臨時投稿 主観的に、データを持ってくるな

<主観的に、データを持ってくるな>

もともとの話

(1)
>http://www.kensetsunews.com/?p=38052

人材不足について明確に誤解、ミスリードだそうです。

自由と責任はセットですよ、先生。
コメ欄見てもわかるように
やはり先生も明確にミクロとマクロの混同させて
ミスリードしてるという疑義があるってことですよ。

空理空論はどちらでしょうね。


(2)
>>ボトルネックで、受注さえできずに~
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=563863303714617&set=a.236228089811475.38834.100002728571669&type=1&theater
実際のデータを確認してみますと,公共事業は「順調に」業者によって受注されてきていることが,表からもわかります。
実に昨年同時期に比べて,1割以上も,順調に政府は発注できている。はい明確に受注率も上がってるよね。
・・バカなので先生の言っている事が今の時点では
朝日新聞同様、ミスリードに聞こえますなぁ。


1.民間+公共の話をしないといかんよなあ。
2.公共事業=建設業ではないよなあ。「建設」の話をしているんだがなあ。

バ○には、理解できんのだろうなあ。

目的が「否定」にあるから、とにかく恣意的なデータとか、自分に都合のいい話に飛びつく・・・これを「朝日新聞的」「民主党的」といいます。

両者とも、「アベノミクス・原子力否定」「反自民であれば」だったから、理論がまったくない。

だから、客観的なデータや、事実を調べろと。「否定するためという主観」が入るから、目が曇る。

一知半解のコメントをするなと、何度言ったらわかるのでしょう?バ○には、通じないのでしょうね。

「5分で覚えたことは5分で忘れる」ということばの意味さえ、分からないのでしょう。



主観的とは、「○○べき」とか、「○○のほうが良い」とか、意見が入ることです。

「公共事業(財政出動)を拡大すべき」とか、「反原発」とか、「反自民」「功名心」とかです。

そうすると、これらの人たちは、その自分たちの「主観」にそうように、データを集め、データを見つけ、事実を見つけるという、バイアスをかけます。

そうすると、「恣意的なデータ」「恣意的な事実」になり、客観的な検証はできなくなります。

クリック

ほとんど妄想の世界

とにかく、「規制緩和=悪」という公式で、あらゆる事象を分析するものだから、もって来る資料さえ、恣意的、都合の悪い資料は隠す・・・これは少なくとも「学問」と呼べる領域ではありません。

 学問という世界に身を投じるには、少なくとも、ベーコンの言うイドラを排除する必要があります。

ウイキペディアより

 イドラ(idola)とは、人間の偏見、先入観、誤りなどを帰納法を用いて説いたもの。16世紀の哲学者フランシス・ベーコンによって指摘されたものである。 ラテン語で偶像を意味し、アイドル(idol)の語源でもある。 フランシス・ベーコンは、以下の4つのイドラがあると説いた。

種族のイドラ…感覚における錯覚であり、人類一般に共通してある誤り。

洞窟のイドラ…狭い洞窟の中から世界を見ているかのように、個人の性癖、習慣、教育によって生じる誤り。世間知らずの意もあるらしい。

市場のイドラ…言葉が思考に及ぼす影響から生じる偏見。言葉や言語が引き起こす偏見。口コミなどが挙げられる。

劇場のイドラ…思想家たちの思想や学説によって生じる誤り。思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと。

この4つのイドラを取り除いて初めて、人は真理にたどり着け、本来の姿を取り戻すとベーコンは考えた。



高校の「倫理」では、必修です。

客観的とは、「良い悪い」といった価値観、自分の「○○すべき」といった意見を排除するもので、事実をありのままに見て、データをありのままにそろえ、データをありのままに見るというものです。

主観的になる(公共事業拡大すべき、反原発、反アベノミクス、日本人悪玉論、成果獲得を目的、冤罪反対)と、

「公共事業は順調に消化されている」
「福島第一原発所員は逃げた」
「アベノミクスは、格差拡大」
「日本人は朝鮮人を強制的に慰安婦にした」
「STAP細胞はIPSよりここが優れている」
「私は(遠隔操作の)片山被告を信じていた」

・・・と、「恣意的なデータ」にし、目を曇らせてしまいます。

ですから、最初から、「○○べき」とか、「○○のほうが良い」といった立場に立つ時点で、目が「曇る」のです。

 経済学では、有名な話ですが、経済学者の林文夫・プレスコット(RBC理論)の意見(初校1999~2002年)は、「構造改革を進めるべし」という供給サイドに立った経済論で、「ゾンビ企業を撤退させるべき」という、「構造改革」論の基礎となる意見でした。ですから、池田信夫などが、飛びつきました。

そこで、林文夫の意見を検証すべく、政府主導で調査・研究をしたのですが、そこで、上がってきた事実は、「林文夫側にとって都合の悪いもの」ばかりになっていまいました。

このブログでは、「意見」「主観」はいりません。必要なのは、「事実」「データ」「客観」のみです。

建設業で、「型枠・鉄筋工」がボトルネックになっている、単価を上げればいいでは解決できない、外国人労働者を受け入れないと、こうなる・・・と述べますが、受け入れなくてもかまいません。その場合は、こうなると言っているだけです。

客観的な「事実」、「データ」をもとに、判断するのは、1人1人の個人で、日本では「間接民主制」を採用しています。選んだ結果は、結局、自分が従うしかありません(日本脱出はできませんので)。「嫌」でも、従わざるを得ません。

ただし、材料に「主観的・恣意的データ」を持ってこられると、1人1人の判断が狂います。「燃料費増大による貿易赤字は、日本の国富流出」だからと、「原発必要」論に使われてしまいますが、事実は違います。

私にとっては、「アベノミクスだろうが、アホノミクスだろうがどうでもいい」し、「ケインジアンだろうが、マルクスだろうが、市場派だろうがどうでもいい」のです。経済学は、手段であり、目的ではありません。経済学なんて、どうでもいいのです。

「ほら、マルクスは正しかった」、「ケインズのいう通りだった」etcなど、だからどうだっていう話です。そんなもの、勝手に1人で満足に浸っていろという話です。

問題は、GDP、1人当たりGDPです。世界が3.5%で伸び、先進国でさえ1~2%で伸びているのに、日本だけ0%とか、マイナスだと、10年後、20年後に、日本の生活水準(厚生水準=福祉水準)は、先進国のレベルから、引き離されてしまいます。

例えば、先進国では、先進医療が当たり前なのに、成長していないその時の日本では、受けられない・・・
エボラ出血熱でも、日本なら、もっと対処できるのに、所得水準の低い国では、それが不可能・・・

これを受け入れるのですか?という話です。いいですよ。受け入れても。しかしそれは、国民全員に、その「成長しなくてもよい」論を強制することになります。まあ、民主主義ですから、従いますけど・・・

失われた20年、自殺者が増えました。若者が正規雇用の道を閉ざされました。高校生の求人がなくなりました。「成長しなくても結構」なら、それを「受け入れるべき」です。

私は「嫌」です。
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なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 3

<なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 3>

シベリア抑留

読売H26.7.26

シベリア山奥の収容所。強制労働。感覚を失う手。発熱と下痢に襲われ、意識朦朧、病院送り。ソ連側の婦長の言葉。

ソ連婦長「自分も戦火に追われて体一つで逃げてきた。親も兄弟もない。あなたは帰る家があり、必ず帰れるのだから」と言われた。戦争の犠牲は、戦勝国も変わらないことを知った瞬間だった。



みなさんは、写真記事にある事例の場合、この高亀さんの立場だったら、どう行動しますか?解決策はなんですか?答は、どこにありますか?

