女性に生まれたら

<女性に生まれたら>

 自分が、女性だとして、大学を出て、キャリアを積み上げたい・・としたら。

一方、女性にしかできないのは、出産。出産には、妊孕力という、生物学的事実があり、10代後半・20代がピーク、上限は40歳くらい・・・
 
人生は1回限り、トレード・オフ、どうしましょう・・・。


情報いただきました

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比較優位の地域サバイバル戦略 ~持続可能な地域経済構造を目指して~

東京の学歴別人口移動状況をみると地域経済の課題が浮き彫りになる。1990年には東京の大学・大学院を卒業した女性が地方へ流出していたが、2000年には逆に東京へ流入している。男性の場合は、2000年のほうが人数は減っているものの両年とも流出が上回っている。

年齢別にみた男女別人口移動(東京圏、2011年度)都市への人口移動

学歴別にみた女性(20~39歳)の人口移動状況(東京都)
女 流出入

学歴別にみた男性(20~39歳)の人口移動状況(東京都)
男 流出入


ここから女性の中でも大学・大学院を出た女性の職場を地方は提供できていないことがわかる。高学歴女性の就職先としては付加価値の高いサービス業が中心となるが、その分東京のもつ優位性が男性より強く働くこととなる。地域にとっては、こうした女性の職場を確保することが大きな課題となる。



 女性が集まるところに、男も集まります(出生率の話ではありません)。学校がある(これもサービス業)のも都市部、学歴のある女性を生かす職業も、都市部にしかないのです。
 都市は、人間が、人工的(人為的)に、理想として作り上げた、環境です。

中村うさぎ 『性的価値のパワー』 週刊文春 さすらいの女王 731

人間の価値は美醜でもなければ性的価値でもない。たとえば知性や才能や精神的な豊かさなども大切な人間的価値であろうし、むしろ美醜や性的価値なんかに比べると、そっちのほうが、格段に高次元の価値ではないか、と、このように世間では考えられているようだ。

 だが、諸君、はたして本当にそうなのだろうか?美醜や性的価値が低次元の価値基準だとみんなが本気で思っているのなら、何故、女たちは美醜にあれほどまでにこだわり、己の性的価値を高めようとするのか? それは女が浅はかだからか? それとも、なんだかんだ言いながらも女を美醜や性的価値で選ぶバカな男が多いからなのか?

 違うね。じつは、人間のあらゆる価値の中で、美醜や性的価値はもう理屈抜きに群を抜いて強いのである。それは、ひとつの絶大な権力なのだ。知性だの精神性だのといった「人間本来の価値」とされているものが一瞬で吹っ飛ぶほどの、有無を言わせぬパワーなのだ。だからこそ、人間はその力を恐れ、美醜や性的価値を不当に低いものとして扱いたがるのである。

 私は以前、「美人コンテストでスピーチやら一芸やらを要求されるのは何故なのか」と諸君に問うたことがある。たとえばオリンピックはスポーツの技量を競うものであるから、そこで一番の成績を残した者が金メダルを手にすることになっている。その選手がじつは足し算もできないほどのバカだろうと、人間として最低な鬼畜であろうと、それを理由に金メダルが与えられない、ということはない。

 しかるに、美人コンテストは要するに美人のオリンピックなのであるから、頭が悪かろうと中身が空っぽだろうと、一番の美人を選べばいいじゃないか。何故、美人コンテストに限って、美人以外の要素が審査基準に入ってくるのか?
 
それはですね、人を美醜だけで判断してはいけない、というブレーキがかかるからだ。
しかし、それを言うならオリンピックだって、人を身体的能力だけで判断していいのか、ということになるだろうに、そこにブレーキがかからないのは、「美醜が性的価値に深く関わってくるから」であり、この性的価値ってやつがじつは人間を支配する絶大なる権力となり得るがゆえに、我々はあえてそれをタブー視することで社会を維持しようとしているのではないか?

