<世の中の経済入門書やネットの経済解説がすべてデタラメのわけ> 前回、高橋洋一や、田中秀臣、浜矩子、池田信夫などの自称「経済学者」や、池田彰や上念司ほか「自称経済解説者」など、まったく「経済学」としては使えない、はっきり言えば、「でたらめ」であることを説明しました。
日本のマスコミレベルの「経済論」など、使い物になりません。ましてや、ネットにはびこるシロウト経済論など、論外です。教科書を学んでいないからです。現代経済学は、その「教科書」以外には載っていないからです。
とにかく、マスコミ上・ネット上にはびこるシロウト論は徹底しています。「教科書読まない」「読んだことがない」「読むつもりがない」です。
自動車の運転免許を取るにも、教習所に行って「教則本」を学びます。ユーキャンの資格取得にしても、「テキスト」で学びます。ところが、シロウト経済論は、そのテキストを「読まない・読めない」のです。
それで、「自分の運転は大丈夫だ、うまいだろう」と言っているのですから、お話になりません。危なくてそんな車には近づけないのに、乗っている本人だけが気づかない・・そういうことです。
デタラメというのは、彼らには
「現代経済学」が全く理解できないというところにあります。現代経済学=DSGE=動学的一般均衡です。動学=時間軸を考慮した一般均衡(ミクロの需給均衡の概念)ですから、いわゆるミクロの「一般均衡」とは別物です。
この40年間で、経済学は、一変しました。コペルニクス的転換=180度違ったものになったといってもよいでしょう。それが、彼らには全く理解できていません。
その本質は
「未来が現在を決める」ということです。これが現代経済学のエッセンスです。
未来が確定すると、現在の行動が変わるのです。
①インフレ・ターゲット
②●年●月に「オリンピック」
③●年●月に、都市圏「新線」「新駅」「新道」完成
これらのようなことがあると、今の我々の行動が変わります。
学生が試験勉強をするのは、「未来時点」のテストでいい点数がとりたいからです。「未来時点でこうなりたい=定期考査でいい点数を取る、いい大学に入る、競争倍率の高い企業に入社する」・・・
未来が現在の「試験勉強をする・・」につながります。
プロ野球選手・サッカー選手は「今シーズンに良い成績を収める、チームとしても優勝を狙う」という「未来」を実現するために今「練習」をします。
会社の「投資」は、「未来予測」に基づいて行われます。学生募集(5年後10年後の戦力を育てる)も、工場建設も店舗拡張も、すべて「未来予測」です。将来の「見通し=売上見込み」のために、「今」投資をするのです。「今」投資をすれば、「未来が変わる」から・・・という考えに基づくものではありません。
勉強・練習をするのは、「今勉強・練習すれば、将来はこうなるだろう(不確定)」ではなく、「将来にこうなりたい(資格試験・大学偏差値:目標クリア)ので、今勉強・練習する」のです。客観的な数値(未来段階でクリアする目標)に基づいて、今「勉強・練習」するのです。
納期に合わせて今日生産する、プレゼンに合わせて今日資料を作る、1年後の出荷に合わせて、今日しいたけの菌をつける、コンテストに合わせて今日練習する、運動会に合わせて今日練習する・・・。
「未来」の目的を実現するために「今」の生活をする・「今」の生活を変えるのです。これが現代経済学の本質です。
オールド・ケインジアンや、市場原理主義?なるものに、この「未来」は考慮されていません。静学均衡なのです。
ところが、この現代経済学(動学)は、解析力学・ラグランジュ論や、微分積分を使用するため、「経済学の教科書」で解説するしか、その全容を伝えきれません。一般的な「新書」や、「経済入門本」で解説するのは、「無理」なのです。
1)ワルラス一般均衡論(新古典派=ミクロ) = ニュートン物理学(どんぶり勘定)ワルラス均衡理論は、財市場・貨幣市場・労働市場・・・と複数均衡を扱います。ところが、ニュートン物理学では、「2つの引力」を分析できるのみで、「3つ以上の引力=均衡」は、理論的に扱えないのです。しかし、太陽系の場合、太陽の引力があまりにも巨大で、太陽と金星、太陽と水星、太陽と地球・・・とそれぞれ「2個の引力=ニュートン物理学」を使って解析し、それを寄せ集めて、「太陽系」を説明したのです。