読売H26.7.26
 
芥川喜好 「『公』崩壊している」

 日本近代の油彩画家・・野口弥太郎・・。・・彼の言葉をあえて読み替えてみます。問題にきちんと向き合うことをせず、お上と他人の意向ばかり気にして、長いものに巻かれ、「公」 の意識に乏しく、自己利益しか頭にない、大人の振る舞いのできない・・・。

 目を現代に転じてみればどうか。今年も、公人の言葉や振る舞いをめぐる大騒動が続きました。環境大臣の失言、都議会議員の暴言、県議会議員の号泣、と数えながら、激しい無力感に襲われます。公人問題は去年も相次ぎました。その前の年も、その前も-だからです。

 再発防止に努めよう、というような当事者たちの申し合わせはいわば弥縫(びほう)策であり、いずれ忘れられて何も変わらないだろうことを多くの人が知っているからです。問題はもっと根源的なところにあることに気づいているからです。
 
 たとえば都議会におけるあの性差別的なやじは、重大な人権問題であると同時に、「公」というものが崩壊してしまっている風景でもありました。

 やじに悪乗りした者、知らぬふりを決めこんだ者、幕引きを急がせた者、いずれも公人意識のかけらすら感じられません。その昔、当方も地方議会の取材をさんざんやりましたが、この都議会の方が程度が悪い。
 
 的を射た語釈で知られる新明解国語辞典によれば、公人とは「公職に在るという立場で、その行動が問題とされる人」のことです。常に人目にさらされ、「問題とされる」のです。強い精神力と使命感が求められる。覚悟が要るということです。
    
 もう一つ。「公」の場では言っていいことと悪いことの別がある。偏見や差別につながるものが許されないのは、当たり前の話です。そういう、必要な建前を貫くのが公人の、むしろすべての大人の責務でしょう。
 
 頻発する公人あるいは社会的地位の高い人々の問題に共通するのは。事件を起こした当事者たちの幼さということです。「誰が言ったんだ」「早く名乗り出ろよ」「ぼく知らないよ」というやりとりは、まさに子供の間のもめごとです。

 八年前に哲学者鷲田清一さんが本紙に寄稿した「現代おとな考」は、冒頭「わたしたちの生きているこの社会は成熟した社会なのか、それともただの幼稚な社会なのか」と提起して少なからぬ衝撃を与えました。

 責任ある人の幼稚なふるまいが通る社会は、皮肉にも成熟した社会なのかもしれない-と鷲田さんは続けています。洞察の深さに身ぶるいします。

 現代の価値観に従って、多くの人は自分の権利と利益の追求だけで育ってきました。問題に率直に向きあい、あるいは他を思いやり、人にゆずり、時に自分の利を棚上げにするような潔さ、つまり大人の流儀を学んでこなかった。

 公人問題というのは、一人一人の大人にとって、ひとごとではないのです。



伊集院静 悩むが花 週刊文春 H26.7.31

Q 
塗装業で見習いとして働いています。仕事もあまりできる方ではないのですが、それ以前に根本的な部分で気が利かず、理解力がないなど毎日怒られています。
僕は塗装の仕事が好きで、一生の仕事にしたいのですが、自信が無くなつてきました。気を利かせたり、理解力を身につけるには普段からどう気を付けて生活すればいいでしょうか?(25歳・男・塗装業見習い)

A
ここに持ちこまれる相談事は、ほとんどがソウダンと言うより、ジョウダン半分ってのが多いのだが、君は真剣に悩んでいるようなので、少し真面目に考えてあげよう。

 塗装業の見習いをしているのか。イイナアー。
 塗装業ってのは、私も仕事振りを見ていて、やり甲斐のある仕事だろうナ、と子供の頃から憧れていた職業だ。
 何がいいかって?
 塗装の仕事が満足に、綺麗に仕上がった時の達成感というか、充実したものは他の仕事にはなかなかないんじゃないかナ。       
 私の仙台の家も、この間から、あの地震以来初めての工事が入って、外装をしている職人さんたちの仕事を見ていて気持ちが良かったな。
 あんなふうに綺麗に仕上がるのだから、実際の作業は、根気と丁寧さが必要で大変だとは思うけどな。

 さて君の悩みだが、まずは、仕事もあまりできる方じゃないと書いてるが、そりゃ当たり前だ。学校を出てすぐにその仕事についたばかりで、いきなり上手くできるものなら、それはたいした仕事じゃないってことだ。十年、二十年、三十年でやっとできる仕事だから、いいのさ。

 見習いにしちゃ、上手いもんだ、なんて言われてたら、将来まず伸びないし、若いうちの失敗がなきゃ、ゆくゆく独自の仕事は完成しないものだ。

  次に君は根本的に気が利かない、理解力がないと言うが、職人の仕事で気ばっかり利いてたら、そりゃ二流で終る。すぐに理解できるんじゃ、たいした仕事はできない。

  これまで私が立派な職人さんたちと話してみると、名人(別に名人じゃなくていいが)までなった人は、皆共通して、若い時は不器用そのもので、と語る人が多いもの。一生の仕事にしたいなら、今のままでいいから、親方、先輩の言うことをよく聞いて、ともかく誠実に、丁寧にひとつひとつの仕事をこなしていくことだ。まず今から三年、休日も自分で習ったことをやり続けなさい。不器用なら人の十倍やることだ。実はそれが本物の仕事を見つける唯一の方法なんだ。

Q
先日、父の葬儀があったのですが、婚約者が、突然棺の前で周囲も驚愕する程の号泣と鳴咽を漏らし、直後に涙でぐしやぐしやになった顔で私をじっと見つめてきました。その瞬間に私の気持ちはスッと冷めてしまったんです。その後、婚約も解消しました。周囲からは「あなたの判断は間違ってる」と言われますが、そうでしょうか?得体の知れない不気味な感じを受けてしまい、もうこれ以上つきあうことはできないと思ってしまったんで
す。(25歳・女・派遣社員)

A
君は大変いい感覚の持ち主で勘が大変よろしい。別れたのは大正解。私も、そういう奴を何人か見て来たが、禄な奴はいなかった。

 今回の兵庫県議の、あのバカモンと同じで、大人の男、いや十五歳過ぎた若者(男です)が、社会の中で生きて行く上で、してはならないことがいくつかあって、他人の前で感情をあらわにしてはならない。他人が呆れる行動をしてはならない。女、子供が見ていて何が起こったのかと驚くことはしてはならない。ましてや泣きわめくことは、男である限り、一生他人の前ではしてはならんのだよ。

