和辻哲郎の日本人論
<和辻哲郎『風土』>
和辻哲郎 全集第八巻『風土』岩波 1977

岩波が永遠に絶版にしないであろう、『風土』です。高等学校の「倫理」という科目では、必須の項目です。気候によって、人間のあり方生き方を分析したものです。
直観で書いていますので、論理的かといわれると、色々ほころびは出ます。例えば、ヴェーダ(インド)、ユダヤ・キリスト教が、その気候的風土から「生まれた」、人間が「作った」とするものです。ユダヤ・キリスト教では、神が「人間を作り自然を創った」のですから、まったく逆の論理です。
ですが、「自然が自然のままに現れるヨーロッパ(地中海)の風土(まっすぐなのが松)だから、自然を観察し、科学が発展し、だから人間が、自然法則を使い、自然を克服しようとできた」という捉え方は未だ魅力に富んでいます。
和辻哲郎は世界を、その気候によって、三つの類型に分けました。その一つはモンスーンです。モンスーンは、夏に、ものすごい暑さと湿気をもたらします。
「特に夏の季節風であり、熱帯の太陽から陸に吹く風である。だからモンスーン域の風土は、暑熱と湿気との結合をその特性p25」とします。
モンスーンは、湿気をもたらします。それにより、田んぼなどの自然の恵みを、われわれは受けることになります。植物が育ちます。それは、動物に「生」をもたらします。われわれは、自然と共存します。だから「人と世界のかかわりは対抗的ではなくして受容的p25」になります。
自然とは、なすがままのことです。「おのずからしかり」という意味です。われわれ日本人は、自然をありのままに受け入れます。自然と対抗しようとは考えません。
ですが一方、モンスーンの猛威は、時として全てを破壊します。大雨、洪水、暴風などです。これらには、人間は対抗するすべを持ちません。余りにも巨大だからです。
そうすると、「対抗を断念させるほどに巨大な力で…人間をただ忍従的たらしめるp25」ことになります。モンスーン地域に住む人は「受容的忍従的p26」として把握されます。インドや、シナや、東アジアが含まれます。
今回の大震災を始め、「自然」の力は、余りにも巨大すぎ、われわれの許容範囲を超えます。ただひたすら「忍従」をわれわれ日本人に強います。
<モンスーン日本の特殊性>
そのモンスーン地域に住む日本人は、まず、「受容的忍従的p26」です。しかし、日本は島国であり、アジアの端っこにあるため、さらに独特の「自然」がそこに加わります。
例えば、夏の「台風」と、冬の「大雪(日本海側)」です。これらは、「モンスーン(季節風)」によってもたらされる、日本独特の「自然」形態です。台風が日本を直撃するのは、日本の位置によります。日本列島を北上する形で、西から東に台風が動くのは皆さんご存知のことと思います。
インドにおいては、モンスーンはきわめて規則的です。
しかし、日本においては、台風のように「季節的ではあっても突発的p135」な独特の形態をとり、しかも積雪では「世界にまれな大雪p135」という形を取ります。
ここから、「受容的忍従的」に加え、「熱帯的・寒帯的」「季節的・突発的」という二重性格が加算されます。
そうすると、日本人の受容性は「単調な感情の持久性p136」ではなく、「豊富に流れ出でつつ変化において静かに持久する感情p136」となります。
われわれ日本人は四季の移り変わりを持つという(世界では大陸の東側:南半球では逆)世界でもまれな地域に住んでいます。激しい変化を当然のごとく受け入れますが、しかし、その受容性は「調子の早い移り変わりを要求p136」するものです。「活発で敏感p136」で「持久性を持たないp136」ものです。
どうでしょうか。日本人の流行はすぐにはやり、すぐに廃れます。政治でも、芸能人でも「熱狂」しますが、すぐに「さめます」。常に「新しいもの」を求め続けます。例えば、ヨーロッパのように、住宅は100年200年使うという思想はありません。30年で街の風景は一新します(都会:ヨーロッパの首都とは明らかに違う)。
「活発で敏感p136」だから、疲労します。まるで、毎日のわれわれの生活のようです。その疲労は休養によって癒されるのではなく「新しい刺激・気分などの感情の変化p136」によって癒されます。
どうですか?「リゾートでゆったり1週間」は日本人にはできそうもありません。「1週間リゾート地で、絶えず動き回る」ことはできても。
だから、「持久性」は持たないことの裏に、「変化において持久p136」的という、これもまた日本独特の持久論が加わります。

さらに、「季節的・突発的」でもあります。「変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定せられた他の感情に転化するp136」のです。台風が突発的なように、感情も他へ移る時に突発的になることがあります。
