<日本は、命でつぐなった> 戦後責任を問う声が、未だにあります。そんな中、少しずつ、「中韓のみが異様だ」と、日本人が気付きつつあります。
ピュー・リサーチ・センターがアジア太平洋地域で行った、対日意識調査の結果
Pew Research Center Released: July 11, 2013

「日本を好意的に見ますか?」
NO YES
マレーシア 6 80
インドネシア 12 79
オーストラリア 16 78
フィリピン 18 78
パキスタン 7 51
韓国 77 22
中共 90 4
クリック
↓
日中双方の9割「良くない印象」 世論調査「尖閣が影響」
産経新聞 2013年08月06日08時02分
クリック
↓
異常なのは中韓だけ――ようやくアジア差別を止めた日本のリベラルメディア一部
中韓だけは日本を敵視し続けた。とりわけ、1990年代以降、中韓による「反日」は勢いを増している。背景には、「アジアの盟主」 を目指すようになった中韓にとって、日本の存在が邪魔になってきたという事情がある。中韓が日本を叩くのは、決して「日本の反省が足りない」などというセンチメンタルな理由ではなく、「日本を蹴落としてアジアに覇権を唱える」という中韓の“野心”のあらわれなのだ。クリック
↓
日本は侵略戦争をしたのか?――日本の戦争に対するアジア諸国の声一部
【タイ】ククリット・プラモード元首相
「日本のおかげでアジア諸国は全て独立しました。日本というお母さんは、難産して母体を損ないましたが、生まれた子供はすくすくと育っています。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか、それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったからです。」(タイの新聞『サイアム・ラット紙』) 日本は、十分に戦後責任を果たしました。カネは韓国にも、中国にも十分に渡しました。(日韓条約、対中ODA etc、etc)
それよりも、
日本は、命で償っています。 A級戦犯(平和に対する罪)7人、B級戦犯(戦争犯罪)、C級戦犯(人道に対する罪)合計1061人(不明も含めると以上)が、
事後法によって、処刑されました。
さらにシベリア抑留で、100万人以上が強制連行・強制労働させられました。日本側資料で、5万3千人、アメリカ人研究では、30万人以上が犠牲になりました。
A級戦犯(平和に対する罪)7人の中には、文人広田弘毅外相(南京占領時)も含まれています。
これらのA級戦犯を絞首刑にした、東京裁判は、パール判事によって、「法的根拠がない」と、全員無罪が主張されましたが、黙殺されます。
BC級戦犯など、東南アジア各地で旧宗主国によって行われた、一方的な裁判で、無実の者が次々と処刑されます。
インドネシアでは、オランダ人により、前田利貴陸軍大尉も、全く身に覚えのない「現地人拷問致死」で処刑されます。前田利家子孫で、法学士、現地の人は、前田に有利な証言ばかりをし、嘆願まで出されますが、一方的に処刑されました。
酒井隆中将は、親中者でしたが、南京で「侵略の主要人物」として処刑されました。
みな、不法であることは知りつつ、礎(いしずえ)として、刑に服しました。
片岡正雄曹長の辞世の句です。
国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり 戦争の勝者が、敗者をさばき、処刑するなど、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争でもありませんでした。
日本は、しかし、あえて、東京裁判を、サンフランシスコ条約11条で、「諸判決を受諾」します(東京裁判を受諾ではないので、注意が必要です)。
日本は、処刑された人の命による償いによって、戦後を手に入れます。
ですから、裁判では、「犯罪人」とされた彼らを、「戦犯の汚名を着せられたままにしてはいけない」と、1953年8月「遺族援護法」が一部の政党を除く全会一致で可決され、旧敵国の軍事裁判で有罪とされた者は、日本の法律では罪人と見なさないことが示されました。