 甘え以前に、生きることを砥めとるんだよ、平気で泣き叫ぶ輩は。お嬢さん、あんたはエライ。



 価値観は、人それぞれで、何が正しいと言うものではありません。

 本物が何かは、何を本物と考えるかという、人の価値観によります。

「本物が生き残ると古典になる」という人もいますが、それはよく分かりません。

 ただし、「本物」として、時代を超えて、生き残って欲しいなあと願います。本物を本物と見分ける人たちが、社会の一定数はいて欲しい、そう願います。

 5分で学んだことは、5分で忘れます。その人の背骨のようになるモノは、苦労して苦労して身につけないと、本物になりません。こつこつ、努力するしか、方法はないのです。

 練習して、上手くなるかどうかは分かりません。でも「練習は裏切らない」のです。

 王選手が、尊敬されるのはなぜか。それは、ON時代、人一倍練習したのが、王選手だったからです(長島選手のことは、現役時代を知らない世代なので、よくわかりません)。

 昭和49年だったか、前年三冠王を取ったのに、大変なスランプに陥りました。その時、王選手は、一本足打法をともに生み出した、荒川コーチのもとをたずねます。そして、2人で、練習します。

 やったことは、単なる「素振り」です。でも、毎日毎日、試合後(わざわざ、誰かの元を尋ねて、時間をかける・・・これがいかに大変なことか)、すさまじい量の素振りを行います。そして、勘を取り戻します。

 6月以降、めきめき成績を上げ、2年連続三冠王を勝ち取りました。

基礎がいかに大切か、そして、それを人一倍やることがどんなに大変か。でも王選手はそれを人一倍やったのです。

プロ野球選手がやる、キャンプ練習は、「基礎」ばかりです。楽天の佐藤コーチは、「高校野球で、もっと基礎を教えろよ」と言います。ダルビッシュなんかは、球がどっちの方向に飛んだら、どうカバー(動くか)するか、全然分からなかったそうです。そういうことこそ、「高校でしっかりやれよ」ということです。

いうなれば、柔道、剣道の「形(かた)」です。問答無用に、体に叩き込む動きのことです。

巨人→メジャー、国民栄誉賞を受賞した、松井選手も、とにかく、巨人時代の毎日、長島監督と、試合後、素振りをしました。何が選手生活で、一番の思い出かと言われ、「監督との素振りです」と答えました。

長島監督ですから、「ビュッ」とか「バッ」とか、素振りの音を聞いてしかアドバイスしてくれません。でも、何百回と素振りをし、いい素振りには、「今のだ」と、的確に見抜いてくれます。
松井選手は、それを、ただひたすら、体に叩き込ませたのです。

イチロー選手、子ども時代、毎日毎日、バッティング練習をしました。あるとき、自分がそれをさぼり、遅れていくと、それでもその間、父親が待っていました。その日以降、彼は一度もサボったことがありません。

一流の選手は、とにかく練習をします。逆に言えば、子供時代から、一つのことにこつこつと取り組める(これが一般の人には難しい)ことができるから、一流選手になるのかもしれません。

でも、練習は人を裏切らないのです。

基礎が何よりも大切です。家の基礎、柱が、とにかく大事で、これらが狂っていたら、後から直しようがありません。見えないところが大事なのです。

大学受験のセンター試験、各種資格試験も同じです。応用問題ではなく、基礎問題を落とさない、確実に点数を取ることが、秘訣です。

応用は、誰にとっても、難しく、たまに自分が知っている、やったことがあるのに出会うと、点数が取れるというような、運にも左右されるようなレベルのもので、全員が取れる問題ではありません。

しかし、基礎は、応用(問題)がどこを向いていようが、その下の土台に、必ず備わっているものです。基礎を外した応用はありません。

基礎がしっかりしていたら、ぶれないのです。家も、人もです。でも、これが難しい。身につけるのには、人一倍の練習が要求されるからです。

本物は、できれば、「古典」になって欲しいと願います。人生の指針、基礎として。

日経「春秋H26.7.27」

 映画版明日のジョーに出演し、ボクシングファンを通り越して、『拳闘症患者』を自認する香川照之さんが書いている。「今日という日を綺麗事ではない、周りからは狂っていると思われるような過ごし方をした者だけに『明日』はやってくる」。



中田ヤスタカ baby cruising Love

何だって いつも近道を探してきた 結局大切な宝物までなくした



5分で覚えたものは、5分で忘れます。

 本物を見抜く目、本物を見抜く言葉は、残って欲しいです。


高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学

しんぺい

高校生向けとあるが社会人が読んでも十分です。今回はナガシ読みしか出来ず理解が乏しいが、手元に置きじっくり理解しながら読み進めたい。



全体主義大好き、規制大好き、全員ケインジアンの日本人

天皇陛下万歳、お国のため、非国民、横並び、欲しがりません勝つまでは、八紘一宇・・・労働規制緩和反対、自由化反対、年金医療費拡充→大きな政府大好き

結局日本人は、「国家統制」「価値観押し付け」大好き ⇔ ハイエクも、フリードマンも、「個人価値観」最大限尊重=自由尊重

「男の涙」

1944年、ペリリュー島の激戦、生き残った88歳の元兵が、家族に両脇を支えられながらようやく歩ける状態で、当時の上官の墓参り(遺骨はペリリュー島 未だ収集せず、日本に墓のみ)で、涙があふれ・・・(NHKスペシャル)

「泣きわめく」とは、次元が違います。

<追記>

厚生労働省 2012年

65歳以上高齢者3000万人
462万人、15.4%、6.45人に1人が、認知症

さらに、経度認知症400万人
高齢者の4人に1人が認知機能に障害

厚生労働省は今年3月25日、特別養護老人ホーム(特養)に入所できていない高齢者が、2013年度は52万2000人に上るとの調査結果

10年後、介護員は、100万人の不足が見込まれる

民間もある。

介護付き有料老人ホーム
入所費0~数千万、月12万~30万

解決策考えないと、家族が持たない!

コメント

110-135-120-60.rev.home.ne.jp
(1)
>全体主義者(自分の価値観押しつけ者)は、相手のことなど、全く考えないで、これを読めとか、これを見ろとか、自分の意見を読ませようとします
様々な識者を口汚く批判する、菅原さんの言葉としては違和感を覚えます。打たれ弱いのですね。

(2)
こちらの質問を、まとめますね。答える義務があるのは菅原さんの方ですよ。
教えて欲しいのですが、
>それよりも、大切なのは、今世紀は、実物取引1:金融取引100(国際収支表では相殺されて載ってこない)だということです。
との事ですが、比率ではなく具体的な数字を教えて頂けませんか?
始めから、答えられずに誤魔化しの言い訳を予測していたので、期待通りでした。
数字の詳細を教えて欲しいだけですよ。小生は意見を述べていません。日本語理解できないのですか(笑い)?
>概算ではなく、詳細データも数々存在しています
ならば公表すれば済むことなのに、忖度しかねますね。?????
調べても見つからないから聞いているのです。
1:100と言ってるのは菅原さんで小生ではありません。 お忘れなく。
他の方から聞かれたとき答えられるのですか?
1:100と言ってる当事者に説明責任があると思います。
持っていない物は見せられないのだろうと、思わざるを得ません。


em1-115-197-180.pool.e-mobile.ne.jp

馬鹿な話は見たくないだけだろう

@転載は禁止:2014/09/12(金) 15:20:44.72 0
姉重の分も稼がなあかんねん

愛媛県松山市総合スレッド その23
183 名前: お遍路さん 投稿日: 2014/07/06(日) 14:16:41 ID:5eGfcIrg

em1-115-197-180.pool.e-mobile.ne.jp ]

>>170
コメリは元々は田舎の農家相手の小さいホムセン「コメリ ハード&グリーン」からスタートしたので全国どこでも田舎=農家の多い地方に店舗が多い。
>>176
さすがに玉出でさえ期限切れは売ってないわ!どうしてそんなウソ書くの?

