価値観 1
<なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 1>
何度説明しても、しつこい人はしつこく、自分の意見や感想をコメントに書き込みますし、こちらに意見を述べよと強いてきます。「意見や感想は扱いませんので、事実やデータのみ示してください」と言ってもです。
中には、「これこれだと説明しろ」と言う人もいます。「これこれだと説明する」のは、説明する方の責任です。こちらには、全くありません。
「これこれだ」を証明するのは、「そうだ」と言っている人の方で、「ない」と証明するのは、原則的に不可能です。
ですから、こちらは、データを示し、「こうでしょう」と、事実を示しています。こちらの価値判断(意見)を述べているのではありません。
な ぜ、「意見はいらない、価値観は人それぞれで、正解がないから、議題にならないから扱わない」というのかを、説明します。
(中には、「事実とは何か」と質問してくるので、こちらが「(GDPなど)数字で出ているでしょう」と回答すると、「半分は、フィクションだと考えている」と答える人が・・・だから、あなたがどう考えるかは、知らないの!フィクションだと思うのは、勝手にどうぞ。それなら、数字を扱うこのブログなど、最初から虚構なのだから、見るな!(笑)ということです。あなたがどう思おうが、勝手ですが、あなたの思いは、いらない(笑)のです・・と何度も言っているのに、分からない人は全然分からないようです)
哲学の領域になりますので、価値判断を扱います。
<教育とは>
教育基本法
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
目的は、人格の完成です。人格とは、渾然一体で、本来分けることができないのですが、便宜上分けます(じゃないと、教育活動ができないからです)。

まず、心と体に、便宜上分けます。で、体の部分を請け負う教科が、体育です。一生を支える、骨を、ここで、鍛えておきます。日本では、大学でも、体育必修です。
で、心(精神活動)を、それぞれの、専門教科に分かれて、扱います。

心(精神活動)は、知・情・意、知識・感情・意志に分けられます。
価値としては、真(知)・善(意)・美(情)です。
教科として、諸科学、芸術科目、道徳(高等学校では、倫理・現代社会が担うことになっています)です。
夏目漱石が、『草枕』の冒頭、
智に働けば角が立ち、情にさおさせば流される。意志を通すのは窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。
と言ったのは、この知・情・意のことです。
近代教育は、この18世紀哲学 知・情・意 から成り立っています。哲学者カントが、この3つの価値について、3つの領域について、三大批判書を書いたのは、有名な話です。

ちなみに、神は、絶対善で、真・善・美です。動物には、この世界(価値)はありません。ですから、『神と禽獣には道徳なし』というのは、人間のみが、道徳に苦しむことを示しています。
悪魔は、もちろん、真善美の反対、「偽・悪・醜」です。
キリスト教は、イエス(神)対悪魔の戦いを示したものです。イエスの絶対的な家来、天使の中で、サタンが、イエスに刃向い、謀反を起こし、悪魔軍団を形成します。イエスに代って、この世を支配しようとたくらむのです。
イエスは、それを退治し、最後には、悪魔を閉じ込めます。それが、聖書に描かれた壮大なストーリーです。(人間は、脇役であり、あくまでも、神が主役の話です)
スター・ウオーズ(フォースを持つ人間が、裏切って、悪役になるでしょう)や、ロード・オブ・ザ・リングなどは、聖書をモチーフにした物語です。
ちなみに、キリスト教(ユダヤ・イスラム)は、善・悪の二元対立です。ゾロアスター(ツアラトストラ)教では、アフラマズダという神と、大魔王神軍団の対立があります。
さらにちなみに、善悪二元論と、終末論、ノアの方舟にある、洪水の話、処女降誕の話は、ゾロアスター教の方が最初です。
二元論を、ユダヤ教以降では、一神教にしたので、わけがわからなくなっていく(分かりずらい)という説もあります。神は、怒りの神であり、ムチャクチャなことをする神でもあり、裁く神であり、イエスによれば、「愛の神」です。
ユダヤ教以降では、「精神(心)霊」 が絶対です。物質ではありません。
「神は、ロゴス(ことば 霊)である(ヨハネ)」「神は光あれと言った」から、壮大な聖書の物語がスタートします。ことば・精神が全てです。
ですから、人間を支配しているのも精神(霊)です。