彼らの英霊について、やっと、一般の戦死者と同様に、靖国に入れてもらえる権利を回復したのです。
さらに、同条約11条により、内外で服役させられていた、1860名の戦犯を開放せよという署名が、4000万も集まりました。
日本の戦後は、彼らの尊い命の犠牲の上に、獲得されました。その英霊が靖国にあります。
日本は、命という、最も大きな犠牲を払い、戦争を償いました。これ以上、何をして、償えというのでしょうか。何をもって反省すればいいというのでしょうか。
<韓国>朴韓国大統領、日本は歴史直視を 被害の立場は千年不変 - 47NEWS
www.47news.jp
【ソウル共同】韓国の朴槿恵大統領は1日、独立運動を記念する政府式典の演説で、日韓がパートナーになるためには「日本が歴史を正しく直視し、責任を取る姿勢を持たねばならない」と述べ、竹島(韓国名・独島)の領有権や旧日本軍の従軍慰安婦などの歴史問題で対応を取るよう求めた。加害者と被害者の立場は「千年の歴史が流れても変わらない」と強調。時間の経過だけでは問題は解決しないとして、日本に早期の態度変化を要求した。
クリック
↓
「韓国人にスポーツの素養なし」「史実ねつ造の民族にも未来なし」=東ア杯、横断幕騒動―中国版ツイッタークリック
↓
韓国、呉善花さんの入国拒否「上からの命令だ」クリック
↓
「日本が携帯用意していれば」「登山止めてくれれば」 アルプス遭難事故、韓国で責任転嫁の声 もう、日本が、何をしても、永遠に変わりそうもありません。
民主党政権下3年半、閣僚の靖国参拝を封印しましたが、竹島に大統領が乗り込み、2012年8月14日、李明博韓国大統領は日王(天皇)について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と謝罪を要求する発言しました。
日本は、韓国(当時朝鮮)と、戦争をしていませんし、そもそも当時は、朝鮮は「日本」でした。戦争をしていないので、原理的に、加害者も被害者もありません。
日本は朝鮮併合をしましたが、日本の持ち出しで、朝鮮半島を豊かにしました。コメも人口も、学校も、インフラも、女性の地位も、何もかも増え、向上しました。
しかし、韓国の歴史教育では、全てが封印され、日本文化は、1998年まで、何から何まで禁止でした(表向きです、実際には日本文化であふれていました。菓子や、アニメなどのパクリはこの当時までに生まれたものです。ディスコでは、チェッカーズなどの日本曲が生で演奏されていました)。
韓国は、「反:日本」で成り立ちます。道路も、左通行にし、通貨ウォンは、日本の円より桁が一つ大きくなるように設定されました。ですから、100円=1125ウォン(7月17日現在)なのです。しかも実際には、100ウォン以下は、日本の「銭」と同じで、使われていません。最低単位(日本の1円に相当)が、100ウォンなのです。
2004年3月2日に成立した法律に、「親日反民族行為特別法」があります。実際に対象者の財産が没収されました。
何をしても、逆に何をしなくても、韓国の日本に対する態度は、変わりそうにありません。
靖国参拝には抗議しますが、8月15日、天皇陛下も総理も出席する「全国戦没者追悼式」には、抗議しません。式典中央モニュメントは「全国戦没者の霊」と書かれています。この霊には、「A級戦犯も含まれる(厚労省)」のですが・・・
靖国には、当時日本人だった、朝鮮人の英霊も祭られています。
<中国> 江沢民の愛国教育(共産党絶対主義)は、1990年代に始まります。その教育を受けた世代が中心になり、昨年の「日本企業襲撃」事件が起こりました。
2013.3.25 日経 池上彰の必修教養講座
「天安門事件」…中国ではいまだにタブーなのです。危機感を抱いた中国共産党は、事件後に徹底的な「愛国教育」を実施し、「反日教育」へとつながります。天安門事件とはどんなものだったのでしょうか。
1989年6月4日未明のこと。中国共産党の軍隊である「人民解放軍」が天安門広場に突入し、広場やその周辺を占拠していた若者たちを排除しました。約20万人の兵士が動員されました。