そう、性的価値は、社会が作り上げてきた平等とか自由とかいった概念を一瞬にして転覆させられるくらい絶大な力を秘めているのである。セックス産業において「売り手が買い手より強い立場にいる」という通常の商取引とは真逆の現象が起きるのは、その露骨な証と言えないだろうか。こと性愛の現場になると、人間がどんな理屈をも超えていかに簡単に性的価値の前に屈服するか、それが露わになってしまうのだ。
 
専業主婦を「男が女を囲い込むシステム」と言う人たちがいるけれど、私はこのシステム、じつは女が作ったと思ってる。労働させられている男のほうが、本当は奴隷の立場なのだ。そして女たちがその権力を振るえるのは、ひとえに性的価値という最強のカードを持っているからなのである。



美醜が圧倒的価値・・・
ショック受けないでくださいね

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老いるということ ハリウッド・海外女優編―美女時代と老婆になってから

黄色人種は、肌の衰えが、白色人種ほどではないというものの、日活黄金時代の女優さんの今・・・食べていくっていうことは、大変なことだとわかりつつも・・なんだかなあとも思います。え?あの人ではなくて、あの人のことです(笑)。

 原節子さんが、すっぱりと引退したのは・・・

 男も、ジョニー・デップや、ブラッド・ピットが、若い子にキャアキャア言われても、せいぜい40代、いって50代で、終わり。アル・パチーノ、最近作は、さすがに「老い」「老醜」ばかり・・・(それはそれでアリですが、二枚目ではなくて)

 昔、「人生いろいろ」という曲がありましたが、その時島倉千代子50歳。「おばさん」「別世界の人」というイメージでしたが、今、松田聖子、薬師丸ひろ子、小泉京子、吉田美和、バービーボーイズの杏子がその世代。え?アラフィフって、あの「おばさん」世代なの?二の腕出して・・恋愛の歌??

閑話休題

 男、本当に、若い子が好き、というか、若い子でなければ、受け付けません。

 で、DNAは、自分の子供に、まったくリセットした、真っ新のDNAを残せるそうです。これは、生物学上の奇跡だそうです。

 老体に鞭打って「代離婚活」現場報告 週刊新潮14.7.31

・・・「代理お見合い」とは文字通り、親が子どもに代わって結婚相手を探すというものだ。

・・・平均初婚年齢・・・男30.8歳(2012年)、女29.2歳・・・。昨年秋、内閣府が行った意識調査・・・未婚化・晩婚化の理由・・・女性は「独身の自由さや気楽さを失いたくない」(55.3%)が最多だ。

 「・・男性はいくつになっても若くてかわいい人を求めます。それと赤ちゃんを産める人。世間一般に卵子の劣化が言われるようになり、男性側から『女性は36歳まで』と条件がつくようになりました・・・」

(ある女性の親)
 ・・・なぜ、36歳と言う若さなのに、代離婚活を行うのだろう。理由は明確だった。「女は35過ぎたら、婚活をやらなきゃだめ。あっという間に声がかからなくなるから」

(ある男性の親)
 ・・・「息子が38歳の時から、代離婚活を始めてるからね。やっぱり、孫は絶対に欲しいから、子どもを産める女性じゃないとダメ。だから相手には妥協しないの。年齢の上限は36歳。ここまでやらないと、親の責任は果たせない」

(ある女性の親)
・・・娘は42歳・・・コンピューター技術者・・一流企業に勤務。・・・「39歳になったとたん、誰も声をかけてくれなくなった」・・・たった一人だけ娘が「この方なら」と思った相手もいた。だが、今度は「年齢が40歳だから」という理由で相手から断られた。

・・・今回取材した会では、今年4回の開催で、40組ほどが成婚している。



 もう、「子どもが産める」→妊孕力があるのは若い子→若い子は性的アピールが一番ある時期・・というのは、生物学的事実なので、どうしようもないです。

 若い女性だって、若い男性を恋愛の対象とするのに・・・男だけは相変わらず・・・若い子!

これも、DNAを残したいという、生物学的事実に基づき、どうしようもない事実です。

 娘を持つ、親御さんの気持ちも、分かります。焦る気持ちも分かります。

 専業主婦、日本では、奥さんとか、かかあ殿下とか、川柳コンテストとか、「女性が強い」ことを示す事例に事欠きません。

 女性が強いことを象徴しているのが、「財布を握っている」ことです。日本男性は、そこから、「小遣い」をもらいます(圧倒的割合です)。

 80年代に、ロス疑惑という事件がありました。新婚に近い日本人カップルが、ロスで、金銭を目的とした暴漢に襲われ、撃たれた事件です。写真撮影で、女性が被写体、男性が、離れてカメラをセッティングしている時でした。女性は意識不明の重体後、死亡。男性は、足を撃たれました。金銭は、幸い奪われず、犯人も見つかりませんでした。
 
