臨時投稿 主観的に、データを持ってくるな
もともとの話
↓
(1)
>http://www.kensetsunews.com/?p=38052
人材不足について明確に誤解、ミスリードだそうです。
自由と責任はセットですよ、先生。
コメ欄見てもわかるように
やはり先生も明確にミクロとマクロの混同させて
ミスリードしてるという疑義があるってことですよ。
空理空論はどちらでしょうね。
(2)
>>ボトルネックで、受注さえできずに~
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=563863303714617&set=a.236228089811475.38834.100002728571669&type=1&theater
↑実際のデータを確認してみますと,公共事業は「順調に」業者によって受注されてきていることが,表からもわかります。
実に昨年同時期に比べて,1割以上も,順調に政府は発注できている。はい明確に受注率も上がってるよね。
・・バカなので先生の言っている事が今の時点では
朝日新聞同様、ミスリードに聞こえますなぁ。
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1.民間+公共の話をしないといかんよなあ。
2.公共事業=建設業ではないよなあ。「建設」の話をしているんだがなあ。
バ○には、理解できんのだろうなあ。
目的が「否定」にあるから、とにかく恣意的なデータとか、自分に都合のいい話に飛びつく・・・これを「朝日新聞的」「民主党的」といいます。
両者とも、「アベノミクス・原子力否定」「反自民であれば」だったから、理論がまったくない。
だから、客観的なデータや、事実を調べろと。「否定するためという主観」が入るから、目が曇る。
一知半解のコメントをするなと、何度言ったらわかるのでしょう?バ○には、通じないのでしょうね。
「5分で覚えたことは5分で忘れる」ということばの意味さえ、分からないのでしょう。
主観的とは、「○○べき」とか、「○○のほうが良い」とか、意見が入ることです。
「公共事業(財政出動)を拡大すべき」とか、「反原発」とか、「反自民」「功名心」とかです。
そうすると、これらの人たちは、その自分たちの「主観」にそうように、データを集め、データを見つけ、事実を見つけるという、バイアスをかけます。
そうすると、「恣意的なデータ」「恣意的な事実」になり、客観的な検証はできなくなります。
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ほとんど妄想の世界
とにかく、「規制緩和=悪」という公式で、あらゆる事象を分析するものだから、もって来る資料さえ、恣意的、都合の悪い資料は隠す・・・これは少なくとも「学問」と呼べる領域ではありません。
学問という世界に身を投じるには、少なくとも、ベーコンの言うイドラを排除する必要があります。
ウイキペディアより
イドラ(idola)とは、人間の偏見、先入観、誤りなどを帰納法を用いて説いたもの。16世紀の哲学者フランシス・ベーコンによって指摘されたものである。 ラテン語で偶像を意味し、アイドル(idol)の語源でもある。 フランシス・ベーコンは、以下の4つのイドラがあると説いた。
種族のイドラ…感覚における錯覚であり、人類一般に共通してある誤り。
洞窟のイドラ…狭い洞窟の中から世界を見ているかのように、個人の性癖、習慣、教育によって生じる誤り。世間知らずの意もあるらしい。
市場のイドラ…言葉が思考に及ぼす影響から生じる偏見。言葉や言語が引き起こす偏見。口コミなどが挙げられる。
劇場のイドラ…思想家たちの思想や学説によって生じる誤り。思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと。
この4つのイドラを取り除いて初めて、人は真理にたどり着け、本来の姿を取り戻すとベーコンは考えた。
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高校の「倫理」では、必修です。
客観的とは、「良い悪い」といった価値観、自分の「○○すべき」といった意見を排除するもので、事実をありのままに見て、データをありのままにそろえ、データをありのままに見るというものです。
主観的になる(公共事業拡大すべき、反原発、反アベノミクス、日本人悪玉論、成果獲得を目的、冤罪反対)と、
「公共事業は順調に消化されている」
「福島第一原発所員は逃げた」
「アベノミクスは、格差拡大」
「日本人は朝鮮人を強制的に慰安婦にした」
「STAP細胞はIPSよりここが優れている」
「私は(遠隔操作の)片山被告を信じていた」
・・・と、「恣意的なデータ」にし、目を曇らせてしまいます。
ですから、最初から、「○○べき」とか、「○○のほうが良い」といった立場に立つ時点で、目が「曇る」のです。
経済学では、有名な話ですが、経済学者の林文夫・プレスコット(RBC理論)の意見(初校1999~2002年)は、「構造改革を進めるべし」という供給サイドに立った経済論で、「ゾンビ企業を撤退させるべき」という、「構造改革」論の基礎となる意見でした。ですから、池田信夫などが、飛びつきました。
そこで、林文夫の意見を検証すべく、政府主導で調査・研究をしたのですが、そこで、上がってきた事実は、「林文夫側にとって都合の悪いもの」ばかりになっていまいました。
このブログでは、「意見」「主観」はいりません。必要なのは、「事実」「データ」「客観」のみです。
建設業で、「型枠・鉄筋工」がボトルネックになっている、単価を上げればいいでは解決できない、外国人労働者を受け入れないと、こうなる・・・と述べますが、受け入れなくてもかまいません。その場合は、こうなると言っているだけです。
客観的な「事実」、「データ」をもとに、判断するのは、1人1人の個人で、日本では「間接民主制」を採用しています。選んだ結果は、結局、自分が従うしかありません(日本脱出はできませんので)。「嫌」でも、従わざるを得ません。
ただし、材料に「主観的・恣意的データ」を持ってこられると、1人1人の判断が狂います。「燃料費増大による貿易赤字は、日本の国富流出」だからと、「原発必要」論に使われてしまいますが、事実は違います。
私にとっては、「アベノミクスだろうが、アホノミクスだろうがどうでもいい」し、「ケインジアンだろうが、マルクスだろうが、市場派だろうがどうでもいい」のです。経済学は、手段であり、目的ではありません。経済学なんて、どうでもいいのです。
「ほら、マルクスは正しかった」、「ケインズのいう通りだった」etcなど、だからどうだっていう話です。そんなもの、勝手に1人で満足に浸っていろという話です。
問題は、GDP、1人当たりGDPです。世界が3.5%で伸び、先進国でさえ1~2%で伸びているのに、日本だけ0%とか、マイナスだと、10年後、20年後に、日本の生活水準(厚生水準=福祉水準)は、先進国のレベルから、引き離されてしまいます。
例えば、先進国では、先進医療が当たり前なのに、成長していないその時の日本では、受けられない・・・
エボラ出血熱でも、日本なら、もっと対処できるのに、所得水準の低い国では、それが不可能・・・
これを受け入れるのですか?という話です。いいですよ。受け入れても。しかしそれは、国民全員に、その「成長しなくてもよい」論を強制することになります。まあ、民主主義ですから、従いますけど・・・
失われた20年、自殺者が増えました。若者が正規雇用の道を閉ざされました。高校生の求人がなくなりました。「成長しなくても結構」なら、それを「受け入れるべき」です。
私は「嫌」です。