カトリックでは、エクソシスト(悪魔を追い払う人・儀式など)は、公認です。人間は、霊に支配される存在です。
「リメンバー・パールハーバー」・・・日本人憎しではありません。日本人は、悪魔に支配されたのです。この言葉には、続きがあります。
ナチスも、同様、悪魔に支配されたのです。
アダムとイブは、この霊が100%、体を満たしている(神のいう通りの存在、神に何でも相談する)ので、問題はありませんでした。しかし、悪魔がそそのかします。「お前たち、自分で判断する力を持ちたくないか・・」
神の領域に踏み込みます。
神は怒って、アダムとイブを追放します。アダムとイブは自分の姿を見て、恥ずかしくなり(これも神と100%交信していた時には感じなかったことです)葉っぱで性器を隠します。神は、男には労働、女には出産という苦しみを与えます。
余 談ですが、女は、大胆ですから、リンゴを飲み干します。男は臆病ですから、恐る恐るリンゴを食べ、のどにつかえました。「アダムズ・アップル」とは、そのつかえたリンゴ、のど仏のことです。
人間の真・善・美をめぐる苦悩は、ここから始まります。
人間は、アダムとイブ以降、ますます、神から離れて、自堕落になります。
ノアだけが、唯一、神100%の人間でした。だから、神は、ノアとその子孫だけにしようと(リセット)、ノアに箱舟を作らせます。
大洪水後、洪水が引いたかどうか、ノアは、ハトを船から出して、偵察させます。その時ハトが咥えてきたのが、オリーブの葉っぱで、ノアは洪水が引いたことを知ります。
ハトやオリーブが平和の象徴(国連の旗)なのは、ユダヤ・キリスト・イスラム共通の価値観です。
イエスは、さらに堕落した人間界に来ます(人間がまたみんな、ノアの様になっていたら、問題は起こらなかったのですが、人間はアホですから、神に背いてばかりです)。
イエスは神ですから、神の精神(霊)100%です。世界を作った力を持っていますから、病人を治すとか、死んだ人間を生き返らせるとか、当たり前です。
ところが、イエスの体は人間サイズですから、神の精神も、そのサイズにとどまることしかできません。
だから、イエスは、肉体を滅ぼし、その神の精神を、この世に開放したのです。この世は、神の精神エネルギーで、満たされます(無限大)。
イエスを信じることによって、人間は、神の精神(エネルギー)を、もう一度、自分に取り込むことができます。
これは良い知らせ GOOD NEWSなので、福音と言います。GOSPELは、この喜びをたたえた唄です。
だから、嬉しいニュースなので、信者は、喜びを爆発させます。飲めや歌えや、大騒ぎです(南米などすごいものです)。だから、明るいのです。
イエス様・・・日本では静かに祈りますが、西洋では正反対です。
ユダヤは、イエスを処刑し、イエスは、裁きの神から愛の神へと神概念を変え(何しろ、イエス=神ですから、神が、自分自身を語っていることになる)、イスラムでは、イエスは預言者の一人で、最後の、そして最大の預言者としてムハンマドが登場します。
ユダヤ教は、キリスト教を信じられません。キリスト教は、イエスを神の子としているのに、イスラムでは、人間としますから、それも、イエスの後に、別な物語が続くのですから、イスラム教を信じられません。
ヤハウェ、ヤーヴェ・・・神は同じなのに、ユダヤ・キリスト・イスラム教同士で、殺し合いをしています。今日もです。
二元対立(神々)から、一神教にし、外からは、分かりにくい、難しい宗教になっています。 一神教は、日本人には、どうにも分かりづらく、キリスト教徒は、全人口の1%にも満ちません。
日本は、八百万の神々ですから、お釈迦様だろうが、イエスだろうが、全部、取り込んでしまいます。七福神なんか、インドの神様まで、日本の神様に取り入れています。大黒様や、毘沙門天、恵比寿様・・・
人間や(平将門、菅原道真,家康)、動物(キツネ)、山や、川、海、男性器さえ、神(カミ)です。
よく言えばおおらか、でも、外から見たら、節操がありません。
初七日、七五三、クリスマス、神社や寺への初もうで、教会での結婚式、仏教の葬式・・・
しかし、日本人のきれい好き(これは世界一)も、日本の神話と関係があります。イザナギノミコトが、天上から、急いで逃げ帰ってきて、一番先に行ったのが、「禊」、水に流し、清めることです。
日本人は、水に流す、清めるのが大好きです。死んだら、水に流します。死者を悪く言いません。中国のように、死者の墓まで暴いて、骨を鞭打つというのは、日本人にはできません。
下着も、フランス人のように、三日も四日も同じものを身に着けることはしません。
日本は、やはり、宗教的に生きているとも言えるでしょう。