【悲報】ゆうちゃん、行方不明
em1-115-197-180.pool.e-mobile.ne.jp

@\(^o^)/:
2014/05/19(月) 14:28:38.24 0.net
失踪されてたら会見でいくら弁明しても全然説得力ないな

ZR154077.ppp.dion.ne.jp
(1)
読んだしまったので意見いたします。
上記で言いたい事はつまりフランス革命よろしくの 自由、平等、博愛ですね。
・・先生が典型的な左翼思想だという事が分かります。 私は大嫌いです。全て欺瞞と偽善、傲慢で創られています。 一度オルテガの大衆の反逆でも読んでみて下さい。
国は自然物ではありません。国民一人一人が創る事で 絶えずぞれに尽力される方がいるのでしょう。
人がいなければ国は成り立ちません。 結婚しろがセクハラ?脳味噌がいわゆる大衆人の発想です。
なぜ自由が保障されているのか、 なぜ他国に蹂躙されず安全が保障されてるのか、
こんなガキでもわかる事もわからない奴らばっかりです。
個人の自由を尊重するのはいいですが限度があります。 個人や自由を優先して国滅べば本末転倒です。
現代のいわゆる主流派経済学はその思想を多分に含んでいると 思います。
グローバルではなくインターナショナルを目指すべきです。

ZR154077.ppp.dion.ne.jp
(2)
どうやら国を神様か何かと勘違いしているようです。 そもそも国は国民がつくるものですよね、先生。
つまり国民=国ですよ。
>人口減は、国策だった~
それが民意を汲んだものなのか知りませんが 民主主義においては国民の自由意志の元で 選んだのであればそれは国民の責任ではありませんか?
そうであれば間違ってたのはいわゆる「お国」ではなく我々国民です。 自由意志や権利を主張しながら、その失策の責任は全て 我関せずのいわゆる見えざる「お国」にあるとでも
いいたいのでしょうか。
勿論是々非々ですが、 そこに無責任な大衆の欺瞞は一ミリで認めないのですか。
日本は自由が保障されてますから、個々人の思想信条は自由ですが だからといって国家運営においての責任と義務である
納税、勤労、教育等の原理原則が消し飛ぶなんて事はありえません。国民がいなけりゃあ国は衰退するだけですからね。 それでも個人の自由と言う不安定で不確かな幻想を信じますか。
あなたが言っている事も全て過去の先人の蓄積そのものではありませんか。
伝統や習俗が尊ばれるのは個人の自由意志等と言う不確かなものより、膨大な蓄積がありそれが幾分か信用に値するものだからです。
また、このデフレ増税のご時世、国家の根幹である子を育てる親にある程度何らかのインセンティブを与えるのは真っ当だと思います。
中絶禁止という当事者が望まざるネガティブ因子よりも そっちの方が効果が見込めと考えるのは当然だと思いますよ。
>グローバル化(~
インターナショナルは差別化だと思います。 グローバルという有象無象ではなく、あくまで自国に中心があります。 スコットランドをはじめ昨今の世界の動きはどう考えてもグローバルという欺瞞に気づき反グローバル、つまりインターナショナル化しています。

だから、くだらない意見(いくら時間をかけて話しても、統一させられない見解、感想、べき論)は書くな。寄越すな、読ませるな。「自分はこう思う、こう考える」は、結構だが、他でやれ。人の時間を勝手に使わせるな。時間を使わされ、大迷惑。菅原

なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 2

<なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 2>

人格4

 さて、近代教育は、この精神活動をそれぞれ、細分化し、啓蒙・啓発します。

 知には、○○科という、社会科学・自然科学(国語科・数学科と言うでしょう)が相当し、感情には、芸術科が対応し、意志は道徳(高校では、これを倫理で代替することになっている)が対応します。

 学校は、極めて合理的に、システム化されたカリキュラムで運営されているのです。

 で、この「知」を担当する教科についてです。

人格5

 で、この「知」の分野には、哲学・諸科学(国語科・数学科・社会科・理科)があり、

 最新では、「情報化(コンピュータ社会に対応)時代への対応」も、カリキュラムに入っています。
「家庭科」も男女共学、食育も、必要とされています。保健体育も、座学教科の一部です。

この○○科で必要とされるのは、今後もどんどん増えていくことでしょう。

 余談ですが、食育の必要性が叫ばれ、給食を通じて、食の大切さを教える・・・ことになっていますが、今の60歳以下は、皆、給食がありました。

 でも、家庭の食生活は、「食の貧困化」「手抜き化」がいつも問題になっているでしょう。(これらを扱った、家庭の食卓の写真だけを取り扱った本もあります。栄養バランスも何もないのですが、写真を撮っている本人は、そのような意識はないそうです)

 「家庭の食生活が貧困だから、それを是正するためにも、給食を通じた、食育を!」

 食育に効果はないのです。要するに、給食が楽だから支持を受け、その理屈付けに「食育」なるものが、提唱されたにすぎないのです。既得権益を守るためです。

 閑話休題

さて、知には、2つの領域があります。①哲学と②諸科学です。

①は、べき論(価値論)です。②は、である論(事実論)です。存在(である)と当為(べき)です。ドイツ語で、ザインとゾルレンです。

安斎育郎『科学的な見方磨こう』 日経H26.7.5
◆思い込みと欲得が目を曇らせる

…超常現象や不合理な考え方を批判し、神や霊などの科学的な考察をしてきましたが、信じて生きている人を蔑むことはしなかった。科学には普遍性があって、どんな価値観のもとでも正しいものは正しいけど、人が何を大切に思うかという価値観は科学的な知見とは関係ないからね。信じることによって心の安らぎを得ているならそれでいい。存在しないものを信じることができるのはある意味、人間の特権と言えるでしょう。

人間は少ない情報をもとに推し量る能力があるから、だます側がいくつかのことばを提示すると勝手に想像を膨らませて思い込んでくれたりする。人間の優れた能力が逆に作用するんです。



