水野和夫 『資本主義の終焉と歴史の危機』 その6
前回までは、経済に重きを置いた話でした。今回は、格差が拡大すると、民主主義が壊れる?なる、政治と絡めた話

中間層が壊れると、民主主義まで壊れる!
P42
国境の内側で格差を広げる「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになります。民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するので、中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならない。
P91
グローバル資本主義では必然的に格差が国境を越えてしまうので、民主主義とは齟齬。日本で1970年代に一億総中流が実現したように中国で13億総中流が実現しないとなれば、中国に民主主義が成立しない・・階級闘争が激化・・一党独裁体制を大きく揺さぶる。中国に、民主主義が達成されていないと批判するのは、先進国の傲慢であると私には思えます。
P92
資源高の時代に近代化する国(筆者注:途上国のこと)は国内の階層の二極化を伴うため、民主主義が機能する前提条件を欠いています。
結論から言います。大正期・戦前の日本は、今の香港以上の、「超・自由・自由・自由・自由資本主義」、要するに、「自由主義経済の極致」でした。
http://synodos.jp/economy/7327/2
ゲーム理論による制度分析と「予想」
松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』
経済学におけるゲーム理論の発展
それが、その後主に1980年代に入って以降、ゲーム理論の発展がミクロ経済学の教科書を書き換えるようなインパクトを与えていくことになります。
そのころゲーム理論そのものの研究者たちの間では、後で説明する「ナッシュ均衡」と呼ばれるつじつまのあった答えが、複数発生してしまう問題が議論の的になっていました(「複数均衡」問題)。同じ人たちが同じ条件のもとに置かれても、全員につじつまの合う答えが何通りもある。場合によっては無限にある。その中には、現実にはちょっと起こり得ないだろうというのもありましたから、これらの均衡を、もっともらしい理由をつけて絞り込んでいくことが課題になっていたのです(ナッシュ均衡の「リファインメント」)。
これを、経済学の分野で考えてみたわけです。経済学における従来のゲーム理論応用は、大きな企業どうしの価格決定の駆け引きも、労資の駆け引きも、結局落ち着く答えは一つというのがだいたいのところでした。ところがそうではない。複数答えが出る。しかし現実にはそのうちどれかが選ばれているわけですから、そのどれが選ばれるのかについて、はっきりと意識しなければならない。そのことが、経済学を書き換えるインパクトをもたらしたのです。
その中でも一番の典型的なフィールドは、「制度」というものの分析だったと思います[*1]。それまでは、経済学というよりは、政治学や法学や社会学などの対象であった「制度」というものが、ゲーム理論を使うことで、経済学的に分析できるようになったわけです。その分析の中で、同じ条件のもとでも、違ったタイプの制度が成り立つことがあることが、ゲーム理論の複数均衡の考え方によって説明されるようになりました。その複数あり得る制度のうちどれがとられるのかは、結局歴史的経緯に依存するということになります。これを成り立たせているのが、人々の振る舞いについての各自の予想なのだ……それが明らかになったわけです。
今回はこれからその話をしていくのですが、この分野では、青木昌彦さん[*2]、奥野正寛さん、伊藤秀史さん、松井彰彦さん[*3]ら、日本人研究者でパイオニア的活躍をしてきた人が多く、まとまった基本的業績が日本語の本で読めます。また、アブナー・グライフさん、ロバート・ザグデンさん[*4]のような海外の有名な研究者のまとまった本も翻訳されています。本文や注で紹介しておきますので、できれば実際にこれらの本を読んでみて下さい。
青木昌彦さんらの「比較制度分析」
この手の研究が最も目覚ましい業績をあげたのは、青木昌彦さん(1938-)たちによる、戦後日本型経済システムの分析だったと思います。青木さんたちは、このような分析方法を「比較制度分析」と名乗りました。英語にすると「コンパラティブ・インスティテューショナル・アナリシス」。略すと「CIA」ですから、この手の議論をしていると「CIAのゲームのエージェント」などと言った言葉が飛び交うのですけど、もちろんスパイゲームとは何の関係もありません。