ですから、ワルラス均衡も、それぞれの市場を分析し、それを無理やり「すべての市場均衡=複数均衡」として扱っただけで、もともと、原理的(2個の均衡しか扱えないニュートン物理学に依存)に、「無理」があるのです。
「ミクロ的基礎付け=ある理論からすべてを説明する演繹法」を装ってはいますが、最初から「誤謬」が生じるような理論なのです。
2)ケインズマクロ=帰納法(理論ではなく、実証から作った帰納法) 一方、ケインズの理論=マクロ経済学は、帰納法です。つまり、実証から導き出した、「ミクロ的基礎付け=ある理論からすべてを説明する演繹法」ではありません。「投資の増減が不況につながる」のを発見し、では、投資を回復させるには・・・という帰納法です。理論などありません。世界大恐慌=不況を克服できれば、それでよいという、ざっくり論です。
ケインジアンは、とりあえず、ミクロ=ワルラス均衡と、ケインズマクロを結び付け「古典派総合」として活用しますが、これらは原理的に「水と油」でした。
だから、ルーカスらが、「マクロ経済学のミクロ的基礎付け=ある原理理論の演繹法によってマクロ理論にする」ことを、要請したのです。そこから、現代経済学が始まります。
3)動学的一般均衡 これが、現代の「マクロ経済学のミクロ的基礎付け」、ルーカス以後の現代経済学理論です。「動学=今と未来」を考慮したモデルです。

この、理論には、
①フェルマーの定理
↓
②解析力学
↓
③ラグランジュアン
という、「ミクロ的基礎付け=演繹」が導入されています。
「フェルマーの原理=光は最少の時間で通過する=光の入射角と反射角は必ず同じになる=均衡は1つになる」という「たった1つの統一理論」で、ミクロ経済学の「最適化」論理を構成できるのです。原理を1つだけ要請すれば、そこから先は、光やものごとがたどる曲線が絵筆で描いたかのように簡単に導き出され、反射や屈折の法則は、ミクロ的原理から導けるということになるのです。
そこから、さらに解析力学は進化します。通過「時間T」に相当する部分が、のちの「解析力学」における「ラグランジュアン=L=量」になります。たとえばロケットの燃料消費「量」を最小にしたいとき…というように「量」を「最小化すべき量」として設定し、最適な「量」を数値化・グラフ化できます。つまり、ラグランジュアンを応用することで、「神から与えられた法則=T」ではなく、人間が「量=L」を自由に決められることになります。企業がコストを最小限にしたいときは、それを人間が自由に設定することができます。このように、「フェルマーの原理」が、解析力学へと発展したのです。

それが、現在のラグランシュを使用した「マクロ経済学のミクロ的基礎付け」になるのです。
新しい古典派の時代に登場する、動学的確率的一般均衡論(DSGE)は、新しい古典派も、ニュー・ケインジアンも同様に使います。「動学=時系列的な動きがある=現在と将来を見据えて考える理論」は、オールド・ケインジアンが使った「今現在」しか考えていない理論とは別物です。
ところが、DSGE理論は、「数学=微積分」をふんだんに使う理論ですから、新書や一般的な経済解説本で扱うのは不可能です。「本質だけを紹介するという簡易化」が不可能ですから、世の中にある「簡単解説」経済本は、すべて「ケインズ→フリードマン(マネタリズム・市場経済重視)」までの枠組みで止まっています。はっきり言えば、「70年代」の「常識」で止まったままです。
ですから、経済学を勉強したことのない一般人の枠組みは、それら本・雑誌に掲載される「古い経済学的常識」に基づいています。そのため、雑誌やネット上にはびこる論調は、市場原理をやみくもに批判したり、ケインズが「不況期」にしか使えない理論であることを無視して、とにかく「公共投資が重要だ」など、「経済学」を踏み外した議論が大手を振って論じられています。「古い話で使えない」のですが、「古い枠組み」しか理解できていないので、自分達の話がとんちんかんであることに気づいていないのです。
