配をおこなうのであり、こうして、それを意図することなく、それを知ることなしに、社会の利益をおしすすめ、種の増殖に対する手段を提供するのである。
『世界の名著 アダム・スミス(国富論)』中央公論社 S62 p388
もちろん、かれはふつう、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。…生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。…自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進せんと思い込んでいる場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することがしばしばあるのである。
<価格の自動調節機能について>
スミスは、自然価格に市場価格は一致する という内容を、述べています。
『国富論』山岡洋一訳 日本経 済新聞出版社 2007 p58-67
『国富論』第1編第7章「商品の自然価格と市場価格」「」は、引用
「自然価格」とは、適正な価格のことです。「賃金・利益・地代」を加味した上で、「自然な率に従った」価格のことです。スミスは「中心価格」とも言っています。
一方、 「市場価格」とは、 「有効需要」と「供給」によって変動する価格です。「買い手の間の競争が起こり、市場価格が自然価格を多かれ少なかれ上回ること」もあり、「自然価格を幾分下回る状態」もあります。いずれにしても、「すべての商品の価格が絶えず自然価格に引き寄せられている」と言います。
ここで、「自然価格」があるのかどうかはともかく、 「市場価格」とは、「有効需要」と「供給」によって変動する価格と定義しています。
「賃金・利益・地代」の「利率」の変動により、「市場価格」が動くことを述べているのです。
たとえば、市場価格が自然価格以上に上昇すると、利益が増えるので、資本家は生産を拡大しようとします。労働者の雇用も増え、賃金も上昇するかもしれません。生産が増加し、供給が増加すると、その商品の価格は上昇から下降に転じます。価格の自動調節作用です。
山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p64
①また、価格は、供給量と需要量を調整し、資源の最適配分をおこなうように作用する。この働きを価格の自動調節機能といい、②アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。
ですから、上記①部分は適正です。しかし② 「アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。」事実はありません。
前述したように、『道徳感情論』『国富論』で「見えざる手」が出てくるのは、価格の項ではありません。 「価格の自動調節機能を、『見えざる手』と言った」ことはないのです。
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