もともとは、ゲーム理論のモデルで、さっき述べた「複数均衡」というものが発生することを使って、アメリカ的な、伝統的経済学の描写に近い経済システムと並んで、戦後日本的なシステムも別途均衡として発生することを示して見せることに問題意識があったようです。そこで「比較」という言葉を使ったのだと思います。でも、場合によっては、同じ分析の枠組みで複数均衡が発生しないケースも扱うことができるわけですから、「比較」という言葉は必ずしもこの手法を指すために適当ではない枕詞だと思うのですけどね。
ここで分析されている日本型経済システムというのは、終身雇用制、年功序列制、企業別労働組合、内部昇進制といった、いわゆる「日本型雇用慣行」や、株式の相互持ち合い、固定的な下請けシステム、メインバンク制、官僚の行政指導等々の仕組みを指しています。いずれも、伝統的なミクロ経済学が描くような、何もかもスッキリ市場取引でおおわれたシステムとは違っています。同じ資本主義なのにどうしてこんな違いがでるのだろうかということが問題になったわけです。
このように、「ゲーム理論」を使って、「比較制度分析」がなされるのですが、では、経済学史を調べるときの、必読書を、見てみましょう。
![]() | 現代日本経済システムの源流 (シリーズ現代経済研究) (1993/06) 不明 商品詳細を見る |
同書、第4章をまとめます。
1章で指摘したように,日本型システムとは,メインバンク・システム,株式持ち合い,終身雇用制度,年功序列賃金等を総称して言われる用語である。このシステムはステイク・ホルダーのうち,ストック・ホルダー(株主)の利益を軽視し,むしろ多くは経営者,債権者(銀行),労働者(従業員)の利益を擁護しているシステムだとされる。
実は,これらの日本型システムは,歴史的に見て比較的新しい制度である。戦前は,基本的に欧米諸国と異ならない,オーソドックスな資本主義的経済システムであった。その後,1930年代から40年代前半にかけての,日本経済の重工業化と,戦時経済化の過程で,日本型システムの構成要素が生まれてきた。「現代の日本の社会システムは,・・・人為的に作られたシステムを原型としている」 のである。

上表にまとめられるような,企業システムの変化について,特にその戦前から,戦後にかけての著しい変化について,高碕達之助は,以下のようにその違いを指摘した 。

このように,彼は,「極端な株主主権から,極端な従業員主権」 へと転換したと認識したのである。もちろん,今日の日本企業は,このような高碕の指摘した終戦直後の状態とは大きく異なっており,修正が行われたのである 。
以上
「終身雇用制、年功序列制、企業別労働組合、内部昇進制」などというのは、戦後(制度は戦中に作られた)の30年ほど続いた、特殊なお話だったということです。
つまり、一億総中流時代など、日本の歴史の上で、70年代~80年代の時期にしかない、「神話」だったということです。
戦前は、1925年の男子普通選挙法に見られるように、「大正デモクラシー」と言われる時代でした。評価はいろいろあるものの、まさか、この時代に、日本に「民主主義がなかった」という人は皆無でしょう。
さらに、1945年の普通選挙制導入、1960年代中盤の高度経済成長期突入まで。
では、その時代、「中間層」はなかったですね。
http://www.jil.go.jp/institute/rodo/documents/report3.pdf
日本の所得格差をどうみるか
-格差拡大の要因をさぐる-
JIL 研究員/勇上和史 2003.3
<ジニ係数>
4種の推計結果から戦前の世帯所得格差の動向をみると、1890~1940 年まで、ほぼ一貫して所得格差が拡大したことがわかる。その要因としては、当時全世帯の大部分を占めていた農家世帯(農村部門)と、非農家世帯(都市部門)との格差拡大が挙げられている。
背景には農村部門における過剰な労働力の存在があり、その結果、工業化が進行するにつれて農村-都市部門間の生産性格差がさらに拡大する。あわせて、産業化の初期段階では、産業間の生産性が異なるために都市部門内の格差拡大の重要性を指摘する研究もある
格差がないことが、民主主義の前提条件?