「市場原理主義」についてです。ここで述べられている「市場」は、実証的・現実的には「無い」、あくまでも理論上の話でした。
帝国書院『アクセス現代社会2015』
完全競争市場が成立するための条件
①市場に多数の売り手と買い手がおり、すべての売り手がプライス・テイカーである。
②財・サービス(商品)が同質である。
③売り手も買い手もすべての商品の品質や価格に関する情報をすべてもっている(完全情報)
④取引費用(情報収集など、商品の購入にかかったお金以外の費用)がほぼゼロである。
⑤市場への新規参入や撤退が自由である。
清水書院『政治経済資料集2015』p227
…こうした完全競争市場は、理論的モデルであって現実には存在しない。…にもかかわらず、完全競争市場を理解しなければならないのは、それが市場構造を評価するベンチマークだからである。現実の企業が直面するほとんどの市場は、完全競争市場の条件のいずれかを欠いている不完全競争市場なのである。
現実にある市場は、ほとんどが「不完全競争市場(独占的競争市場や、寡占市場)」です。つまり、「不完全競争市場」こそが、経済学が研究の対象としている「市場」なのです。市場原理主義?なる「市場」など、実際には、どこにもないのです。ないものを相手に「市場原理主義批判?」なのですから、現代のドン・キホーテのような話です。
世間では、「失われた20年」について、「市場原理主義、小さな政府を志向し続ける経済学、経済学者が悪い」「経済学など使い物にならない」「経済学など宗教のようなものだ」と批判されますが、実際には、「最新経済学を使えなかったので、日本だけが停滞してしまった」というのが、本当の所です。
<現代経済学>では、「現代経済学=DSGE」とは何か、解説していきましょう。
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DSGEモデル入門セミナー 平成27年12月18日 内閣府経済社会総合研究所のページにある、講師:藤原一平(慶應義塾大学・オーストラリア国立大学教授)のPDFファイルを開いてください。
その4「ニューケインジアンモデル」を見ましょう。P50~です。そのP63に、現代の各国中央銀行が使用している理論の3本柱が載っています。
1)動学IS曲線=ニューIS-LMモデル(IS-MPのこと)
2)ニューケインジアン フィリップス曲線 NKPC
3)テイラールールです。
この理論については、拙著「図解使えるマクロ経済学KADOKAWA」のp218~223を参照してください。
2) ニューケインジアン フィリップス曲線 NKPC
フィリップス・カーブも、今は「昔」のモノではありません。「インフレだとよい」ではなく、大切なのは、「インフレ率=変化率」なのです。実質=名目-期待(予想)変化率
インフレでありさえすればよい(実証にすぎないフィリップス・カーブ)では、70年代の「インフレなのに不況=高失業率」を、説明できませんでした。
1%=3%(名目価格)-2%(変化率)
大切なのは、「乖離=ギャップ」なのです。だから「インフレという事実」が大切なのではなく、「インフレ率という変化=動学」が大切なのです。
「実質」が大切なのは、労働市場でも同じです。①実質賃金が高止まり=失業率高(デフレ)→②実質賃金低下→失業率低下(回復期)→③実質賃金上昇=完全雇用(限界費用増)になります。
参照
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池田信夫を銃殺せよ(クルーグマン風に言うと)その3それで、
マンキューが単なる「実証」だったフィリップス曲線を「限界費用増=変化率増=失業率低」という「理論」で、再構築したものが、ニューケインジアン・フィリップス曲線=NKFCです。大切なのは、「インフレ」ではなく「変化率」なのです。その