余談が止まらなくなりました。次回、もう一度、本論に戻ります。
何度説明しても、しつこい人はしつこく、自分の意見や感想をコメントに書き込みますし、こちらに意見を述べよと強いてきます。「意見や感想は扱いませんので、事実やデータのみ示してください」と言ってもです。
中には、「これこれだと説明しろ」と言う人もいます。「これこれだと説明する」のは、説明する方の責任です。こちらには、全くありません。
「これこれだ」を証明するのは、「そうだ」と言っている人の方で、「ない」と証明するのは、原則的に不可能です。
ですから、こちらは、データを示し、「こうでしょう」と、事実を示しています。こちらの価値判断(意見)を述べているのではありません。
な ぜ、「意見はいらない、価値観は人それぞれで、正解がないから、議題にならないから扱わない」というのかを、説明します。
(中には、「事実とは何か」と質問してくるので、こちらが「(GDPなど)数字で出ているでしょう」と回答すると、「半分は、フィクションだと考えている」と答える人が・・・だから、あなたがどう考えるかは、知らないの!フィクションだと思うのは、勝手にどうぞ。それなら、数字を扱うこのブログなど、最初から虚構なのだから、見るな!(笑)ということです。あなたがどう思おうが、勝手ですが、あなたの思いは、いらない(笑)のです・・と何度も言っているのに、分からない人は全然分からないようです)
哲学の領域になりますので、価値判断を扱います。
<教育とは>
教育基本法
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
目的は、人格の完成です。人格とは、渾然一体で、本来分けることができないのですが、便宜上分けます(じゃないと、教育活動ができないからです)。

まず、心と体に、便宜上分けます。で、体の部分を請け負う教科が、体育です。一生を支える、骨を、ここで、鍛えておきます。日本では、大学でも、体育必修です。
で、心(精神活動)を、それぞれの、専門教科に分かれて、扱います。

心(精神活動)は、知・情・意、知識・感情・意志に分けられます。
価値としては、真(知)・善(意)・美(情)です。
教科として、諸科学、芸術科目、道徳(高等学校では、倫理・現代社会が担うことになっています)です。
夏目漱石が、『草枕』の冒頭、
智に働けば角が立ち、情にさおさせば流される。意志を通すのは窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。
と言ったのは、この知・情・意のことです。
近代教育は、この18世紀哲学 知・情・意 から成り立っています。哲学者カントが、この3つの価値について、3つの領域について、三大批判書を書いたのは、有名な話です。

ちなみに、神は、絶対善で、真・善・美です。動物には、この世界(価値)はありません。ですから、『神と禽獣には道徳なし』というのは、人間のみが、道徳に苦しむことを示しています。
悪魔は、もちろん、真善美の反対、「偽・悪・醜」です。
キリスト教は、イエス(神)対悪魔の戦いを示したものです。イエスの絶対的な家来、天使の中で、サタンが、イエスに刃向い、謀反を起こし、悪魔軍団を形成します。イエスに代って、この世を支配しようとたくらむのです。
イエスは、それを退治し、最後には、悪魔を閉じ込めます。それが、聖書に描かれた壮大なストーリーです。(人間は、脇役であり、あくまでも、神が主役の話です)
スター・ウオーズ(フォースを持つ人間が、裏切って、悪役になるでしょう)や、ロード・オブ・ザ・リングなどは、聖書をモチーフにした物語です。
ちなみに、キリスト教(ユダヤ・イスラム)は、善・悪の二元対立です。ゾロアスター(ツアラトストラ)教では、アフラマズダという神と、大魔王神軍団の対立があります。
さらにちなみに、善悪二元論と、終末論、ノアの方舟にある、洪水の話、処女降誕の話は、ゾロアスター教の方が最初です。
二元論を、ユダヤ教以降では、一神教にしたので、わけがわからなくなっていく(分かりずらい)という説もあります。神は、怒りの神であり、ムチャクチャなことをする神でもあり、裁く神であり、イエスによれば、「愛の神」です。
ユダヤ教以降では、「精神(心)霊」 が絶対です。物質ではありません。
「神は、ロゴス(ことば 霊)である(ヨハネ)」「神は光あれと言った」から、壮大な聖書の物語がスタートします。ことば・精神が全てです。
ですから、人間を支配しているのも精神(霊)です。
カトリックでは、エクソシスト(悪魔を追い払う人・儀式など)は、公認です。人間は、霊に支配される存在です。