P42
国境の内側で格差を広げる「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになります。民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するので、中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならない。
P91
グローバル資本主義では必然的に格差が国境を越えてしまうので、民主主義とは齟齬。日本で1970年代に一億総中流が実現したように中国で13億総中流が実現しないとなれば、中国に民主主義が成立しない・・階級闘争が激化・・一党独裁体制を大きく揺さぶる。中国に、民主主義が達成されていないと批判するのは、先進国の傲慢であると私には思えます。
P92
資源高の時代に近代化する国(筆者注:途上国のこと)は国内の階層の二極化を伴うため、民主主義が機能する前提条件を欠いています。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』
第7章
1900~1910年のイギリスはものすごく不平等な時代
上位1%の階層が、富の60%を所持、40% の中間層は5%所持。
当時、中間層はいなかった。国民の大多数は、富を所持していなかった。
で、中間層がいない
P173
資本主義が地球を覆い尽くす・・・もはや投資に対してリターンが見込めなくなることを意味し・・地球上が現在の日本の様に、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレになるということです。
p178
したがって資本主義の終焉とは、近代の終わり、西欧史の終わり、全世界の70億人が資本主義のプレーヤーとなった時点が死を意味するのです。
P214
近代経済学の住人からすれば、私は「変人」にしか見えないことでしょう。しかし「変人」には、資本主義終焉を告げる鐘の音がはっきりと聞こえています。
資本主義の終焉 ではなく、資本主義(キャピタリズム:資本=カネ)が本来どおりの動きをしているのです。
成長は、①労働力(ヒト)②資本力(カネ・モノ)③生産性から成り立ちます。
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AKモデル
マルクス経済学に決定的に欠けているモノ、それが、③生産性です。そして、今日の成長を決定づけるものは、その③生産性なのです。
つまり、マルクス経済学は、
β=s/g
β=資本/所得率
s=貯蓄率、g=成長率
において、gをゼロ、もしくはほぼゼロにするという、特殊な場合にしか、当てはまりません。
http://mainichi.jp/shimen/news/20141119dde012040003000c.html
特集ワイド:貧富の差拡大は資本主義の宿命 米でベストセラー「21世紀の資本」 日本でどう読む、ピケティ氏の主張
毎日新聞 2014年11月19日 東京夕刊
◇進む「少数による利益独占」/ブレーキなき経済への警鐘
「21世紀の資本」は、フランスの経済学者でパリ経済学校教授のトマ・ピケティ氏(43)が昨年著した。今年4月に米国で英訳が出版されると、696ページ、厚さ約5センチの大著にもかかわらず50万部を超すベストセラーに。JR東京駅そばの丸善丸の内本店の洋書コーナーにもずらりと並んでいる。
「経済の専門書だからゆっくり出せばいいと考えていましたが、米国で評判になったので前倒ししました」。うれしい「誤算」を語るのは、邦訳を売り出す「みすず書房」編集者、中林久志さんだ。
間もなく「日本人のためのピケティ入門」を出版する経済評論家でアゴラ研究所所長の池田信夫さんに、解説をお願いした。
「ピケティ氏の主張を要約すれば、資本主義のもとで貧富の差が拡大するのは当然だ、その理由は『資本収益率』というものが『経済成長率』をずっと上回ってきたからだ……ということです」
資本収益率とは、株や不動産投資の利回りを指す。一方、経済成長率は国民総所得(GNI)の伸びだが、ピケティ氏はこれを、労働者が得る賃金の伸び率とほぼ同じと捉える。そのうえで、18世紀以降の平均値を比較し、資本収益率の5%が経済成長率の1〜2%を上回っていると指摘。資産家が「高利回り」の投資で財産を増やす一方、労働者はわずかな賃金上昇に甘んじるしかなかったというのだ。