だから、「執拗な争闘を伴わずして社会を全面的に変革するという・・・特殊な歴史的現象p136」さえ生み出します。「突発性」はゆるすものの、「執拗性」は忌むのです。しつこくしつこくは、日本では嫌われます。また、延々と結果の出ない状態にも日本人は耐えられません。
和辻がこの本を書いたのが、昭和4年(大学講義の素案)です。歴史的には、明治維新や、大正デモクラシーもその一つに入るでしょう。
そして、昭和4年の後に、昭和20年敗戦からの歴史的変革が生じます。和辻は予言者ではありません。ですが、「争闘を伴わずして社会を全面的に変革する」のは、日本人の特性ですので、戦後にどんどんその様な事例が生じます。
憲法9条の解釈変遷はどうでしょう?まったく文言を換えずに「全面的に変革」させました。
死刑はどうでしょう。永山基準も変化の一端ですが、その基準さえ、日本人の意識の中で過去のものとなっています。
知っていますか?「警察官が銃を犯人に使用する」のは、戦後の感覚では当たり前でした。ですが今は「警察官が警棒や銃を犯人に使用する」とニュースになる時代(ちょっと後退しつつありますが)です。そのきっかけは『瀬戸内シージャック事件1970年5月12日』だったのです。たった一つの事件が世の中をがらっと、変えたのです。
次に、「忍従性」についてです。和辻は「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従p137」と規定します。
台風や自然災害は、結局人間を忍従させるのですが、その台風的な性格は、日本人の中にある種戦争的な気分を湧き立たせずにはいられなくなるというものです。
自然を征服するのは無理で、敵対するのも無理ですが、戦闘的・反抗的な気分において持久的ならぬ「あきらめp137」に達したとします。「突発的かつ、静寂」です。
「きれいにあきらめるp137」は日本人が良く使う言葉ことば「水に流す」にも表れています。思い切り良く、淡白に忘れることが「日本人が美徳p137」としたところです。そしてそのもっとも顕著な現れ方は「淡白に生命を捨てるp136」ということに示されます。
繰り返しますが、和辻がこれを書いたのは昭和4年です。事例として日露戦争を挙げています。ですが、戦争末期の「特攻」を見事に表しています。
戦闘の根底にあるのは生への執着です。そして日本人においては同時に「その執着のただ中において最も目立つものは、生への執着をぜんぜん否定する態度であったp138」であり、「生への超越p138」です。
「武士道」でしょうか。「勝負のただ中にあっても、勝負を超える心境」は、われわれが学校における「部活動の公式試合」でも、社会人の「仕事」でも日常的に経験しているものです。
西田幾多郎の、「自己と他者の区別なく止揚する瞬間」でしょうか。物事に集中すると、「われを忘れます」。「自己と他者」の区別はありません。「主観(われ)と客観(他者)」の区別さえなくなります。集中している時は、「時間(客観)」さえ、忘れますね。
部活動のサッカー試合において、会社のプロジェクトにおいて、「勝ち負け」にこだわっている瞬間より、無我夢中で「ボールに集中」「自分の企画説明に集中」している時が、あります。「主客一致」の止揚瞬間です。そして、これが西田によるともっとも美しい時でもあります。と同時に、「無我夢中」、自分がないから、ものすごく「説得力」を持ちます。
「説得しよう」を忘れた時に、「説得」ができるのです。「負けたくない」「勝てるかな」を忘れた時に、結果的に「勝てる」のです。
人に良く思われたいと書いた、しゃべった言葉に説得力はありません。無我夢中で本心から吐露された言葉が、人に「良く思われる」のです。歌手の「歌」も同じです。作られた、ねらった言葉ではなく、感情を言葉にするから、人が感動するのです。
沖縄への大和特攻も、レイテ湾以後の航空機特攻も、理性的に考えたら、ぜんぜん理解できません。ですが、日本人をものの見事に示す一つの事象であるのは事実です。
「その執着のただ中において最も目立つものは、生への執着をぜんぜん否定する態度であったp138」であり、「生への超越p138」です。
安藤忠雄『私の履歴書』日経H23.3.25
…公募型のコンペなら、数百の設計事務所がライバルとなる。…どんなに力を注いでも、負ければゼロである。でもそのアイディアは、必ず次の建築の糧になる。
…真剣勝負は…恐ろしい。しかしその緊張感の中でしか生まれないのが創造力である。
…戦い続ける厳しい世界でも、ときには思いもよらぬ形で夢がかなうことがある。だから生きることは面白いのである。
そして、和辻は日本人の特性を「しめやかな激情、戦闘的な恬淡p138」という言葉で端的に表します。「激情しつつしめやか、戦闘しつつさめている」が「日本の国民的性格p138」と規定するのです。
「大相撲八百長」についてはどうですか?「怒りつつも、人情相撲はあるだろうと達観し、非難しつつ、これもありだろうという感情」がどこかにありませんか?