変化率は、「現在」と「未来」の間で「生じる」のです。
経済は、「未来に依存する」というのが、現代の経済学の必須事項なのです。だから、最新の「動学的確率的一般均衡=DSGE」では、2つの変数の1つ(XとY)は必ず「変化率」なのです。
この「本質=未来が現在を決める」について、解説します。
1)動学IS曲線=ニューIS-LMモデル(IS-MPのこと)
2)ニューケインジアン フィリップス曲線 NKPC
3)テイラールール
この古いIS-LMモデルの式は、次の通りです。
1) Yt+1 = a1Yt - a2(it - E[πt+1]) + ϵt+1
2) πt+1 = b1πt + b2Yt + νt+1
3) it = q1Yt + q2πt + ηt
4) ηt +1 = ϕt + εt+1
しかし、この古いIS-LM拡張モデルでは、ルーカス批判(動学を無視している)に耐えられません。
そこで、動学を取り入れた、ニューIS-LMモデルになります。この式は次の通りです。
5) Yt = E[Yt+1] -σ(it - E[πt+1]) + ϵt
6) πt = E[πt+1] + αYt + νt 7) it = q1Yt + q2πt + ηt
8) ηt +1 = ϕηt + εt+1
このうち、最も大事なのは、6)です。不完全競争市場における「価格の粘着性」に「ミクロ的基礎」を与えました。この新しい「貨幣実体説」は、先進国中銀の金融政策「インフレ・ターゲット」「量的緩和」策の理論的根拠となっています。
この「オールドIS-LM」と「ニューIS-LM」の決定的な違いは、因果関係の逆転にあります。IS-LM モデルでは現在tが未来t + 1 を決定しますが,ニュー IS-LM モデルでは未来t + 1 が現在t を決定しています。 これが、「40年も前の古い経済学」と「現代経済学」を分ける、決定的な違いです。残念ながら、この部分が、「新書」や「経済学入門本」や、「マスコミ論談」や「ネット上の経済井戸端会議」には、決定的に「欠けている」のです。

株価、先物取引、投資をどうするか、貯蓄すべきか、それとも消費するか・・・このように、経済活動はすべて「現在と未来予想」で動きます。そして、「未来予想(この予想を経済学では期待=expectationと表現します)」が、現在の私たちの行動を決定します。
「年金制度が不安だから、消費せずに貯蓄しておこう」、「消費増税があるので、今のうちに買いだめしておこう」「2020年の東京オリンピックに向けて、日本の投資は活発になるだろうから、わが社の今季投資計画・採用計画を決定しよう」・・・。このように、「未来が私たちの現在の行動を確実に変化させている」のです。この「未来」を「一般均衡=最適化行動」に組み入れたのが、現在の「動学的一般均衡=未来と現在を見据えた最適化行動」モデルなのです。
この理論を具体化(実践化)したものが、1990年代初頭に各国中央銀行が採用した「インフレ・ターゲット」です。現在は、アメリカの中央銀行FRB、EUの中央銀行ECBもとっくに採用し、日本も遅ればせながらようやく2013年に採用しました(タイムラグが20年あります。これが「失われた20年」です)。

このインフレ・ターゲットの本質は「不確定な未来を確定させる」ことにあります。未来の確定によって、現在の私たちの行動が変わるのです。このインフレ・ターゲット理論が「なぜ」採用されたのか、ちまたにある新自由主義・市場原理主義」批判者、ケインジアン主義者の解説では、一切登場しません。これらの古い経済学では、「動学的一般均衡」が、理論的に説明できないのです。
このように、世の中にある「一般的経済学解説書」「新書」「経済学入門」は、すべて古い経済学の段階で止まっています。経済学者の書くぶあつい「教科書」や「解説書」以外では、現代経済学は扱われていないのです。これらは、一般の読者が読む代物ではありません。