 科学は、事実論ですから、事実は一つで、正誤判定可能です。

 しかし、哲学は、べき論ですから、意見・感想・価値判断で、千差万別、答えがないのです。

 何が好きか嫌いか、何を美しいと見るか、醜いと見るか、何を正しいと見るか、間違いと見るか・・・

 これは、千差万別で、解答がありません。どんなに考えても、唯一の正解はないのです。

 だから、このブログでは、そんなことを論じても、時間の無駄なので、扱わないのです。意見はいらないのです。

 そして、もう一つの理由が、べき論、価値観こそ、人格そのもので、尊重しなければならないからです。

(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


 目的は、人格の完成です。人格とは、渾然一体で、本来分けることができないのですが、便宜上分けました。

 しかし、人格は、本来、わけられないものです。その人の真善美が、渾然一体となっている・・これが人格です。

 その人格の完成を目指すのが教育活動ですから、一人一人の、違う考え方、ものの見方、真善美を尊重するのが、大前提とされています。

カント
汝および、他人の人格を常に同時に目的として取り扱い、決して単に手段として持ちうることなかれ


 カントの人格擁護律です。

 人格は、目的であり、手段ではないのです。自分のも、他人のもです。

 もちろん、実際には、人を手段として扱います。部下を使うのも、そうです。しかし、本来は、ヒトは、目的であり、手段ではないとするのが、近代教育を支える哲学です。

 モノは、あくまでも「手段」にしかなりません。人間の何かの目的を満たすための手段です。ここが、モノと、ヒトとを分ける部分です。

 人格は、ものすごく大切な、目的そのものと考えているのが、教育活動です。だから、自分の人格を大事にしている人は、他人の人格も大事にします。そして、人生は、この人格の発露です。何が正しく、何が善いことで、何が美しいか・・・これが、その人そのもの(哲学)、生き方そのものなのです。

 このような、いざというとき、その人の、全人格が問われます。とっさのときに、全人格が発露するのです。

 ものすごく難しく、ものすごく崇高で、人類の永遠の主題(文学でも芸術でも、この葛藤をモチーフにする)です。

 だから、全人格の発露である、次のような事例を前にすると、「人格」とは何か、「人間とは何か」「どこに真善美があるのか」について、深く、深く、考えるのです。そして、簡単ではない(とても難しい)ということに、気づくのです。重たいのです。簡単に扱われては、たまらないのです。

曽野綾子 「今も続く人間の極限」 新潮45 2014.6月号

 べルリンの陥落に関しては、・・その中でもアントニー・ビーヴァーの『ベルリン陥落 1945』という本にたった四行で記録されているディーテル・サールという少年の挿話は忘れられない。
 べルリンに入って来たソ連兵にとって、ドイツの女性たちは、格好な性の標的であった。「慰安婦」どころの問題ではない。ベルリンはまさに、性の捌け口の坩堝であった
ように見える。このようなことは、占領後の日本にはなかった現象である。私たちは改めてアメリカ人の占領政策を評価すべきだろう。

 首都陥落時、ベルリンに住む人たちは、終戦当時の日本人と同様、或いはさらに深刻に食料難に苦しめられていた。同じ性的な行為でも、子供に食べさせる食料を手に入れるための交換条件としてソ連兵に近づいた女性もいれば、反対にあどけなさを残してドイツ人の少女とのロマンチックな出会いを求めた純心なソ連兵もいたという。集団でレイプされるのを恐れて、進んで特定のソ連軍高級将校の囲い者になった女性はかなりいたように見受けられる。それらの話はしかし、まだ当事者が生存している現代では、表立って語ることはタブーである。

 当時ディーテル・サールはまだ十三歳であった。末期的な敗戦の状況にあったドイツは、老人やハイティーンまで動員していたから、彼の家庭も父も祖父もいない母子家庭であった。彼の眼の前でソ連兵が母を犯した時、彼は抵抗を試みたが、それは全く何の役にも立たなかった。彼がその場でできた唯一のことは、屈辱の報復として、自分を撃って死ぬことだけだった。

 ここには十三歳の少年ながら、相手のソ連兵を撃てなかったか撃たなかった、弱く卑怯な自分への、採るべきせめてもの答えを、数分のうちに出した気迫を感じる。残された母のその後については何も書かれていないが、母の苦しみも一生涯ついて廻ったことだろう。
 
 百日間に八十万人とも百万人とも言われる人加虐殺されたいわゆる「ルワンダの虐殺」の正確な数字は誰にもわからないだろう。その背景を語れば、それだけで一冊の本ができる。今ここでは概要だけを語るほかはない。

 殺された側はツチと呼ばれる部族で、人口の約一割とも言われていた。殺しだのは人口の約九割を占めたフツ族である。もともとの出自としては、フツが農民で、ツチが牧畜民だったが、現在ではそれほどはっきりした分業ではないらしい。つまり町に美容院があったら、その経営者はツチ族である場合もフツ族である場合もある、ということだ。
 
 私はアフリカの田舎を歩くようになってから、農民と放牧民との、積年の対立の感情を実感できるようになった。日本では農地の隣に牧場があっても、それははっきりと境界線で仕切られているから、何の問題も起こさないのである。しかしアフリカにはこの境界を仕切る材料も人手も金もないから、両者は常に利害の対立関係にある。

 農民がトウジンビエやトウモロコシを栽培していると、そこに、突然牛の群れがやって来て、畑を食い荒らす。放牧民の所有している牛である。
 日本のように家畜を牧舎や鶏舎に入れて飼うこと自体が、先進国の証だということさえ、私は自覚していなかった。人間の自然の営みの中では、基本はすべて放牧なのである。

 ・・・放牧は、農民側からみればたまらない暴挙であろう。牛は雑草も植えたキビも判別できないから、どんな土地へも踏み込んで作物を食べてしまう。作物を食われた農民の側が、怒り心頭に発するのも当然だ。

 しかも、社会的地位や収入に関しては、常にツチ族の方が上だとなっていたというから、フツ族のツチ族に対する恨みは積年のものとなっていたと思われる。

・・・フツ族は、不安の中で教会に集まっていたツチ族をあらゆる形で虐殺した。何の武器も持たず逃げ道もふさがれた人々を、小銃や機関銃で掃討した。あるいは手榴弾を投げ、石油を撒いて中にいる人々を生きながら焼き殺した。

 破壊されて廃墟となった教会跡は一種の虐殺記念館になっていたが、中には今でも、当時そこへ逃げ込んで殺された人たちが持ち込んだ布団やポリタンクや子供の玩具などが、祭壇の上の圈牒と共にそのままになっていた。

 その旅の間中、「私も、いつでもこうなれるのだな」と私は考え続けていたのである。その想念の中の私は、殺される側と殺す側と、そのどちら側にも立っていた。しかしこれほどの実感をもって、その二つの立場をあくことかく想定したことはそれまでになかった。

・・・ほとんどはカトリック教国だったから、私は信仰と現世での行為との間で、二者択一の選択を迫られる場合があることをますます濃密に見せつけられたのである。

 たとえば、一人の修道院長は、自分の修道院にいるツチ族のシスターだけでなくその親戚の人たちまでを当然のように匿っていたのだが、そこへ民兵がやって来て、ツチ族のシスターとその縁故者を今すぐ出さなかったら、この修道院全体に火をつけるか皆殺しにする、と脅すこともあった。或いは、修道院が保有しているガソリンを今すぐ供出しろと強制した。そのガソリンは教会などに集まっている人たちを焼き殺すために使われるのだということは、誰もがわかっていたのである。