 外国事情に詳しい人は、初めから、「おかしい」と感じたそうです。欧米では、カップルの場合、女性は財布を持たないからです。財布(家計)を握るのは、男性です。金銭目的で、女性を狙うというのが、あり得ないのです。

 日本を「男尊女卑、女性の地位が低い、社会進出が遅れている!と非難するのは勝手ですが、本質は、中村さんが言うように、男性が「鵜飼の鵜」かもしれません。

専業主婦が、一番幸福度が高い
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世界一、男より女が幸せな日本

 いくら、「女は奴隷だ」と、ドヤ顔で、女性大学教授が叫んでも、ジェンダー・フリーを訴えても、当の女性たちが、「だって幸せ」と言っているのだから、共感は得られません。

 実態を無視して、頭(理論)でっかちになっても、誰も、ついてこないのです。

 若い女性が、その性的アピールを、最大限に象徴するメイクや、髪や、ファッションをするのは、当然と言うより、必然なのかもしれません。

 しかし、世の中には、自分が一番いけているときのスタイルを、未だに引きずる中・高年女性が・・・。はっきり言って、今のことばでは「痛い」です。

 男は、半そでシャツにスラックスは、20代~70代でも平気(年齢に関係なく着る)ですが、女性のミニや、短パン・・・年齢が限定してしまいます。

 女性は、色々、大変のようです。でもいったん女性であることを放棄すると、すごく楽のようです(笑)。

 ただ、服装(ファッション)は、とても大切であることも事実です。自分を表現する(主観)とともに、社会に合わせています(社会を意識しています:客観)ということを表現することでもあるからです。

 難しいものです。


高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学

k-takahashi’s 雑記

評判の良かった教科書。確かに分かりやすい。

特に本書では、GDPの三面等価、企業の収支と国の収支のちがい、国の財政問題といった簿記/会計的な見方が必要なテーマを重視する。これは類書の多くでは必ずしもきちんと説明されないことが多い。きちんとやろうとすると面倒になるからだ。だから経済学を勉強したつもりの人でも、うろ覚えの場合が多い。

でもまさにこの部分は、マクロ経済学をときに直感に反したものにしてしまい、多くの人たちがうっかり間違える落とし穴だ。複式簿記では、借方と貸方がいつも一致しなくてはならない。同じものを、常に複数の面から見なくてはならない。バランスシート(貸借対照表)とP/L(損益計算書)とキャッシュフローは連動しなくてはならない。ところが、往々にして人々は別の面から同じ数字を見ることを忘れて、何か片方だけに関する思い込みでものを言ってしまう。

(No.122)

問題は、この「思い込みでものを言う」が、一般の人だけではなく、記者や学者の肩書きを持ったひとまでやらかしてしまうこと。本書は、そういった間違いを犯さないための基本を学ぶための本である。

私の感想だと、以下の3つが本書のポイントだと思う。

企業の赤字と貿易収支の赤字は意味が違う

英語でも、企業の黒字赤字は "the black / the red"だが、貿易収支は "a trade surplus / a trade deficit"となる。直訳すれば、「貿易の余り/不足」となる。著者は「輸出超過/輸入超過」というべきだ(No.996)と指摘している。

この説明に使っているのが、

(S-I) = (G-T) + (Ex-Im)

の式。これを丁寧に説明し、「赤字=悪」という「落とし穴」にはまらないようにと繰り返し訴えている。確かに、意図してか無能からかは分からないがそういう言説は非常によく見かける。

比較優位ほど誤解されている理論はない。

この理論は、経済学上最大の発見で、誰一人反証できない、古典理論なのです。(No.1446)

これほど、重要なのに、これほど誤解されている理論もありません。

ですが、これを理解しないと「貿易は勝ち負け」「輸出を伸ばし、輸入を抑えれば利益が出る」というトンデモ貿易論に一直線です。(No.1467)

比較優位とは、相手国との競争力比較のことではなく、国内産業における「生産性」競争のことなのです。(No.1608)

つまり、同じ産業における日本と外国との競争力を比べて勝った負けたというのは比較優位の話ではない。国内の産業Aと産業Bとの生産性はどちらが高いかという競争であり、高い方が勝つ。それを全ての国が行えば、皆豊かになる、という理論なのである。

