シャッター通り商店街
週刊新潮 12.11.15
楡周平『総合スーパーが街を壊滅させる』
…総合スーパー(GMS)…
…このGMSがもたらす利便性が、地場の消費に依存して商売を営んできた小売り店に致命的な打撃を与え、地域経済そのものを崩壊させてしまった事例は枚挙に遑がない…。
…山形県三河町にジャスコが進出した事例…「約二千店の商店の閉鎖と倒産、雇用を含む四千~五千人の失業を生む」…
…福島県北部に大型店の出店が相次いだ際の実例…「従業員四人以下の小規模店舗は、六年間の間で八百二店舗、十七%も減少していた」…
<商店街はなぜ滅びるのか>
![]() | 商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書) (2012/05/17) 新 雅史 商品詳細を見る |
そもそも、GMSが出来たから、商店街が寂れた訳ではありません。すでに、40年以上も前から、商店街は、「後継者」がいなかったのです。そして、自ら内部で商店街を破壊する行動=コンビニチェーン化を選択したのです。小売りの歴史をたどりましょう。
以下、 『商店街はなぜほろびるのか』より
…一九七○年代から八○年代にかけて…はっきりいてしまえば…零細小売商は、自民党に圧力をかける厚顔無恥な既得権層と見なされた。
…中内功(筆者注ダイエー創業者)らによるスーパーマーケットの出店攻勢は、零細小売商の反発を引き起こした。…百貨店は、百貨店法で出店規制がかかっているにもかかわらず、スーパーマーケットには何ら規制がかかっていない。スーパーマーケット業界に対する不満は、一九七三(昭和四六)年の大店法の成立にむすびつき、その出店スピードが落ち込むことになった。
…大店法は以前に比べて規制の対象をひろげただけでなく、規制の内容自体も以前よりきびしかった。
…自民党は、零細小売商の圧力に負けて、一九七八(昭和五三)年に大店法を改正する。それは、大型店舗に対する規制を、中型店舗にまで広げるという、これまで以上の規制の強化だった。
…こうしたなか、スーパーマーケットを経営していた大規模小売資本は、それまでの出店戦略を根本から変更させた。
…(2)フランチャイズ・チェーンを展開する
(3)大店法の規制がかからない地域で郊外型大型店を出店する。
(2)は、コンビニ化のことです。
すでに、小売り店は40年以上前から、「後継者」がいなかったのです。
…「小規模企業経営調査(昭和四七年)によると…四一%もの零細企業が、子どもが後継したがらないと答えている。また、事業の縮小・撤退を考えている理由のうち、もっとも多かったのが「後継者がいないから」という理由である(中小企業庁、一九七三、『昭和四八年版 中小企業白書』。

そこに、コンビニが登場します。
…商店街は、専門店が一つの街区に並ぶことで、百貨店に対抗した。いわゆる「横の百貨店」である。だがコンビニという「万屋」が登場することによって、たばこ屋、酒屋、八百屋、米穀店などの古い専門店は、その存在意義を奪われた。
奪ったのは、商店街の内部で商店街を形作っていた「たばこ屋、酒屋、八百屋、米穀店」そのものだったのです。
…日本の商店街が抱えていた最大の問題点は、事業の継承性だった。彼らは商店街を支え続けることよりも、家族の都合を優先した。その選択としてコンビニが選ばれたのである。

…コンビニは、商店街を内部から壊すものだった。…専門店同士の横の連携を無視して成り立つ業態であるからだ。
…ここで重要なのは、だれがコンビニを運営していたのか、という点である。…初期のコンビニは、その多くが元零細小売店によって経営された。

酒販売の免許を持った小売店の参入が最も多いことが分かります。

酒を扱うコンビニは、売上高が16%も大きいのです。
…免許付与や出店許可は、当該地域で営業していたかどうか、また地元業者が許可を出すかどうかにかかっていた。…外部から規制産業に入ることは実質的に不可能だった。
…小売店は家族経営が前提であったため、免許などの権益は親族の間で移譲された。それはあきらかに権益の私物化であったし、親族間での経営移譲は小売店のイノベーションを妨げた。
…かくして、商店街の秩序の中核を担っていたはずの酒・米穀をはじめとした規制業態は、またたくまにコンビニに転換していった。
<空き店舗がならぶ>
かくして、シャッター通りが形成されるのですが。
なぜ、空き家が放置されるのでしょう?それは、税の仕組みに問題があります。固定資産税は、建物がなくなると、6倍に跳ね上がるからです。
古い家屋を売却するには、解体費用をかけて更地にする必要があります。そのうえ、税金が上がるのであれば、ますます、空き店舗のままにしておいた方が得です。
theme : 政治・経済・時事問題
genre : 政治・経済