 いやその前に、もっと簡単で時間の差し迫った選択を迫られるケースはいくらでもあった。象徴的に言えば修道院長は、追われている難民が修道院をめがけて走ってくる姿が見える前で、修道院の大戸を開けて彼らを迎え入れるか、それとも民兵の銃口の照準の中にいる彼らの前で大戸を閉めて、彼らの受け入れを拒否することで「体制」に従順であることを示すか、問われたのである。すべての修道院がそうなのではないが、昔から外敵を防ぐために、修道院というものにさえ一種の城砦化した構造の意識があることは、日本人以外の多くの人たちにとっては常識なのである。

 もし私が修道院長だったら、どう応対するだろうか、と私は考え続けた。個人としての立場と、責任者としての立場が違う場合を恐れ続けて、私は社会的地位というものに昔から惹かれたことはなかった。むしろはっきりと忌避すべきものだ、と感じて来た。国民の一人なら、よくも悪くも自分一人の命で片がつく。卑怯者になる方法も簡単だ。

 しかし他人の運命を担う者は、道徳的・政治的全責任を一手に引き受けねばならない。

 フツ族の祖母の娘が、ツチ族の男を好きになって結婚していた。だから孫はフツとツチと双方の血を引いている。しかし祖母にとっては、そんなことはどうでもいいことだ。ただ「大切な孫」なのである。

 しかし民兵たちは、そういう曖昧さを許さなかった。祖母に、ツチ族の血の入った孫をお前の手で殺せば、お前の一族が親ツチだというレッテルを貼らないでおいてやろう、と言ったのである。

 かつて内乱の収まった後の二〇〇二年にシエラレオーネに入った時、私は手足を切られた子供たちをたくさん見た。内乱の時、反政府勢力が子供たちを狩りだし、男の子は幼い民兵として訓練し、女の子には売春をさせた。さらに無意味に子供たちの手足を切り落とした。「アンピュテーション(手足の切断)」という、外科医ででもなければ必要のない英語を、私が初めて覚えたのも、この土地だった。
 
 内乱が収まった後再び現地に復帰していたシスター・根岸美智子(故人)は、「曽野さん、手を切られるのと、脚を切られるのと、どっちがいいと思います?」と私に質問した。私は「もちろん脚でしょう」と即答したが、それは私が二度も足を骨折した経験があったからである。私は手に力があったので、その腕力を使って入院中も何とか人の世話にならずに生活した覚えがあったのである。脚がなくても、いつの日か義足をもらえれば、その人はほとんど人並に行動できる。しかし手がないと、その人は生涯、自分で大便の始末ができない。

 私が今でもアフリカの内乱のニュースを他人ごととは思えないで読むのは、そこで私たちが人間を失うまいとすれば、どれだけの犠牲を払うことを覚悟すべきかを突きつけられるからである。私は未だに自分が果たして正しい答えを出せるかどうか疑問のままだ。たとえ出せたとしても、自分がそれに耐えられるかどうかも自信がないままだ。しかし私たちの知らないところで、他者の命を救って殺された無名の英雄がいたことは間違いない。人のために敢然と殺される決意ができているかどうか、答えを出せる人は少ないだろう。



 こんな難しいことは、日本にはない?冗談を。人間の全人格を問われる機会はそこらへんにごろごろあります。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
(2012/11/24)
門田 隆将

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 福島の原発事故。吉田所長は、決死隊を組織することを決断します。あなたが、その場所にいたら、どうしますか?指揮官だったら、あるいは、それをするかどうかの判断を問われる立場だったら・・・

 建屋に残った人(女性も含めて)がどう行動したか、詳細に描かれています。吉田所長が、大勢の前で、なぜズボンを下げ、下着を直したか・・・

読売26.5.11

山崎正和「現代の正義 確かめ合う」

…日本では妊娠中絶は事実上、産む女性の自由として認められているが…これは生まれてくる胎児の人権と矛盾している。現実に外国にはこの理由から中絶反対の運動があり、理論的にはこれを保守的として切り捨てるのは難しいのである。

 東日本大震災…孤立した病院で動けない患者を守った看護師たちは、同じく被災した家族と職場のはざまで引き裂かれることになった。家族を捨てて病院に残った看護師と、わが子のために職場を離れた看護師は、いずれも長く後ろめたさに苛(さいな)まれた…。



 あなたが、その当事者だったら、どうしますか?どうしたと思いますか?

 人格とは、それを突きつける、とても重たい課題であり、そんなに簡単に答えが出せる話ではないし、一生かかっても、解決しないかもしれない問題に、自分の答えを出すとういう、厳しい厳しい課題です。

 「ええ?自分があなたに聞いている、消費税をどうするか、説明しろなんて言う意見や、ウイキペディアをあなたが補正したらいいのでは?、民主党が白川総裁を選ぶ権限を持っていたのかどうか?という意見や質問なんて、そんな重たいものではないでしょう。考えすぎ。」

 そう、あなたの意見は、「軽い(思いつきで書いたもの)」「くだらない話」なのです。くだらない話だから、このブログに、そんな意見書き込むなと言うことです。あなたの、くだらない話(意見)に、時間を使わせないでください。もっと大切な、考えなければならない、でも答えが見つからないことの方が、重要なので。24時間という、人生という、限られた時間は、そちらに使いたいので、あしからず。

 人格とは何か、常に考えれば、人の人生、生き方を軽々しく扱うことは、できなくなります。その人の発言、立ち振る舞い、それが、その人の全人格を示すのです。

ハイエク『隷属への道』春秋社 1992
p74
 人間の想像力には限界があり、自身の価値尺度に収めうるのは社会の多様なニーズ全体の一部分に過ぎないということである。・・・価値尺度は各個人の心の中にしか存在しないから、常に部分的なものであり、それぞれの尺度は、決して同じではありえず、しばしば衝突しあうものとなるということである。

 だからこそ個人主義者は、ある範囲内で、他者のではなく自分自身の価値観や好みに従うべきことが許されるべきであり、その範囲内では、自身の目的体系が至高であって、いかなる他者の指図も対象とされるべきでない、と結論するのである。

個人主義者の立場の本質を形成しているものは、このように各個人こそが自分の目的に対する究極的審判者であるとする認識であり、各個人はできるかぎり自身の考えによって自身の行動を左右していくべきだという信念である。



自分自身は、目的そのものであり、自分自身が、自分自身のマスターです。この1人1人がその価値判断に従って、形成するのが「市場」であり、その対極が「全体主義」「共産主義」です。

自由・民主主義・市場は、同根、「個人の尊重」原理から、導かれるのです。

その人の発言、言葉が何を示すか。

日経H26.8.30

『言葉を先人から学び直す』古典を読む 竹西寛子さんに聞く

広島に生まれ16歳で被爆した。
「死体が見つからないので死んだことにするという。あることとないことの違いは何なのか。目に見えていたものが一瞬でなくなった。でも私の記憶の中にはあるんです。現実に手で触れられるもの、目に見えるもの、耳に聞こえるものだけがあるのか。違う。もがきました」