貿易自由化が常に国内の利害調整問題になるのは、この辺が理由というわけだ。

アベノミクスの理論的背景

アベノミクスは、実は色々な経済学のてんこ盛りです。まず、インフレ期待は、ルーカスなどの主張する「合理的期待形成」という経済理論によるものです。1本目の矢「金融緩和」は、フリードマンらマネタリストの、「インフレとはいついかなるときでも貨幣的現象だ」という、貨幣供給量が物価水準に影響を与えるとする理論に基づいています。2本目の矢「財政政策」は、言わずと知れた、需要面重視のケインズ政策。そして3本目の矢「成長戦略」は、あえていうなら、規制緩和などをすすめ、需要面より供給力を重視するサプライサイド経済学でしょうか。

(おわりに、より)

これらは完全な理論ではないし、組み合わせて良いかどうかも分からないし、そもそも部分的には相互に矛盾する部分もある。

ただ、個々の理論がどういうことなのかは本書を読めば概要を掴むことができるし、また一部の人が騒いでいるトンデモ理論(例えば、「国際価格が暴落し、長期金利が上がり、ハイパーインフレになることは間違いない」など)をトンデモと見破ることができるようになる。

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中村うさぎ 「『女』を着替える」 週刊文春12月24日号

あけましておめでとうございます

<年始特別版 哲学・倫理>

 「政経」「現社」なので、政治や、哲学の思想家も扱います。今後、ホッブズ・ロック・ルソーや、和辻哲郎なども取り上げてゆきます。

  今回は、全く関係はないのですが、「よく考えれば、人間の本質を突いているなあ」と思わされたコラムを取り上げます。以下、今回のブログ記事は、とりとめのない話です。

中村うさぎ「『女』を着替える」週刊文春12月24日号

 前回、「女はコスプレする性である」という非常に乱暴で大雑把な決め付けをした女王様であるが、もう少し詳しく説明するならば、それはこういう事である。 「男と違って女は、自らの性的アイデンティティを自在に着脱する生き物である」 

 たとえば我々は、「女を捨てる」とか「女を使う」などという表現をよく使う。まぁ、説明するまでもなかろうが、「女を捨てる」というのは、お酒落したり愛嬌を振りまいたり性的魅力を漂わせたり、という、いわゆる世間的に「女らしい」と考えられている属性を意識的に排除し、あえて男っぽく振る舞うような事を指す。これはもちろん、主に仕事の現場で「女を使ってる」などと思われないよう、「女」という性的アイデンティティや属性を封印しているわけである。

 一方、「女を使う」というのは、その逆で、仕事や恋愛の場において自分に有利に物事を運ぶために、あえて性的魅力を使ってみたり、泣いたり甘えたりという、いわゆる「女の武器」を使用する事を指す。

 つまり、我々はシチュエーションや対人関係に応じて、まるで衣装や着ぐるみのように「女」という性的アイデンティティを脱ぎ捨てたり、あるいは着込んだりしているのである。
 
 これに対して、男が仕事や恋愛の場で「男を捨てる」とか「男を使う」などと言っているのは聞いた事がないし、そもそもそういう言葉が存在しないようである。言葉が存在しないという事は、その「概念」自体が存在しないという事だ。つまり、「男」という性的アイデンティティは、シチュエーションに応じて脱ぎ捨てたり、はたまた意識的に着込んだりするものではないらしいのだ。男というのは、いつでもどこでも常時「男」であり続け、その事に疑いすら持たない性なのだろう。
 
 だから仕事の現場にも平気で「性」を持ち込み、それを「セクハラ」と言われて戸感ったりするわけだ。女の多くは仕事の現場において意識的に「性的アイデンティティ」を封印しているため、男がいきなりそこに「性」を持ち込んで自分を「女扱い」したりすると、なんだか反則技を使われたような気がしてムカッとくるのである。

 と、まぁ、このように、男と女の「性的アイデンティティ」の在り方は根本的に違う。「男」という性が本人にとって常に不動のものであるのに対して、 「女」という性は着脱自在な、ある意味、非常に「コスプレ」的なものなのだ。
 この違いが、男性本位の社会構造のせいなのか、あるいは男女の生来的な差異なのか、女王様にはわからない。そこらへんは、社会学者なり脳学者なりが専門的に解明してくがさるのを待つばかりである…