当時の政府の発表で、兵士も含め死者319人、負傷者9000人。しかし、当局の弾圧を恐れ、交通事故など別の死因を届け出た遺族もいるとみられ、実際の犠牲者は、はるかに多いと推定されています。
天安門事件に至るきっかけは、直前の4月、前共産党総書記の胡耀邦が死去したことです。学生運動に同情的たったために失脚した彼を学生たちは慕っていました。彼の正当な評価を求め、デモや追悼集会が開かれるようになります。
エリートで感受性の強かった学生たちは、汚職など社会の矛盾を解決したいと考えていました。経粋な思いか連動の根底にありました。しかし、共産党内の保守派は、学生たちの要求は共産党支配への反対運動であると 受け止めたのです。
党内でも対立が起きます。胡耀邦の後の総貴記である趙紫陽は、学生の行動を容認します。これに怒った最高実力者・鄧小平は戒厳令の発動を決め、人民解放軍を使って学生を弾圧する方針を打ち出します。総書記を解任された趙紫陽は軟禁され、2005年に死去します。
ちょうど1989年という年は、東欧各国で民主化運動が始まり、ベルリンの壁も崩壊しています。中国首脳はこれが中国にも飛び火し、共産党支配が崩れることを恐れていました。学生たちの民主化運動を「動乱」と決めつけたのです。
最高実力者・鄧小平は、「改革・開放政策」を推し進め、現代の中国発展の基礎を築きました。しかし、改革・開放は共産党の指導によって行われるべきものでした。
事件後、中国は「冬の時代」を迎えます。胡耀邦の「罪状」として共産党幹部に配布された資料には、日本の若者3000人を中国に招待したことや、中曽根康弘首相と親しかったことが挙げられています。中国首脳は、親日的な言動は命取りになるという恐怖心を抱くようになります。
趙紫陽の後に総書記となった江沢民は、若者たちが民主化運動に立ち上がらないように「愛国教育」を進めます。要するに「共産党を愛そう」という運動です。共産党が抗日闘争を戦い、人民を解放した。「人民が日本軍によって虐げられてきた歴史」を学生にたたき込んだのです。
これは結果的に「反日教育」になり、いまの「反日意識」が形成されます。折に触れ、若者たちの反日意識が噴出し、政府ですら制御しきれない状況に陥ることかあります。ここに日中関係の改善が進まない難しさがあるのです。
クリック
↓
「僕は日本人が憎い」と8歳男児が…中国「抗日記念館」の衝撃http://news.livedoor.com/article/detail/7942643/
中国歴史教科書 不都合な史実無視し捏造加えたプロパガンダ
日本の検定済み教科書にたびたびクレームをつける中国、韓国。だが彼らの使う教科書こそ捏造、歪曲のオンパレードだ。嘘に塗り固められた歴史教科書の実態を明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏が喝破する。
* * *
日中韓で歴史教科書が政治マターとなったのは、ここ30年ほどのことである。その発端になったのは1982年6月に起きた教科書誤報事件だった。教科書検定で高校用日本史教科書の記述が「華北へ侵略」から「華北へ進出」に変更されたと日本のマスコミが報じたが、これは誤報だった。
にも拘らず、中国の抗議に肝をつぶした日本政府は、同年8月、「政府の責任において教科書を是正する」という宮澤官房長官談話を発表、早々に白旗を揚げてしまったのである。このことで味をしめた中国政府は以後、教科書問題を事ある毎に政治利用するようになった。
中国の教科書は事実上今でも国定で、中学校の歴史授業では一般的に『中国歴史』(人民教育出版社)が使われている。自国に不都合な史実を無視した上に捏造を加えた、言わばプロパガンダ教科書だ。
都合の悪い史実のひとつに「元寇」がある。モンゴル帝国(元)と高麗連合軍が1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)の二度に亘って日本に侵攻したことで多数の犠牲者を出した。しかし、中国の歴史教科書は一切これに触れていない。一方で、自国が被害を受けた「倭寇」については、〈元末から明初、日本の武士、商人及び海賊は、しばしば中国の沿岸地方を脅かした〉と書き立てるのである。