「リメンバー・パールハーバー」・・・日本人憎しではありません。日本人は、悪魔に支配されたのです。この言葉には、続きがあります。
ナチスも、同様、悪魔に支配されたのです。
アダムとイブは、この霊が100%、体を満たしている(神のいう通りの存在、神に何でも相談する)ので、問題はありませんでした。しかし、悪魔がそそのかします。「お前たち、自分で判断する力を持ちたくないか・・」
神の領域に踏み込みます。
神は怒って、アダムとイブを追放します。アダムとイブは自分の姿を見て、恥ずかしくなり(これも神と100%交信していた時には感じなかったことです)葉っぱで性器を隠します。神は、男には労働、女には出産という苦しみを与えます。
余 談ですが、女は、大胆ですから、リンゴを飲み干します。男は臆病ですから、恐る恐るリンゴを食べ、のどにつかえました。「アダムズ・アップル」とは、そのつかえたリンゴ、のど仏のことです。
人間の真・善・美をめぐる苦悩は、ここから始まります。
人間は、アダムとイブ以降、ますます、神から離れて、自堕落になります。
ノアだけが、唯一、神100%の人間でした。だから、神は、ノアとその子孫だけにしようと(リセット)、ノアに箱舟を作らせます。
大洪水後、洪水が引いたかどうか、ノアは、ハトを船から出して、偵察させます。その時ハトが咥えてきたのが、オリーブの葉っぱで、ノアは洪水が引いたことを知ります。
ハトやオリーブが平和の象徴(国連の旗)なのは、ユダヤ・キリスト・イスラム共通の価値観です。
イエスは、さらに堕落した人間界に来ます(人間がまたみんな、ノアの様になっていたら、問題は起こらなかったのですが、人間はアホですから、神に背いてばかりです)。
イエスは神ですから、神の精神(霊)100%です。世界を作った力を持っていますから、病人を治すとか、死んだ人間を生き返らせるとか、当たり前です。
ところが、イエスの体は人間サイズですから、神の精神も、そのサイズにとどまることしかできません。
だから、イエスは、肉体を滅ぼし、その神の精神を、この世に開放したのです。この世は、神の精神エネルギーで、満たされます(無限大)。
イエスを信じることによって、人間は、神の精神(エネルギー)を、もう一度、自分に取り込むことができます。
これは良い知らせ GOOD NEWSなので、福音と言います。GOSPELは、この喜びをたたえた唄です。
だから、嬉しいニュースなので、信者は、喜びを爆発させます。飲めや歌えや、大騒ぎです(南米などすごいものです)。だから、明るいのです。
イエス様・・・日本では静かに祈りますが、西洋では正反対です。
ユダヤは、イエスを処刑し、イエスは、裁きの神から愛の神へと神概念を変え(何しろ、イエス=神ですから、神が、自分自身を語っていることになる)、イスラムでは、イエスは預言者の一人で、最後の、そして最大の預言者としてムハンマドが登場します。
ユダヤ教は、キリスト教を信じられません。キリスト教は、イエスを神の子としているのに、イスラムでは、人間としますから、それも、イエスの後に、別な物語が続くのですから、イスラム教を信じられません。
ヤハウェ、ヤーヴェ・・・神は同じなのに、ユダヤ・キリスト・イスラム教同士で、殺し合いをしています。今日もです。
二元対立(神々)から、一神教にし、外からは、分かりにくい、難しい宗教になっています。 一神教は、日本人には、どうにも分かりづらく、キリスト教徒は、全人口の1%にも満ちません。
日本は、八百万の神々ですから、お釈迦様だろうが、イエスだろうが、全部、取り込んでしまいます。七福神なんか、インドの神様まで、日本の神様に取り入れています。大黒様や、毘沙門天、恵比寿様・・・
人間や(平将門、菅原道真,家康)、動物(キツネ)、山や、川、海、男性器さえ、神(カミ)です。
よく言えばおおらか、でも、外から見たら、節操がありません。
初七日、七五三、クリスマス、神社や寺への初もうで、教会での結婚式、仏教の葬式・・・
しかし、日本人のきれい好き(これは世界一)も、日本の神話と関係があります。イザナギノミコトが、天上から、急いで逃げ帰ってきて、一番先に行ったのが、「禊」、水に流し、清めることです。
日本人は、水に流す、清めるのが大好きです。死んだら、水に流します。死者を悪く言いません。中国のように、死者の墓まで暴いて、骨を鞭打つというのは、日本人にはできません。
下着も、フランス人のように、三日も四日も同じものを身に着けることはしません。
日本は、やはり、宗教的に生きているとも言えるでしょう。
余談が止まらなくなりました。次回、もう一度、本論に戻ります。