経済は、「②未来(予想)」が「①現実(今現在)」に作用して動くのです。ですから、「②未来(予想)」を絶対にはずせなくなっているのが、
現在経済学の本質なのです。「フォワード・ルッキング」「フォワード・ガイダンス」と呼ばれています。
この「動学的一般均衡=未来を加味した理論」=現代経済学では必須事項なのに、なぜ、世間一般では、「現代経済学」が、理解されていないのでしょうか。それは、今の、「動学的一般均衡」は、微分積分を多用するので、「一般的経済学解説書」「新書」「経済学入門」レベルでは、扱いきれないからです。
では、この新しい(といってももう30年以上もたっていますが)現代経済学=ニューIS-LMで、インフレターゲット・量的緩和という政策論が、どのように導き出されるのか、下記を見ましょう。
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インフレ予想とデフレ脱却〜レジーム・チェンジの経済学〜 矢野浩一(駒澤大学経済学部) 国民経済計算研究会 2015年3月14日
P29~になります。
ネットなど、こんなアホ論ばかりです。
http://blogos.com/article/208465/
近藤駿介
トランプ大統領の標的となった日銀緩和 ~ 止めるは恥だが役に立つ
高橋洋一や、田中秀臣、浜矩子、野口悠紀雄・・・などの自称「経済学者」や、池田信夫、池田彰、上念司、大前研一、久保田博之・・・「自称経済解説者」など、「でたらめ」であることが、理解できましたか?
<直接民主制など、大馬鹿>イギリスのEU離脱の国民投票
イタリアの首相が憲法改正案を提示し、否決されれば辞任を明言。
はっきり言います。直接民主制は、やってはだめです。
理由は、「情報の非対称性」です。
私たちは、普段、ほかの仕事についているので、政治課題について、じっくり検討する時間がありません。
だから、私たちは、「代表民主制」「民主主義」というシステムを採用しているのです。
選ばれた人たちに「信託(ロック)」し、私たちの「自然権」を守るのです。
選ばれた人たち(選民)は、私たちよりはるかに「政治課題」について、勉強する時間があります。情報の集約が、われわれ一般人とは、雲泥の差があります(あの、まともな政治家なら・・・の話です。中にはひどい人もいるでしょうが、それでも一般人よりははるかに時間があります)。
そもそも、その「国会議員」であっても、1国会期間中に出される200本近い法律案をすべて理解するのは、無理です。だから 法務委員会・厚生労働委員会・・・などの委員会でそれぞれの法案を「勉強した」議員が、専門的に審議します。それが本会議に出て、「よく知らない議員」が、「専門議員」にゆだねた法律案を決済します。
議員でさえ、「情報の非対称性」に埋もれているのですから、マスコミの「評論家」など、法律案をすべて知っているものなど、皆無です。いい加減な知識で、意見を述べているだけです。
国会議員でも、「勉強」をしている議員であれば、忙しくて「ツイッター」で相手を非難する時間ももったいないですし、ましてや「会議中」にツイッターなど、できるわけがありません。
それでも、法律案を勉強する時間は、私たち一般人より、はるかに恵まれています。その人たちに「議論」してもらうのが、「民主主義」「代表民主制」です。
民主主義など、「よくわからない者の、よく分かっていない者による、よくわかっていない者のための政治」にしか過ぎないのです。完全情報など、「神」しか持っていません。
要するに、政治のプロ(課題を解決するための方策を考えるプロ)に、ゆだねるしかないのです。
病気は、医者にゆだねる、法律は法曹にゆだねる、自動車修理はプロにゆだねる・・・
私たちは、専門業に特化している(1日8時間、その仕事に時間を費やす)ので、「政治課題」について、すべての人々が「選民」よりも情報を持つのは、物理的に「無理」なのです。
住民投票、国民投票にゆだねるなど、民主主義(間接民主制)の原則を無視した、自殺行為です。