「政(まつりごと)祭りごと」としての相撲と、「スポーツ」としての相撲。これを自然に(おのずからしかり)のように、そのまま受け入れてきた日本人。こんな捉え方、あり方が、「自然」と出来ているなんて、他の国では考えられないでしょう。
今回の震災で、宮城県石巻市で、3人の子どもの消息を求めるお母さん、お父さんがTVでインタビューされていました。小学校で2人の男の子と、小1の女の子が流され、男の子の遺体は見つかったものの女の子がまだ行方不明だそうです。そのお母さんが、自衛隊の人が出してくれた、小学校舎にあった、子どもたちのランドセルや笛、そのほかの学用品の中から、娘の品を見つけ出そうとしていました。お母さんは、TVに対し、ほんとうに「淡淡(あわあわ)」と答えていました。抑揚がない、何か客観的な話し方でした。涙は出ていませんでした。
ですが、それを見たわれわれ(私)の心には、そのお母さんの心が痛いほど伝わってきます。一気に3人のお子さんを失った(一人は行方不明)のです。お母さんがあわあわと話すほど、私は、感情が抑えきれなくなりました。「しめやかな激情」です。
このように、日本はモンスーン気候に属し、「受容的忍従的p26」です。ですが、台風や自然災害が頻発するゆえ、特殊です。それはまさに「日本人がその特殊な存在の仕方を通じて人間の全体性を把握するその特殊の仕方にほかならp148」ず、「国民としての存在の仕方そのものに同様な特殊性の存することを示唆p148」しているのです。
今回の大震災に関し、日本人の国民性が表出しました。
「受容的忍従的」でありますが、受容は「調子の早い移り変わりを要求」し「活発で敏感」で「持久性を持たない」ものです。一方、「持久性」は持たないことの裏に、「変化において持久」します。
「忍従性」は「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」ですが、「きれいにあきらめる」こともします。
二重性が同時に日本人の中で昇華されています。「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」が違和感なく受け入れている自分がいます。不思議です。
和辻哲郎 全集第八巻『風土』岩波 1977

岩波が永遠に絶版にしないであろう、『風土』です。高等学校の「倫理」という科目では、必須の項目です。気候によって、人間のあり方生き方を分析したものです。
直観で書いていますので、論理的かといわれると、色々ほころびは出ます。例えば、ヴェーダ(インド)、ユダヤ・キリスト教が、その気候的風土から「生まれた」、人間が「作った」とするものです。ユダヤ・キリスト教では、神が「人間を作り自然を創った」のですから、まったく逆の論理です。
ですが、「自然が自然のままに現れるヨーロッパ(地中海)の風土(まっすぐなのが松)だから、自然を観察し、科学が発展し、だから人間が、自然法則を使い、自然を克服しようとできた」という捉え方は未だ魅力に富んでいます。
和辻哲郎は世界を、その気候によって、三つの類型に分けました。その一つはモンスーンです。モンスーンは、夏に、ものすごい暑さと湿気をもたらします。
「特に夏の季節風であり、熱帯の太陽から陸に吹く風である。だからモンスーン域の風土は、暑熱と湿気との結合をその特性p25」とします。
モンスーンは、湿気をもたらします。それにより、田んぼなどの自然の恵みを、われわれは受けることになります。植物が育ちます。それは、動物に「生」をもたらします。われわれは、自然と共存します。だから「人と世界のかかわりは対抗的ではなくして受容的p25」になります。
自然とは、なすがままのことです。「おのずからしかり」という意味です。われわれ日本人は、自然をありのままに受け入れます。自然と対抗しようとは考えません。
ですが一方、モンスーンの猛威は、時として全てを破壊します。大雨、洪水、暴風などです。これらには、人間は対抗するすべを持ちません。余りにも巨大だからです。
そうすると、「対抗を断念させるほどに巨大な力で…人間をただ忍従的たらしめるp25」ことになります。モンスーン地域に住む人は「受容的忍従的p26」として把握されます。インドや、シナや、東アジアが含まれます。
今回の大震災を始め、「自然」の力は、余りにも巨大すぎ、われわれの許容範囲を超えます。ただひたすら「忍従」をわれわれ日本人に強います。
<モンスーン日本の特殊性>
そのモンスーン地域に住む日本人は、まず、「受容的忍従的p26」です。しかし、日本は島国であり、アジアの端っこにあるため、さらに独特の「自然」がそこに加わります。
例えば、夏の「台風」と、冬の「大雪(日本海側)」です。これらは、「モンスーン(季節風)」によってもたらされる、日本独特の「自然」形態です。台風が日本を直撃するのは、日本の位置によります。日本列島を北上する形で、西から東に台風が動くのは皆さんご存知のことと思います。