「ペンを持ったら一行も書けない。いくら探しても的を射る言葉が見つからない。日本人だから日本語は使えるだろうという思い上がりが打ち砕かれました。私がダメなのか、言葉とはそういうものなのか。先輩の女性たちはどんな文章を書いてきたのか一から学び直そうと思ったんです。」

「高校の先生に『どうしたら今の生徒に古典を教えられるか』と聞かれ『ご自身がいいと思われたものを、なぜいいと思われたのか素直に描写してください』と答えます。一首、一句でもいいから、自分がほんとうにいいと思ったら離さない。他人が評価する作品のよしあしとは別です」

「人の生き方は言葉遣いに表れる。人間はその時々に使う言葉以上にも以下にも生きていない。言い訳のできない心そのものの表れとしての言葉。自分が言葉をいかにあいまいにしか考えてこなかったか反省しました」

「人に不愉快な思いを強いないために自分の思いをできるだけ分かりやすく伝え、相手の言うことを曲がって聞かないことが大切です。文章は読むのも書くのも全身運動。自分の体を通った言葉でなければ相手に届きません。大事なのは主語と述語、余計な形容詞や修飾語は不要。いい加減な言葉は務めて使うまいと努力しています」

「いい加減でない言葉を使おうと思ったら、ものを見るときまずいい加減でない見方を求められます」



 すみませんが、「くだらない意見」を読むひまは、私にはありません。

その3に続く・・


高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学

ふぇんりる

全体的に実データとの対比が豊富で、「経済学の視点からみると今の経済はどうなのか」がよく分かったので、読んでいて面白かった。やはり実例が多いのは、学習したことと現実との関連性がわかりやすいので、いいことだと思う。ただ、貿易黒字の章は、いくら色んな面から説明しているとはいえ、少ししつこすぎた。国債と金との関連性などは全然知らなかったので勉強になった。なので、ここに引用されている経済学の本にも、少し手を出して、もっと詳しく知っておきたいと思うようになった。

なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 1

<臨時投稿>

1.
日経H26.9.3
給与所得 

http://blogos.com/article/93482/
池田信夫
2014年08月31日
必要なのは需要の追加ではなく供給のゆがみの是正だ

2.
若い子(学者)の猪突猛進はいいのだが・・

同年齢100~200万人。徴兵経費(1人400万/1年=4兆円~8兆円)>自衛隊予算5兆円。

経済学的にムリ。2年なんかもっとムリ。3泊4日宿泊体験が関の山。
「戦艦大和を10隻作れば、米英に負けない!」並み。

国際政治学者 三浦瑠麗

blogos.com/article/93190/
『豊かな民主国家を好戦的にしないために老若男女を問わない徴兵制を提案する』


みうら るり 1980年茅ヶ崎市生まれ。東京大学農学部卒業、同法学政治学研究科修了(法学博士)。現在、東京大学・日本学術振興会特別研究員。著書に『シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき』。
政治学者

安斎育郎『科学的な見方磨こう』 日経H26.7.5
◆思い込みと欲得が目を曇らせる

…超常現象や不合理な考え方を批判し、神や霊などの科学的な考察をしてきましたが、信じて生きている人を蔑むことはしなかった。科学には普遍性があって、どんな価値観のもとでも正しいものは正しいけど、人が何を大切に思うかという価値観は科学的な知見とは関係ないからね。信じることによって心の安らぎを得ているならそれでいい。存在しないものを信じることができるのはある意味、人間の特権と言えるでしょう。

人間は少ない情報をもとに推し量る能力があるから、だます側がいくつかのことばを提示すると勝手に想像を膨らませて思い込んでくれたりする。人間の優れた能力が逆に作用するんです。



合理的期待(予想)形成説。まさに、上記のような人間特性から、導かれる説です。少ない情報から、かってに予想を立て、「未来はこうなるはず」という予想の元に、現在の行動を決定する。

 バブルが、バブルに突っ走り続けるのも、デフレ予想が、デフレを現実化していくのも、この人間の能力「合理的期待(予想)形成」と、密接な関係があります。

<なぜ、このブログでは、意見はいらないというのか 1>

 何度説明しても、しつこい人はしつこく、自分の意見や感想をコメントに書き込みますし、こちらに意見を述べよと強いてきます。「意見や感想は扱いませんので、事実やデータのみ示してください」と言ってもです。

中には、「これこれだと説明しろ」と言う人もいます。「これこれだと説明する」のは、説明する方の責任です。こちらには、全くありません。

「これこれだ」を証明するのは、「そうだ」と言っている人の方で、「ない」と証明するのは、原則的に不可能です。

 ですから、こちらは、データを示し、「こうでしょう」と、事実を示しています。こちらの価値判断(意見)を述べているのではありません。

な ぜ、「意見はいらない、価値観は人それぞれで、正解がないから、議題にならないから扱わない」というのかを、説明します。

(中には、「事実とは何か」と質問してくるので、こちらが「(GDPなど)数字で出ているでしょう」と回答すると、「半分は、フィクションだと考えている」と答える人が・・・だから、あなたがどう考えるかは、知らないの!フィクションだと思うのは、勝手にどうぞ。それなら、数字を扱うこのブログなど、最初から虚構なのだから、見るな!(笑)ということです。あなたがどう思おうが、勝手ですが、あなたの思いは、いらない(笑)のです・・と何度も言っているのに、分からない人は全然分からないようです)

哲学の領域になりますので、価値判断を扱います。

<教育とは>

教育基本法
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


 目的は、人格の完成です。人格とは、渾然一体で、本来分けることができないのですが、便宜上分けます(じゃないと、教育活動ができないからです)。

人格1

 まず、心と体に、便宜上分けます。で、体の部分を請け負う教科が、体育です。一生を支える、骨を、ここで、鍛えておきます。日本では、大学でも、体育必修です。

 で、心(精神活動)を、それぞれの、専門教科に分かれて、扱います。

人格2

 心(精神活動)は、知・情・意、知識・感情・意志に分けられます。

価値としては、真(知)・善(意)・美(情)です。

教科として、諸科学、芸術科目、道徳(高等学校では、倫理・現代社会が担うことになっています)です。

 夏目漱石が、『草枕』の冒頭、

智に働けば角が立ち、情にさおさせば流される。意志を通すのは窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。

と言ったのは、この知・情・意のことです。

 近代教育は、この18世紀哲学 知・情・意 から成り立っています。哲学者カントが、この3つの価値について、3つの領域について、三大批判書を書いたのは、有名な話です。

人格3 カント

 ちなみに、神は、絶対善で、真・善・美です。動物には、この世界(価値)はありません。ですから、『神と禽獣には道徳なし』というのは、人間のみが、道徳に苦しむことを示しています。
 悪魔は、もちろん、真善美の反対、「偽・悪・醜」です。