欧米で戦争もなく消費文化が花開いた19世紀末から20世紀初頭は「ベルエポック(良き時代)」と呼ばれる。だが、工業化の恩恵は一部の資本家しか享受できず、ピケティ氏が言うように貧富の差が著しく拡大した。彼によると、1910年の米国では上位1割の富裕層が国全体の資産の8割を占めたそうだ。
しかし、2度の世界大戦を経て格差は縮小する。この時期を分析した米国経済学会の重鎮、サイモン・クズネッツ氏(1901〜85年、71年にノーベル経済学賞)は「経済発展の初期段階を過ぎれば工業化が進み、所得が増え、格差は縮小する」と結論づけた。「クズネッツ氏の研究は『資本主義の素晴らしさを示すもの』と受け止められ、経済学も『経済発展とともに資本収益率と経済成長率は等しくなる』と教えてきました。これらの定説を、ピケティ氏は真っ向から否定した。そこに驚きがあったのです」(池田さん)
ピケティ氏は、集めるのに15年かかったというフランス、英国、米国、日本など20カ国以上の過去300年にわたる税務統計を詳細に分析。第二次大戦後に格差が縮まったのは、戦争で資産が破壊され富裕層への課税も強化されたことによる「例外」に過ぎず、80年代以降は再び格差が拡大。今やベルエポックのそれに近づきつつある−−と警告する。
事実、経済協力開発機構(OECD)によると、米国では上位1%の所得が81年には全体の8・2%だったが、2012年には倍以上の19・3%に達した。失業や貧富の差の拡大に「我々は(上位1%に入れない)99%だ」と不満を爆発させた米国の人々が11年に、ニューヨーク・ウォール街を占拠したのは記憶に新しい。
「21世紀の資本」が訴える内容は、日本人にとっても人ごとではない。日本での貧困層の増加を指摘し続ける京都女子大学客員教授(労働経済学)の橘木俊詔さんは言う。「日銀が追加金融緩和を決めたが、こうした資産家優遇の政策を続けていくと、資産家がさらに資産を増やし、格差がこれまで以上に広がる可能性がある」。非正規社員は4割近くに達し、貯金のない世帯は3割に上る。
東京大大学院教授(マクロ経済学と金融)の福田慎一さんは「先進国の成長率は低下し、社会保障などの所得再分配も財政事情から絞られる傾向が強まっています。日本はアベノミクスで金融市場だけが踊っていますが、実体経済の歯車を動かさないと所得の不平等が深刻化する」と心配する。
「資本主義の終焉(しゅうえん)と歴史の危機」を今年著した日本大学教授(マクロ経済学)の水野和夫さんは「資本主義は誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステム」と言い切る。1人当たり実質国内総生産(GDP)が世界平均の2倍以上を有する国の人口比率を調べたところ、工業化が進んだ1800年代半ばから01年にかけての平均は14・6%だった。水野さんは「近代の定員15%ルール」と呼ぶ。
「15%の『中心』が残り85%の『周辺』から利益を吸い上げているのが資本主義です。19世紀、英国はインドを搾取し、20世紀の米国はカリブ海の国々を貧しくした」。途上国の犠牲のうえに先進国が豊かさを享受する、国の外に「周辺」をつくり出す帝国主義の側面である。中国が高成長を遂げて新興国となり、アフリカが資源開発され、外に「周辺」をつくりづらくなった。どうしたか。「国内に『周辺』をつくるようになったのが21世紀の特徴です。米国は貧しい人にサブプライムローン(信用力の低い人向け住宅ローン)を組ませ、日本は非正規社員を増やし、EU(欧州連合)ではギリシャやキプロスを貧しくしている」と水野さんは指摘する。
資本主義が生きながらえてきたのは「暴走を食い止めた経済学者らがいたから」と水野さん。18世紀、アダム・スミスは「道徳感情論」で金持ちがより多くの富を求めるのは「徳の道」に反すると説き、19世紀にはカール・マルクスが資本家の搾取を見抜き、20世紀になると「失業には政府が責任を持つべきだ」とジョン・M・ケインズが主張した。
だが、新自由主義が唱えられ始めた21世紀、ついに「ブレーキなき資本主義と化してしまった」(水野さん)。