インドにおいては、モンスーンはきわめて規則的です。
しかし、日本においては、台風のように「季節的ではあっても突発的p135」な独特の形態をとり、しかも積雪では「世界にまれな大雪p135」という形を取ります。
ここから、「受容的忍従的」に加え、「熱帯的・寒帯的」「季節的・突発的」という二重性格が加算されます。
そうすると、日本人の受容性は「単調な感情の持久性p136」ではなく、「豊富に流れ出でつつ変化において静かに持久する感情p136」となります。
われわれ日本人は四季の移り変わりを持つという(世界では大陸の東側:南半球では逆)世界でもまれな地域に住んでいます。激しい変化を当然のごとく受け入れますが、しかし、その受容性は「調子の早い移り変わりを要求p136」するものです。「活発で敏感p136」で「持久性を持たないp136」ものです。
どうでしょうか。日本人の流行はすぐにはやり、すぐに廃れます。政治でも、芸能人でも「熱狂」しますが、すぐに「さめます」。常に「新しいもの」を求め続けます。例えば、ヨーロッパのように、住宅は100年200年使うという思想はありません。30年で街の風景は一新します(都会:ヨーロッパの首都とは明らかに違う)。
「活発で敏感p136」だから、疲労します。まるで、毎日のわれわれの生活のようです。その疲労は休養によって癒されるのではなく「新しい刺激・気分などの感情の変化p136」によって癒されます。
どうですか?「リゾートでゆったり1週間」は日本人にはできそうもありません。「1週間リゾート地で、絶えず動き回る」ことはできても。
だから、「持久性」は持たないことの裏に、「変化において持久p136」的という、これもまた日本独特の持久論が加わります。

さらに、「季節的・突発的」でもあります。「変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定せられた他の感情に転化するp136」のです。台風が突発的なように、感情も他へ移る時に突発的になることがあります。
だから、「執拗な争闘を伴わずして社会を全面的に変革するという・・・特殊な歴史的現象p136」さえ生み出します。「突発性」はゆるすものの、「執拗性」は忌むのです。しつこくしつこくは、日本では嫌われます。また、延々と結果の出ない状態にも日本人は耐えられません。
和辻がこの本を書いたのが、昭和4年(大学講義の素案)です。歴史的には、明治維新や、大正デモクラシーもその一つに入るでしょう。
そして、昭和4年の後に、昭和20年敗戦からの歴史的変革が生じます。和辻は予言者ではありません。ですが、「争闘を伴わずして社会を全面的に変革する」のは、日本人の特性ですので、戦後にどんどんその様な事例が生じます。
憲法9条の解釈変遷はどうでしょう?まったく文言を換えずに「全面的に変革」させました。
死刑はどうでしょう。永山基準も変化の一端ですが、その基準さえ、日本人の意識の中で過去のものとなっています。
知っていますか?「警察官が銃を犯人に使用する」のは、戦後の感覚では当たり前でした。ですが今は「警察官が警棒や銃を犯人に使用する」とニュースになる時代(ちょっと後退しつつありますが)です。そのきっかけは『瀬戸内シージャック事件1970年5月12日』だったのです。たった一つの事件が世の中をがらっと、変えたのです。
次に、「忍従性」についてです。和辻は「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従p137」と規定します。
台風や自然災害は、結局人間を忍従させるのですが、その台風的な性格は、日本人の中にある種戦争的な気分を湧き立たせずにはいられなくなるというものです。
自然を征服するのは無理で、敵対するのも無理ですが、戦闘的・反抗的な気分において持久的ならぬ「あきらめp137」に達したとします。「突発的かつ、静寂」です。
「きれいにあきらめるp137」は日本人が良く使う言葉ことば「水に流す」にも表れています。思い切り良く、淡白に忘れることが「日本人が美徳p137」としたところです。そしてそのもっとも顕著な現れ方は「淡白に生命を捨てるp136」ということに示されます。
繰り返しますが、和辻がこれを書いたのは昭和4年です。事例として日露戦争を挙げています。ですが、戦争末期の「特攻」を見事に表しています。
戦闘の根底にあるのは生への執着です。そして日本人においては同時に「その執着のただ中において最も目立つものは、生への執着をぜんぜん否定する態度であったp138」であり、「生への超越p138」です。