 「勉強をする」ということは、今まで何気なく見ていたモノが、まるで違って見えるということです。目の悪い人にとって、「ぼやー」と見えていたモノが、「はっきりくっきり見えるようになる」=「世の中が違って見える」ということです。だから新しく知ることの誘惑に勝てません。
 ただ、これらは、同じモノを見ているのに、「人は自分の見たいようにしかに見ない(カエサル)」いわゆる、「バカの壁」のもとでもありますね。

 例えば、街のいつもの風景。そこに自動車がたくさん走っています。軽自動車のナンバープレートが黄色だということに、一般の人のどれだけが気づいているでしょう。あるいは、今日歩いた、街路樹の名前や、葉っぱの形はどんなのでした?。たぶん、見ているようで、見ていないはずです。今度、観察してみてください。「すべての人に現実が見えるわけではない(カエサル)」。閑話休題

 さて、この「女を捨てる」「女を使う」ですが、確かにそうですね。「男を捨てる」とか、「男を使う」という表現もありませんね。

 男は、24時間男ですが、女は、例えば「化粧」によって、演じるペルソナ(パーソナリティー)を変えます。仕事時と、オフ時。しかも、化粧にも、「昼用メイク」と「夜用メイク」で、ペルソナを変えます。まさにペルソナ「人格」を、場所や、状況によって変えますね。

 女の人は、職場の格好を「スーツ」やスカートにすることによっても、人格を変化させます。「スーツ」は、「女を捨て」る時に使用します。逆にスカートの種類を変えて、「女を使う」場合もあります。

 男のスーツも同様です。「性を消そう」とするときに使います。=「性を消す」=「中性的な役割」を持っていますね。ただ、外見は「性を排除」していますが、中身は同じなのが「男」です。女は、「スーツ」によって、中身「意識」も変えています。そこがわからないまま、女性に接するので、男は「セクハラだ」と非難されます。

 子どもは、24時間子どもなので、やはり、「子どもを捨てる」とか、「子どもを使う」という表現もありません。

 ほかにも、次のような表現があります。(○があって、×がない)
(1)
○「母親捨てる」×「父親捨てる」
○「母親失格」×「父親失格」

 例えば、母親が、子どもがいるのに、浮気に走ったとします。そうしたら、「母親失格」だとか、「母親捨てて、何やっているのよ」と非難されたりします。でも、男親の場合、「父親失格」とか、「父親捨てて女に走る」とは、言われませんね。

(2)
「男」=性的 「男性」は「性」という字がついているのに、「性」を感じない
「女」=性的 「女性」は「性」という字がついているのに、「性」を感じない

 「あの人はすばらしい男性(女性)だ」と、「あいつはすげえ男だ」「あいつはすげえ女だよ」。どちらが、性的でしょうか。仕事面で「男だねえ!」と形容されたら、雄々しい男の「性」を連想します。でも「男性だよねえ」という表現は使いません。

 「あの人はすばらしい女性だ」といっても、「性」を想像しません。見事な仕事ぶりに「女だねえ!」はどうですか?

 映画やTVで、主役の俳優さんは、「男」「女」を演じます。「男性」「女性」ではないですね。歌手も「女」を演じます。ただ、仕事をしているときは、「演じている」モードなので、それを知らずに男性が、「性」を持ち込めば、あからさまに拒否反応を示されます。

(3)
料理人=男 
 ミシュランの三つ星シェフといって、想像するのは、「男」です。すし職人も、そば打ち職人も「男」です。ホテルの総料理長は「男」です。料理の鉄人も「男」です。「女」ではありません。

 どんなに女性が、料理が上手でも(平野レミさんとか、北海道では道産子ワイドの星沢さん)、料理教室などを開いても、そこで出てくる料理は、「家庭で食べる料理」です。
 飲食店で、「お袋の味」を謳ったお店では、「家庭料理」を想像します。高級レストランの味ではありません。(親父の味もありません)

 男がやると特別で、女は料理を毎日「日常」生活で作っています。にもかかわらず、お金を出して食べるお店では、料理人は「男」と、勝手に想像してしまいます。「女性」が高位シェフだと、ある意味驚きです。ギャップを感じるからです。でも、その場合でも、あくまでも「女性」シェフであって、「女」シェフではありませんね。

 不思議です。この不思議さ(なぜか)を、すぱっと割り切って説明できれば「学問(科学)」になります。中村さんのエッセイは「学問」だと思いました。
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