そこに警鐘を鳴らすのが「21世紀の資本」だ。マルクスの「資本論」をほうふつとさせる題名だが、ピケティ氏はテレビのインタビューで語っている。「私は資本主義を否定しているわけではなく、格差そのものが問題と言うつもりもありません。ただ、限度がある。格差が行き過ぎると共同体が維持できず、社会が成り立たなくなる恐れがあるのです」と。
ネット炎上、ヘイトスピーチ、「誰でもよかった」殺人の多発−−日本で広がる不気味な動きに、その兆候はないか。資本主義を問い直す時に来ている。
図解 使えるマクロ経済学
(2014/10/11)
菅原 晃
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すみません、初版 第1刷訂正部分です
1 P179
ケインズの流動性選好の図 ×「強国」→ ○「強固」
2 P179
×「流動性選好が高まれば、市場全体では均衡しているが、必ずどこかの市場で、需要不足(売れ残り、失業、利子率低下せず)になる」
○「流動性選好が高まれば(不況でますます強固)、必ずどこかの市場で、需要不足(売れ残り、失業、利子率低下せず)になる」
3 P215
×翁百合「試合中にルールを変える行政がイノベーションを阻む」
○翁百合「試合中にルールを変える裁量行政がイノベーションを阻む」
4 P154
×「限りがある資源(有限な時間・土地・ヒト・モノ・カネ)をいかに有効活用するかが、経済学(エコノミクス)の核になる理論
○「限りがある資源(有限な時間・土地・ヒト・モノ・カネ)をいかに有効活用するか、経済学(エコノミクス)の核になる理論
×「比較優位理説」
○「比較優位説」
5 p14
×「一方、実質GDPは2013年に過去最高の水準を記録しました」
○「一方、実質GDPはこの間に過去最高の水準を記録しています」
6 P203フリードマン吹き出し
×あなたたちのおかげでFRBは二度と同じ過ちを繰り返しません。
○あなたたちのおかげで二度と同じ過ちは繰り返さない(ようになります)
7 p60
×「また右記(4)のように、EX-IMが大幅増でも」
○「また右記(4)のように、EXとIMが大幅増でも」
8 p200
×「ケインジアンが、政策手段を失う中、ケインジアンを否定する理論には、(1)マネタリズムと(2)新古典派マクロ経済学:合理的期待形成仮説(p204)がありますが」
○「ケインジアンが、政策手段を失う中、ケインジアンを否定する理論には、(1)マネタリズムと(2)新しい古典派マクロ経済学:合理的期待形成仮説(p204)がありますが」
9 p62
×「(1)相続税は、2013年1月に基礎控除額が改定され」
○「(1)相続税は、2015年1月に基礎控除額が改定され」
10 p248
×価値観には、「真善美」すなわち(1)何が正しいか(科学)、(2)何が善いか(道徳)、(3)何が美しいか(芸術)の3つがあります。(1)は存在(ドイツ語でザイン)、つまり「~である」といった事実論、(2)は当為(ドイツ語でゾレン)すなわち「~するべき論」といった意見を示します。
経済学は数学を駆使するところから、(1)科学的であろうと努力してきましたが、どうしても、(2)の「べき論」の世界から逃れられません。
○価値観には、「真善美」すなわち(1)何が正しいか(①科学②哲学)、(2)何が善いか(道徳)、(3)何が美しいか(芸術)の3つがあります。①は存在(ドイツ語でザイン)、つまり「~である」といった事実論、②は当為(ドイツ語でゾレン)すなわち「~するべき論」といった意見を示します。
経済学は数学を駆使するところから、①科学的であろうと努力してきましたが、どうしても、②の「べき論」の世界から逃れられません。
大変申し訳ありません。
http://d.hatena.ne.jp/t_wakita/20140908/p1
高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学
ちゃんとした経済知識が得られて面白いです。例えば、貿易「赤字」は印象が悪いですが、家計と一国経済は別概念であって、貿易赤字つまり輸入超過が常に悪というわけではありません。例えばカナダは建国以来ずっと貿易赤字ですが、繁栄しています。
対外直接投資が増えると国内投資が減る(産業空洞化)と心配されますが、実証的には対外直接投資が増えると国内投資も増えています。海外雇用を増やした企業(中小企業含む)が国内雇用を減らすというデータはなく、むしろ海外雇用と国内雇用は同時に増えています。