1894年に起きた日清戦争は、朝鮮に対する宗主権を主張する清国と朝鮮の独立を望む日本との戦いだった。しかし、中国では「日本の侵略」にすり替えられ、こう教えられている。〈日本侵略軍は旅順でわが同胞を狂ったように虐殺し、死者、被害者は一万八千人余りにも達した〉
教科書の記述がさらにエスカレートしたのは江沢民時代だ。共産党中央宣伝部の「愛国主義教育」により、1990年以降の教科書における南京事件の扱いは一変。それまで小学校の教科書に南京事件の記述はゼロだったのに、一つの章を丸々使って「南京大虐殺」を教えるようになった。
中学の歴史教科書にはこのように書かれている。
〈日本の侵略者の赴くところ、焼・殺・淫・奪が行なわれた〉〈南京で平和に暮らしていた市民は、ある者は射撃の的にされ、またある者は生き埋めにされた〉〈戦後の極東国際軍事裁判によれば、南京占領後六週間以内に、武器を持たない中国の国民三十万人以上を虐殺した、とのことである〉
作り話も甚だしい。東京裁判の判決は30万人とは言っていないし、そもそも当時の南京の人口が約20万人だということを考えれば、この教科書のデタラメさがわかる。
※SAPIO2013年8月号
死生観も、日本と中国では全く違います。日本では、どんなに生前評判が悪かった人でも、死者を弔い、死者の悪口は言いません。死ねば仏、水に流します。
あるいは、八百万の神々の中に、人間も入ります。菅原道真の湯島神社など、その代表例です。これは道真をたたえたものではないのです。道真の怨霊を鎮めるために、設置されたものです。
英霊の魂を鎮めるのが靖国です。どうしてこれが「戦争賛美」なのでしょうか?
中国では、死者の墓を暴きます。1000年も前の秦檜(金と和解した宰相で、のちに売国奴と呼ばれる)と妻の、鎖につながれた像をつくり、皆がそこに唾を吐きます。
中国の歴史は、のちの政権が、前政権を否定し、自分の側に正当性があった(革命)というものです。これは、太古から変わりません。
中国共産党にとって、それ以前の歴史は、否定されるべきもので、自分たちに正当性があります。敵とされたのは、国民党や、日本です。
民主党政権下3年半、閣僚の靖国参拝を封印しましたが、その結果が、巡視船への体当たり、尖閣への領土侵犯、反日暴動です。
中韓の意図的な、反日には、抗うすべがありません。何しろ、事実に基づいて、価値観が形成されるところ、事実の時点でゆがめられているので、日本に要求する「歴史を正しく直視」など、千年たっても無理なのです。
<日本人>異国に根づく日本の誇り 読売H25.7.26
「インドネシア人が選んだ好きな日本語は、『忍耐』『感謝』『謙虚』だったんですよ」。ジャカルタで日本語を教えていた熊本出身の女性から聞いたことがある。
女性が日系企業から頼まれ、研修生として働くインドネシア人に日本語を教えた時のこと。ひらがなから始めた生徒たちが最後に寄せ書さしたところ、色紙には「忍耐」や「感謝」「謙虚」の文字が並んだという。
日本人の美徳がインドネシア人の心に響いたのには、両国の歴史的な深いつながりが無縁ではない。日本敗戦後もインドネシアにとどまり、植民地支配からの独立戦争に加わった残留日本兵は約1000人に上ったといわれる。4年間に及んだ戦争で、その8割近くが戦死した。
女性の義父は残留兵だった。「日本人が培った崇高な精神の幾分かを伝えられたかも」と女性は言った。
インドネシアの独立のために命をかけて戦った残留兵たちは、インドネシア政府から「英雄」として勲章を与えられた。
「残留兵の功績が『親日』の礎になっていると信じています。それは、インドネシアに根付いた我々日系人としての誇りです」。残留兵の取材でジャカルタを訪ねた際、日系2世たちは口をそろえた。
転じてニッポン。「失われた20年」といわれ、政治も、経済も、全てが自信を失ったかのように見える。
「日本はインドネシア人にとってあこがれの国。もっと誇りを持って」。海の向こうでたくましく生きる日系人に勇気づけられた言葉を思い返している。
読売H25.7.26
theme : 政治・経済・時事問題
genre : 政治・経済