 キリスト教は、イエス(神)対悪魔の戦いを示したものです。イエスの絶対的な家来、天使の中で、サタンが、イエスに刃向い、謀反を起こし、悪魔軍団を形成します。イエスに代って、この世を支配しようとたくらむのです。

 イエスは、それを退治し、最後には、悪魔を閉じ込めます。それが、聖書に描かれた壮大なストーリーです。(人間は、脇役であり、あくまでも、神が主役の話です)

 スター・ウオーズ(フォースを持つ人間が、裏切って、悪役になるでしょう)や、ロード・オブ・ザ・リングなどは、聖書をモチーフにした物語です。

 ちなみに、キリスト教(ユダヤ・イスラム)は、善・悪の二元対立です。ゾロアスター(ツアラトストラ)教では、アフラマズダという神と、大魔王神軍団の対立があります。

 さらにちなみに、善悪二元論と、終末論、ノアの方舟にある、洪水の話、処女降誕の話は、ゾロアスター教の方が最初です。

 二元論を、ユダヤ教以降では、一神教にしたので、わけがわからなくなっていく(分かりずらい)という説もあります。神は、怒りの神であり、ムチャクチャなことをする神でもあり、裁く神であり、イエスによれば、「愛の神」です。

 ユダヤ教以降では、「精神(心)霊」 が絶対です。物質ではありません。

 「神は、ロゴス(ことば 霊)である(ヨハネ)」「神は光あれと言った」から、壮大な聖書の物語がスタートします。ことば・精神が全てです。

 ですから、人間を支配しているのも精神(霊)です。

 カトリックでは、エクソシスト(悪魔を追い払う人・儀式など)は、公認です。人間は、霊に支配される存在です。

 「リメンバー・パールハーバー」・・・日本人憎しではありません。日本人は、悪魔に支配されたのです。この言葉には、続きがあります。
 ナチスも、同様、悪魔に支配されたのです。

 アダムとイブは、この霊が100%、体を満たしている(神のいう通りの存在、神に何でも相談する)ので、問題はありませんでした。しかし、悪魔がそそのかします。「お前たち、自分で判断する力を持ちたくないか・・」
 
 神の領域に踏み込みます。

 神は怒って、アダムとイブを追放します。アダムとイブは自分の姿を見て、恥ずかしくなり(これも神と100%交信していた時には感じなかったことです)葉っぱで性器を隠します。神は、男には労働、女には出産という苦しみを与えます。

余 談ですが、女は、大胆ですから、リンゴを飲み干します。男は臆病ですから、恐る恐るリンゴを食べ、のどにつかえました。「アダムズ・アップル」とは、そのつかえたリンゴ、のど仏のことです。

 人間の真・善・美をめぐる苦悩は、ここから始まります。

 人間は、アダムとイブ以降、ますます、神から離れて、自堕落になります。

 ノアだけが、唯一、神100%の人間でした。だから、神は、ノアとその子孫だけにしようと(リセット)、ノアに箱舟を作らせます。

 大洪水後、洪水が引いたかどうか、ノアは、ハトを船から出して、偵察させます。その時ハトが咥えてきたのが、オリーブの葉っぱで、ノアは洪水が引いたことを知ります。

 ハトやオリーブが平和の象徴(国連の旗)なのは、ユダヤ・キリスト・イスラム共通の価値観です。

 イエスは、さらに堕落した人間界に来ます(人間がまたみんな、ノアの様になっていたら、問題は起こらなかったのですが、人間はアホですから、神に背いてばかりです)。

 イエスは神ですから、神の精神(霊)100%です。世界を作った力を持っていますから、病人を治すとか、死んだ人間を生き返らせるとか、当たり前です。

 ところが、イエスの体は人間サイズですから、神の精神も、そのサイズにとどまることしかできません。

 だから、イエスは、肉体を滅ぼし、その神の精神を、この世に開放したのです。この世は、神の精神エネルギーで、満たされます(無限大)。

 イエスを信じることによって、人間は、神の精神(エネルギー)を、もう一度、自分に取り込むことができます。

 これは良い知らせ GOOD NEWSなので、福音と言います。GOSPELは、この喜びをたたえた唄です。

 だから、嬉しいニュースなので、信者は、喜びを爆発させます。飲めや歌えや、大騒ぎです(南米などすごいものです)。だから、明るいのです。

 イエス様・・・日本では静かに祈りますが、西洋では正反対です。

 ユダヤは、イエスを処刑し、イエスは、裁きの神から愛の神へと神概念を変え(何しろ、イエス=神ですから、神が、自分自身を語っていることになる)、イスラムでは、イエスは預言者の一人で、最後の、そして最大の預言者としてムハンマドが登場します。

 ユダヤ教は、キリスト教を信じられません。キリスト教は、イエスを神の子としているのに、イスラムでは、人間としますから、それも、イエスの後に、別な物語が続くのですから、イスラム教を信じられません。

 ヤハウェ、ヤーヴェ・・・神は同じなのに、ユダヤ・キリスト・イスラム教同士で、殺し合いをしています。今日もです。

 二元対立(神々)から、一神教にし、外からは、分かりにくい、難しい宗教になっています。 一神教は、日本人には、どうにも分かりづらく、キリスト教徒は、全人口の1%にも満ちません。

 日本は、八百万の神々ですから、お釈迦様だろうが、イエスだろうが、全部、取り込んでしまいます。七福神なんか、インドの神様まで、日本の神様に取り入れています。大黒様や、毘沙門天、恵比寿様・・・
 
 人間や(平将門、菅原道真,家康)、動物(キツネ)、山や、川、海、男性器さえ、神(カミ)です。

 よく言えばおおらか、でも、外から見たら、節操がありません。
 初七日、七五三、クリスマス、神社や寺への初もうで、教会での結婚式、仏教の葬式・・・

 しかし、日本人のきれい好き(これは世界一)も、日本の神話と関係があります。イザナギノミコトが、天上から、急いで逃げ帰ってきて、一番先に行ったのが、「禊」、水に流し、清めることです。

 日本人は、水に流す、清めるのが大好きです。死んだら、水に流します。死者を悪く言いません。中国のように、死者の墓まで暴いて、骨を鞭打つというのは、日本人にはできません。
下着も、フランス人のように、三日も四日も同じものを身に着けることはしません。

 日本は、やはり、宗教的に生きているとも言えるでしょう。

 余談が止まらなくなりました。次回、もう一度、本論に戻ります。

http://220710.cocolog-nifty.com/blog/cat51373367/index.html

1Q47の「だての国から」

②高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学:経済学とは結局のところ”金儲け”のことでしかない、と私は思っている。なぜなら、(有史以来)これまでのところ、経済学が”人類を貧困から救った”という話を聞いたことがないからだ。経済学の実態とは、一部の人を圧倒的に豊かにし、残りの大多数の人々を貧困のままに追いやっている、というのが私の感想だ。経済学をこれっぽっちも勉強してこなかったし、高校生も経験してこなかった自分の偏見がベースになっているのかもしれんが・・・。「いや、そうではなくて、経済学って素晴らしいよ!」、もしかすると、そのように転向させるきっかけとなるのが本書かもしれない。


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