「武士道」でしょうか。「勝負のただ中にあっても、勝負を超える心境」は、われわれが学校における「部活動の公式試合」でも、社会人の「仕事」でも日常的に経験しているものです。
西田幾多郎の、「自己と他者の区別なく止揚する瞬間」でしょうか。物事に集中すると、「われを忘れます」。「自己と他者」の区別はありません。「主観(われ)と客観(他者)」の区別さえなくなります。集中している時は、「時間(客観)」さえ、忘れますね。
部活動のサッカー試合において、会社のプロジェクトにおいて、「勝ち負け」にこだわっている瞬間より、無我夢中で「ボールに集中」「自分の企画説明に集中」している時が、あります。「主客一致」の止揚瞬間です。そして、これが西田によるともっとも美しい時でもあります。と同時に、「無我夢中」、自分がないから、ものすごく「説得力」を持ちます。
「説得しよう」を忘れた時に、「説得」ができるのです。「負けたくない」「勝てるかな」を忘れた時に、結果的に「勝てる」のです。
人に良く思われたいと書いた、しゃべった言葉に説得力はありません。無我夢中で本心から吐露された言葉が、人に「良く思われる」のです。歌手の「歌」も同じです。作られた、ねらった言葉ではなく、感情を言葉にするから、人が感動するのです。
沖縄への大和特攻も、レイテ湾以後の航空機特攻も、理性的に考えたら、ぜんぜん理解できません。ですが、日本人をものの見事に示す一つの事象であるのは事実です。
「その執着のただ中において最も目立つものは、生への執着をぜんぜん否定する態度であったp138」であり、「生への超越p138」です。
安藤忠雄『私の履歴書』日経H23.3.25
…公募型のコンペなら、数百の設計事務所がライバルとなる。…どんなに力を注いでも、負ければゼロである。でもそのアイディアは、必ず次の建築の糧になる。
…真剣勝負は…恐ろしい。しかしその緊張感の中でしか生まれないのが創造力である。
…戦い続ける厳しい世界でも、ときには思いもよらぬ形で夢がかなうことがある。だから生きることは面白いのである。
そして、和辻は日本人の特性を「しめやかな激情、戦闘的な恬淡p138」という言葉で端的に表します。「激情しつつしめやか、戦闘しつつさめている」が「日本の国民的性格p138」と規定するのです。
「大相撲八百長」についてはどうですか?「怒りつつも、人情相撲はあるだろうと達観し、非難しつつ、これもありだろうという感情」がどこかにありませんか?
「政(まつりごと)祭りごと」としての相撲と、「スポーツ」としての相撲。これを自然に(おのずからしかり)のように、そのまま受け入れてきた日本人。こんな捉え方、あり方が、「自然」と出来ているなんて、他の国では考えられないでしょう。
今回の震災で、宮城県石巻市で、3人の子どもの消息を求めるお母さん、お父さんがTVでインタビューされていました。小学校で2人の男の子と、小1の女の子が流され、男の子の遺体は見つかったものの女の子がまだ行方不明だそうです。そのお母さんが、自衛隊の人が出してくれた、小学校舎にあった、子どもたちのランドセルや笛、そのほかの学用品の中から、娘の品を見つけ出そうとしていました。お母さんは、TVに対し、ほんとうに「淡淡(あわあわ)」と答えていました。抑揚がない、何か客観的な話し方でした。涙は出ていませんでした。
ですが、それを見たわれわれ(私)の心には、そのお母さんの心が痛いほど伝わってきます。一気に3人のお子さんを失った(一人は行方不明)のです。お母さんがあわあわと話すほど、私は、感情が抑えきれなくなりました。「しめやかな激情」です。
このように、日本はモンスーン気候に属し、「受容的忍従的p26」です。ですが、台風や自然災害が頻発するゆえ、特殊です。それはまさに「日本人がその特殊な存在の仕方を通じて人間の全体性を把握するその特殊の仕方にほかならp148」ず、「国民としての存在の仕方そのものに同様な特殊性の存することを示唆p148」しているのです。
今回の大震災に関し、日本人の国民性が表出しました。
「受容的忍従的」でありますが、受容は「調子の早い移り変わりを要求」し「活発で敏感」で「持久性を持たない」ものです。一方、「持久性」は持たないことの裏に、「変化において持久」します。
「忍従性」は「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」ですが、「きれいにあきらめる」こともします。
二重性が同時に日本人の中で昇華されています。「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」が違和感なく受け入れている自分がいます。不思議です。
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theme : 政治・経済・時事問題
genre : 政治・経済